治療塔惑星
大江作品の中で女性が語り手となることは少ない、と前作「治療塔」の解説に書かれていた。今作品の解説では、まさにその女性性こそが本書のテーマではないかと書かれている。治療する者としての女性の存在を「治療塔」になぞらえていると。
そう言われれば、そのように読むこともできるが、私としては、語り手であるリッチャンとお祖母さんが、治療塔を巡っての活動や戦争すらする男たちを見守りつつ、自分たちは自然の摂理に従って老い、死んでいこうと言うところに興味が引かれた。世界宗教の構想なども描かれているが、治療塔とは果たして人類にとっていかなる存在なのか。
前作の感想にも書いたが、大江健三郎にしては大変読みやすい作品だ。これが書かれたのは、「燃えあがる緑の木」の前(ノーベル賞受賞前)の1991年。もう17年も前のことだが、ようやく文庫本となり、こうして私たちの前に読みやすい形で帰ってきたのはうれしいことだ。
- しかしリッチャン、私らはやはりこの現実世界に生きておるのであって、苦しい失望をするかと思えば、桜の花ざかりにも出会うわけですもの。いのちなりけり、ですよ、なんとかがんばりましょうな!(P86)
- 私はタイくんより早く、朔ちゃんよりも早く老いて、自然な生き死にの過程を辿りたい。そのなかでなければ自分のものにならない老いさらばえた年を、犬の尻尾のようにくっつけて、死のおとずれを空のちぎれ雲か鳥のさえずりと受けとめていたい・・・ むしろその上でこそ本当に新しい生命の再生があることを、イェーツの詩はあらわしている。(P161)
- 自分は広島の「原爆ドーム」にまさに「崇高なもの」と「無気味なもの」を見出したと思う。しかもその時点で、自分はそれを「治療塔」に結んでもいた。そのように受けとめる時、じつは自分がはるかな以前から「治療塔」に慣れ親しんできたと感じるのだ。それも大出発につづく「新しい地球」での「治療塔」経験すらの、はるかに以前から・・・(P248)
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