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2008年2月

2008年2月27日 (水)

RUN

 「情熱大陸」で福田健二の特集をやっていた。そう言えば福田健二を取り上げたノンフィクションが出ていたっけ。無性に読みたくなりAmazonで購入した。読んでみれば、あっと言う間に読み終わる。しかし、特に前半、電車の中で読みながら熱いものがこみ上げてきて困った。サッカーに賭ける人生。共に戦う家族。自分を信じる生き方。福田健二の生き方は確かに私の心を打ち、感動を与える。その生き方に感動を覚えるサッカー選手は少ない。

●「好きなサッカーで/世界に胸を張れる/選手になって下さい」(P9)

 たった3行の遺書を残して自殺した母。その母を求めて、母の言いたかったことを求めて、福田はサッカーを続けてきた。
 僕が福田を知ったのは、名古屋グランパスに期待の新人として入団してきた時から。当時からストライカーらしいストライカーとして評価を得ていたが、入団当初の輝きは次第に衰え、いつしか移籍し僕の意識から消えた。そしてパラグアイへ移籍したという記事を読んだ時には、静かに彼のチャレンジを応援していた。その後、メキシコを経てスペイン2部へ移籍し2年目の昨年はヌマンシアでチーム得点王の活躍をし、日本代表候補に彼の名前が挙がった時は、本当にうれしかった。
 その彼が先日の情熱大陸では、今年移籍したラス・パルナスで不調に苦しんでいるという。少年のような彼を娘とともに支える妻の姿も心を打った。ようやく出場したゲームでロスタイムにPKを得て、そしてはずした。TVはその残酷なシーンで終わった。そしてこの本が無性に読みたくなった。
 あっという間に読める簡単な本である。内容も同じことを繰り返しているに過ぎない。それでもそれを補って余りある人生がそこにある。福田のこれからの闘いも応援していきたい。そう思わせる人生だ。

●あれだけ自分を信じて打ち込める奴は日本人選手ではなかなかいない・・・物事を決して諦めない、その感覚が人と違う。逆境でも自分を信じていられる人というのは強いので、周りの人に必ず影響を与えるんです。(P99)
●ブラシの摩擦音だけが部屋の中でこだまする。シャカシャカシャカシャカ。その音に浸っていると、彼は無心になれた。部屋に差し込む光にスパイクをかざすと、「悪くない」と小声で言った。

     ・・・何となく村上春樹風で面白かったので。
●最近は、プレーすることと戦うこと、そこを勘違いしているサッカー選手がいるが、あの日本人はピッチで戦う意味を理解していると思った。テクニックだけなら、彼くらいの選手はユースにもごまんといるが、戦える選手となるとなかなかいない。(P171)
●いつもぎりぎりで、でもそれに屈するんじゃなくて戦ってきたから、あいつのプレーに感動してくれる人がいるのかもしれません。(P183)

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2008年2月24日 (日)

錯乱のニューヨーク

 70年代末、アムステルダム生まれの建築家・レム・コールハースは一介の建築物も設計していない中で、メトロポリスと銘打った建築事務所OMAを開設し、この書を世に問う。マンハッタンは如何にしてメトロポリスとなったのか。マンハッタンをマンハッタンたらしめた原理は何か。「マンハッタン島に最初に住んでいた種族とは?」から始まる前史では、いくつかの先住民とのやり取りの後、1807年にシメオン・デウィットら3名で組織された委員会が、マンハッタンの地表に「究極的かつ決定的」な提案を行う。南北に走る12本のアヴェニューと東西に走る155本のストリート。こうして区切られた2028個のブロックは、その後のマンハッタンの開発と建築を決定的にしてしまう。そして1853年に開かれた第1回ニューヨーク世界博覧会に展示された針と球はその後のマンハッタンの建築的ボキャブラリーに根源的な役割を果たす。
 第1部で描かれるコニーアイランドの狂想曲は無限の欲望と空想で形作られていくマンハッタンの運動原理の源を明らかにする。コニーアイランドは火災でその全てを焼失するが、そこで描かれた夢と欲望は、空前の好況の中でマンハッタンに何本もの摩天楼を生み出していく。そして1916年に定められたゾーニング法はマンハッタンに新たな原理を持ち込む。「ユートピアの二重の生活-摩天楼」と題する第2部は、フェリスのレンダリングやウォルドーフのアストリア・ホテルの物語を描きながら大恐慌の前後における摩天楼を巡る人々の狂奔の様を語る。1931年に開催された「現代の祝祭 炎と銀による幻想世界」と題する舞踏会はいかにも奇妙だ。マンハッタンで活躍する希代の建築家がそれぞれが設計した建物に似せた衣装「摩天楼ドレス」を着て壇上に並ぶ。P219の写真はその異様さを余すところなく伝える。
 第3部はロックフェラー・センターを巡る歴史とデザインの物語。そして第4部にはダリとル・コルビュジエが登場する。ここまで、難解にして異様な歴史に戸惑っていたが、この第4部の書きぶりは非常に分かりやすい。ル・コルビュジエに代表される現代建築の理論はマンハッタンにおいて如何に消化され、そして呑み込まれてしまったか。マンハッタンは現代建築の理論さえ葬り出し、自らの運動理論で駆逐する。以降はその後のマンハッタン考である。補遺でコールハース自身のマンハッタンデザインを提案する。この提案がマンハッタンの物語と理論を如何に乗り越え、次代の理論を提案しているのか、よくわからないが、レム・コールハース設計の建築物が魅力的なことは確かだ。それは多分こうしたその地の文脈を読む中で生まれてくるものなのだろう。レム・コールハースはこの書で建築界をあっと言わせ、今や押しも押されぬ現代の大人気建築家になった。

●マンハッタン(は)・・・その実験の中で都市全体は、人工的な体験の生産工場と化し、現実と自然はともに存在をやめてしまったのである。(P010)
●針と球はマンハッタンの形態的ヴォキャブラリーの両極端を構成し、その建築的選択肢の両外縁を形作っている。・・・個々の独立したマンハッタニズムの歴史は、・・・結局のところはこのふたつの形態が演ずる弁証法の歴史である。(P041)
●容れものと内容の間の故意の断絶の中に、ニューヨークの建設者たちは・・・建築的なロボトミーを実行する。・・・かくして、聳え立つモノリスとしての建物は、外部の世界に対して、常に内部でせわしなく行われている変化の苦しみを覆い隠してしまう。(P168)
●「今や失われてなくなった」数々の段階の建物を–単一の場所、単一の時間点に−すべて同時的に存在させるものなのである。初期の建物を保存するために破壊することは必要な行為なのである。マンハッタンの過密の文化では、破壊は保存の別名である。(P257)
●ル・コルビュジエは、摩天楼の衣をまず剥ぎ取り孤立させてから、最後に高架道路網によって摩天楼同士を結び合せ、・・・過密の問題を解決してみせるのだが、ところが同時にこれによって過密の文化の息の根をも止めてしまう。(P423)
●ル・コルビュジエは結局マンハッタンを呑み込むことはなかった。マンハッタニズムは、喉につかえながらもとうとうル・コルビュジエを呑み込んで消化してしまったのだ。(P466)

2007年以前のログは(遊)OZAKI組「STOCK YARD」

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高速道路料金

 もう1年ほども前から隣の席に土木技術者が座っており、土木の世界のことをいろいろ教わっている。お互い当たり前と思ってきたことがそうでないことを思い知らされ面白いことこの上ない。昨年春先の鉄鋼スラグの野積みによる有害物質漏出事件や最近の道路暫定税率や特定財源の問題まで、彼らが常識としている実に多くのことを私が知らずにいることか。
 そうしたことの一つとして、この間初めて知った高速道路料金の秘密。
 東名高速名古屋ICの東寄り日進JCTからモリコロパークに伸びる短い有料道路名古屋瀬戸線は愛知県道路公社が建設管理し、料金徴収をNEXCO(この名前すら未だにすんなり出てこないけど)に委託している(知らんかった)。その額100円。
 ところで高速道路料金って基本的に通行距離に応じた従量制になっていたこと知ってました? プラス初乗り料金(というか施設使用料というか)が加わり、150円+距離相当金額で決定されるとのこと(橋梁やトンネルなど一部特別料金区間あり。また100kを越えると割引となる)。
参考:高速道路料金の種類と仕組み
 そこで、名古屋ICから日進JCTまでの間の距離相当額が100円で、日進JCTから長久手ICまでの間が100円と同額なため、結果的に東から来ると、名古屋ICで降りても長久手ICで降りても同額。逆に西の春日井や一宮から来ると、名古屋までの料金より200円高い料金になっている。
 昨日、新名神が開通し、豊田JC以東と草津JCT以西のルートの選択肢が二つに増えた。距離的には新名神を使った方がかなり短いようだが、旧名神の料金を下げるわけにはいかなかったらしく、名神の栗東ICよりも遠い草津田上ICで降りた方が700円も安いという現象が発生している。
 昨日の新聞には、環状的に延々と走って隣のICで降りると走行距離に比して極端に安い料金で済んでしまうことに対して、料金所やETCでIC進入時間を参考に摘発していく旨の記事が載っていたが、昔、東海北陸自動車道の川島PAから河川環境楽園で1日遊び、隣のICで降りた経験を有する私としては、一方でこんなPAを作っておきながらこうした対応はないんじゃないかと思う。同様の楽しみ方は豊田の鞍ケ池PAや刈谷ハイウェイオアシスでも可能であり、今後どういう対応をするのか関心がある。PAでお金を落としたんだから大目に見てよ。

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2008年2月23日 (土)

都市計画家M氏の半生

 この地域の都市計画コンサルタントの嚆矢として活躍してきたM氏からその半生を聞く機会があった。M氏は私より10歳ほど上だが、知ったときには都市計画コンサルタントとして確固たる地位を築いていた。私などはほんのひよこで、HPなどを書き始めた最近になってようやく目をかけてもらえるようになったに過ぎない。
 さてM氏。名古屋の大学在学中に黒川紀章事務所でバイトをした時から都市計画に興味を持ち、大学院修了後、京都の都市計画コンサルタントに就職。最初の仕事がニュータウン開発に関する調査だったと言う。その後、市町村総合計画や広域行政圏計画、市街地整備計画、市町村土地利用計画等を手掛けるとともに、その後、名古屋に移り、中心市街地整備計画や市町村合併に係る調査等さらに対象を広げ精力的な仕事を展開する。本格的な職員参加や住民参加によるまちづくりに先駆的に取組み、その関係の著作もある。もちろん住マスなどにも携わっているが、基本的には行政計画や都市計画の方が関心が強いようだ。
 地元のコンサルタント業界では早々と中心的存在となり、彼の下で修行を重ね、独立したり大学教員となった人は数多い。M氏自身は今まで博士号を取得することなく、実務家としての仕事に没頭してきた。
 自ら創設した早期退職制度を活用し55歳で退職。その後は地元岐阜県につくられたシンクタンクに理事、事務局長として関わり、独創的かつ精力的な活動を続けている。1時間余りにわたってさまざまな話を聞かせていただいたが、「都市計画コンサルタントとしての活動を振り返り、もっとも良かったと思うことは?」と聞かれ、多くの人に出会えたこと、と答えられたことが最も印象に残った。
 計画技術的には、従来の金無心型の開発指導要綱を整備水準型に変更したことや集落と田園地域を一体的に開発整備する場合の負担割合や整備水準の設定、また地下街滞留人員調査のために挟み撃ちカウント手法を採用した話などが興味深かった。また、ぎふまちづくりセンターの現況と将来構想の話も。
 M氏はその存在感の割にはマスコミへの露出がけっして多いわけではないが、この地域の変化に果たしてきた役割は非常に大きなものがあった。最近は毛の生えた心臓の動きがなかなか思うに任せないようだが、ますますいつまでも元気でいてほしい。もっともいまだに知力も行動力も私を凌駕しているけれども。

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■ 冬野菜採り尽くし

Hatake0802 「ダイコンと油揚げの炒め物を作りたいのでダイコンを採ってきて」という要望に応えてダイコンを4本。これで今年のダイコンは終わり!
 ハクサイも3玉ほど採ってきて残り3玉。ニンジンも残り数本。
 昨日はかなり暖かかったが、今朝は時折雨がぱらつく天気で風も強くなり、午後からはまた冷え込むそうな。寒風の中、タマネギの苗がそよいでいる。採り尽くしたあとを久し振りに備中鍬で掘り起こしたら身体がフラフラ。さて今年の春は何を育てようか。

2007年以前のログは(遊)OZAKI組「STOCK YARD」

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2008年2月16日 (土)

センセイの鞄

 この「センセイの鞄」は2001年のベストセラーだったと言う。特に中高年男性に評判が良かったそうだ。私の回りでそんなオヤジは見かけなかったのでよく知らなかったが、70過ぎの老人と40前の独身女性との恋愛を描いており、さては自分もと思った輩がいたか。しかしこれは本当に恋愛小説なんだろうか。
 「これが短編小説だったら、恋愛にすら発展しなかったかもしれない。」(P296)とは解説の斉藤美奈子氏の一文だが、「古道具 中野商店」のヒトミさんに通じるぼやっとして基本的に受け身の姿勢で生きてきたと思われる女性の心情の変化が巧みに描かれ、静かにほんわかとした気分になる。まさにそこにこそ、作者の書きたかったことなのではないかと思う。多分、中年オヤジよりはツキコと同年代の女性たちに支持されただろうナア。
 「あわあわ」と流れる時間。「ぼわぼわ」としたおしゃべり。「ほとほと」と扉が叩かれ、かもめは「ざわざわ」。「ふわふわ」とした笑い。「ごつごつ」と目のつんだ木綿豆腐。・・・川上氏の小説はこうした重ねられた擬音語のような表現が彼処に書かれ、時の流れをやさしく後押しする。それも魅力の一つ。
 本書は先に読んだ「古道具 中野商店」とよく似てる。川上氏の初期小説はもっと幻想譚らしい。もう少し読み進めてみようか。

● 「まだ電池が残っているんですね」センセイは静かに言った。「モーターを動かすほどの力はないが、ほんの少し生きている」・・・「ほそぼそ生きてるんですね」と言うと、センセイはかすかに頷いた。「そのうち全部死に絶えるけれどねえ」のんびりした、遠い声である。(P20) ● それでこうしてここにいる。センセイが以前は「ちょくちょく」訪れたらしい島に。島の小さな民宿に。センセイはいつもの鞄を持って。わたしはこのために買ったまあたらしい旅行用の鞄を持って。二人で。共に。ただし部屋はべつべつに。断固としたセンセイの提言により、(P190) ● もう、どうでもいいや。恋情とかなんとか。どっちでもいいや。ほんとうに、どちらでもよかった。センセイが、元気でいてくれれば、よかった。(P254) ● 鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである。(P289)

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2008年2月12日 (火)

占領と改革—シリーズ日本近現代史(7)

 日本は終戦とマッカーサーの占領統治により、それまでの邪悪な軍国主義を一掃し、民主的な近代国家に生まれ変わった。僕たちは長らくこうしたステレオタイプの戦後観に浸ってきた。しかし本当にそうだろうか?

● 戦後は自分にとって幸福でも立派でもないと思う人々が増加し、戦後体制がゆらいでいる今、占領はいかなる位置と意味をもつのだろうか。(P193)

 日本の戦後体制が作られていく下地は既に戦争中の総力戦体制の中にあり、それどころか、総力戦体制によって、日本の社会改革が進められていた。

● 1930年代の後半から40年代前半の総力戦体制によって、社会関係の平等化、近代化、現代化が進行した。(P4)

 確かに総力戦体制にはそうした側面があっただろう。当時の政治潮流として、東条英機らが率いる国防国家派、下からの平等化をめざす社会国民主義派、吉田茂などの自由主義派、そして明治時代への復帰を考える反動派の4つがあり、反東条派の流れが日本の早期終戦を可能とし、自由主義対修正資本主義の対立構図を作っていく。それはGHQの参謀第二部と民政局との対立に呼応し、55年体制構築へつながっていく。
 政治オンチには難解な文章表現が多く、正直、未だによく理解できない部分も多いが、大局はそうした理解でいいと思う。この自由主義対修正資本主義の対立構図が現在の政治潮流にも脈々とつながり、グローバリズムという新自由主義のお化けとなって日本を世界を覆っている。現代の幸福はどこにあるのか。占領体制という歴史を客観的に評価することで、今後進むべき道が明らかになるだろうか。少なくとも我々は何に囚われているのか、そうした第3の視点から考える視座を与えてくれるのではないだろうか。

● 本土決戦が避けられたことについて、アメリカの知日派の役割や原爆投下、ソ連の参戦がその要因だったといままで説明されてきているが、必ずしもそれだけでは十分条件にはならないだろう。むしろ日本国内で降伏をきちんと受け入れることができる、そういう政治勢力があるかないか、ということが決定的な意味をもったのではないか。(P22)
● 天皇の戦争責任について言うと、少なくとも占領期にはその意思があったにもかかわらず、アメリカによって阻止され、政治体としての自立性を奪われたといえる。(P47)
● このようにして経済再建をめぐる国内中心で修正資本主義、協同主義を基調とする社会党、進歩党、経済同友会、総同盟、民政局の組み合わせが形成された。その一方、経済政策で自由貿易を実現しようとする自由主義、資本主義を基礎とする吉田茂、自由党、日経連、一時期の総評、GHQ参謀第二部、アメリカの投資家の組み合わせが形成されつつあった。(P127)
● 47年10月、ケナンは早期講和に反対して、日本経済の復興をはかって共産主義勢力への抵抗力をもつ経済的、社会的体質をそなえる必要があると主張した。・・・ケナンの主張は、・・・「対日政策に関する勧告」として結実した。・・・まさに「対日政策に関する勧告」を日本側で担う主体として吉田茂が登場し、アメリカのエージェンシーとなったのである。(P157)
● 50年代の農村社会には、「前近代的」というイメージとは明らかに異なる、青年を中心とした、文化・生産にわたって地域コミュニティを基礎とする生き生きとした諸運動があり、それが「保守化」したのは、農業生産物の商品化とそれにともなう生産基盤、生活基盤をめぐる問題からである。(P187)

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2008年2月11日 (月)

コールタール塗り隊、活動開始

 常滑のやきもの散歩道で長期間にわたり継続的に活動をしている地元の散歩道の会の有志が「コールタール塗り隊」を結成し、散歩道内の建物の壁にコールタールを塗る活動を始めるそうです。
 詳しくはこちらをごらんください。>>タウンキーピングの会

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2008年2月 8日 (金)

常滑やきもの散歩道から足を伸ばして

Photo 今回のつばき展はINAXライブミュージアムも会場の一つとしたため、散歩道から足を伸ばしてINAXライブミュージアムまで歩いてみた。散歩道の東南「栄町七丁目」に交差点から常滑西小学校の東側をトコトコと南に向かう。

 と、黒壁の町家が並ぶ雰囲気のある通りに出る。陶彫のある商店街(とこなめ中央商店街)の東の端。紅白の台の上に展示された陶彫作品があちらこちらに設置されている。それらを見ながら東に歩くと、広い敷地の奥に洋館が建ち、門の左手に十二支の陶彫。右手に彫像。「伊奈」の表札。INAXの創業者・伊奈家。その立派な姿に感心しつつ、さらに足を伸ばしてINAXライブミュージアムにたどり着く。

Photo_2 INAX文化スクエアからライブミュージアムになっては初めての訪問。「世界タイル博物館」や「窯のある広場・資料館」、「陶楽工房」の各施設は変わらないが、「土・どろんこ館」と「ものづくり工房」が増設され、全体として伸び伸びしたいい空間をなしている。特に「土・どろんこ館」の版築壁はベージュ色のやさしい色合いに縄文時代を想像させるような力強さが感じられ圧倒される。その他にも見所は多く、体験型の施設もあって、家族連れでゆうに半日は過ごせる施設になっている。

Photo_3 と言いつつも、「陶楽工房」で展示されていた冨本泰二先生の「早春・椿一輪」を見せてもらい、そそくさと先を急ぐ。日祝日1時間1便運行のとことこバス12:47発に飛び乗る。乗車客は私を含めて2人。しかしバスも可愛いし、常滑駅からINAXライブミュージアムまで片道利用して、行きか帰りかどちらかを歩くのは、常滑を楽しむベストコースだと思う。

Photo_4 バスを神明社前で降りて、普段なら北へ上がるところを、並べられた陶彫に誘われて南に歩いてみた。噂には聞いていたが、その町並の面白さにドンドン引き込まれていった。下見板張、コールタール塗、格子窓などはどこにもある景観かもしれない。今や建替えられた家も多い。それでもかつて一番の繁華街だったとは思えないほどの狭く曲がりくねった道、道に面して表出される緑や陶作品等が独特の雰囲気を醸している。しばらく行くと本町大正館と銘打つRC造レンガ積風の古い建物が現れる。旧・中埜銀行常滑支店。大正6年築で今はギャラリー等に利用されている。

Photo_5 空地を隔てて南に行くと、白龍大神の社があり、さらに歩くと右手奥に古い2階建てRC造の事務所ビルが見える。1階1区画が通り抜けになっていて向こう側の倉庫が見える。壁に「常滑市役所」の嵌め込み石板とその下に「とこなめ中央商店街事務所」のプレート、ふくろうの陶彫。なんか不思議な気分。新四国64番札所・安全寺を過ぎると突然水辺に出る。出会橋。常滑港へ注ぐ大落川はここで二つの小川が合流し、橋が架かり、道が交差する。複雑な地形に木造3階建て、黒壁の家並み、陶彫が並ぶ川辺、からくり時計と招き猫の置かれたポケットパークなど、魅力的な空間が形作られている。

Photo_9 川に誘われ左折するも、塀の上に楽しい陶彫のおじいさんがこちらの路地も面白いぞ、と誘う。ふらふらと狭い路地を入り込み、ポッと出たのはINAXライブミュージアムの北の通り。ミュージアムとは反対側、西に向かって歩くとまたなかなかレトロな町並。狭い道の右側に土管ようかんが面白い鯉泉堂菓舖。ご主人の鯉江さんに声をかけ、昨年11月にオープンしたばかりの常磐蔵へ是非行くようにと教えてもらう。

Photo_6 からくり時計の広場の東のギャラリー常磐蔵はギャラリーと銘打つ割に何を展示しているのかわからず少し不安。思い切って入ってみると、障害者児童の作品に世間遺産の写真が展示されていた。世間遺産とは一昨年、2005年のあっちべたこっちべたフェスタに協賛して開催されたやきもの散歩道界隈の写真展。当時は共栄窯で展示をしていたが、今はこちらで展示がされているとは。それにしても「ここってどういうところ?」と留守番していた二人のおじさん、おばさんに思い切って聞いてみると、商店街が空家を活用して開設している無料休憩所とのこと。障害者支援団体「ねこの手」が管理をし、地元の小学生や老人会等の展示や授産所のクッキーなどを販売している。「さっきまで隣の広場でやっていたイベントの余り物の甘酒があるから飲みませんか?」と誘われ、それじゃとごちそうになった。甘酒とお茶をいただきながら、さまざまなお話を伺い、楽しかった。時が止まったようなこんな施設もいいですね。

Photo_8 さて、常磐蔵を出て、赤いポストの上の猫の郵便屋さんに見送られ、来た道をまた北に戻る。橋の手前には、レトロなモルタル塗りのレストラン「ときわ」。橋の北側、真っ白く塗られた建物はかつては何に使われていたんだろう。気になる。お茶の寿園、イチゴ大福の井桁屋、店先に懐かしい写真を飾った酒のトヨタヤ等々。お店を追っかけてもいずれもレトロで圧倒的に面白い。

 この後は、前に報告したとおり、旧渡辺邸でつばき展のお手伝いをして1日過ごして帰ったが、いつものやきもの散歩道に加えて、楽しい時間と空間を体感することができたなあと大満足でした。なお、やきもの散歩道界隈の景観も含めて、マイフォトに収録しました。併せてごらんください。

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2008年2月 6日 (水)

1973年のピンボール

 相変わらず村上春樹の文体はいい。軽くて都会的に明るく乾いている。同時に、ウェットで哀しくユーモラスにして心にジンと来る。相反する印象を同時に感じることを評して、内田樹は「倍音的な文章」と言ったが、確かにそうかもしれない。
 この小説の主人公である僕と鼠も相反する精神状態の中で、それぞれの青春を生き、そして旅立つ。鼠は、閉塞感に苛まれ、無を指向する。

● どんなにあがいてみたところで何処にも行けやしないんだ、と思う。(P138)

 一方、僕はいろいろあっても前向きな態度をやめない。

● 「世の中に失われないものがあるの?」「あると信じるね。君も信じた方がいい」(P147)

 そして一度は廃棄処分されたピンボールに再会し、愛を交歓する。彼らを取り巻くジェイや双子、講師、そしてピンボールすら、彼らの回りで暖かい。救いは周囲に満ちている。僕らはそれを信じて、できることを真面目にこなせばいい。そうやさしくささやき、慰めてくれる。
 青春3部作というのだそうだけど、その第2部は、なつかしさと温もりの中で静かに幕を閉じる。

● 理由こそわからなかったけれど、誰もが誰かに対して何かを懸命に伝えたがっていた。(P6)
● そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。・・・無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。(P96)
● 大学でスペイン語を教えています。・・・砂漠に水を撒くような仕事です。(P128)
● 「人間てのはね、驚くほど不器用にできている。あんたが考えるよりずっとね」・・・「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね」(P144)

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2008年2月 5日 (火)

椿の頃、陶都とこなめに遊ぶ

 2月2日(土)3日(日)の2日間、常滑やきもの散歩道でつばきをテーマに展示されたギャラリーを巡るイベント「椿の頃、陶都とこなめに遊ぶ」が開催された。前回は2年前に開催し、今回が2回目。私はこのイベントの主催団体「タウンキーピングの会」の一員として3日の午後、土管坂休憩所「旧渡辺邸」でお手伝いをしてきた。3日はあいにくの小雨日和で、ひと足も少なく、身内で火鉢で餅を焼いて楽しんでいただけという気がしないではないけど、それでも散歩道に関心を持っていただいた若いカップルやシニア夫婦などが入れ替わり立ち代り訪れ、セントレアまで見通す丘上の景観を眺めつつ、しばしの暖と会話を楽しんでいかれた。

Imgp5773 今回、土管坂休憩所「旧渡辺邸」では、甘酒の振る舞い(無料)と地元大蔵餅のつばき餅に芳香園のお抹茶セット(300円)、常滑焼の器付のこだわりオリジナル弁当「椿弁当」(限定50食3,500円)をお出しした。甘酒は両日とも早くに品切れとなり、それを楽しみに来ていただいた方には申し訳ないことをしたが、お抹茶、椿弁当とも盛況な売上げで、みなさんどうもありがとうございました。

 この他、今回は次の4カ所で展示を行なった。以下、その状況を私が回った順番で簡単に報告します。

Imgp5782 まず、廻船問屋瀧田家。華道家・斎田月紅さんが主宰する「斎田月紅社中展」は、瀧田家のここ彼処に椿を使った生花が飾られ、屋敷全体を華やいだ雰囲気にしていた。入り口のお出迎えの花、蔵の前の大きな鉢、石積擁壁上のディスプレイ、石倉の中の大胆で華やかな展示、見送りのナンテンの鉢など、それぞれがとても楽しめる展示だった。残念ながら椿の花が少し早くまだ蕾のものも多かったが、4日以降もしばらくこのまま飾っていただけるとのこと。満開の椿を見たかった。

Imgp5786 art&design「rin’」+名古屋芸術大学常滑工房ギャラリーでは、3人の若手女性アーティストによる現代アート展を開催。古い工場跡の建物を生かして展示された絵画やオブジェ、映像などの作品は独特の雰囲気を醸し出していた。個人的には、rin’を共同主宰し作品を指導している坂倉先生と、常滑の古い町と空港開港に伴う郊外化との関係について話ができたのが一番の収穫だった。先生はパリの郊外のスラム化を例に挙げ、常滑の街の郊外化に伴う社会的文化的問題に散歩道が果たす役割があるのではないか、といったことを話されていた、と思う。

Imgp5795 我々の根城「常滑屋」では、陶器職人の集まりである炎友会による「椿と陶片」と斉田月紅、河村冨代子、伊藤悦子の3人による「土と椿の悠遊展」が開かれていた。床一面に笹の葉が撒かれた上に大小の青竹が縦横に並べられ、大きな時代物のテーブルに陶器や陶片と椿が乱舞している。まるで竹林の異幻境を彷徨い歩いているように時と空間の座標がゆがんで感じられる。非常に面白い空間が現出した。

Imgp5812 最後に回ったINAXライブミュージアムでは、陶芸家・冨本泰二先生による「早春・椿一輪」。陶楽工房ギャラリーの小さな一角に、茶黒く古びた竹に椿をあしらった作品はこの白く狭い空間に凛と張り詰めた緊張感を与え、清涼感と屹立とした感覚の見事な独自の世界を醸していた。ちなみに全くの門外漢なのでポイントをはずしていたらごめんなさい。それでも確かに皆さんが絶賛されるような芸術がここにはあったと思う。

Imgp5762 今回、上記の5会場に加え、7つのギャラリーなどでも協賛をいただき、椿に関わる展示をしていただいた。名鉄常滑駅前の常滑市観光プラザ・ギャラリーceraでは書道作品と陶芸が協奏する「荒木一夫展 椿」、椿が一面描かれた器がテーブル一面に並べられ小さなお花畑のような「早春の出会い 大島和子陶展」を開催したギャラリーCoCoLo、3人の作家による「椿柄の器」展を開催したほたる子、ギャラリー雄の「一輪の椿と花入れたち」、茶楽の「やきもの椿展」、写真家・谷川英治氏の写真展「風をよむ」のギャラリー煙、そして昨秋の11月に空店舗を活用してオープンしたとこなめ中央商店街「ギャラリー常盤蔵」。最後の常盤蔵では管理をされている障害者支援団体の「ねこの手」の方にいろいろ楽しい話を伺ったが、それはまた別の報告に回します。

 ご協賛いただいた皆さま、今回も椿をたっぷりと頂戴した安養寺さん、作家の皆さん、そして期間中来場いただいた皆さまに心から感謝したいと思います。どうも皆さま、ありがとうございました。

 マイフォトもごらんください。

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知多半田駅前 CLACITY HANDA

Imgp5736 久し振りに名鉄知多半田駅に降り立ったところが、ホームから見られる景色が大変貌を遂げていてびっくりした。知多半田駅前地区市街地再開発事業が完了し、再開発ビル「クラシティ半田」が完成オープンしたことは知っていたが、こんなにすごいとは思っていなかった。

 5年ほど前に建築学会東海支部住宅部会で訪れたときはまだ再開発ビルは着工もされておらず、駅前通りにはまだ商業店舗が建ち並んでいた。その時の見学会の状況を見てもらうと、その変貌ぶりと私の驚きが理解してもらえるであろうか。その当時の「半田市の中心市街地」を巡って交わされた説明と議論では、TMOとして設立された株式会社タウンマネージメント半田が、株式会社方式で大変意欲的かつうまく動いていることに感心した記憶がある。

Imgp5738 さて、クラシティ半田である。知田半田駅の改札を出ると、そのまま長いデッキがクラシティ半田に向かって伸びている。そののびのび感が気持ちいい。駅前ロータリーを見下ろしつつ数十メートルも歩くと、クラシティ半田の中に吸い込まれる。入った正面に半田市市民活動支援センターのカウンターがある。が、子育て支援センターも併設されており、子供たちの声が響いて、明るくなごんだ雰囲気がする。入ってすぐ右手にはカフェ、左手はギャラリーとなっており、外からの光に満ちて気持ちいい。ちなみにここは3階。右手奥のエレベーターで1階、2階に降りると、飲食店や美容室、雑貨、ベーカリー等の小口のテナントが並び、けっこう賑わっている。フロアの南北に知多信用金庫と三菱東京UFJ銀行が立地していることも客足を集めている要因かもしれない。

Imgp5732 4階、5階は市営駐車場となっており、7階から17階までは(株)大京による分譲マンション「ライオンズタワー半田」となっている。設計は(株)アール・アイ・エーで2007年度グッドデザイン賞を受賞している。

 昼は少し足を伸ばして、T's CAFE まで行く。と言ってもホンの200mほど。旧中埜家住宅の洋館は、前に訪れたときのままの姿を見せている。スリッパに履き替えてランチをいただく。おいしい。

Imgp5748 食事後、駅まで戻り、区画整理地区を一巡りしてみる。駅前広場を廻り、クラシティ半田の南側の道路を東に向かう。片側1車線に電線地中化された気持ちのよい道だが、銀行の支店が建っているだけで、まだまだ空き地が目立つ。空き地を見下ろすように、高層アパートがここかしこに林立している。戸建て住宅地が並ぶ中にそびえるホテルがある。耐震偽装事件の被害者としてたびたびマスコミに顔を出していたセンターワンホテルだ。結局、被害者面して同情を集め、またこうして立派なホテルを建てたとすれば、なかなかのやり手と言える。周りの低層住宅を睥睨するあたりが人間性を表しているかのように感じる。

 区画整理地区の東端の県道名古屋半田線も北側半分ほどは拡幅工事が終わり、マンションや商店、住宅などが建設されてきている。

Imgp5756 クラシティ半田の北側の道を駅に向かって歩くと、瓦屋根をのせ蔵造りを模した交番が見えてきた。そういえばこの道がかつての商店街通りだった。こちらも電線地中化されかつての面影はない。全く別の街が出来上がりつつある。通りに面して広い駐車場を開いたコンビニの角に小さな蔵がある。コンビニ側に廻ってみるとお稲荷さんが祀られていた。なんかとってもキッチュで不思議な感じ。

 ぐるっと廻ってほんの30分ほど。クラシティ半田がとにかく印象的。あとは今後どんな街になっていくのか、乞うご期待といったところ。しかし改めて区画整理は全く新しい街をつくる事業だということを感じた。この街がかつてのように賑やかになるだろうか、と考えるのは間違っている。全く新しい街をつくるのは全く新しい人と時間だと思い知るべきだ。この街の未来はこの街を使う人たちのがんばりによるということだろう。クラシティ半田はとりあえず正しい布石を投じたと評価してよいのではないか。

その他の画像は、マイフォト「知多半田駅前 CLACITY HANDA」をごらんください。

(参考)

半田市の中心市街地 【中心市街地すまい研究会】

半田のまちなみ見学 【まちなみ・あれこれ】


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2008年2月 4日 (月)

建築アルバム

 古い建物、新しい建物。県内外の話題の建築物を見学に行った記録です。まとまった街並みを形成しているものは「まちなみ・あれこれ」にまとめています。

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すまいづくり・あれこれ

 通常の持家、借家等だけでなく、各地で様々な住まいづくりが実践されています。これらのうち、私が仕事で関わったり、興味を持ち設計者の方等から話を伺ったものをご紹介します。
 なお、これらの住宅は現在まさに住人の方が住まわれています。訪問等なさるときは失礼のないよう十分ご注意ください。

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まちなみ・あれこれ

 日本各地には様々なまちなみがあります。これらのまちなみを見学することは楽しいですね。私が訪れたまちなみのいくつかをご紹介します。
 なお、これらの中には、主催者や建物所有者のご好意により敷地内・屋内へ入らせていただいたものもありますが、見学等される際には失礼のないよう十分ご注意ください。

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まちづくり・あれこれ

 各地で、住民が主体となったまちづくりが行われています。これらのうち、私が仕事で関わったり、見学会等で訪問して話を伺ったりしたものを紹介します。
 なお、まちづくりは生きています。話を伺ったときと現在では状況が異なるものもあるかと思いますが、ご承知おきください。

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(遊)OZAKI組blogの開設にあたって

 「携帯もISDNもないけどHPはある」というのがしばらく前の私の自慢だったが、携帯もADSLもつないで大分経つ。最近は「地デジはないWiiも光もないけどブログはある」と言っていたが、ついに光開通。コミュファにしたらniftyとは提携していないということで、パソコン通信の時代から15年近くお世話になってきたniftyにさよならを告げることになった。HPの移転はもちろんだけど、これを機に、情報発信のベースをHPからブログに変更しようと考え、今回の「(遊)OZAKI組blog」の開設に至った。
 とりあえず、今まで(遊)OZAKI組HPに掲載してきたすまい・まちBOXの各コンテンツはまず「(遊)OZAKI組blog」に掲載することとし、(遊)OZAKI組HPは「(遊)OZAKI組blog」と「Toshi-shiな日々」、その他のHPのポータルサイトと2007年以前のコンテンツのストッカーとしていきたいと考えている。
 「(遊)OZAKI組blog」は結局ココログフリーを利用した。「Toshi-shiな日々」はnifty接続会員だけが利用できるココログベーシックを利用してきた。メールアドレスとココログベーシックの利用だけができるniftyダイヤルアップ会員となって継続するという手もあるが、まだ迷っている。ココログフリーの方が機能が優れているというのは、言い尽くされたことだが、こうした状況になると考えざるを得ない。「Toshi-shiな日々」の移転や「(遊)OZAKI組blog」への統合ということになるかもしれない。
 さて、これを機会にこれまでの経緯を振り返ってみた。1992年の秋頃(多分)にnifty会員になって以来、当初はパソコン通信のフォーラムで遊んでいた。FSOCCERやFCITYで培った人のつながりは公私ともに役に立ったし、よい経験を積んだと思っている。当時はもちろんNETのMS-DOSマシン。アナログモデムのビージリジリジリという音がなつかしい。
 その後、パソコンはWINDOWSになり、1996年11月23日にHPを開設。「Toshi-shiのすまい・まちBOX」というタイトルで愛知県内の住まい・まちづくりの見学会報告や読書感想などを掲載するスタイルは今も変わらない。HPが一般的になるに従い、個人的なHP以外にも建築学会東海支部住宅部会のHPを立ち上げたり、安住の会のHP作成に関わったりと関係するHPが増えたこともあり、2001年6月24日にポータルサイト的役割も付加した「(遊)OZAKI組」にリニューアルした。
 2002年03年と足助町に通うようになり、山里の暮らしを大いに楽しみつつ、「足助'外様'歳時記」などを掲載。ますますコンテンツが込み合ってきたことから、個人系のコンテンツを分離して、ブログ「Toshi-shiな日々」を立ち上げたのが2003年12月23日。足助でブログ情報を発信しているタカキさんに刺激されたことも事実。HPとブログで書き分ける、というスタイルはそれはそれで合理的だったが、2006年1月にiMacを入手。わが家のメインマシンをMacに移したにも関わらず、HP作成やFTPソフトを新たに購入するのは躊躇われ、いまや旧式のWINDOWSマシン(2000年購入)でHPを作成更新してきた。
 そうした事情もあり、今回の光開通に伴い、極力Macをメインマシンで情報更新ができるようブログをメインのページにすることにした次第。実際に開通するのは2ヵ月後と言われたし、その後もコミュファのKDDI統合という話もあるので、今後またどう環境が変化するかわからないが、これも自己満足の一つとして楽しみたい。ということで、これからも引き続きお付き合いください。どうぞよろしく。

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2008年2月 3日 (日)

ネット未来地図

 web2.0以降、IT・ネット関連の本を各新書等で精力的に著している佐々木氏。それらの中でもこの「ネット未来地図」は、近い将来のIT界の方向を20の論点で整理しており、わかりやすい。
 20の論点はさらに5つにグルーピングされている。ビジネスとインターネット、インターネット業界、メディアとインターネット、コミュニケーションとインターネット、未来とインターネットの5つだ。プロローグに書かれているとおり、「ここに書かれている20の論点は、それらビジネスの実現可能性を包括的にとらえる試みである。」(P11)
 つい先頃、マイクロソフトがヤフーに買収を持ちかけたというニュースが話題になっていたが、一人勝ちに見えるグーグルでさえ、既に新しい波の中では旧態勢力になりつつある。それほどまでにこの世界の変化と進歩は早い。せいぜい置いてけぼりを食わないように、少しでも知識を吸収し、理解しておきたい。それにしてもTwitterは知らなかった。もうすでに遅れ気味?
 20の論点の中では、TVや雑誌、新聞などの旧態メディアの将来像を予測する部分が最も興味深かった。そして広告を越えて「リスペクト」を収益化しようという方向性が示されているが、今後の変化が楽しみだ。

● 企業買収だけで事業をドライブさせようとする企業は、最終的には新しい社会価値を生み出さない。(P64)
● 携帯電話キャリアのある中堅幹部は、私の取材にこう言った。「もう通信料では儲からない。われわれは今後、通信企業から脱皮してプラットフォームビジネスに向かわざるを得ない局面に来ているんです。」(P66)
● 規模と構造の両立があってこそ、グーグルは高い収益性を実現できたのだった。・・・規模と構造は、常にお互いの影響を与えあい、双方をドライブさせる。(P90)
● 新しいパラダイムにおいては、コンテンツそのものにこそ優位性があり、コンテナーの優位性は減衰していく。コンテンツはオープン化され、さまざまな媒体によって広く流布されていくことになる。・・・そのような状況が現出して来れば、コンテナー本位制は間違いなく崩れる。テレビの崩壊の日は今後十年以内の必ずやってくる。(P126)
● いまや閉塞しているのは都市の若者ではなく、地方の若者であり、・・・この「静かな怒れる若者たち」の流入が、インターネットのサービスのみならず、その圏域を激変させていく可能性はきわめて大きい。(P178)

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