« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月28日 (金)

サッカー批評37

 オシム監督が突然脳梗塞で倒れたという報道はとてもショックだった。昨日あたりから奇跡的な回復という話題が出てきており、ほっと胸をなでおろしているが、既に岡田監督が就任しており、今後オシムは日本代表にどう関わってもらえるのか気になる。
 本書の編集が進んでいた時点ではまだオシムが健在だったようで、発行にあたり急遽いくつかの記事の追加や書き直しがされたようだが、多くはオシム監督体制が継続していることを前提に取材がされている。前号の予告では「日本サッカー界 1年の総括-あらゆる課題を徹底検証する」だったから、取材途中で特集のタイトルが「日本のサッカーは誰のものか?」に変更され、オシムが倒れたことで急遽「オシムが教えてくれた」という表紙のタイトルは差し替えられたものと思われる。当初は、会長の是非まで踏み込んだ内容になるところだったようだが、緊急事態の中でそこまでは差し控えられ、オシムのこれまでの成果を振り返る内容になっている。
 しかし単に日本代表に留まらず、女子サッカーやビーチサッカーなどの現況や地域リーグの状況、サッカー協会の世界比較、さらにはキリンなどサポート企業への取材など、広範な視野で日本サッカー界を見渡す姿勢はさすが「サッカー批評」誌ならではのもの。
 さらに今年は日本のサッカー界の現状を問い直すべき事件がいくつかフロンターレ川崎を襲った。我那覇を巻き込んだドーピング問題、ACLの過密日程とベストメンバー批判。当然のようにフロンターレ川崎を取材しているのも、本誌らしい批評精神でタイムリーだ。「日本のサッカーは誰のものか?」はまさに時宜にあったタイトルと言えよう。

  • 「若い世代をなるべく早く海外に送ってサッカー先進国の指導を受けさせる」というダバディ氏の意見にオシムは「育成を外国任せにしてどうする?」と言下に否定したのだ。これほどまでに日本をリスペクトしてくれた外国人監督がいただろうか。(P008)
  • 人の痛みの分からぬ会長こそ「こころのプロジェクト」を真っ先に受講すべきではないのか。(P009)
  • フロンターレにとって07年は、間違いなく理不尽なシーズンであった。・・・川崎フロンターレの07年シーズンは、日本サッカー界のあらゆる叡知をもって、厳粛に精査・総括されるべきである。(P051)
  • 結局のところ百年構想の理念とは、志半ばで斃れていったクラブや夢破れた選手たちの死屍累々によって、支えられているのではないか。もし、そうだとすれば-「日本全国にJクラブを」などという美しい物語に、私は全身で寄り添うことなどできない。(P079)
  • ぼくが、サッカーに打ち込めば打ち込むほど、サッカーは、いろいろなことを教えてくれた。・・・彼は、<ぼく>が、サッカーによって<生かされる存在>であると気づかせてくれた最初の人だ。(P133)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年12月21日 (金)

破壊者ベンの誕生

 本年度のノーベル文学賞受賞者ドリス・レッシングの作品。年に似合わず保守的で伝統的な価値観を持つ者同士のハリエットとデイヴィッドは、子どもは何人いてもいいと、父の援助で古風な大邸宅を入手し、愛に満ちた夫婦生活をスタートさせる。両親の静かな抵抗を押し切って予定どおり4人の子どもに恵まれ、幸せな家庭を築き上げる。しかし5人目に身ごもった子どもが尋常ではなかった。妊娠中から暴力的な振る舞いを繰り返した胎児・ベンは、母親の不安の中でその巨大な姿を現し、乳幼児の時から傍若無人な態度を見せる。その異常さにハリエットを除く者たちが謀って収容施設へ放り込むが、母ハリエットが救い出してしまう。遠ざかる親戚、子ども、そして父デイヴィッドも次第に距離を置き始める。取り残されたハリエットは不良グループと交わり犯罪行為に手を染めるベンを遠巻きに眺める。どうしてこうなってしまったのか。悪魔でも愛さずにはおれない母としての性と幸せな家族という幻影を思い返しながら・・・。
 解説には「難解といわれる文体」とあるが、技巧的に陥らず読みやすくグイグイと引き込んでいく文章には、ストーリーテラーとしての俊才を感じさせる。ジェンダーや差別などの社会的な課題に果敢に挑んだ作品を多く残しているという。機会があれば他の作品も読んでみたい。

  • 彼らは、「自然」の成りゆきに手を加えることが、どんなに大きな誤りであるかを痛切に感じていた!・・・「自然」こそが、程度の差はあれ、まさに頼るべきものだったのである。(P156)
  • 彼がこれまで彼女を激しく非難してきたものは、まさに、彼女がいつも自分から目をそらそうとしていることであり、少なくとも、その最悪のものとして、彼女がベンを救い出したとき、家族に致命的な傷をあたえたことに、彼女は気づいた。(P157)
  • ベンの一味は、まだ氷河期が台地を覆っていたころ、地下深い洞窟に住み、暗い地底の川から魚を猟って食べたり、厳しい雪の中をそっと忍び寄って、熊や、鳥に―彼女(ハリエット)の先祖である人間にさえ、わなをしかけようとしていたのではないか?彼女の仲間たちは、人間の先祖の女たちを、レイプしたのではないか?こうして新しい種族が生まれてきた(P222)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月18日 (火)

ピギー・スニードを救う話

 ジョン・アーヴィングにしては珍しい短編集。表題作のエッセイに、「ガープの世界」の作中小説として紹介された「ペンション・グリルパルツァー」を始めとする短編が6編、それにディケンズの「大いなる遺産」の序文として書かれた「小説の王様」の計8編を収録する。6つの小説はいずれも60年代から80年代にかけての初期に発表されたもの。
 もちろん「ペンション・グリルパルツァー」は相応の出来だが、アーヴィング自身も「ペンション・グリルパルツァー」についでお気に入りという「インテリア空間」が、コメディと哀愁と心に染み入る温かさが感じられるいかにもアーヴィングらしい秀作。
 巻頭のエッセイ「ピギー・スニードを救う話」は最初てっきり小説だと思って読み終えた。あとがきでエッセイと言われて改めて読み返したが、実話と想像の世界の境が感じられない良質なエンターテイメントになっている。もっとも、ごみ収集人ピギー・スニードが飼い豚とともに焼け死んでしまう顛末をほろ苦い祖母の思い出とともに綴ったもので、作者自身、小説家となった出発点と回想しているのだが。

  • 作家の仕事は、ピギー・スニードに火をつけて、それから救おうとすることだ。何度も何度も。いつまでも。(P31)
  • この世界は、たくまずして残酷でもある能力を、むやみに人に押しつける。持たされてしまったものを人が使いこなせるかどうか、世界の知ったことではない。(P206)
  • いずれにしても、けしからんストーリーを書いているようでいて、じつは道徳的な文学なのだというのが、仕事を終えた私の感想である。その道徳性のキーワードは、もちろん「救う」であるけれど。(訳者あとがき・P304)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 7日 (金)

アジア・太平洋戦争-シリーズ日本近現代史(6)

 1941年12月に始まり1945年夏(9月に降伏文書調印)に終わった戦争を本書では「アジア・太平洋戦争」と呼んでいる。いわゆる太平洋戦争である。シリーズ前書の満州事変・日中戦争に引き続き、中国やソ連と対面しつつ、日本は枯渇する資源確保を求めて、英米戦争に突入する。ねらいはインドネシアの石油資源の確保であり、中国での既得権益の確保であった。
 そもそも太平洋戦争が真珠湾攻撃に先立つ1時間前のマレー半島上陸から始まっていることすら知らなかったが、太平洋戦争の開戦に至る経緯や責任、初期の成功から程なく始まった退却の経緯と悪化する戦局に対応できない軍部や政治の状況、さらに戦時下の社会の変容、そして終戦に至る意思決定の顛末等に至るまで、豊富な資料と知識で具体的に記述されており、実によくわかる。
 日本の戦争責任の清算と中国・韓国等との外交問題、さらには今に至る日本人の戦争意識まで、この戦争の凄惨さと曖昧な終戦が今に影響しているのではと説く。なかなか太平洋戦争の実態を客観的に描いた本を読んだことがなかっただけに非常に参考になる。あとは自分の頭で考えていかなくてはいけないことは言うまでもない。

  • なぜ、「戦後」は終わらないのだろうか。・・・いずれの国においても、第二次世界大戦の「戦後」とよばれる時代は、1950年代後半までには終わり、・・・にもかかわらず、日本では未だに「長い戦後」が続いている(はじめに・P1)
  • 日本軍の攻撃が真珠湾ではなく、英領マレー半島に対する攻撃から始まっている事実が端的に示すように、この戦争は何よりも対英戦争として生起した。(P9)
  • アメリカの場合は、・・・戦時体制への移行と軍需生産の本格化のなかで、アメリカ経済は驚異的な成長をとげ、・・・この時、形成された「よい戦争」という楽観的な戦争観は、広範な国民の生活実感に裏打ちされたものであっただけに、その後、現在に至るまで、アメリカ人の戦争観を呪縛し続けてゆくことになる。(P123)
  • 日本が戦った戦争の最大の犠牲者が、アジアの民衆であったことは間違いない。(P221)
  • サンフランシスコ講和条約・・・では・・・戦争責任問題に関する直接的言及はまったくなかった・・・こうした一連の事態は、国民の意識の上に複雑な影響を及ぼした。第一には、加害者の記憶が封印され、国民は戦争の犠牲者であるという認識を基盤にして、独特の平和意識が形成された・・・第二に、国家指導者の国民に対する責任までもが曖昧にされた・・・第三には、アメリカを中心とした連合国との政治的和解を促す冷戦の論理が、忘却を強いる力として作用した(P231~234)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

日本人よ!

 イビチャ・オシム監督が突然の脳梗塞で倒れて、はや2週間になる。ようやく意識が戻ったという報道もあるが、以前のように監督としていつ再起できるかわからないこともあり、日本サッカー協会は次期監督に岡田氏を選考し就任要請をしていくようだ。イビチャ・オシムがこの本を書いたのはアジアカップ前の6月。その頃は他のオシム本に食傷気味だったこともあり、オシム自身が著作家ではないことは明らかなので、あまり期待もせず、ついに本書を購入することはなかった。先日図書館で本書が並んでいるのを見つけ、思わず借りて一気に読了。
 前に「学ぶ人 オシムに学ぶ」を好著として紹介したが、オシム自身の言葉が綴られた本書は、本人しか書けないオシム自身の考えや気持ちがストレートに伝わってきて、一番最初にこの本から読み始めれば良かった、と後悔した。オシム本の中では絶対にはずせない1冊である。
 代表のこと、監督という仕事のこと、Jリーグのこと、メディアのこと、そしてサッカーを通してオシムが感じた日本人自身のこと。それらがインタビュー等でのいつもの難解な表現ではなく、素直にそのまま書き表されており、非常によくわかる。「日本人のサッカーを日本化する」「相手をリスペクトする」「走ることと考えること」など、オシムならではの表現がわかりやすく解説されている。中村俊輔を始めとした海外組の扱いやJリーグ各チームへの配慮、伊藤翔や森本など若くして海外に渡った選手たちへの視線など、その目配りと冷静な判断はオシムの人物の大きさと確かさを改めて感じさせる。
 なかでも「水を運ぶ」という表現は、鈴木啓のような中盤でよく働く選手を指しているのかと思っていたが、全くの勘違いだということに気づかされた。消火活動のバケツリレーのように水を運ぶためには、全員が一列に並び少しずつ協力しながら各自の役割を果たしていかなければならない。一人でもサボればリレーはつながらず火事は燃え広がる。全員がこのように常にチーム全体を見通し各自の責任を果たしていくことが「水を運ぶ」の真意だった。もちろん、俊輔にあまりに大量の水を運ばせることは攻撃面での脅威をなくすので得策ではないが、しかし一人サボっていいわけではない。常にチーム全体を見渡し、ゲーム全体を見渡し、それぞれ責任を果たしていく必要がある。水は全員で運ぶものだった。
 それにしても改めてオシムの偉大さを感じることができた。なんとか回復し、また日本サッカーのために、どんな形でもいいから力になって欲しいと切に願って止まない。

  • サッカーとは人生である。なぜなら、人生で起きることは、すべてサッカーでも起きるからだ。しかも、サッカーではもっと早く、もっと凝縮して起こる。(P9)
  • 多く長く信じてきた分だけ、人は戦うことができる。だから、もっと良くできる、到達できる、と信じなければならない。(P26)
  • 教育とは、実は人を硬直させるものである。(P42)
  • 審判はプレーの推進者ではなく、少しずつサッカーの「ブレーキ」になっているのかもしれない。(P154)
  • サッカーは試合が終わるまではすべてが起こりうる(P188)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »