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2008年3月

2008年3月29日 (土)

春野菜の植付け、種まき

Hatake0804 ハウジング&リフォームあいち2008も無事閉幕。それにしても肩が凝るなあと思っていたら、急に肩が痛くなり動かせなくなってしまった。五十肩。年だなあ、恥ずかしい。そんなこんなでしばらく畑にも行けなかったが、鍼の先生が名医で、2回ばかり鍼を打って3〜4日静かにしていたら、すっかり痛みも取れ元通りに。よかった。
 ということでこの週末は、JAでキャベツとブロッコリーとレタスの苗を購入し、久し振りに畑へ向かう。空いていた土地に鍬を入れ、畝を6列ほど作って、ブロッコリーとキャベツを植える。一番タマネギ寄りにはネギを株分けし植え、その後にレタスの苗を植えつけた。
 タマネギの間にびっしり雑草が生えているので、せっせと雑草取り。だいぶ疲れた。空いている畝の一つに、去年の余りのコマツナとミズナの種をまく。残りの畝には今年もまた、連休中にでもキュウリやピーマンを植えよう。

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2008年3月23日 (日)

椰子・椰子

 不思議なタイトル。「長男が小さいころ・・・『おやすみなさい』のことを『やしやし』って言ってたので」(P120)。不思議な話の数々。「もともとこれは自分の夢日記から始まったものなんです」(P120)。
 春夏秋冬。春に15日分、夏に14日分、秋に22日分、冬に11日分の日記と各季節4つの短文+「ぺたぺたさん」のおまけ短文。挿絵の山口マオ氏との対談(挿絵がまた秀逸)まで、楽しさ満載。
 夢と言われれば確かにそんな、突飛、荒唐無稽、ご都合主義な楽しい話がいっぱい。それでもそのゆったり感、まったり感、ほんわか感、ふわふわ感がとっても気持ちいい。これが噂の川上ワールドか。いや、「センセイの鞄」や「古道具 中野商店」にも通じる懐かしさややさしさも感じられる。全体を通して川上弘美。アタリマエ。しばらく川上弘美、読み続けよう。

●二羽ともいちいち素直にうなずいていたが、話が終わると声をそろえて、「鳥の理性はあてにできませんぜ」と叫び、笑いながらどこかに遊びにいってしまった。(P24)

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2008年3月21日 (金)

東京の果てに

 昨年2月に愛知県でも愛知県住生活基本計画が公表された。この作成に少なからず関わってきた立場から反省するに、この本をもう少し早く読んでいればよかった。もっとも2006年10月では既に各県も計画の内容はほとんど固まっていたに違いないし、そもそも国もそういう方向になかった・・・。
 昨年の住宅セーフティネット法以来、公営住宅のあり方について考えている。本書でも日本の住宅政策の方向に対する批判が書き連ねられている。しかし明確な方向の提示はないようだ。そもそも最初の入口が間違っている。しかし現状で新しい入口を選択するのはほとんど不可能に近い。出発地点を変える必要がある。
 「東京の果てに」というタイトルから、いわゆる東京問題を扱った書籍だと思い込んでいた。神戸大の平山さんが東京まで殴り込みに行ったかと。もちろんベイエリアを中心に一部の「ホットスポット」でのみ展開される東京の都市政策は異常と言える。それが何によってもたらされ、何を生み出すか。その点も的確に暴いていく。しかしこうした東京独自の問題だけでなく(もちろんその反作用としての地方問題はあるとして)、東京に起きている問題はそのまま地方、いや日本全体の問題でもある。第2章の「再生と分裂」は「ホットスポット」の対極にある「コールドスポット」の問題を明らかにする。
 そして第3章「梯子を登る」では、これまでの住宅双六と公営・公庫・公団の住宅施策の3本柱に代表される「住宅のメインストリーム」が不安定化し、一極集中の「東京の世界都市化」戦略と同様に視点に立つ「住宅システムの市場化」によりズタズタと破断されていく状況を描き出す。まさに全国における住宅政策の問題である。
 「東京の果て」は至る所に現れている。第4章で扱う墓地の問題も然り。それにしても、現代都市に現れているこれほど多様な問題を、不安定化する社会のもとでの都市の多様性という視座のもと、総合的に見抜き統合する手腕は、「平山洋介、ただ者ではない」という感を改めて持った。
 最後に、第3章で取り上げられた「ベビーブーマー/ベビーバスター」という視点と調査結果を非常に面白く読んだ。私も平山氏と同じベビーバスター世代として。

●都市に生成する空間が深みをもっているのは、複数の欲求と声が絡み合っているからである。・・・この複数性と複雑性は都市にとって大切な価値である。(P9)
●都市再生のための政策はメガ・プロジェクトの建造を突出させ、空間の分裂を促した。・・・しかし、東京の空間分化は市場経済だけでなく、政策介入によって拡大した。”ホットスポット”に大量の援助を与え、”コールドスポット”をいっそう冷却し、都市の空間と経済を切り分ける、という人為の力が東京改造を形づくった。(P144)
●不平等を望ましくない状態とみなし、その緩和のための資源投入に社会が同意する、という前提があってはじめて不平等は社会問題に転化する。・・・住まいを「自由な選択」と「私的な消費」に委ねるのであれば、そこから生じる差異が社会問題と認められるとは限らない。住宅資産のキャピタルロスを持家購入のタイミングを誤った「私的な消費」の不運とみなす考え方がある。(P181)
●地方政府が望むのは、中間層の住宅市場を拡張し、納税力と消費力を備える人口を確保する方向性である。・・・公営住宅は低所得者を呼び寄せ、税収の伸びに寄与せず、福祉関係の財政支出を増大させる。・・・セーフティネットを縮小する圧力が高まるなかで、住宅政策の分権化が進むのであれば、低所得者向けの施策はいっそう減退せざるをえない。(P226)
●将来の予測可能性が低下し、不確実性が増しているからこそ、都市の多元性を尊重し、その複雑さとの交際を深めるべきではないか。(P263)

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2008年3月19日 (水)

サッカー批評 38

 表紙いっぱいに岡田監督の大きな顔写真。「『岡田武史』なんて、知らない」という白抜き見出し。オシムの成果の継承を望むべくもない岡田監督の就任という事態に、「代表への興味を失った」「前のように熱くなれない」といった文章をいくつかのブログで見かける。岡田監督の手腕に対する疑問というより、就任時の理由として挙げられた「オシム監督の土台を大切にそこから積み上げられる人」という言葉に対する懐疑とそこから派生する協会への不信感がそこにはある。
 冒頭の記事はまさにその疑問に答えるべく、小野技術委員長のインタビューで始められる。そして語られるのが、「オシム監督の土台」とはオシムサッカーの継承ではなく、「日本サッカーの日本化」というオシムサッカーのコンセプトの継承であった、ということ。そのコンセプトの下で、岡田監督が考える日本化されたサッカーづくりが目指されている。そしてオシムと微妙に異なるその方向に対して、多くのブロガーたちが懐疑的になっているのだ。果たして日本サッカーは既に日本人の手で日本化できるだけのノウハウや経験を手にしているのか。確かに半信半疑なことこの上ないが、今となっては祈るような気持ちで岡田監督に託すしかない。
 今号全体を流れるもう一つのテーマが、監督やGM、フロントといった選手を支え、チームをマネジメントする影の主役たち。中でも降格・残留を経験した柏レイソルと横浜FCの対照的なチーム戦略やJFLの門番としてアマチュアを守るHONDA FCのチーム・フィロソフィーに関する記事が興味を引く。
 また、ガイナーレ鳥取のタイ人監督、ヴィタヤ・ラオハクルの記事やアルゼンチン審判事情なども興味深い。日本未翻訳洋書を紹介するOverseasで紹介された「THE OUTCASTS! The Lands That FIFA Forgot」も面白い。

●たぶんオシムさんも「私はここまでやりましたよ。これからはあなたたちでできるでしょ」と言っている気がするのです。(P014)
●先日、オシムさんの見舞いに行った時に、こうおっしゃっていました。「現場は明日を見ている。社長は今日を見ている。しかし、親会社は昨日を見ている」と。(P047)
●「夜明け前」の時代にあって、実は本田技研こそが「ホームタウン」にこだわり続け、ためにプロ化を断念したのである。(P091)
●英国の属領だが独立した行政府を持つマン島、英国とアルゼンチンが領有権をめぐって争ったフォークランド島、タンザニアに併合されたザンジバル、独立を主張するコソボなど、まずサッカーチームを作って国際試合に出場することから国際社会の一員として認められたいと願う地域が世界には数多くある。(P115)
●他者とは、自己に先行して存在しているのだ。(P132)

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2008年3月14日 (金)

負ける建築

 負ける建築家・隈研吾が最近注目を集めている。それも一般誌で。遅ればせながらその魅力の一端を知りたいと、本書を手にしてみた。そして「はじめに」と第1章の「切断、批評、形式」で、その社会と建築を見抜く卓抜な視点に圧倒された。非常に面白い。最近読んだ中では圧倒的に面白い。
 この本は、1995年以降に様々な媒体で書いてきたものをまとめて作られている。1995年以降に起きた3つの出来事。阪神・淡路大震災、オウム事件、9.11事件。それらの事件が示したものは、建築の限界と脆さだった。建築は壊れるものであり、幻想である。その自明の事実から「負ける建築」という氏の主張が生まれる。
 「負ける建築」とは、今までの強く虚勢を張った建築、それへの欲望から自由になった建築。その実態は、多分、自然に根ざし、自然の中に解体消化されていく建築。
 氏の設計した建物を私はかつて一度だけ見たことがある。登米町伝統芸能伝承館。竹林の中にひそんだ建物は、既に「負ける建築」の方向性を示していたように感じる。
 そして最近の耐震偽装事件やサブプライムローン問題もまた、氏の言う強い建築、虚勢を張った建築の限界・臨界点を明示していると言える。時代は氏の予言のとおりの様相を示しつつある。建築の未来は、いや建築の真相は未来という時間軸でない位相にあるのかもしれない。たった一つの石ころという建築。

●建築は確かに嫌われて然るべき、さまざまなマイナスを有している。まず大きいこと。・・・次の要因は、物質の消費である。・・・さらに嫌われるのは、取り返しがつかないこと。・・・しかし、世界という膨大なヴォリュームと比して、建築の絶対的ヴォリュームが無視できるほどに小さい時、三つのマイナスは逆に、建築の美点そのものであった。大きさ、浪費、長寿を求めて、人は建築を作ってきたのである。(P002)
●建築はすでに溢れ、過剰であったが、それでも建築に抑制はかからなかった。・・・なぜならば・・・建設するという行為を必要としていたからである。・・・二つの強精剤がすぐにも思いうかぶ。ひとつは持ち家政策であり、もう一つはケインズが提唱した政府による財政出動であった。(P004)
●政治的には国歌対市民という二項対立、経済においてはサプライサイド対デマンドサイドという二項対立。これらはすべて形式対自由という対立構造の変奏である。・・・形式から自由へと弁証法的に移行せよという議論は、建築論においても支配的であった。(P076)
●「負ける」レトリックの裏側で、またしても建築という「結果」の強さが隠蔽される(P083)
●空間という概念も、同様に、建築の民主化における、重要な概念であった。・・・なぜなら、受け手という主体は、実態の部分にではなく、空間に棲んでいるからである。・・・そして空間への指向性の先には、表象への指向が控えていた。・・・実態から空間への転換があり、その延長上にすべては表象として出現するという表象主義があり、さらにその先に、厚みや陰影を徹底的に排除した表層的な建築表現が生まれたのである。(P102)
●世界の膨張をマネージするために建築が生み出され、視覚が命じるままに建築は高く、高くのびていった。同様に膨張によって不安定化した経済をマネージするためにケインズ経済学が登場し、政治においては世界の大きさに対する最も公平で合理的な方策としてデモクラシーが登場した。しかし・・・それらすべての方策が、・・・かつての有効性を喪失し、挙動不安定に陥っている。(P228)

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2008年3月12日 (水)

ハウジング&リフォームあいち2008

 3月14日(金)から16日(日)までの3日間、名古屋市千種区吹上ホールで「ハウジング&リフォームあいち2008」が開催されます。今年のテーマは「住まいと暮らし」。特に「暮らし」にこだわった展示や催事がいくつか展開されています。例えば「田舎暮らし」と題し、県内はもちろん岐阜県、長野県等から山里定住に関する展示やセミナーを開催したり、ペットのいる暮らしや気(木)づかいのある暮らしなどの展示があります。また、キャラクター弁当づくり教室やハウス・メンテナンス教室などのイベントも実施。もちろん例年行っている地震や防犯、環境などのテーマ展示やキッチン・水回りタウンなどの企画も楽しいと思います。特に日曜日の午後には、環境住まい会議総会を皮切りに環境をテーマにしたセミナーを3本連続で開催するのでよろしく。
 私も明日現地で準備を行い、会期中もずっと会場に張り付いています。入場は無料、抽選会で豪華賞品?もゲット可能。ぜひ家族連れでお越しください。お待ちしています。

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2008年3月11日 (火)

季刊まちづくり18

 特集「コンパクトシティの戦略」。特別企画「移住・住み替え支援最前線」に惹かれて購入。
 コンパクトシティ特集は、今話題の富山市、青森市に加え、山口市、小田原市の事例報告。さらに高松丸亀町のコミュニティ再投資会社の事例。巻頭は福川裕一先生による「中心市街地におけるまちづくり計画の作り方」で佐原市の事例を挙げて中心市街地活性化基本計画の本質について論評している。
 移住・住み替え支援は、H&C財団の「住み替え支援活動ガイドブック」の作成に協力した(株)アルテップにより施策事例がわかりやすく整理されている。
 しかし、いつもながらその他の地域レポートの方が面白い。真鶴町の職員による「第2回「美の基準」が生み出すもの」は現在の運用とその成果がみられて興味深い。地域探訪「地域の生き延びる『原則』を求めて」の青森県むつ市大畑町の「大畑原則」、地域レポート「大阪の長屋を活かしたまちづくり」、町並みインタビュー「笹原司朗|らしさを捨てろ―長浜の挑戦」などもそれぞれ興味深い。都市空間の構想力「個と全体」も実体験を思い起こし納得する。

●大畑は漁師が生存をかけて自然に立ち向かう場所である。同時に「喰う」ために周囲の自然環境を維持しなければならない場所でもある。「地域社会は地域資源がかれずに蓄えていることが喰うことの基本だ。(P18)
●プランが事業の絶対的前提ということではない。・・・必要なのは適切な「開発」である。その場合でも、開発には地域の合意、そしてそれを文書化したビジョンやプランが必要である。・・・つまり・・・町づくりには、つぎのふたつの柱が必要である・・・(1)合意形成のシステム (2)開発のシステム 前者を文書にまとめたものがプラン、後者がプログラムである。(P21)
●できれば少ない投資で効果の高い方法がいい。だから町並み保存で都心再生が成功するのである。(P60)
●「美の基準」がレビュー型の基準として、個別の敷地の具体的な特徴を元に、当事者による最適解を探っていく双方向型協議に基づき実現を図る基準であることが明確になった・・・窓口で声を荒げる者もいる。「誰がふさわしい色を決めるんだ!」。即答する。「あなたと我々、当事者です」。(P80)
●一つの箱に収まらない建築が都市を廊下として色付ける(P104)

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2008年3月 9日 (日)

ジャガイモ種芋埋め

Hatake0803 昨日から急に春めいてきた。庭の梅も昨日、今日と咲く花の数が増えていく。木犀のつぼみもふくらんできた。
 先週にすっかり畑を整理して、昨日肥料を買ってきて、畑全体に撒いた。ついでにジャガイモの種芋も2kg買ってきて、畝を作って埋めた。疲れた。
 空いたところも掘り起こしをお願いしたので、さて今年は何を植えようか。

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2008年3月 8日 (土)

疲れすぎて眠れぬ夜のために

 この本は内田樹初の「語り下ろし」本だと言う。「語り下ろし」? 「書き下ろし」かと思って読み過ぎて「ん?」と戻って見直した。10時間余りも編集者たちの前で、時にワイン片手に語り続け、テープ起こしをしたら「はい、出来上がり」。
 んな訳には行かず、その後、全面書き直しの悪戦苦闘が待っていた、というのが「文庫版のためのあとがき」に書かれたオチだが、確かにそうして出来たと思わせないでもない。何より、他のブログから作った本に比べ、全体に流れがある。前出の言葉や文章を受けた記述がここ彼処に見られる。全体としては、「生きるということ」、「働くということ」、「身体」、「アイデンティティ」、「家族」と大きく5つの章に別れているのだが、章をまたいで遥か前の表現を受けて「前にも言ったように」と書かれる箇所が何カ所も見られる。そうそう、「言ったように」とまさに語りの言葉で記述される部分も多い。
 そうしたこの本独自の特徴はさておき、そればかりでは先生指摘の「午後5時11分01秒と02秒の間の黄昏の色調の差異」の析出に夢中になっているだけの人間になってしまう。でも内容はいつもの内田節。その変奏を楽しむのがファンの心理にして真理。
 注意深く読めば、「利己的」に生きようとすれば相当な我慢や努力を強いられ、「我慢をしない」生き方とは矛盾するようにも思うのだが、それは人生を杓子定規にとらえる囚われた生き方であって、もっと柔軟に利己的に自分らしく型を受け入れ、そうして矛盾をいっぱい抱えて生きていくのが、人間らしい生き方なんだろう。自分って存在は常に複数いて、しかも常時変化をしていく。自分のない自分らしい生き方がいいんだろうと思う。
 ところでこの本の解説、銀色夏生さんが書いている。銀色夏生って名前は知っていたけど、これまで絶対手に取ってみたことのない作家だった。今回初めてその文章を読んで、「あれ?銀色夏生って女性?」。そこで検索してみました。内田先生のブログに初めて銀色夏生さんに会った時のことが書かれていた。先生も男性と思っていたんですねえ、それも私同様の先入観を持って。そこも面白かった。午後5時11分03秒の出来事ですが。

●アメリカにはたまたま、女性が希少であるような性的不均衡の場所を二世紀にわたって維持し続けることなしには国土を開拓しえなかったという歴史的条件がありました。・・・フェミニズムがアメリカではなばなしく成功した理由もここにあるとぼくは思っています。なにしろ、これほどあからさまに女性の排除の物語を量産してきた社会は世界でアメリカだけなんですから。(P53)
●要するに、「やりとり」をするのが人間性の本質だということです。それさえ満たされれば、人間はかなりの満足を覚えることができます。「やりとり」というのは、「交換」のことです。人間は交換が好きなのです。(P83)
●「戦後民主主義」の最良の点は、社会体制は成員の同意によって作られる暫定的な制度にすぎないという、・・・リアルでクールな社会観に支えられていたということだとぼくは思います。・・・成員が民主主義社会を「信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら、ぼくたちの社会は別の制度に簡単にシフトするでしょう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度です。(P97)
●神さまが心の中まで見ているのなら、心の中が正しければ、その行いや姿かたちが周囲からどう見えようと、それは副次的なことにすぎません。しかし、「人」は心の中までは見てくれません。心の中が正しくても、行いや姿かたちにそれが外形化していなければ、その「正しさ」は社会的に承認されません。だから日本の「恥の文化」は同時に「型の文化」とならざるをえなかった、ぼくはそういうふうに考えています。(P115)
●死者であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、死に際には必ず「毒」を分泌します。・・・それをどうやって最小化、無害化するか、それを考えるのは、社会人のたいせつな仕事の一つなのだとぼくは思います。(P212)
●親権の行使に対して、親たちの兄弟姉妹が横から介入してくる、というのが、親族の基本構造です。これがほんらいは親族の最小単位なのです。・・・人類学的基準に照らして言うなら、核家族は「不完全なシステム」です。(P218)
●「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」にことです。・・・家族は社会であり、家族は他者です。そこで人間は生まれてはじめて共同的に生きるマナーを学びます。(P229)

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2008年3月 6日 (木)

愛知の名建築10選

 先日、BSで世界の名建築100選をやっていた。前後半各4時間の長い番組の中で、多様な視点から選定された世界各地の様々な建築物が100件紹介された。モデルのKIKIや中尾彬などのゲストが各地の建築物を取材した報告やアンガールズによる名建築クイズなどを交えつつ100選が発表され、藤森照信が所々解説をするといった形式で、結構飽きずに見通した。KIKI(武蔵野美術大)やアンガールズの田中(広島大)が建築専攻だったのは知らなかった。クイズなど一般向けに迎合した部分はやや冗長な感じがしたが、まあいい番組だった。
 これを見た後で、某TV局から「愛知県内の面白い建物を紹介してくれませんか」という電話があったという話を聞き、僕も愛知の名建築を考えてみようかと思った。100は無理なので10選。
 まず友人と交わしてるMLに流したところ、同じようなサイトがありますよ、と紹介されたのが下の二つ。

名古屋の珍建築
2004 Aichi 建築ツアー

 前者は選定が素人っぽい。高さや形が変など、偏った基準というか感覚で取り上げていてイマイチ同感しない。後者はさすが建築・都市計画の専門家の視点で網羅的に取り上げられており、かつ私の知らない建築物もあって興味深かった。
 10選の基準は何か、明確に述べる必要があるだろうが、一応建築技術者の端くれとして、私が訪ねたことがある建物の中から、デザイン、歴史性、コンセプトなどの要素に、用途や構造・規模、地域性も加味して選考したつもり。しかし見たこともない建物で興味を引くものもまだ沢山あるし(例えば一宮市博物館とか)、これから建築されるものはあるわけで、また、たまにはこうした遊びをするのも面白いと思いました。
 ということで、私が選んだ「愛知の名建築10選」は以下のとおりです。

豊田市美術館(谷口吉生)
志段味循環型モデル住宅(荒川修作)
新美南吉記念館(新家良浩)
ゴジカラ村(大久手計画工房、NOV建築工房)
ダイコク電機本部ビル(安藤忠雄)
愛知県児童総合センター(仙田満・藤川原設計)
帝国ホテル中央玄関(フランク・ロイド・ライト)
ミツカン工場
オアシス21(大林組)
名古屋モード学園スパイラルタワーズ(日建設計)

ちなみに次点として
岡崎美術博物館(栗生明)
三岸節子記念美術館(浦野設計)
豊橋市公会堂+豊橋聖ハリストス教会
INAXライブミュージアム
蒲郡情報ネットワークセンター(高松伸)
LOUIS VUITTON(青木淳)

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2008年3月 4日 (火)

祖母力

 祖母井秀隆。ジェフの元GMにしてオシムをジェフに招聘してきた男。オシムの代表監督就任と前後して、フランス2部リーグ、グルノーブルのGMとして渡仏した。ジェフ時代、オシムだけでなく、ザムフィールやベルデニックなど一貫して欧米の監督を招聘するとともに、阿部や山岸、佐藤勇人等をジェフユースから育て上げ、オシムともどもジェフ再興の貢献者と言える。
 その名前はもちろん知っていたが、ジェフのGMになるまでの経歴は知らなかった。「オシムが心酔した男の行動哲学」というサブタイトルが付けられているが、内容は祖母井氏の自伝と言っていい。祖母井の後輩でジェフ時代のGM補佐を務めた辰巳直祐が企画監修、各章の間に関係者のインタビュー記事も挟まれた企画本である。こうした本の場合、どこまで祖母井氏自身が筆を執っているのか知らないが、年少期から現在に至るまで、非常にわかりやすく書かれており、氏の半生を十全に伺い知ることができる。加えて、オシム代表就任前後の状況や脳梗塞で倒れた時の状況なども正直に書かれており興味深い。
 祖母井氏自身は本書で何度も書かれているとおり規格外の人間であると思う。ここまでの行動力を持つ人物はなかなかいない。古河工業や川淵キャプテンを中心とする旧態然とした日本サッカー界の現状も書かれているだけに、いつか氏に日本サッカー協会の仕事に関わってもらい、この鬱屈した空気を吹き払ってもらいたいという思いを強くする。しかしその前に氏にはグルノーブルでの仕事が待っている。まずはそこで精一杯頑張ってほしい。そして、同じグルノーブルへ移籍した伊藤翔も大きく羽ばたかせてほしい。

●人と人をつなぐ役割、人間的な営みを思い起こさせる祖母という存在。利己的で独善的な競争社会であるからこそ、僕はこの祖母の復権が今こそ見直されるべきだと考えるのです。(P9)
●ただ、僕が彼に期待したのは勝敗だけの結果ではありません。どうしても「勝利を求めずに勝利する」オシムのサッカーが日本に欲しかったのです。(P31)
●与えられた仕事は手を抜かずにやり遂げる。そして、それは誰かがきっと評価してくれるー。日本もドイツも、おそらくどこの国でも、それだけは共通している。サッカーも同じだと思いました。(P88)
●「ホームゲームは14日に1回しか開催されない。そのうち1日はサポーターが試合に見に来てくれなければならない。残りの13日は我々がサポーターにお礼をする」(P112)前グランパス監督・セフ・フェルフォーセンの言葉
●僕も、今回の代表監督決定までのプロセスについては、一貫して不信感を持っていましたから、答えは決まっていました。「川淵さんとは仕事がしたくないのです」僕は旗幟を鮮明にするため、あえて明言しました。(P175)

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2008年3月 3日 (月)

羊をめぐる冒険

 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」と来て、僕と鼠の物語は最後に「羊をめぐる冒険」で完結する。ジェイに見守られて。美しい耳のガールフレンド、いるかホテル、羊博士、羊男・・・ユーモラスで魅力的なキャラクターに囲まれながら、僕の、星形の斑紋を持つ羊と鼠を追う冒険は、最後に北海道の奥地で謎めいた大団円を迎える。
 読みながらこれは「海辺のカフカ」に似ているな、と思った。いや順番から言うと逆なんだけど、似ているということ。
 内田樹に触発されて読み始めた青春3部作。村上作品は全部読んで来たと思っていたけど、家に本が見当たらず、「1973年のピンボール」と「羊をめぐる冒険」は今回新たに購入してしまった。でも少なくとも「羊をめぐる冒険」は前に一度読んだ事がある。楽しい作品は何度読んでも楽しい。ウキウキ。
 村上春樹の魅力は主人公(多くの場合「僕」)が実に普通に肩肘張らず日常を送っている、平凡な存在だというところだ。ジャズを好んだり、バーでビール飲みながら時間を過ごすのは、本当のところは自分とはすごく違うけれど、なぜか
同一感を感じる。人生なんて意味ないよ、なんて一般論で自分を慰めつつ平凡に生きようとする。そんな僕=読者自身がいつしか非日常の世界にスリップして世界滅亡の邪悪な陰謀を未然に防いでいく。とってもハートウォームでワクワク。
 これだから村上作品はやめられない。次は「ハードボイルド・・・」にしようか「ノルウェイの森」にしようか。どちらもけっこう忘れてしまっているし。

●「それはあなたが自分自身の半分でしか生きていないからよ」と彼女はあっさりと言った。「あとの半分はまだどこかに手つかずで残っているの」(上P77)
●「何故だ?俺の知らないところでいったい何が起こっているんだ?」「縁の下で名もない小人が紡ぎ車をまわしているんだよ」(上P108)
●たとえ何が起こるにせよ、まだ何も起こってないんだ。そして何かが起こったとすれば、それはもう起こってしまったことなのだ。(上P114)
●「細胞は一ヶ月ごとに入れかわるのよ。こうしている今でもね」彼女はほっそりした手の甲を僕の前にさしだした。「あなたが知ってると思ってるものの殆どは私についてのただの記憶にすぎないのよ」(下P26)
●ジェイ、もし彼がそこにいてくれたら、いろんなことはきっとうまくいくに違いない。全ては彼を中心に回転するべきなのだ。許すことと憐れむことと受け入れることを中心に。(下P178)
●俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。(下P228)

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