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2008年9月

2008年9月27日 (土)

治療塔惑星

 大江作品の中で女性が語り手となることは少ない、と前作「治療塔」の解説に書かれていた。今作品の解説では、まさにその女性性こそが本書のテーマではないかと書かれている。治療する者としての女性の存在を「治療塔」になぞらえていると。
 そう言われれば、そのように読むこともできるが、私としては、語り手であるリッチャンとお祖母さんが、治療塔を巡っての活動や戦争すらする男たちを見守りつつ、自分たちは自然の摂理に従って老い、死んでいこうと言うところに興味が引かれた。世界宗教の構想なども描かれているが、治療塔とは果たして人類にとっていかなる存在なのか。
 前作の感想にも書いたが、大江健三郎にしては大変読みやすい作品だ。これが書かれたのは、「燃えあがる緑の木」の前(ノーベル賞受賞前)の1991年。もう17年も前のことだが、ようやく文庫本となり、こうして私たちの前に読みやすい形で帰ってきたのはうれしいことだ。

  • しかしリッチャン、私らはやはりこの現実世界に生きておるのであって、苦しい失望をするかと思えば、桜の花ざかりにも出会うわけですもの。いのちなりけり、ですよ、なんとかがんばりましょうな!(P86)
  • 私はタイくんより早く、朔ちゃんよりも早く老いて、自然な生き死にの過程を辿りたい。そのなかでなければ自分のものにならない老いさらばえた年を、犬の尻尾のようにくっつけて、死のおとずれを空のちぎれ雲か鳥のさえずりと受けとめていたい・・・ むしろその上でこそ本当に新しい生命の再生があることを、イェーツの詩はあらわしている。(P161)
  • 自分は広島の「原爆ドーム」にまさに「崇高なもの」と「無気味なもの」を見出したと思う。しかもその時点で、自分はそれを「治療塔」に結んでもいた。そのように受けとめる時、じつは自分がはるかな以前から「治療塔」に慣れ親しんできたと感じるのだ。それも大出発につづく「新しい地球」での「治療塔」経験すらの、はるかに以前から・・・(P248)

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2008年9月20日 (土)

ハイエク

 有名ブロガーでもある池田信夫の言説は、自由主義的で好きではないが、知的所有権に対する批判などには納得できる部分もある。ハイエクという経済学者については、その名前しか知らなかったが、最近耳にすることが多い。書評を読んでも好意的なものが多いので、読んでみることにした。
 池田氏によれば、ハイエクの主張も時代によって変化しているようだが、自由を信奉する姿勢は変わらない。というより、ハプスブルグ帝国が崩壊する19世紀末に生まれ、混乱と貧困の社会不信の中で育ったハイエクには、人間が理想的な社会経済をコントロールできるとする社会主義的な考え方に対する不信感が根にあると言える。そもそも社会全体の目的が特定できない、という指摘が繰り返されるが、その中で、自由を保障することで、社会は進化論的に変化するという思想はわからないではない。
 しかし、たぶんそれは人間社会を生き延びさせる上で最適な社会システムかもしれないが、そのシステムが人間にとって幸せかどうかはわからない。いや人間もそれぞれで、全員が幸せな社会なんてないだろう。
 インターネット社会を肯定する池田氏の思想は理解するが、それを支持することが自分自身の幸せにつながるかどうかは自信がない。人は正しい理論を認めるのではなく、自分に有利な理論を認めるものだから。しかしわからないでもない。池田信夫Blogをこれからもウォッチしていこう。

  • ハイエクにとっては、市場の問題は長期的には市場が解決するはずだったが、ケインズにとっては「長期的にはみんな死んでしまう」のだ。(P44)
  • このように自由度を最大化するようなルールが望ましいというハイエクの発想を、ハイエクは「ルールの功利主義」と呼んでいる。つまり、効用を最大化するという目的には意味がないが、人々の自由度を最大化するルールを設計することが、自由な社会を建設するためには重要なのである。(P136)
  • 彼は「不安定な職業についている人々に万一の場合の最低生活を保障する」ことは否定しないが、その措置は市場のルールとは別の例外的なものであり、社会正義といった大原則から導かれるものではない。(P165)
  • 「ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の魔物をもう使いこなせなくなった」のだとすれば、それをふたたび地下に戻すことはむずかしい。このグローバル資本主義という魔物とうまくやっていくためにも、その基本思想であるハイエクを理解することは役に立つだろう。(P196)

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2008年9月17日 (水)

季刊サッカー批評 40

 「欧州サッカーを疑え!」。サッカー批評誌、久しぶりの海外サッカー特集だ。「日本が先進国から学べることをリアルに考える」という副題が示しているのは、単に技術や戦術を学ぶだけではなく、クラブ運営に係るGMへのインタビューやドイツ、イングランド等のリーグ運営などを取材する。それもよい例を取り上げるだけでなく、イタリアやプレミア・バブルへの疑義など批判すべき点は批判しようという姿勢を明らかにしている点が面白い。
 そして、先日亡くなった長沼健氏への追悼記事。大分トリニータの胸スポンサー問題。海を越えてきたフットボーラーのズドラブド・ゼムノビッチへのインタビューも興味深い。
 ところで今号で紹介された書籍はどれも面白そう。そうだ、読者プレゼントに応募しよう!

  • リーグ1で経験を積んだ僕が話せば”人”の話も聞いてくれるでしょ?いまはそのためのネタを仕込んでいるんですよ(P028)
  • (1)サッカーはやって楽しむことが第一義的なもの。(2)スタジアムに行って楽しむのが第二義的なもの。(3)テレビで試合を楽しむのが第三義的なもの。(4)雑誌を読んで楽しむのが第四義的なもの。(P077)
  • 現在のチェアマンは我那覇を冤罪で苦しめたときもいたずらに時間をかけ、見解もブレまくった。・・・問題をしっかりと正面から向き合おうという気概がない。内規で保障されているチェアマンの絶大な権力は、保身と恫喝のためにあるわけであるまい。(P085)

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2008年9月12日 (金)

地震と防災

 地震発生のメカニズムや地震の特性、震度観測の変遷と現状から、地震災害の歴史、地震研究の歴史や内容と最新の知見、耐震設計や地震動予測、さらには地震教育に至るまで、地震と防災に係るあらゆる最新の知識が非常にわかりやすくかつバランスよく整理されており、入門書として、また最新の成果を確認したい者にとって、最高の著書である。
 「なぜマグニチュードは地震発生後すぐに発表できるのか?」「原子力発電所の設計はどうなっているのか」といった私が日頃から疑問に思っていた事柄に対して明快な答えを与えてもらえただけでなく、「阪神淡路の”震災の帯”の原因」や「全壊の定義の変化」「活断層の本当の意味」など今まで知らなかった情報や知識も満載で、「面白くタメになる」とはまさに本書のためにある。
 最近、中国四川地震や岩手宮城内陸地震などの衝撃的な地震が多発している。マスコミは地震災害に対して相変わらずヒステリックな報道を繰り返しているが、適切な耐震対策を講じておけば現状でもある程度安心できる状況にあること、また日頃からの自然への愛情と理解が真の防災につながる道であることなど、この本を読んでこそ、地震に対して客観的かつ冷静に観察し対応できる気がしてきた。多くの人に本書を読むことを勧めたい。

●仮に距離100キロメートル相当の地点にウッド・アンダーソン型地震計があったとしたらどのくらいの最大振幅値になるかでマグニチュードを定義したのである。・・・マグニチュードMを地震のエネルギーに換算することがよくあり、Mが1違うとエネルギーが30倍違うといわれる。これはまったく後付けの解釈で、地震波の放射エネルギーを正確に評価するのは、現在の地震学の技術をもってしてもそれほど容易なことではない。(P87)
●震源断層が繰り返しずれ動き、何度も同じところで地表地震断層を生じた結果生まれる地形の傷跡のことを、活断層と呼んでいる。(P101)
●昭和25年ごろを境にして全壊の定義が緩くなり、その傾向は現在まで続いている。昭和21年に内閣から当用漢字表が告示され、・・・このため”全潰”と書かれていたものがすべて”全壊”と書かれるようになった。このことが定義の変化をもたらしたと指摘する人がいるが、・・・漢字が変わったからといって勝手に定義を変えてもいいというものではない。(P188)
●新基準で建てられたものでは震度6強で全壊するものはほとんどなく、震度7でも大多数は全壊しないものと推定される。(P191)
●盆地の縁、山の麓には必ずといっていいほど活断層がある。地震がなければ盆地も生まれず内陸部に都市ができることもなかった。(P217)

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2008年9月 9日 (火)

ローマ人の物語12 迷走する帝国

 「ローマ人の物語」文庫版の最新巻「迷走する帝国」が発刊されたのでさっそく購入。時代はいよいよ3世紀、五賢帝に続き何とか帝国の権力を保っていたセプティミウス・セヴェルス帝が倒れ、皇帝はカラカラ帝に引き継がれる。しかし失政を重ねる中、謀殺によりその治世はわずか6年で終わり、次々と新しい皇帝が立っては代わっていく混迷の時代に入っていく。
 混迷の要因は、皇帝の失政ということもあるが、蛮族の侵入の激化やササン朝ペルシアの興隆などの外的要因による部分が大きい。こうした環境変化に対して、相変わらず無責任にして体面ばかりを重んじる元老院と属州で蛮族等との戦いに奔走される軍団との確執の中で的確な対応ができず、ますます衰退への歩みを早めるローマ帝国。73年の間に22人もの皇帝が次々と現れ消えていく物語は、読んでいる限りでは変化に富んで面白い。そしてその姿に、現代日本を重ね合わせてしまう読者も多かったのではないか。
 「ローマ人の物語」を通して個人的に関心があったテーマの一つに、「多神教が特徴であったローマ帝国が、なぜキリスト教を受け入れ、キリスト教国家に変貌していったのか」がある。次巻で取り上げられるはずのコンスタンティヌス大帝の時代に、キリスト教の公認があり、そこからローマ帝国のキリスト教国化が始まるが、その要因はこの3世紀にあるとして、第二部第三章「ローマ帝国とキリスト教」でこの問題を取り上げ考察している。結論的に言ってしまえば「ローマ帝国の衰退が始まったから」ということではあるが、ローマ史を取り上げた歴史家のギボンとドッズの批評を取り上げつつ、筆者独自の考えを重ねて書かれた内容は興味深く、かつ説得力がある。
 いつの間にかこのシリーズは年1回発行となったようだ。それくらいがちょうどよいかもしれない。次巻は来年のお楽しみ。

●属州民とローマ市民の境を撤廃したことで、「アントニヌス勅命」はかえって、ローマ社会の特徴でもあった流動性を失わせてしまったことである。(上P47)
●平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねない(中P129)
●不安に満ちた時代に生きる人々は、寛容でリベラルなものよりも、不寛容で全体主義的でさえある信仰のほうに、より強く魅きつけられるものなのである。(下P184)
●キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。(下P207)

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2008年9月 6日 (土)

ダイコン、ハクサイの種蒔き

Hatake0809
 ニンジンに続いて、今週はダイコンとハクサイの種蒔き。少し余った畝にはコマツナを蒔く。先週蒔いたコマツナからは早くも芽が出て、摘み菜にしてさっそく食す。美味。ニガウリ、ピーマンも今が旬。畑仕事した勢いで、わが家の庭の草取りをしたら疲れた。

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2008年9月 5日 (金)

ニンジン種蒔き

Hatake0808 今年はナスとトマトが豊作。今までなかなかうまくできなかったトマトがたくさん実をつけたのはうれしかった。ナスも今までにないほど巨大になって、実をたくさんつける。大きなものは70cmほどにもなった。あまりに茂るので思わず剪定してしまった。バッカじゃない、と言われた。
 ようやく一時の猛暑が治まったら、今度は豪雨に長雨。雨の合間に畑を耕し、畝を作って、ニンジンとコマツナ、ミズナの種をまいた。うまく育つといいな。

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