現代思想のパフォーマンス
神戸女学院大学文学部の二人の英才、難波江和英氏と内田樹氏とによるソシュールを始めとする6人の現代思想家(他に、バルト、フーコー、レヴィ=ストロース、ラカン、サイード)の解説書である。解説書であるが、案内編、解説編に加え、実践編が加わっている。解説された各思想を映画や小説評論に適用することで、今まで漫然と読んでいた作品がいかに違った映像でくっきりと見えてくるかを実践し示している。
まえがき、あとがきでも書かれているが、基本的に現代思想に関心を持つ学生や院生を対象に、現代思想への誘引を目論んでいる。今まで読んだどの解説書よりも非常にわかりやすく書かれている。しかし「新書版のためのあとがき」の最後には、「中には、かなり単純化した解釈を施しても見せたものもある。でも、それはその解釈で『解釈を終わらせる』ためではむろんない。そうではなくて、読者の中に『そんなわかりやすく書いていいんですか、ほんとに?』という懐疑を誘発するためなのである。その懐疑から、みなさんのパフォーマンスは開始されるはずである。」(P430)と書かれている。そう、あくまでよくできたプロバガンダ書なのである。
そう言われても、若いみなさんと違って、この年になってこの本を読んだ私としては、新たなパフォーマンスを開始する元気はないが、いつまでも書棚に並べて、何か疑問が出たときに振り返る本として重宝することになると思う。よくできた本である。
●夢は、わたしたちが知らなかったことを教えてくれるのではなく、わたしたちが知っていたにもかかわらず、知らないと思いこんでいたものを思い起こさせてくれる。(P65)
●わたしたちは「あるがままの事実を見ている」のではなく、「解釈された意味を読んでいる」。そのことを絶えず自分に言い聞かせておかなければならない。「ソシオレクト」と「神話」の檻の幸福な囚人でありたくないなら、わたしたちは自分たちとはちがう解釈の仕方でも世界は「読める」という事実を絶えず思い起こさなくてはならない。(P110)
●分析医のところに来る患者はある意味で「石化」している。患者は経済活動ができないか、コミュニケーションができないか、愛を成就できないか、(レヴィ=ストロースの言う)「交換の三次元」のどこかで停止している。治療とは、患者をその停止状態から動かし、交換の運動に巻き込むことである。(P313)
●鏡に映ったイメージは、どう言いつくろうとも「私そのもの」ではないからである。つまり、人間は「私ならざるもの」を「私」と誤謬することによって「私」を形成するのである。「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保されており、「私」の原点は「私の内部」にない。これが人間的事況である。(P315)
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