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2009年1月

2009年1月21日 (水)

一時のシェルター対策が住宅施策を混乱に陥れる恐れ

 離職退去者に対する住宅提供ということで、公営住宅を提供する動きが年末から全国の自治体で始められている。派遣切りにより寮を追い出された離職退去者は若中年単身者が多いということで、本来、世帯向けと単身高齢者等しか入居対象としていなかった公営住宅に対して、国土交通省が目的外使用許可を包括的に与えるという形で実施されている。
 募集を始めてみると、名古屋市で意外に応募が少ないなど、地域的な偏在はあったものの、どこも提供できる住宅数を上回った応募があったようだ。しかし想定と異なるのは、必ずしも若中年単身者ばかりではなく、本来入居資格を有する家族世帯も多かったことだ。本来であれば、一般の入居募集に応募し、10倍以上の高い倍率による抽選を経て入居が決まるはずの世帯が、離職を免罪符に先着順や数倍程度の抽選で入居をしている。
 もちろん、今回入居したところで、半年から1年程度の期限付き入居だが、期限が来た際に円滑に退去してもらえるかどうか、公営住宅の管理担当者は戦々恐々としているはずだ。
 今回の離職退去者に対する支援は、解雇に伴い、派遣企業から提供または斡旋されていた住宅や寮から強制的に退去を迫られ、野宿もやむなしという状況に追い込まれた人たちに、緊急避難的に雨露をしのぐ場を提供するというのが本来の趣旨だった。いわゆるシェルター対策だ。シェルターであれば、派遣村に集まった人にテントを提供したり、厚労省が講堂を開放したように、一時的な施設でよかったはずだ。
 一方で、住宅が不足していたかと言えば、けっしてそんなことはなく、彼らが退去するまで住んでいた住宅は今も空き家状態のまま残っている。本来の入居資格者に対して公平な仕組みで提供されるはずだった公営住宅の空き家が、シェルター代わりに用いられ、その結果、本来の入居資格者はこれまで以上の高倍率を余儀なくされる。
 先日、住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)の方に、独立法人化後の業務内容等をお聞きする機会があった。住宅の直接融資からフラット35に転換し、それが現在の主な事業だが、最近は賃貸住宅建設融資にも積極的に乗り出しているという。しかし派遣切りが横行して以降、事業者の姿勢が慎重になり、契約数も伸び悩んでいるという。今までは派遣企業の斡旋や借り上げで埋まっていた住宅も、今後は空き家がめだつようになるかもしれない。
 これは住宅施策の観点からも非常にいびつな状態である。
 結局、この状況は、シェルター対策と住宅対策が混同されたことから始まったと言える。これを元に戻すためには、離職退去者に提供する住宅は取り壊し予定の空き住居を当て、ホームレス収容施設と同様、1住戸に3~4人を収容する賃料無料の期限付き収容施設とすることだ。こうして当面のシェルターを確保しつつ、雇用対策を講じることが本来講ずべき対策ではなかったか。
 今までも公営住宅はその時の社会情勢に応じて仕組みを改変してきたが、今回の場当たり的な対応は、住宅施策全体の再構築を要請する事態になりかねない。そんな危惧を抱く。

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2009年1月16日 (金)

住人十色

 愛知ゆとりある住まい推進協議会が昨年で設立20周年を迎えた。その記念誌として発行されたのが本誌。昨年度まで、この本の企画と作成に関わっていたが、私の手を離れた今年度、後任者や作成に関わった皆さんの尽力の結果、思っていた以上に楽しい本として完成したことをうれしく思います。
 協議会の20周年記念誌という性格上、また予算が非常に限られていたという制約から、これまでの活動をベースにした内容にする必要があった。協議会では、活動初期から「すまいる愛知住宅賞」を、2001年からは「我が家のリフォームコンクール」を開催してきたことから、これらの作品紹介を中心にしたいという提案は自然に生まれたものの、「売れるものにしたい」という強い意向があり、内容に四苦八苦。協議会会員団体からの各委員の皆さんからも、「売れる内容」にするための厳しい意見が百出し、書店に並べられた雑誌を見ながら不得意な営業検討を行った。
 各作品の紹介は、住みこなしてきた居住者の生の声を伝えたいと、インタビュー取材を元に構成。これに各賞の委員を務めていただいた笠島先生(大同工業大学教授)、小川先生(愛知教育大学教授)に最近の新築・リフォーム住宅の特徴について解説していただいた。その他、建築家の山下和正氏や東海学園大学教授の三宅醇氏の小文も掲載して記念誌としての体裁を確保しつつ、一般購読者にも役に立つ情報誌としたつもり。先生方、もう少しやさしい文章にしてもらってもよかったかな。
 結局、商業誌にくらべれば雲泥の出来になってしまったが、それでも全部で17の住宅作品を紹介することができた。通して読めば、建築主の熱い思いが伝わってくる。住まいづくりを考えている人にとっても、その楽しさや建築主としての心構え、さまざまな工夫などを知ることができる。まずまず、買って損はしないと思うけど、大甘かな?
 最後に、ご協力いただいた建築主や設計者の方々には最大限の感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。

●概要はこちら

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2009年1月14日 (水)

景観を発見する

 建築雑誌は昨年から二つの特集を設定しているのだそうだ。そういえばそうだったっけ。2009年1月号の第一特集は「新景観」。工場やダム等の土木構造物、団地など、機能第一で建設されてきた構造物に「景観」を感じ取り、ネットでの情報交換や写真集の発行、見学会の開催等の活動が最近活発に繰り広げられている。こうした活動を積極的に実施し、また評価している人たちとの対談や寄稿が集められており、何がいいのか、何故いいのか、といったことを描き出そうとしている。もっともわずかの誌面ゆえ「ほんのさわり」といった印象は拭いきれないが、彼らの意識や感覚が垣間見えて面白い。
 そもそも私も、常滑のやきもの散歩道の景観保全活動に関わり「電柱やアスファルトこそがいい」と感じたり、まち歩きをしていても洗濯物が翻るさまや植木等の表出物など生活感の感じられる景観に強く引きつけられることが多い。「住宅都市整理公団」や「団地百景」はお気に入りサイトの一つだ。
 今号の特集の中でも、映画監督の庵野秀明氏が「電柱や電線の効果」を唱えていて、同じ感覚を持っている人がいると嬉しい思いがした。
 武蔵野美術大学の佐藤淳一教授の「ドボク・エンタテイメント・インヴェンション」の中の「むしろ世の中の方が、マニアを必要としはじめたようなのである。」(P020)というフレーズにドキッとした。確かにそうかもしれない。続いて「人間は、自分が好きなものが他人も好きであることが好き、な動物なのだと思う。」と書かれている。ドボク・エンタテイメント(佐藤氏は新景観を愛でる活動をこう呼ぶ)がネット上のつながりの中で隆盛したことを考えると確かにそうなのかもしれない。すなわち、人間関係の「希薄」や「疎外」が背景にあっての現象であると。
 しかしそれだけではない。それは背景であり、そこからではなぜ「新景観」が人をつなぐ媒体として脚光を浴びているのか、を考えなくてはいけない。その答えを私は持ち合わせていないけれど、「与えられる」景観から「発見する」景観へ、と考えると一つのヒントにならないだろうか。
 今までの景観も、デザインとコンセプトを理解し同調する自分の「発見」が景観に関心を寄せる根底になかったか。景観は「発見する喜びを喚起する」と考えると、「見る」という人間感覚と密接に結びついた心理作用を喚起する現象と捉えることができる。「景観」はまさに「見える」ことにその本質がある。景観が「発見」される時、そこにはいつも「新景観」が現れていると言えるかもしれない。

●日本の町並みが美しければ、確かに電柱は邪魔かもしれませんが。無秩序な街を無秩序でもって排している方がまだいいと思います。(P008)
●ドボク・エンタテイメントでは、そんな見立てを使って、対象と人間の間に、意識を交流させるための橋を架けるようなことをしているのではないだろうか。(P021)

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2009年1月 8日 (木)

住宅瑕疵担保履行法を考える

 「建築ジャーナル 2008年12月号」が「住宅瑕疵担保履行法、素朴な疑問」と題した特集記事を組んでいる。建築ジャーナル誌は、行政に対して批判的なスタンスを取ることを専門誌としての基本的な編集方針としているので(一方で巻末の建築最新事情で取り上げる建築設計事務所特集が営業方針を示していて面白い)、ある意味読者の読解力を試されているようで、ついつい真剣に読んでしまう(実は戦略に乗せられているのか?)。それで、住宅瑕疵担保履行法である。
 保険法人5社とハウスメーカー7社へのアンケートデータの後に、国交省住宅瑕疵担保対策室長へのインタビュー、「保険の加入有無は消費者の自己責任で選べばいい」と題する設計者のコラム、的確な監理を実施していると自負する3人の建築家と西川編集長による座談会。そして(財)住宅保証機構へのインタビューで構成されている。
 基調は、コラムのタイトルにあるように住宅瑕疵担保履行法に対する批判である。4人の座談会では主に保険制度の技術的な事項に疑義が挟まれている。保険会社の2回検査に意味があるのか。保険金はちゃんと支払われるのか。保険会社の「設計施工基準」は適当なのか。最後に、「2回の検査で10年間保証する仕組みがいいのか、それともきちんとした監理でもって100年保つ住宅がいいのか。」というアジテーションで終わっている。
 確かにきちんとした監理は重要であるし、監理がされていないことを前提とした仕組みに対して疑義を挟みたい気持ちもわかるが、実態に合わせた制度設計という前では、現実性に欠ける。監理業務の位置付けと瑕疵担保保証との関連は深いが、向いている方向が違うので、別の課題として議論すべきではないか。「保険制度に監理業務の実施状況を反映させろ」というのが正しい方向であり、その具体的な提案が欲しい。
 しかし実際は難しいだろう。私はいっそのこと検査もなく一律保険対象とし、保険会社毎に住宅性能表示制度等と関連させた割引制度を検討してもらうのがいいのではないかと思っている。保険会社の検査や技術基準に対する疑義というのはよくわかる。官僚や学者に本当の意味での技術力がないというのは定説である。その上に制度を組み立てるから、「天下り機関のための保険制度」という批判が出てくる。官僚や保険会社は技術力を民間に開放し、その上で制度構築を図るのが適当と考える。
 一方、コラムには興味深い指摘もいくつか見られる。完成戸数が増えるほど供託金額が低下する仕組みに対して、「1万棟も建設すれば1棟当たりの補償額は44,000円になってしまう。同一仕様で建設する大手メーカーが倒産した場合、これで本当に大丈夫なのか」という問いは説得力がある。竣工棟数の多い事業者の負担を増やし、棟数の少ない業者の負担を減らす逆算定の提案も興味深い。供託金額設定の考え方を明確にし、必要に応じ政策的な誘導効果を挟むという考えには一考の価値がある。
 基本的に、私はこの法律の目的自体は間違っていないと考えている。理想的には、建築基準法を廃止して、建築基本法を定め、集団規定に関する建築許可制度と単体規定に関する保険制度に2本化すべきで、住宅の瑕疵担保は後者の中心的な制度となるべきだと考えている。こうした考えからすれば、住宅瑕疵担保履行法は建築基準法と並ぶ重要法規である。
 建築ジャーナル誌は、2008年3月号で『特集版 建築基準法「先進国」はどこだ?』という特集を組み、西川直子編集長自ら「建築基準法 問題解決策はこれだ!」というコラムで、私と同様の提案をしている。「景観・都市計画的建築審査と安全性・技術的建築審査を二段階にすることを提案したい」。後者の建築審査は、専門家による任意審査であり、この結果が融資制度や損害保険制度に直結する仕組みだ。「融資制度や損害保険制度がしっかりしていれば姉歯物件住民の悲劇はなかっただろう。」と書いているが、全く同感だ。そのための住宅瑕疵担保履行法である。だとすれば、ヒューザー事件(ディベロッパー倒産による住宅購入者損害の発生)再発防止の観点から評価するという視点もありうる。
 座談会では、この視点から見て、「故意で重過失だったヒューザーの場合は、保険金が支払われないのではないか」と保険制度の欠陥を指摘している。もし今後そういうことがあれば、保険会社が批判されるであろうが、国交省は「そんなことはあり得ない。適正な対応を指導する。」というだろうから、実際どうなるかわからない。法制度に瑕疵があるのだろうか。
 住宅瑕疵担保履行法はいよいよこの10月から供託または保険加入の義務付けがスタートする。完成物件から適用だから、既に対象となる住宅の着工が始まっている。建築基準法に基づく確認審査の厳格化に伴う官製不況が話題となり、国交省も新制度の適用スタートには神経を使っている。しかし、供託や保険加入を義務付けることによる経済的な影響は少なからずあると考えた方がよい。ましてやこの世界同時不況である。日本の建築審査制度の根幹に関わる制度だと思っている。是非ともうまくスタートを切って欲しい。だが大丈夫だろうか。前途多難、不安満載というのが、実質スタート半年前の偽らざる感想だ。

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