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2008年2月 6日 (水)

1973年のピンボール

 相変わらず村上春樹の文体はいい。軽くて都会的に明るく乾いている。同時に、ウェットで哀しくユーモラスにして心にジンと来る。相反する印象を同時に感じることを評して、内田樹は「倍音的な文章」と言ったが、確かにそうかもしれない。
 この小説の主人公である僕と鼠も相反する精神状態の中で、それぞれの青春を生き、そして旅立つ。鼠は、閉塞感に苛まれ、無を指向する。

● どんなにあがいてみたところで何処にも行けやしないんだ、と思う。(P138)

 一方、僕はいろいろあっても前向きな態度をやめない。

● 「世の中に失われないものがあるの?」「あると信じるね。君も信じた方がいい」(P147)

 そして一度は廃棄処分されたピンボールに再会し、愛を交歓する。彼らを取り巻くジェイや双子、講師、そしてピンボールすら、彼らの回りで暖かい。救いは周囲に満ちている。僕らはそれを信じて、できることを真面目にこなせばいい。そうやさしくささやき、慰めてくれる。
 青春3部作というのだそうだけど、その第2部は、なつかしさと温もりの中で静かに幕を閉じる。

● 理由こそわからなかったけれど、誰もが誰かに対して何かを懸命に伝えたがっていた。(P6)
● そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。・・・無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。(P96)
● 大学でスペイン語を教えています。・・・砂漠に水を撒くような仕事です。(P128)
● 「人間てのはね、驚くほど不器用にできている。あんたが考えるよりずっとね」・・・「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」(P144)

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