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2008年5月

2008年5月28日 (水)

蛇を踏む

 川上弘美の芥川賞受賞作品。「古道具 中野商店」から川上作品に入った私としては、「椰子・椰子」で少し経験したとは言え、これが初のいわゆる「川上ワールド」体験。どことなく先日読んだ内田百閒を思い出す。現代版内田百閒。なるほどこれが川上ワールドか。
 人間と動物、生物と無機物、夜と昼、時間と空間、日常と非日常、規律と不定形。さまざまなモノがカタチが自由奔放にその形を変え、その変容を少しの戸惑いを感じつつも「しょうがない」「こんなこともあるのね」といった感じで受け入れていく。
 蛇が耳から体内に入り込み、蛇水が全身にくまなく行き渡っていく描写などは少しおぞましさを感じるが、快感すら感じつつ受け入れてしまう姿は実に「難儀である。」同時にユーモラスですらある。結局全てを受け入れてしまうから「なんでもあり」である。そこに女性性を感じるのは僕だけであろうか。
 表題作「蛇を踏む」の他、奇妙な慣習を当然に受け入れる家族とそんな家族ばかりの奇妙な世界を描く「消える」、変容する少女と動物を主題とした19の変奏短編からなる「惜夜記」の3編からなる。自由奔放な「惜夜記」にはさすがについていけない気分になる。おそろしや、川上弘美。

●「踏まれたらおしまいですね」・・・と言ってから人間のかたちが現れた。「踏まれたので仕方ありません」今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。(P10)
●母にも父にも弟に対しても、薄かったり厚かったりするが壁というものはあって、壁があるから話ができるともいえるのであった。蛇と私の間には壁がなかった。(P29)
●好きが裏返って嫌いになってまた裏返って好きになってあと3回くらい裏返ってそれで少し嫌いなのよね。でもそういう嫌いの中には好きがまばらにまぶされているから、コスガはすごく気分が悪いんだわ。(P42)
●そう思った瞬間に、時間が止まり、しばらくすると、ものすごい勢いで収斂が始まった。(P118)
●永遠の象というものが西方にいると聞いたので、探すことになったのである。あまり気が進まなかったが、探すことに決まってしまっているのだった。(P149)

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2008年5月25日 (日)

集合住宅物語

 同潤会青山アパートを筆頭に、全部で39の集合住宅が訪問記録と豊富な写真で紹介されている。上下2段組み348ページの大部だが、半分近くは写真なので、思ったよりは早く読み進めることができる。
 それにしても楽しい。冒頭の青山アパートや同じ同潤会の鴬谷アパート、清砂通アパート、大塚女子アパート、さらに旧東京市営古石場住宅や旧徳田ビルなど、既に取り壊されてしまった建物も多く取材・掲載されている。清砂通アパートの屋上から両国の花火見学をしている写真など衝撃的なものも少なくない。もちろん植栽の豊かさや手入れの行き届いた古さは、懐かしさと人間的な温かさを感じる。
 しかし、取り上げられる住宅は戦前の古いものばかりではない。新しいものでは代官山ヒルサイドテラスや中銀カプセルタワービル、桜台コートハウスなども取り上げられている。1980年代初頭完成までを対象に、その後の住みこなした結果を追っている。

●集合住宅とは、建築をそのままのものとして見ることができないビルディング・タイプである。問題を探らざるをえない面倒な建築。住む人にとっては戦わざるをえないやっかいな建築。だからこの先につながる。(P348)

 また、集合住宅といっても、同潤会や公団などのRC造の団地タイプのものばかりではなく、寮や下宿、長屋、店舗併用住宅、テラスハウス・タイプのものや老人ホームまで人が居住するものならほとんどを網羅している。なかでも興味を引いたのは「スペイン村」。もちろん三重県のテーマパークではなく、戦前に建築された低層木造集合住宅だが、紹介文によれば5棟の建物が思うがままに組み合わされ「窓と壁がとりとめもなく増殖し、ふしぎな家のイメージの迷路に入りこむ気分になる」という。
 他にも、谷中の西河さんが居住する(写真にもその姿が写っている)谷中四軒長屋など私も見てきたものもいくらかはあり、うれしさを覚える。代官山ヒルサイドテラスは今度ぜひ見てこようと思った。もちろん取り上げられた全てが一度は見てみたいと思わせる。もう見られないものも多いのが残念だが・・・。

●この時点(関東大震災後)で創出しようとした集合住宅については不燃不壊の性能に加えて、新しい都市建築としての意匠が不可欠のものとして求められたにちがいない(P28)
●再開発せざるをえない。高密度になるのは必至である。当然、この75年前の集合住宅団地をはるかにしのぐ空間の仕掛けが用意されていなければならないのだが、そこがなかなか見えてこないままに「新しさ」だけを頼りに東京が変身していく。(P29)
●平坦な埋立地、直線直角の道と路地、均一の街区、木造二階建ての長屋、植木鉢、これらは人間的環境をめざすという現代の計画手法がむしろ回避してきた、あるいは採り入れようのない要素である。つまりどちらかといえば非常なほどの配置計画と、そこに住み着くための歳月とが合わさったとき、人が集まって住む光景の本来性が現出する。(P101)
●円や四角の窓は、いまみたいにただの開口部ではなく、このころの街ではそれがまさに記号としての窓でもあることで新しい驚きを見る者に呼びさましたのである。(P124)
●日本の社会は金でまわっている。けれどもほんとうに必要なのは知恵なのだ、と村上さんはいう。町づくりは人間がいちばん大切なのに、阪神大震災を見なさい、町にいた人たちは帰ってこない。帰れない。人間がいなければ町にならない。(P261)

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2008年5月20日 (火)

地域は「自立」できるか

 「はじめに」の冒頭、「この半世紀の間に、地方圏での生活は中小都市についても農山村についても、所得水準と生活環境の両方で確実に向上してきた。都市と地方の間には、統計でみる所得格差はあるが、一人あたり地域所得でみると先進諸国の中では格差が最も小さい国に属するし、過去半世紀にわたって傾向的に縮小してきている。」という書き出しにぎょっとした。続いて「都市と地方の格差是正が、わが国の課題とされている。しかし改善しなければならないのは、・・・都市と地方の意識の断絶のように思う。」と書かれている。当然ながら、地域格差に係る最近の論調や実態に目をつぶろうとしているのではなく、逆にその真相を見極めようとする強い意思が『地域は「自立」できるか』という本書のタイトルにも表れている。しかも著者が描く地域自立に向けた処方箋は、経済学の基本をベースにしたものであり、経済学に門外漢な私には、経済学を基礎から学んでいる気がする。
 「プロローグ-都市と田舎の断絶」と名付けられた第1章では、現在の都市と地方の間で起こっていることを概観する。一言で言えばそれは「持ちつ、持たれず」の関係から「援助する側、される側」の関係になっている、ということだ。それはお互いにとって幸せなことではないし、日本全体にとっても「力強い将来はみえてこない」と指摘する。
 その上で、その後5つの章に分けて、地域の自立問題を検討していく。第2章の「地域格差は拡大しているか」では、経済成長と地域格差の実態を検証し、「地域内格差」こそ問題であることを指摘する。と同時に、上からの経済政策ではこの課題は解けないことを暗示して、第3章の「多様な自立の意味」につなぐ。「人口減少社会において、地域の活力と国の力を」維持・向上させるための軸となるのは「人の移動と交流が生みだすダイナミズム」であるとし、その前提となるのが「地域の自立」であると言う。この自立を以下、「ブロック圏の自立」と「地方中小都市・農山村の自立」に分けて、それぞれ続きの各章で詳細に検討する。
 「ブロック圏の自立」の重要な要件は「各圏域が地域自前の国際戦略をもち、日本や世界の各地域と東京経由でない独自のネットワークを構築すること」。「地方中小都市・農山村の自立」については「地域の住民が、自らより良い生き方ができるよう考え行動する姿勢をもち、参加して取り組むこと」が重要だと第3章の最後にまとめられている(P63)。
 第4章「ブロック圏の自立」は全総が経済発展に果たしてきた役割等を検証し、道州制等も視野にブロック圏の自立に向けた体制整備や取り組みの方向について述べている。個人的に興味があるのは第5章「地方中小都市・農山村の自立」である。この章は、全体としては「新たな公」への期待が述べられているが、2項、3項では「限界集落」「二地域居住」を取り上げ、考察を重ねている。基本的に限界集落切り捨てに批判的であり、第6章にもつながるが、都市側の地方観の反省を促している。
 第6章のタイトル「集約化で地方はどう変わるか」の「集約化」で指している施策は次の4つである。「生活支援機能の集約化」「居住地域の集約化」「行政機能の集約化」「働く場の集約化」。このうち「居住地域の集約化」については前章に続いて明確に反対をしているが、その他の集約化についてはある程度やむを得ないというスタンスである。これらの集約化を支えるのは「新しい公」であり、その背後にある「多様な住民の参加」が重要だというのが著者の主張だ。
 第7章「エピローグ」では、「経済は、どこの国でも不均衡に発展する」として、「効率」と「公平」をいかにコントロールするかが経済政策の基本である、と経済学の基本的認識を示している。経済学を学んだ人には当たり前のことかもしれないが、意外にこうした論説が目新しい。従来のような経済発展が見込めなくなった時代における公平性施策の実施が難しいことは理解できるが、やりきらねばならない。著者はそれを「多様性と連携」に求めようとしている。地方の真価が問われている。

●1950年代の高度成長期から70年代の安定成長期を通じて、大都市と地方は互いに「持ちつ、持たれず」の関係にあり、・・・それが日本の高度成長を支えてきた。しかし大都市と地方の蜜月時代は終わり、両者の間には「格差」という言葉だけでは表されない「意識の断絶」が感じられる。(P3)
●行政の存在理由は市場経済の欠陥を補完することだが、これまで政府と市場経済の圧倒的なパワーに押されて、地方自治体の力の弱さが目立っていた。地域の全体を鳥瞰し、将来を視野に入れてコーディネート機能を発揮するのは地方自治体の役割であり、地方自治体はそれに応えうるような人材を育成しなければならない。(P52)
●自然界については、希少種の保護が熱心に行われている。(それは)それが他の種にも及び、遂には人間にも及ぶといった生態系の連鎖があるからだろう。類似のことは、都市と農山村の関係についてもいえるのではなかろうか。(P119)
●市場の失敗を行政が補完することは必要だが、これは行政がすべての業務を直接に行わなければならないことを意味しない。・・・行政の責務は、行政が住民に提供することになっているサービスが確実に住民に提供されることを保証し、それを統括することであり、いわばコーディネーター機能を担うことである。(P149)
●経済政策で「効率」と「公平」は車の両輪だが、・・・「パイを大きくしてから、分配を考える」というのは厚生経済学の基本である。・・・経済は両者のバランスを意図的に崩しながら運営される。(P153)

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2008年5月19日 (月)

ニュータウン人・縁卓会議in高蔵寺

 今年は春日井市政65周年にして高蔵寺ニュータウン入居開始40年目に当たる。こうした節目の時期に、多摩ニュータウン、千里ニュータウン、筑波研究学園都市と高蔵寺ニュータウンの居住者が一堂に集まり意見交換を行うイベント「ニュータウン人・縁卓会議」が、5月17日(土)、高蔵寺ニュータウン内の東部市民センターで開催された。
 「ニュータウン人・縁卓会議」は多摩ニュータウンの居住者等が発起人となり、2006年度から始められたもので、第1回多摩ニュータウン、第2回千里ニュータウンで開催し、3回目の今年、高蔵寺ニュータウンで開催することになったもの。
 当日は、春日井市長等の挨拶の後、発起人の一人であり、かつて高蔵寺ニュータウンの開発に関わり、自らも入居が開始された昭和43年(1968年)から19年間、高蔵寺に住み続け、その後、多摩ニュータウンや筑波研究学園都市の開発に関わってきた御舩哲さん(現・多摩NPOセンター長)の基調講演「ニュータウンは今!!」があり、休憩後、御舩さんのコーディネートの下、各ニュータウンから来られた4人のニュータウン人が、それぞれの現況やこれまでの経験からニュータウンの将来に向けた提言や知見が報告され、意見交換が行われた。
 御舩さんは、高蔵寺ニュータウンに暮らしていると、UR機構関係者やコミュニティ関係の場でも、津端修一さんと並んでよくお名前を拝聴する有名人である。御舩さんの基調講演は、1960年から70年にかけて、分業型・集中提供型で開発されてきたニュータウンの歴史を振り返り、かつ各ニュータウンの違いを考慮しつつ、今後のニュータウンの可能性を展望する内容のものとなった。すなわち、ニュータウンは今、多様な人々の暮らしと働きが地域内で循環する低炭素型の暮らしを創造する「まちそだての場」になってきた。具体的には、様々なコミュニティ活動や(多摩や千里など)市をまたいでもニュータウンに住み続けたいというニュータウン人の存在、豊かな自然と人との関わりの中で育まれてきた環境貢献の可能性など、各ニュータウンの取組を取り上げつつ、地域の住民自治をベースにした地域協働の活動を評価し、期待するといった内容だ。最後に、20世紀最初の年の1901年に夏目漱石がロンドンで日記に綴ったという「真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実(しじつ)に行え。」という言葉を挙げられた。20世紀の産物であるニュータウンを、今この言葉を噛みしめつつ、いかに生かしていくか。今年71歳になる御舩さんから私たちに課せられた課題と言える。
 第2部の縁卓会議は、各ニュータウンからの参加者の属性が多様で、一部かみ合わない部分もあったが、それゆえに面白い内容になったと言える。千里ニュータウンから参加した千里まちづくりネット副会長の藤本輝夫さんは、広島から集団就職で大阪に出てきて、千里ニュータウンのまち開きと同時に入居。コミュニティが希薄な初期のニュータウンにあって、盆踊り大会を開催するなどの活動に関わってきた方であり、地縁的なコミュニティづくりについてもっぱら発言をされた。
 続いて発言された多摩ニュータウンの富永一夫さんは、フュージョン長池の活動から全国的に有名な方だが、「協働で実践する暮らしの支援事業」というタイトルのパワーポイントを用意され、地活隊(ちいきたい)の地域活性化支援事業、自然隊(しぜんたい)の長池公園支援事業、夢伝隊(ゆめつたえたい)の地域広報活動支援事業、高支隊(こうしたい)の高度情報化支援事業、住見隊(すみたい)の住宅管理支援事業、夢見隊(ゆめみたい)の夢の住まいづくり支援事業(コーポラティブ住宅)、食生隊(しょくいきたい)の毎日の食べること支援事業(コミュニティ・レストラン)、調部隊(しらべたい)のNPOフュージョン研究所などの多様な活動を紹介し、地域経営の4+2資源(人・物・金・情報と協働・事務局)の重要さ、特に「事務局が要」という持論を紹介された。
 3番目の筑波研究学園都市から来られたNPO法人つくばハウジング研究会の冨江伸治さんからは、筑波研究学園都市の特徴を豊富なスライドを用意され、報告をされた。他のニュータウンとは異なる新しく現代的なデザインの紹介、そして中心部に残っていた未利用地が民間に売却され、周囲の景観や緑の連続などの地域計画を無視した高層マンションになっていることの危惧を強く訴えられた。
 最後に高蔵寺ニュータウンからは、春日井市ニュータウン地区コミュニティ推進協議会の吉田光雄さんから、局地的に極度に高齢化が進んだ地区があることや児童数の減少などの現況報告がされた。
 その後の意見交換は、多摩ニュータウンの富永さんを中心に展開し、「自治組織に加え、専門的組織が立体的に構築される必要がある。」とか、多摩ニュータウン諏訪地区の空き店舗を活用した高齢者寄り合い所「ふくしてい」を事例に、「高齢者がまちに出れば、高齢者がまちを見守る安心なまちづくりが可能となり、その安心さ、賑やかさが若者を呼び込む」といった多様さの仕掛けやそのためのコーディネーターの必要性など、様々な事柄が話題となった。冨江さんから、地縁型コミュニティに対して専門型アソシエーション組織については企業化(コミュニティ・ビジネスということか)の動きが報告され、吉田さんからは「ちょいボラ(ンティア)」の紹介があった。
 一般公開のこうしたシンポジウムで、パネラーがそれぞれの地域の取組紹介を主としている場合、それ以上のかみ合った議論展開や深化は難しいのが実情。そういう意味では、富永さんが縁卓会議を始める動機として挙げた「それぞれの違いを学ぶ場」という趣旨は適っていたのではないか。今回、吉田さんや市の働きかけもあり、500人のホール満杯の出席があり、その多くはコミュニティ協議会等に関係する地域住民だった。多分、吉田さんや行政の意向を受けて、地域の活動を担っているこうした人々にとっては、NPO主体の多摩ニュータウンの状況や千里ニュータウンの住民発意のコミュニティ活動の事例などは、大いに触発され勉強になったのではないか。
 逆に、富永さんからの「地縁型からNPO主体へ」という投げ掛けに十分に応えることのできなかった吉田さんの対応に歯痒い思いをした専門家も多かったのではないか。しかしそれも無理もない。多摩ニュータウンにも当然地縁型組織のリーダーもいようし、高蔵寺にもアソシエーション型組織は数多くある。
 次回、筑波研究学園都市で開催されるという。これまで3回、高蔵寺ニュータウンの代表者は吉田さんが務めてきたが、今後は吉田さん以外の組織も含めて、代わる代わる代表を務めるような体制を取るべきではないか。そのほうが、ニュータウンのそれぞれの違いをより多くの人が学ぶことができ、縁卓会議の趣旨により適うと思われる。いずれにせよ、ニュータウンが従来にもまして注目を集めてきた昨今、こうしたイベントが継続的に開催されるのはいいことだと思う。次回(4年後?)高蔵寺ニュータウンで開催されるときはどういう議論が展開されるのか、今から楽しみだ。

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2008年5月14日 (水)

砂糖をまぶしたパス

 副題は「ポルトガル語のフットボール」。タイトルの「砂糖をまぶしたパス」とは、ブラジルやポルトガルで言われる「どうぞ点を取ってください」というような絶妙なパスのこと。著者の市之瀬敦氏は、現在、上智大学外国語学部准教授を務めるポルトガル語学の先生である。同時に、サッカーファンには、多くのポルトガル関連のサッカー状況を披露する著作や記事の執筆者として知られる。私も市之瀬氏の書かれた記事は読んだ記憶があるが、こうして本としてまとまったものを読むのは初めて。だが、とても楽しくあっと言う間に読み終えた。
 全体は3部構成。第1章の「独裁者はサッカーがお好き」では、20世紀中期のほぼ同じ時期に独裁政権を経験したブラジルとポルトガルにおけるサッカーと政治の関係が語られる。しかし、必ずしも暗い筆致ではなく、ポルトガル・サラザール時代における他のヨーロッパ諸国に取り残された植民地政策とサッカーの関係など、ヨーロッパの辺境の小国にして大航海時代を誇りに持つ悲哀やユーモアすら感じられる。
 第2章の「三角パスが通った!」とは、ワールドカップ・ドイツ大会で初めてポルトガル語圏の国が3カ国そろったことを示す。ブラジル、ポルトガルにアンゴラだ。世界でポルトガル語を公用語にしているのは、わずか8カ国だけという。上記3カ国に加え、モザンビーク、ギニア・ビサウ、カボ・ベルデ、サントメ・プリンシペ、そして東ティモール。ギニア・ビサウはまだしも次の2国は聞いたこともなかった。いずれもアフリカの国。最後の東ティモールは、最近インドネシアから独立したことは知っていたが、ポルトガル語圏とは知らなかった。こうした国々を紹介しつつ、ワールドカップ・ドイツ大会を振り返り、ついでにブラジル人ジーコが率いた日本代表の戦績とジーコとのすれ違いに触れる。
 最後の第3章は「サッカーを規定する言葉」。タイトルほど大袈裟な話ではなく、ポルトガル語にまつわるサッカー話をいくつか披露。なぜブラジル人選手はニックネームで呼ばれるのか。セレソンの意味。ポルトガルの外国人選手と国外に帰化したポルトガル選手などなど。どの話題も楽しく興味が尽きない。
 最後には、いよいよ始まるユーロ2008やワールドカップ南アフリカ大会、さらに次回アンゴラで開催されるアフリカ選手権での各国の活躍にも心と筆が飛ぶ。これを読んだ後、ポルトガル・サッカーを見ると、楽しさが倍増すること間違いなし。でも、クリスティアーノ・ロナウドのことが全く出て来ないのは何故かな。デコやナニは出てくるのに。どうしてだろう。

●ポルトガルをだめにしたと言われる三つの「F」についての話はご存知だろうか。・・・聖母マリア出現の奇跡が起こったファティマ、国民的歌謡ファド、そして国民の情熱あるいは娯楽フットボールのことである。ポルトガルの20世紀のおよそ半分を支配した独裁者サラザールは、ファティマの奇跡によりカトリック信仰を深め、主の前で従順になるように国民に求め、傷ついた心をファドにより癒し、そしてフットボールで日ごろのストレスの発散を可能にしたのである。(P52)
●1960年代を通し、ポルトガルは、・・・植民地支配を続けるために、・・・植民地戦争を戦った。それと平行して、・・・ポルトガル植民地帝国における人種間の融和を世界に向かって誇示するために、アフリカ選手を数名起用した多人種代表チームをイギリスに派遣したのである。(P58)
●2002年大会ではやはりアフリカ代表のセネガルが旧宗主国フランスといきなり対決したが、同じようなことがアンゴラとポルトガルの間でも起こったのである。いきなり、旧宗主国と旧植民地国が対戦することになったのだ。しかも、試合が行われる都市がケルンと決まったのである。・・・語源はラテン語のコロニア。・・・「植民地」という意味である。(P112)
●結局ジーコが日本代表にもたらしたのは「自由」というよりは、むしろ「解放」だったのではないか・・・すなわち、選手を縛りつけた前任者フィリップ・トルシエからの解放である。そして解放という言葉で思い浮かぶのが、かつてポルトガルによる植民地支配を終わらせるためにアフリカ人が戦った「解放闘争」である。・・・残念なのは、解放闘争に勝利し、独立を達成したアフリカの人々が、手にした「自由」の意味をよく理解できず、国作りに失敗してしまったように、ジーコ・ジャパンもナショナルチームとしてまとまれないままで終わってしまったことである。「海外組」と「国内組」の融和の失敗というのも、旧植民地にありがちな西洋派と土着派の対立を思い起こさせるではないか。(P130)
●「東ティモールの選手たちはブラジル人のようにプレーし、ポルトガル人のように敗れる」(P143)

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2008年5月10日 (土)

高度成長—シリーズ日本近現代史(8)

 戦後10年。朝鮮戦争も終結し、日本は国際社会の中に自立していくことが求められるようになった。1955年から始まる20年間は、アメリカの顔色を窺いながら、韓国や中国その他の対戦国との戦後処理を行いつつ、国際社会での地歩を築いていった時代だった。同時にそれは現在に至る戦後日本の特異な国家性格を規定する「高度経済成長」の時代だった。日本にとって経済成長とは何だったのか。本書の最後に綴られた次の記述は、その疑問を厳しく問いかけている。

● 経済成長を目指した時代には、成長それ自体が目的だったわけではなかった。鳩山内閣の経済自立5カ年計画が5%成長を目標としたのは、未だに広範に残っていた雇用の不安や潜在的な失業を解決していくことが必要だったからである。そうした目的を失ったとき、成長は自己目的化し、日本は成長の神話を追いかけ続けることになった。(P240)

 1955年からの20年間を本書では概ね5年毎に次のように捉える。1955年から60年までの政治の季節。65年までの経済の季節。70年までの開放経済体制への移行を迫られ経済大国日本を実現していく時代。そして狂乱物価と金権政治に伴い成長が終焉する75年まで。最後の「おわりに」では80年代の安定成長を正確に捉えられずバブル経済へ突入していく時代を概括的にまとめているが、そこに描かれている社会経済や政治は、もう戦後の経済成長時代とは違う時代のものだ。ここは次巻の「ポスト戦後社会」で詳しく記述されるだろう。改めて、55年から75年までの20年間がいかに特異な時代だったのかが理解される。
 また、憲法改正問題が、戦後わずか10年の55年の時点で既に大きな政治の焦点となっていたことに驚く。「戦後60年を経て、憲法も陳腐化」という言説がいかにまやかしであったか。結局それは国際情勢の中で日本をいかに運営していくべきかという外交問題であり、政体の問題である。
 鳩山内閣から岸内閣、池田内閣、佐藤内閣と続く中で、国民の期待と失望はジェットコースターのように上下する。しかし大半は20%前後に低迷する内閣支持率の中で、次第に政治は国民から離れ、派閥や政局政治に終始するようになる。田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘とめまぐるしく首相が変わっていった時代である。政治は次第に国民から離れ、我々は経済状況にばかり一喜一憂する。政治は経済成長のためにあり、経済成長こそが国民の幸せの尺度だと考えた時代。先に引用した「成長の神話」の時代である。そうした時代が、村上や堀江を時代の寵児とするような歪んで不安定な現在日本につながっていく。近現代史を振り返る重要性の一端を認識する思いがした。

●原水爆禁止運動に象徴されるような戦後の平和運動は、憲法改正・再軍備という政権の骨格をなす政策構想の実現を、野党勢力が議会で三分の一以上を占める状況を作り出すことによって阻止した。憲法改正は鳩山内閣の重要な公約であった。(P64)
●経済成長政策を前面に出すことによって「国民に夢を与える」という選挙戦略はそれなりの効果をあげた。しかし、その限界が露呈するのにそれほど時間はかからなかった。皮肉なことに、所得倍増計画が政策の中心に据えられて以降、消費者物価の上昇など急激な成長政策がもたらす「ひずみ」が問題視されるようになったからである。(P79)
●(日韓)交渉のなかで両国間の認識の差を際立たせたことの一つに、歴史認識にかかわる問題があった。・・・外国の歴史教科書記述について訂正を求めたのは、日本が先であった。(P126)
●(佐藤内閣の)強硬な議会運営に加えて、政治体制への批判が強まったのは、カネに絡んだ政治的な腐敗が相次いで明るみに出たことであった。・・・自民党政権が長期化するなかで、政治家は利権に群がりはじめていた。(P155)
●池田内閣の懸案解決に最初の1年で精力的に取り組み、強硬な議会運営で決着を付けた佐藤内閣は、二年目以降、・・・党内の融和を優先して争点となる問題を避け、派閥内の均衡人事によって政権の長期安定を図った(P171)

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2008年5月 6日 (火)

鍼灸院談義—日本の暗い未来と医療制度

 連休の狭間に体調を崩したところが五十肩を再発した。今度は今までほどにはひどくならなかったが、それでも3・4日とひたすら自宅で静養。グランパスは3連敗、ドラゴンズも負け越し。それで4日におなじみの鍼灸院へ行く。体調不良(胃腸風邪)とストレスが原因と言われ、ストレスの原因と思われる私の仕事の行き詰まりについて話し始める。すぐに話は「日本は早晩、社会の仕組みや経済のあり方をリセットしなくてはいけない状況に追い込まれる」という話題に移った。
 曰く「国債残高がここまで膨れ上がっては、返済不能となる危険性が高い。年金積立も多くは国債等に運用されており同時にアウト。後期高齢者医療制度も趣旨は理解できるが、高齢者の増加に対する将来像が見えない。物価高騰や食料不足に対する有効な手だても見出せないまま日本はますます追い込まれていく・・・」「これらを打開するには、国際的には国債のデフォルト、国内的には預金のペイオフという事態も想定せざるを得ない。」
 あまりに悲観的という意見もあるとは思うが、最悪ここまでの事態を覚悟しておくことも必要。なにしろ我々はあまりに幸せな人生を送り続けている。地球のキャパシティを考えれば、昭和30年代前半の生活に戻ることを考えた方がいい。思えばあの頃は牛肉なんて食べたこともないし、牛乳や卵さえ贅沢品。年に1回のすき焼きやおすしがごちそうだった。他国の富を奪って繁栄するアメリカ型の生活から脱却し、自給自足・地産地消な生活に戻る必要がある。
 食料不足や物価上昇は中国やインドの成長が要因と言われるが、10億人を治めてきたこれまでの政治手法が情報革命の中で破綻し、それに代わる新しいノウハウが見出せない。アメリカ型民主主義はこの問題を解決できない。可能性があるとすれば北欧的な協同主義か。しかし経済的に世界をリードできるような力は持ち得ないから、よほどの知性か窮余に追い込まれなければ、世界の各国がこうした政体を選択するのは難しいだろう。などなど。
 これらの転々とする話題の中で、特に個人的に関心を持ったのが後期高齢者医療制度の問題。それも保険料を年金から天引き云々といった技術的なことではなく、この問題の根本はどんどん嵩む高齢者医療費にあるのだが、一方で依然として医者が高収入を得る構図が変わらないのが気に入らない。健康保健組合職員の横領を問題にするのもいいが、所詮保健制度全体からすれば微々たる支出であり、それよりも医療費そのものに焦点を当てて考えることが必要ではないか。そう考えると、診療報酬が高すぎないか、と気になる。
 妻曰く(鍼灸院の隣のベッドで並んで治療中)「公立病院へ行くと410円しかかからないのに、開業医に行くと3,000円も取られるのはおかしい!それも院外薬局のある診療所の方がトータル費用が高い。」「そりゃそうだ、処方箋料や薬局指導料が加算されるからな。」「診療報酬も甲表・乙表とあって、個人開業医の方が有利だから、勤務医をさっさと卒業してなるべく楽な開業医になりたがる。」「公立病院などの公営会計が今年度から自治体の一般会計と連結決算されるようになるから、赤字の公立病院はますます事業縮小に追い込まれる。だいたいあれだけ混み合っている公立病院が赤字で、いつも閑散としている個人診療所の医者が数千万の収入を得ているなんてのがそもそも制度的な欠陥を示している。」
 ということで、やはり現在の診療報酬制度から見直していく必要がある、というのが鍼灸院談義の結論でした。正しいのか正しくないのか、わかりませんが。個人的には、医者も含めて全ての職業が、その収入ではなくやりがいで選択されるようになるといいと思う。そのためにも努力を収入で報いる仕組みはそろそろやめた方がよくないですか。

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2008年5月 4日 (日)

環境共生住宅 シティファミリー志段味/県営山野田住宅

 名古屋市が環境型社会対応住宅のモデルとして、芸術家・荒川修作をデザイナーに迎え建設した志段味循環型モデル住宅「シティファミリー志段味」。建設前からその奇抜なデザインはこの地域の専門家の注目を集めていたが、完成後も期間限定の試験入居募集を行うなど、一時かなりの話題となっていた。最近はこうしたブームも一段落していたが、今年1月に名古屋市が、このモデル住宅を含む一帯約3.2haにおいて木造住宅を含む約200戸の循環型社会対応住宅を建設すると公表し、再び注目を集めている。
Imgp5857 この地区は、私の家からも近く、名古屋へ出る際の幹線道路沿いなので、今までもよく通ってはその奇抜な外観を眺めていたが、先日初めて道路脇に車を止め、住宅の内外を見て回った。
 全部で7戸の小さな住宅だが、全部で4棟に分かれる。このうち北東に位置するA棟が荒川修作デザインの2階建ての1戸建て。A棟を取り巻くように建てられたあとの3棟は2階建ての各フロアー1戸ずつの2戸建て。まるで天命反転地のように歪曲したA棟は外観を見るだけではカラフルでもあり緑も豊かに生い茂ってたいへん楽しそうに見える。屋上緑化や壁面緑化、太陽光発電など環境要素もふんだんに取り入れられており、モデル住宅の役割を十分果たしている(ただし、建設中の苦労や曲面が多用され段差も多い平面図を見ているだけに、手放しでは褒めにくいのだが)。B・C・D棟は中庭を囲んで木製デッキでつながっており、緑の豊かさや棟の間を吹き抜ける風などで住み心地の良さを感じさせる。これらの各棟にはエコキュートやガスコージェネ、燃料電池システムなどの新技術がモデル的に利用されている。その他、透水性舗装やクールチューブ、雨水貯留、共同菜園、次世代省エネ対応の断熱性能、生ゴミの堆肥化、自然素材やリサイクル材の使用などが試みられている。
 今回、外から見ただけでも、環境共生住宅の楽しさの一端を窺うことができたが、建設・費や維持管理費は相当な額になるはずで、モデル住宅と銘打つのであれば、こうしたデータはぜひ積極的に公開してほしいと思う。ちなみに、今回公表した循環型社会対応住宅の建設地に南東側では既に名古屋市住宅供給公社による環境配慮住宅が分譲され完売している。この住宅の建設にあたっては、モデル住宅の実績は活用されたのだろうか?
Fitimgp5867 この後、少し足を伸ばして、県営山野田住宅にも立ち寄った。こちらは公営住宅ということもあり、最小限の建設投資しかされていないが、愛・地球博開催時の外国人用宿舎として一時利用されたこともあり、環境共生住宅としての工夫がいくつか凝らしてある。外から見て一番目立つのが、妻面に施された壁面緑化。8階建ての最上階には太陽光発電も乗せられている。住棟の北側にある平屋の共用棟(集会所、自転車置場等)の屋上には木製デッキの間に緑化がなされ気持ちいい空間となっている。その他、雨水貯留や透水性舗装、LED照明、リサイクル材の使用などが取り入れられている。志段味循環型モデル住宅に比べればかなり見劣りするが、公営住宅として活用されていることを考えれば、現実的な取組みと言える。しかし、建設費や維持管理の問題から全ての県営住宅で同様の仕様を取り入れるわけにはいかないようで、その点は残念。
 これまでも、サンコート砂田橋など環境に配慮した住宅もいくつか見てきたが、これらがモデルとなり、一般的な手法としてもっと多くの住宅で採用されるようになるといいと思う。そのためにも行政にはもっと積極的な情報提供を期待したい。

 その他の画像は、マイフォト「環境共生住宅 シティファミリー志段味/県営山野田住宅」をごらんください。

(参考)
志段味循環型モデル住宅見学 【愛知建築士会「わたしらしい住まいづくり」】

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2008年5月 1日 (木)

郊外の社会学

 先に読んだ「団地が死んでいく」では、「郊外団地を救うのはコミュニティ」という一般論が述べられていた。「コミュニティを再生する」とは耳に快い言葉だが、現代社会における郊外団地において「コミュニティ」とはなんだろうか。我々は郊外をいかに生きているのか。
 本書では、郊外生活の実質的な貧しさやコミュニティの希薄さ等による郊外問題の発生を述べる、三浦展の『「家族」と「幸福」の戦後史』や宮脇檀の『都市に住みたい』などを再三引用しつつ、こうした今やステレオタイプと化した郊外観を批判的に検証していく。そして、郊外都市である町田市の旧地主の子どもとして育ち、現在はつくばエクスプレス沿線の典型的な郊外住宅地に新住民として暮らす自身の経験を引きながら、現代社会と郊外居住の関係をじっくりと紐解いていく。
 郊外とは何か。それは、都市や農村にかつてあった伝統や地縁を持たず、それらのしがらみの先に合理性や先進性といった「いまだ来たらぬ」夢や未来を期待する場所。都市との間の中心/周縁性と、マイホームという「家庭」家族と田舎とつながり続ける「家」家族という二重関係の中に生きる存在。失われたコミュニティの再生という神話や広告の心地よいコピーライトといったメディアの言説に確信的に踊らされることにより自らの存在を肯定しようとする生き方。
 我々の多くは既に郊外で長く生活を続け、その中で生まれ育ち独立して新たな生活を始める郊外二世までが生まれている。地方で暮らし続ける人も多くは郊外居住者と変わらぬサラリーマン生活を送り、そうでない者もすっかり大衆消費社会の中で生きている。いまや郊外生活は現代日本人全員の標準的な生活様式であり、現代社会の生き方そのものである。副題の「現代を生きる形」というタイトルがまさにそのことを示している。
 こうした認識の下で、現代社会の生き方を語り、住まい方を明らかにする。そこには郊外こそが諸悪の根源といった郊外蔑視ではなく、郊外も含め現代社会の病巣や矛盾を真摯に見つめようとする冷静な社会観が伺える。読んでいて発展性を感じる楽しい書物だ。

●確固とした伝統も歴史もあらかじめあてにできない場所で、それでも他人とかかわり、自己の幸福や満足を希求し、さまざまな打算やごまかしも織り交ぜながら、人は他者たちとある関係のつながりを作り、そのつながりが時のなかで折り重なっていく。そんな人びとの空間的かつ時間的なつながりのさまざまな形や様相が「社会」である。(P037)
●かくして郊外という都市の周辺であり、都市と農村や地方の間である場所は、かつてあったものが「もはやないこと」と、新たに到来すべきものが「いまだないこと」の間の両義的な場所として現れる。(P066)
●郊外は中心都市との関係において郊外たりえる。だがここで見てきたように、都市に出てきた人びとが営む「家庭」家族を中心とする「マイホーム」の空間である郊外もまた、「いなか=故郷」や、郊外のなかに古い地層としてあり続ける「家」家族との関係のなかにもある。(P131)
●こうした町内会の祭りや盆踊りは、・・・かつてあった村や地域の祭りや、明治以降に地域のイベント化した運動会をモデルとして、そこにたしかに「地域」があることを演出し、上演するイベントなのだ。(P138)
●共異体=共移体を生きる人びとにとって、共通の文化や環境は地域の中にではなく、地域を越えたメディアや大衆消費文化のなかにあるのである。(P180)
●郊外を生きるとは、郊外という具体的な場所と社会で、現代の社会を生きるということだ。(P206)
●郊外とは、互いに異なる属性や利害をもつ人びとが、たまたま住むことを選んだ場所であり、広い領域を日々移動しながら共にある、共異体=共移体化した社会における住まい方と生き方の場所である。(P218)
●かつてそこにあったものも、そこで起こり、生きられたことも”忘れゆく場所”であること。互いに互いを見ない場所や人びとの集まりや連なりであること。そこに郊外という場所と社会を限界づけるものがあると同時に、人びとをそこに引き寄せ、固有の神話と現実を紡ぎ出させてきた原動力もある。そんな忘却の歴史と希薄さの地理のなかにある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということなのだ。(P221)

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