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2007年5月

2007年5月24日 (木)

蹴る群れ

  • サッカーも地球という星の歴史の流れと無縁ではありえない。独裁者、民主化革命、鎖国、亡命者、戒厳令、戦争、大量破壊兵器、移民。現代史にちりばめられたこれらの言葉は、フットボーラーたちの人生にも、さまざまな光と影を投げかける。(P7)
  • サッカーで世界を変えることは難しいかもしれない。しかし、サッカーを観ることで世界を知ることはできる。(P8)

 第1部 序のこの文章が、この本の性格を如実に現している。第1部は、戦禍のイラク、ドイツのイラク移民、アルバニアの恐怖政治、チャウシェスク独裁下のルーマニア、ビロード革命時のチェコ、フォークランド紛争、セビリア・モンテネグロからのモンテネグロ独立問題、戦禍のレバノン。こうした困難な状況下でサッカー選手がいかに社会に翻弄され、政治との相克の中でどのように振る舞ってきたか、その幾人かは日本にもなじみ深い選手(例えばハシェック、アルディレス、サビチェビッチなど)を通して、彼らの苦悩と選択を描き、社会・政治の理不尽さを描く。民族と宗派で分裂しているとされるイラクで代表選手たちがいかに結束し共にこの困難を乗り越えようとしているか。それは、モンテネグロ独立問題におけるセビリア・モンテネグロ代表やレバノン代表たちにも言える。
 また第2部「日本サッカー稗史」では、子供会活動からJリーグチームを持つまでになった塩竃FCと共に生きた男の物語や、官主導のJチーム作りから始まったトリニータ大分の物語。また女子サッカーチーム誕生秘話に在日朝鮮サッカーの源流を探るルポの4編の中編レポートが収められている。そのどれもが思わず涙を誘うような話ばかりだ。
 第3部はこれまでの同種の本ともまた毛色が変わって、6人のゴールキーパーに着目取材したレポートだ。サッカーの各ポジションの中で唯一手が使え、全体を見渡し、大きな声で指示を出し続ける特殊なポジションであるキーパー。彼らのサッカー観、人生観は他のフィールドプレーヤーにはない独特の哲学が伺える。
 作者・木村元彦は、「オシムの言葉」で一躍有名になった。本書はそれより以前から取材してきたレポートも含めて収録と書かれているが、「誇りーストイコビッチの軌跡」や「悪者見参-ユーゴスラビアサッカー戦記」から読んできた読者からすれば、短いレポートを集めたものだけにやや物足りなさもある。ここに収録されたレポートのいくつかは、「サッカー批評」誌でも読んだことのあるテーマでもある。それでも、こうした視点、こうした楽しみ方、関わり方がサッカーにはあるということを知ってもらうと意味でも是非多くの人に読んでもらいたい本の一つだ。

  • クラブは弱体化した。それでも、”独裁者による強化”より、”自由な流通”のほうが、サッカー選手個人には幸福だと、彼は言外に語っていた。(P82)
  • 偏狭なナショナリストよりもコスモポリタンたることが、スポーツの世界ではいかに大切かをとうとうと説いた。チームは一つ-。(P149)
  • アルジェリア移民の子供がマルセイユの団地でボールを蹴り出す理由、ブエノスアイリス近郊のスラムの中でインディオの子がサッカーに目覚める理由と、酷似する。世界各地にある移民のコミュニティが名フットボーラーを生む背景には、被差別の悲しい現実があるのだ。(P219)
  • あの判定が私の人生に与えた影響ですか?ひとことで言えば、人生を受け入れること。・・・不本意な判定で準優勝だったけど、審判が判定を決定したのなら、それを受け入れなければならないのです。(P286)
  • ダイブした方向にボールは来なかったのか。イヴコヴィッチは、しかし毅然と言う。「でも後悔はしていないよ。GKとはそういうものだ。(P305)

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2007年5月23日 (水)

春日井・下街道

 新聞の地方面を見ていて偶然見つけた「下街道ウォークラリー」。春日井駅前の春日井大弘法から勝川駅の勝川大弘法までを歩くもので、毎月第3土曜日に実施している。春日井大弘法で用紙をもらい、中間地点、鳥居松公園付近から歩き始めた。


 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年5月17日 (木)

日蝕

 中世ヨーロッパを舞台に、フィレンツェをめざして旅立った学僧が途中で立ち寄った小さな村で錬金術師と巡り会い、隠された両性具有者を垣間見、魔女狩りによりその両性具有者が焚刑に処されようとする時、まさに奇跡が起き日蝕が地を覆う。まるでウンベルト・エーコのような難解な筆致で綴られた著者の芥川賞受賞作品。その難解な漢字や古色蒼然とした文章はたしかに耳目を集めるが、何の故か。
 解説では、次作の「一月物語」を泉鏡花になぞらえつつ、「反復的戯れを通した再生」と記述する。「書くことの初期そのものが作品として結晶化した」(P212)とも。
 しかし何故反復し模倣するのか。この小説を読んでも、この題材・テーマで訴えたいことがあるように思えぬ。高瀬川も実験的小説と感じたが、この処女作もそうした試みの一つというべきか。こうした表現、内容で小説を書くことに意味があったのかと。しかしてどういう意味が。それがまだ分からない。ただの戯れに付き合っているだけか、はたまたその先に小説の再生がひそんでいるのか。いつまでこれに付き合うのか。それが問題だ。

  • 眼前の焔の凄まじさは、世界と時間とを両つながらに呑み込まむとしていた。そのうねりと目眩く赫きとの裡に、或る瞬間的な到達の暗示と再生の劇的な予感を閃きながら。-世界の全的な到達と再生。(P67)
  • しかし、この上も無く美事な異教神の絵を見る時に、人は一体何と評し得るであろうか。慥かにそれは、怪しからぬものであるには違いない。然りとて、完く否定してしまうには惜しい気もする。それには猶、或る得体の知れぬ抗し難い魅力が有るからである。(P102)
  • 私が為により以上に重要であると思われるのは、錬金術の作業には、それを為すことそのものの裡に或る種の不思議な充実が在ると云うことである。(P200)

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2007年5月 8日 (火)

組織行動の「まずい!」学

友人から別の本を借りるつもりだったが、この本を持ってきてくれた。せっかくなので読んでみることにした。最近、失敗学が注目を集めているらしい。警察大学校で危機管理の教鞭を執り、失敗学会の会員でもある筆者による「失敗しないためのマネジメント術」が書かれている。失敗を起こす要因を、個人のミスから集団的な意識の陥穽、行き過ぎた効率化に起因するもの、専門家の限界や形ばかりのシミュレーション、組織全体の硬直化、組織文化に至るまで、主に会社・団体組織におけるミス(事件・事故)を中心に整理している。
 つい先日もエキスポランドのジェットコースター事故があったが、さっそくマスコミによる責任追及、犯人探しゲームが展開されている。こうした場面をみると、自分も失敗をしたくないなあと本書に書かれたことなどを思い返すが、多分この本をいくら読んでも、それで失敗がなくなることはないだろう。なにしろ「人間はミスする葦である」。
 もちろん失敗を極力少なくする努力は必要だろうが、そのためにはコストと時間を要する。リスクはどこまで行ってもなくならないとすれば、どこまで危機管理にコストを費やすことが適当なのか。その答えはどうやって導かれるのか。いや実は、失敗を減らす努力と並行して、失敗を受け止める度量(社会風土や組織力)づくりも同程度に必要なのではないか。
 読みながら感じたのは、この本の読者はミスを少しでも少なくしたいと考えている人、またはそうした職務を担っている人であって、私のようにミスを許し合える社会にしたいと思っている人間はお呼びではないということ。それでも、本書に書かれていることは、どの内容ももっともなことばかりで、その限りでは十分参考になるし、頷ける。ただし、耐震偽装事件に関する記述を除いては・・・。

  • 組織内で文書類が必要以上に増加するのは、本来は現場を支える立場であるはずの総務・企画部門が、逆に現場に対して支配的な傾向を強めている証左である。文書が分厚いほどよいという文系的価値観、いわば「『紙』様信仰」を現場に押し付けているのだ。(P42)
  • 年功序列システムとは、若手従業員に対して将来的に高い処遇を与えることを約束する代わりに、現時点の低い給料で我慢させるという暗黙の労働契約であった。(P117)

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2007年5月 2日 (水)

日清・日露戦争-シリーズ日本近現代史(3)

 シリーズの第3弾は、日清・日露戦争とその時期の政治や文化状況を描く。最初の第1章、第2章で、大日本帝国憲法公布後最初の帝国議会(1890年)から紛糾と政争を重ねる議会と政治の模様を詳細に綴っていく。予算審議に係る議会の関与範囲をめぐる憲法67条問題、地租軽減、政費削減、条約改正など、第1議会から元勲を中心とする政府と議会や民党が激しく対立し、議会解散や内閣総辞職もたびたびあった。こうした状況の中で日本の議会制は根付き日本式のルールや慣習が築かれていった。こうした状況を打開するため、日清戦争は起こされ、日露戦争に踏み切り、帝国主義や軍国主義を呼び起こし、太平洋戦争につながっていく。もちろんその背景には、西欧列国の覇権主義や植民地政策があったわけで、そうした時代とも言えるが、そうした時代の中で、必然と偶然と誤った選択の果てに歴史は作られ進行してきたと言える。
 いよいよ次号は「大正デモクラシー」。こうした時代の人々の思想や感性、メディアや流行、政治と経済などはどうだったのか。現在にも通じるといわれる時代だけに今から興味が尽きない。
 なお、下記引用で、「韓国保護権確立の件」は、4月8日の閣議決定時には、日露戦争の長期化に備えた兵站基地確保の意味であったものが、日露戦争後、韓国併合へと進んでいってしまったことを指す。まさに歴史は偶然と必然の賜物である。

  • 日本の近代国家を律する根幹は大日本帝国憲法であるが、その機能を明確にし定着させるには、政府・帝国議会・司法府でいくつもの試練を潜らねばならなかった。(P32)
  • 国内政治で追いつめられていた伊藤内閣は、打開策を打ち出す必要に駆られていた。・・・ここに「天下人心」を向かわせる「国事」としての朝鮮問題が現れたのである。(P57)
  • 日清戦争は異文化衝突を大量に生み出した最初の国民的体験であった。(P73)
  • 19世紀以降のアジアの危機は、日清戦争によって生み出されたのである。(P87)
  • 日露戦争が終わると、・・・軍隊を中心とする経済活動を柱として、・・・日本人社会が形成され・・・こうして成立した「外地」日本人社会は、その外部に中国人や朝鮮人社会を持ち、彼らを最下級労働者として雇用することで維持されていた。民衆の帝国意識が醸成されていく。(P225)
  • 日本海海戦が完勝に終わり、4月8日の閣議決定である、長期戦の遂行を助する「韓国保護権確立の件」は、それ自身として検討することが可能になり・・・(P225)
  • 「植民地問題」・・・の出発点が「日清戦争から日露戦争へ」の時期であった。(P240)

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