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2008年6月 5日 (木)

西村幸夫 風景論ノート

 景観法施行の前後に西村先生がさまざまな雑誌等に書き連ねてきた論文等を集めてできた本である。副題の3つの言葉がそのまま全体3部構成の内容となっている。すなわち、景観によるまちづくりをテーマにした「第1部 都市風景の恢復と景観まちづくり」、町並み保全によるまちづくりを扱った「第2部 地域資産の顕在化と町並み保全型まちづくり」、都市再生の潮流や方向性をテーマにする「第3部 都市の再生とコモンズの復権」である。中でも今後のまちづくりのキーとなるのは「コモンズである」というのが西村先生の認識。それに異論はない。ただ、なかなか急には世の中がそうはならないのがジレンマ。でも少しずつ社会はその方向に動いている、ということをいくつかの事例等を示し重ねながら、勇気づけてくれる。
 第1部は正直なところ、景観法に沿った観念論が続き、少しウンザリ。第2部で少し目先が変わって興味がわき出し、第3部は一気に読み終えた。景観やまちづくりに対する確かな目は変わらない。加えて、世界各国の都市保全・再生施策や世界文化遺産に係る話題まで網羅する。さすが、読みごたえのある1冊。途中で挫折しそうになりつつもがんばって読み通した。

●日本人一般がコモンズの感覚を喪失してしまったわけではない。都市風景がコモンズの対象とはならなくなってしまったところに問題が所在しているのだ。・・・私的財産の権限が強かったから都市風景が混乱したのではない。都市風景を公共的なものだと感得できなくなったことによって、結果として私有財産の権利の膨張を抑える心理的メカニズムが機能しなくなったのである。(P006)
●滋賀県近江八幡市の名物市長であった川端五兵衛氏から先日おもしろい話を聞いた。-地元の人々が景観の問題を意識していく経過には五つの段階があるというのである。/最初はまったく無関心の段階。・・・第二段階、すなわち気づきの段階、景観の意識化の段階・・・「この景色はみんなのもの」という主張が生まれてくる段階。・・・「この景色はわたしのもの」と主張する段階・・・最後の第五段階は、・・・「この景色はわたしたちのもの」とする段階(P071)
●町並み保全運動の近年の傾向として、「第一に「特別な町並みからなにげない町並みへ」という保存対象の拡がり、第二に「なにげない町並みから暮らしの思いをすくい取る」という保存対象の深まり、第三に「町並み保存運動から町並み運動へ」という運動論自体の深まり」の3点があげられる。(P152)
●現在私たちが課題として直面している都市の再生-ルネサンスも、究極的には人間中心の文化運動であることによって都市の可能性を幅広く展望してくれるものになるだろう。都市の再生とは、そこに住む人々の再生、その豊かな生活スタイルの復興にほかならないからである。(P197)
●したがって今、望ましい都市空間を実現するという「空間達成型」の都市計画から、望ましい都市空間とは何かという合意に至ることを重視する「諒解達成型」の都市計画へのパラダイムシフトが望まれる。(P216)
●都市空間の成立と変容のメカニズムには三つの異なった原理が働いていると考えることができる。すなわち、居住・経済・統制の原理である。(P244)
●ローカルなルールを定めようとすると、それは一律的なものにならざるを得ない。・・・こうしたジレンマを克服して、統治原理まで一歩踏み込んだ新しい次元のまちづくりを実現させることは可能なのか。・・・その答えは、ルールの内容にあるのではなく、ルールのあり方に見出せるのではないだろうか。つまり、答えはルールを合意するに至るプロセスをマネジメントすること、すなわち合意形成の仕組み自体にあるといえる。(P253)

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