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2007年1月

2007年1月31日 (水)

となり町戦争

 ある日、町の広報に、「となり町との戦争のお知らせ」が載った。その意味を判じかねつつも、平凡な日常を送っていた主人公の元に、戦時特別偵察業務従事者の任命の通知が舞い込む。こうして主人公の北原は、となり町との戦争に巻き込まれていく。ところがこの戦争は、町の活性化対策のために公的事業として遂行される戦争だった。お役所仕事として実施される戦争は、辞令交付や議会承認、予算決議、地元説明会に損害補償、コンサルティング会社への業務委託、変にマニュアル主義で杓子定規で、そのお役所仕事ぶりが面白いが、実際に起きているのはまさしく戦争。死者が次第に増えていく。
 設定は非常に面白いが、戦争という非日常と、役所仕事としての戦争という非常識が二重に重なる中で、戦争が過去のものとなった現在において、戦争の意味や生・死を捉え直そうという筆者の意図は(それが意図だとすれば)、必ずしも十分描き切れていない。こうした状況の中で主人公たちは、ある意味、当たり前な行動や感情を示し、当たり前に文学的な描写が重ねられる。その点では、やや物足りない思いがする。文中、何度も「リアル」という言葉が繰り返されるのは、作者自身、設定のリアルさに自信が持てなかったからだろうか。設定が面白いだけに、もっと深く掘り下げることができれば、もっと面白くなっただろうに。残念。
 ちなみに、作者は、現役の公務員だそうで、公文書や事務処理手順等にその経験が生かされており、おかしみを加えている。何でも近く映画化されるそうだ。

  • 「そう。殺すってことはですねえ、相手から奪うことではなくてですねえ、相手に与えることだって、そう考えることですよお、はい。」(P23)
  • 私たちは住民のために仕事をしています。ですが、そこで言う”住民のため”とは、すべての住民に公平で同質のサービスを提供する、ということです。(P72)
  • 「あのころは、ぼくは人の生とか死とかってよくわからなかった。人は自然にそこに現れて、自然に消えていくものなんだっておもっていたよ」(P157)
  • 僕の影は、香西さんの影と重なっていた。だが、二人の影が重なっても、影の濃さはかわらなかった。重なった部分は、僕の影であり、また香西さんの影でありながら、「二人の影」ではなかった。(P191)
  • 僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。(P193)

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2007年1月29日 (月)

私家版・ユダヤ文化論

 なぜ今ユダヤ論か、という思いがあったので、なかなか手が出なかったが、正月にBOOK OFFで偶然見かけて買ってしまった。やはり内田樹は面白い。ユダヤ論と言えばサルトルが有名だが(昔読んだようなかすかな記憶が・・・)、反ユダヤ主義隆盛のきっかけとなったエドゥアール・ドリュモンの「ユダヤ的フランス」を主たる題材に、日猶同祖論を中心とした日本におけるユダヤ人観の歴史を振り返る「第2章 日本人とユダヤ人」や、フランス19世紀末(第三共和政時)のドリュモンとモレス侯爵の顛末を描いた「第3章 反ユダヤ主義の生理と病理」が、反ユダヤ主義を巡る歴史と思想状況をわかりやすく解説していて興味深い。
 そして「終章 終わらない反ユダヤ主義」では、なぜ反ユダヤ主義がなくならないのか、反ユダヤ主義とは何なのかを、レヴィナスのユダヤ論を下敷きに解明し、非常に面白い。それはまるで上質のミステリーのようでさえある。反ユダヤ主義とは、我々の心の投影であり、それ故根絶することはできず、ユダヤ人とはそのような対象とならざるを得ない、いや原罪としてなるべく生まれ出た民族であった。

  • 日猶同祖論者たちは・・・欧米列強が日本を軽侮し差別するのは、日本が(潜在的に)欧米諸国を眼下に見下ろすべき「神州帝国」だからであるという、尊属ゆえの受難という物語を成り立たせたのである。(P71)
  • 19世紀的近代人はあらゆる事象は因果の糸で緊密に結びついており、その因果の糸を発見することこそが、「科学的思考」であるという思い込みに深く領されてきた。・・・分子生物学者のルドルフ・シェーンハイマーはこれを「ペニー・ガム法」と名づけた。(P84)
  • 「そこに存在しないもの」を感知し、恐怖し、欲望し、憎悪することが人間にはできる。何かが「存在するとは別の仕方で」、生きている人にリアルに触れ、その生き方や考え方を変えるということがありうる。・・・私たちが因習的に「ユダヤ人」と民族名称を付して読んでいる社会集団は、その「存在するとは別の仕方で私たちに触れてくるもの」と民族的な仕方で関係づけられている(P168)
  • 人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。・・・私はこの「アナクロニズム」のうちにユダヤ人の思考の根源的な特殊性がある・・・。この逆転のうちに私たち非ユダヤ人は自分には真似のできない種類の知性の運動を感知し、それが私たちのユダヤ人に対する激しい欲望を喚起し、その欲望の激しさを維持するために無意識的な殺意が道具的に要請される。(P217)
  • 神が顕現しないという当の事実が、独力で善を行い、神の支援ぬきで世界に正義をもたらしうるような人間を神が創造したことを証明している。「神が不在である」という当の事実が「神の遍在」を証明する。(P228)

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2007年1月25日 (木)

サッカーが世界を解明する

 サッカーは世界各国でプレーされているが、その国の社会や政治、文化等との関わりようは実に多様だ。この種の本としては、サイモン・クーパーの「サッカーの敵」が有名だが、本書の場合、アメリカ人の政治記者が8ヶ月間の休暇を取って世界取材を敢行し、その独自の視点で描かれている点に特徴がある。取材した国は、セルビア、スコットランド、オーストリア、イングランド、ブラジル、ウクライナ、イタリア、スペイン、イラン、そしてアメリカの10か国に及ぶ。
 セルビアでは、レッドスター・ベオグラードの過激なサポーターズクラブとユーゴスラビア紛争との関わりを、スコットランドでは、レンジャーズとセルティックの宗教を媒体とした社会対立を、オーストリアではユダヤ人クラブの趨勢とヨーロッパに蔓延するユダヤ人排斥を、イングランドではチェルシー・サポーターのフーリガンを、ブラジルではペレを描きつつサッカー界にはびこる腐敗を、ウクライナではロシアとの相克とナイジェリア人の哀愁を、イタリアではACミランのオーナーであり元首相のベルルスコーニの野心を、スペインではバルセロナFCを巡るカタルーニャ人の屈折した思いを、イランではイスラム教下における自由思想の萌芽を、そして最後のアメリカでは、60年代ヤッピー世代を親に持つ高学歴・エリート世代でサッカー愛好者が多いという特異な状況の背景について描き出す。
 どの国の状況も、それぞれの社会・政治・経済情勢が密接にサッカー社会に反映し、非常に興味深い内容となっている。彼が日本を描くとどう描いてくれるんだろうか。それを想像するのも面白い。

  • グローバリゼーションをもってしてもサッカーの持つ地域固有の文化、確執、そして腐敗といったものを消し去ることはできていないことに思い至った。今ではむしろ、グローバリゼーションがこうしたローカルな力を増幅しているのではないかとさえ思う(P11)
  • 1920年代には、ユダヤ人によるサッカークラブはブダペスト、ベルリン、プラハ、インスブルック、リンツなど、ヨーロッパのほとんどの主要都市に存在していた。(P79)
    もはたフーリガンは飼い馴らされてしまった-魅力を感じたり尊敬したりする対象になってしまうぐらい、飼い馴らされてしまった(P114)
  • バルサのファンはレアルにこれほどまでの敵意を抱いているにもかかわらず、レアルのサポーターに対しては憎しみを感じていない。・・・彼らが怒りを覚えるのは考え方、カスティーリャの中央集権主義という考え方に対してなのである。考え方が相手では叩きのめすわけにもいかない。(P233)

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2007年1月18日 (木)

サッカーで燃える国 野球で儲ける国

 おちゃらけたタイトルに表紙のイラストが恥ずかしいが、副題に「スポーツ文化の経済史」とあるように、真面目なスポーツ経済学の書である。アメリカとイギリスの経済学者が共同執筆し、欧米の経済専門誌の書評にも取り上げられたという。人気に陰りが見えてきたと言われるアメリカの野球と、財務的な脆弱性が指摘されるヨーロッパのサッカーを、経済的視点から比較・分析し、最終章では互いの長所を相互に取り入れた改善策も提案されている。しかし、一番興味深いのは、野球とサッカーという全く異なる経営・組織・仕組みを、その成り立ちに遡って振り返り、その当時のアメリカとイギリスそれぞれの経済的・社会的状況が異なっていれば、全く違った経営形態や国際化の様相を示していたかもしれない、と指摘している点だ。すなわち、野球も、その草創期には国際化に努め、世界ツアーなども行われたが、時は大英帝国の最盛期であり、アメリカの試みは受け容れられず、逆にサッカーは経済的世界戦略の一端としてもっぱら国際友好の道具として使われたことが、ビジネスツールとしての発展を妨げ、プロとアマが混在化した現在の状況をもたらした、と言う。「サッカーのクラブは、総じて・・・利益の極大化を目指しておらず、勝利の極大化を重視している。」(P232)
 ちょうどこの本を読んでいたとき、Football Kingdomというブログで、「サッカーと野球は、そもそも違う文化圏のスポーツ」というエントリーを読んだ。後藤健生氏の「サッカーの世紀」を引用しつつ、スポーツを巡るアメリカ人と非アメリカ人のスポーツ観の違いを論じたもので、後藤氏のこの本は私も分かりやすく面白く読んだが、改めて本書を読んでみると、両者の文化の違いは、実は後藤氏が言うほどステレオタイプで単純なものではなく、もっと偶然に支配されたものだったかもしれないと思う。「あるスポーツのアイデンティティにとって極めて重要になっている伝統は、そもそも偶発的な事情から形成された・・・。野球はもっとサッカーのように、あるいは逆にサッカーはもっと野球のように、発展する可能性も十分にあった」(はじめにP2)
 それぞれのスポーツビジネスの草創期を巡る関係者の動きやシステムが記述された部分は、あまりにめまぐるしくてとても理解できないし、面白かったとは言えないが、それでも今まで知らなかったような歴史が知られて、その点では興味深かった。

  • 入場料と選手への支払いという流れを背景に、いかなるイギリス人もクリケットに関してあえて使おうとしなかった「ビジネス」という言葉が、野球では使われ始めた。(P25)
  • 1887年になると給与は再び上昇を始めた。しかし、オーナーたちも黙っていない。ルールを変更して打撃成績を引き下げ、スター打者の給与を減らそうとした。1888年にフォアボールによる出塁をヒットに数えることをやめ、アウトに要するストライクの数を3つに減らした。(P66)
  • 1891年には日本のチャンピオンである「一高クラブ」が、横浜アスレチッククラブに「国際試合」を挑んだ。・・・横浜クラブはあろうことか29対4で敗北した。・・・アメリカ人にはショックであったが、日本人は有頂天になった。この勝利は全国紙に書き立てられ、日本人はもう劣っていないことの証拠とされた。明らかにその瞬間から、日本人はアメリカの野球が好きになったのである。(P74)

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2007年1月 8日 (月)

敗因と

 金子達仁にしてはネット界での評判がいい。取り上げるブログが多い。我慢できずに私も購入してしまった。金子達仁の名前がひときわ大きく記されているが、プロローグを入れて全10章のうち、金子が執筆しているのは2章に過ぎず、半分は戸塚が執筆している。残り3章を木塚が担当。
 試合展開を中心に前後の出来事をノンフィクション風に描く部分、プロローグ「最期」(中田英寿の動けなかった900秒)、第7章「消極」(クロアチア戦)、第8章「落涙」(ブラジル戦)を戸塚が担当。他に、ジーコへのインタビューを中心とした第1章「団結」と、代表に関わったベテラン選手、藤田、三浦そして唯一最終選考に残った土肥へのインタビューで構成する第2章「団結」も戸塚の担当だ。
 今回の敗戦の原因と噂される選手間の確執などを追う部分は木塚が担当だ。第3章「確執」(中田の孤立)、第5章「晩餐」(ドイツの日本料理店「かみじょう」での出来事)、第6章「齟齬」(戦術意見の対立)。そして、金子は、オーストラリア監督ヒディンクへのインタビューを綴った第4章「七色」と最終第9章「敗因と」を担当している。
 今回の結果に関わった人や状況がほとんど漏らすことなく取材されている。そこがサッカーブロガー達に評価されている点だろう。唯一、声や真意が分からないのは、川渕キャプテンくらいか。その上で、敗因は、ジーコの力量やまとまりきれなかったチームの内情などいろいろあるだろうが、それよりも問題は「なぜドイツでの日本代表の戦いは、あんなにも胸に響かなかったのか。」(P288)にあると言い、そしてそれは「目標と負荷の欠如」が原因だと推量する。
 あの結果に対して何を感じ取るか、何を読み取るかは、人それぞれ千差万別であっていい。確かに知らない間に終わったしまった、今ひとつ心に残らないワールドカップだった、という思いは僕にもある。せめてアルゼンチンが勝ち進んでいれば・・・。今となってはそれもが、それも含めて、今回のワールドカップから何を感じ取るか。改めて振り返ってみてもいい。

  • 小野の投入は、秩序ではなく混乱をもたらしてしまった。・・・フィールドのなかでは、いくつもの異なる感情がぶつかりあっていた。果たしてどれが正解だったのかはともかく、すでにこの時点で敗戦が忍び寄っていたのは間違いない。(P32)
  • ジーコは選手を信頼した。信じていた。・・・いまでも彼は、選手はすべてを出し切ってくれたと信じている。・・・だから、グループリーグ敗退という結末を迎えても、「ありがとう」と言うことができた。それを罪と言うことができるだろうか。・・・ジーコは少しだけ、優しすぎたのかもしれない(P56)
  • フィールドプレーヤーに30歳以上の選手がひとりもいないのは、32か国で日本だけだった。(P89)
  • テストマッチとは、いうまでもなく本番でのチーム力を高めるために行う「練習」である。だが、日本サッカー協会に限らず、テストマッチとして国際サッカー連盟から与えられた日時を、文字通り「練習」のためだけに使うという発想は、ヒディンクしか持ち合わせていなかった。(P139)
  • 敗因は、ひとつではない。しかし、胸を打つ試合ができなかった理由は、あのときと同じだった。アトランタ・オリンピック代表チームが犯した失敗を、10年後の日本代表は繰り返してしまったのである。目標と負荷がなかったから、ドイツでの日本代表は心に響くような試合をすることができなかった。(P292)

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2007年1月 4日 (木)

予告された殺人の記録

 一度読みたいと思っていた、コロンビア出身のノーベル賞作家、ガルシア=マルケスを初めて読んだ。実話を元にするというが、観察者・取材者としてのからっとした筆致で書き込まれた作風が伝統社会の力や素朴さを十全に表現している。時間や場所が自由に前後し移動するが、しっかりと計算されており、まるで映画の場面展開を見ているような感じだ。死体や殺人場面の描写も本来グロテスクなはずが、まるで映画シーンのように客観的に描写され、かえって真実味を感じさせる。
 話は、古い伝統が残る中南米の小さな町。そこに外からやってきた男が地元の娘を見初め、どんちゃん騒ぎの披露宴を挙行するが、娘が処女ではないとわかった男はその夜のうちに娘を実家に帰す。娘から初体験の相手を聞きだした双子の兄弟がその相手の男を殺すと言い出し、翌日の朝に殺害する。それだけの話だが、小さな町では、多くの村人が殺人の予告を聞き、それぞれの行動をし、予告どおり殺人が実行される。そのときの、またその後の関係者や村人たちの考えや感じたこと、行動などを取材し再構成する、という仕立てだ。
 古い伝統社会の中では、名誉回復のための殺人すら許容され、一方でしのびよる近代社会のルールが伝統社会の慣習を壊していく。明晰な問題意識の下でかっちりと組み立てられた作品で、非常に好感が持てる。次作も探し出して読もうと思う。

  • 大勢の人間がいる中でただひとり、バヤルド・サン・ロマンだけが犠牲者だった。彼以外の悲劇の登場人物たちは、人生が自分たちに振り当てた得な役回りを、誇らしく、またある種の権威をもって演じたと言えるだろう。(P98)
  • 夜明けに鶏がときの声を上げるが早いか、わたしたちは、あの不合理な事件を可能にした、互いにつながり合った無数の偶然に、秩序を与えようと努めた。・・・宿命が彼に名指しで与えた場所と任務がなんだったのか、それがきちんと分からぬまま暮らしていくことは、わたしたちにとって不可能だったからである。(P114)
  • 彼らはすべて、ある意味で男性優越主義の社会の犠牲者なのである。・・・そしてその基盤になっているのが、実は母系制社会なのだ。しかし作者はこれをいきなり批判したりはせず、民衆が選び取ったものとして、観念的にではなく生身の形で、むしろ郷愁をこめ美しく描いてみせる。(訳者あとがきP151)

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サッカー批評33

 今号の特集は「オシムを殺すな」。早くも漂い始めたオシム批判に対して、「今後が期待できるサッカーをしているじゃないか」と、オシムサッカーの楽しみ方を伝える。ガーナ戦、3-3-3-1の評価はなるほど。その他には。サッカーダイジェスト元編集長、山内雄司氏の「私が考える『メディアの使命』」や「ハラヒロミはなぜ愛されるのか」が面白い。それと、小さな連載「ゴール裏センチメンタル応援団」のナビスコカップに対する率直な意見が妙に納得させられる。もう一つ、先号からの連載である「Hard After Hard ~思い出したいことがあって~」の森崎嘉之へのインタビューは、サッカーだけではない人生を描き出した、他誌ではけっして読めない記事だ。こうした見方に触れられるのが、サッカー批評ならではで楽しい。

  • 1トップ=3FW。日本代表にこのスタイルが復活したのはいつ以来だろうか。(P023)
  • サポーターにとってナビスコカップは、クラブ・チームへの愛を最大限発揮でき、その愛の深さを確認できるかけがえのない大会なのだ。(P089)
  • 夢を生きるか、平凡な人生を生きるか。その見切りをどうするのか。・・・一昔前なら、平凡な人生を送ろうと思って、人は平凡に生きられたかもしれない。しかし、この時代は、平凡な人生を送るのが、こrまた容易ではないのだ。(P103)

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