« オシムがまだ語っていないこと | トップページ | あいちの高優賃/けやき館 »

2007年6月23日 (土)

ポストモダンとは何だったのか

 浅田彰が「構造と力」で鮮烈デビューを遂げ、ポストモダン思想が一世を風靡した1983年。本書の最後では、筆者は今こそこの「83年の思想」から始めようと呼びかける。デリダ、フーコー、ドゥルーズ&ガタリ、レヴィ・ストロース、フロイト、ラカン、レヴィナスといった実存主義の後の構造主義、さらにはポスト構造主義の思想家たちを概括的に展望した後、浅田彰、柄谷行人、東浩紀といった日本の思想家を紹介する。こうして83年以降、現在に続く思想の潮流の地図を描いてみせる。理解できたとはとても言えない。むしろほとんど理解していないと言った方が正しい。それでも時代の空気の中で、これらの思想の雰囲気、匂いのようなものは分かった気がする。文中、「思想は・・・具体的な政治や経済の状況の中で培われてくる」(P44)という記述があった。まさに構造主義、そしてポストモダンは今の時代に生まれた思想なのかもしれない。

  • 人間は環境に適応するばかりの動物ではなく、現状を変えていく存在であり、思想は現状を変える規定性である。(P26)
  • 構造主義は、主体の自由な選択といった考えを批判する。われわれが自由な選択の結果だと思っていることが、じつは自分たちが意識していない「構造」によって決定されているとしたら?(P47)
  • 近代社会においては、自分が意識するとおりに行動する理性的人間こそが、社会を構成する単位となることができる。しかし実際には、意識は存在に規定され、無意識にひとは動かされてしまう。我々の意識と存在、思っていることと実際やっていることとは一致しない。(P65)
  • ある言葉の意味を話し手が勝手に決めることはできない。聞き手との同意が形成されて初めて両者の間にコミュニケーションが成り立つのである。ある言葉がある意味を持つ、そのような規則は個人の内面に最初からあるのではなく、個々のコミュニケーションの現場で事後的に見出されるに過ぎない。(P86)

|

« オシムがまだ語っていないこと | トップページ | あいちの高優賃/けやき館 »

コメント

エヴァンゲリオンを引用した目次だったので読みやすいかと思って買ってみましたが、やはり難解で、途中で断念してしまいました。
現代思想というのは難しいですね。

投稿: 国土コピペ大臣 | 2007年6月25日 (月) 22時42分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ポストモダンとは何だったのか:

« オシムがまだ語っていないこと | トップページ | あいちの高優賃/けやき館 »