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2008年10月19日 (日)

ブログ論壇の誕生

 私も末端のブロガーの一人だと思うけど、佐々木氏の今回の著書では、ブログ世界で繰り広げられる言説がリアル社会を変えていく可能性と限界を、既成メディアや社会システムを牛耳る団塊世代とロストジェネレーション世代の対立という視点を持ち込みつつ、考察していく。
 小泉内閣の郵政民営化選挙の際に果たしたインターネット世界の影響に逆に嫌気が指したという中高年も多かっただろうが、その時をピークにブログ論壇の力が弱まったという指摘に対して、それは単に対立的なテーマがなかっただけで、新たな論壇テーマが現れれば、再びその実力が発揮されるだろう、と著者は言う。
 ネット論壇を担っているのがロストジェネレーション世代という設定が正しいのかどうかも多少疑問だが、安倍内閣・福田内閣の退陣、金融危機の勃発といった昨今の社会的状況に対して、ネット世界でどれだけの議論が巻き起こっているかかと考えても心許ない。
 「ネット論壇が公共圏へ昇華するために」というのが最後のパラグラフの項目名だが、そこまでになるためにはまだ少し時間がかかるだろう。書かれているように、新たなアーキテクチャが必要かもしれない。
 しかし書かれていることはどれもまさに「リアル」で、興味深いことこの上ない。公共圏まではいかなくても、マスコミに載らない多様な視点や立場からの意見や考え、思いを知ることができる今までにないメディアであることは間違いない。巻末につけられた佐々木氏がフィード購読しているというブログのいくつかを私も一度チェックしてみよう。

●ウィキペディアの編集行為が可視化されていれば、・・・省庁の職員や大企業の社員、さまざまな関係者・・・がいったい何を考え、どのように外界と関係しようとしているのかを認知することができるようになる。そうしたことが丸ごとひっくるめて見えてくるようになることによって、初めて人々は自分の目の前に起きていることが正義と正義の衝突なのか、それとも情報操作なのか、あるいはノイズのようなたわごとなのかを判断することができるようになる。(P55)
●ブログは、・・・書かれている内容だけを軸として、コメントやトラックバックによって議論を波及させていく。つまりは属人主義からの解放であり、「誰が書いたか」ではなく「何が書かれているか」を重視するパラダイムへの移行である。インターネット空間に生まれたこの新たなパラダイムは、マイクロ化されたデモクラシー、断片化されたポリティックスの可能性を切り開くかもしれない。・・・つまりは党派性によってではなく、課題ごとに議論が行われるような政治の枠組みである。(P69)
●人は、どこかで無条件に承認されることを本能的に求めている。・・・いまは農村も終身雇用制もなくなってしまって、承認される安息の場所としては、家族や恋人ぐらいしか残っていない。だったら家族や恋人のいない人は、どうやって自分が承認される安心感を抱くことができるのか?(P153)
●インターネット論壇がこうしたマイノリティ意識を乗り越え、「われわれの世論こそがリアルの世論である」という認識に達する日がやってくれば—そして衆愚化を防ぐ何らかのアーキテクチャを実現することができれば—いずれこのネット論壇の世界は、公共圏へと昇華していくことになるだろう。(P240)

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