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2009年2月

2009年2月15日 (日)

建築史に何ができるか

 全国で町並み保存の活動が次第に活発になってきている。私自身が多少なりとも関わってきたまちもある。しかし多くの場合、そうした活動に関わっている先生は、都市計画系の先生や社会学の先生だったりする。東大の西村先生しかり、名市大の瀬口先生しかり。古い建築物の調査に専門的に携わっている建築史の先生がまちづくり活動に積極的に関わっているという話をこれまであまり聞いてこなかった。
 西先生のことは最近その名前を聞くようになった。この本を手に取ってみたら、先日見学した鵜沼宿の調査も手掛けられている。ぜひ行きたいと考えていた松代に町づくり研究所を開設したという。是非読みたいと本書を手に取った。
 全体は4部構成。「町並み調査と町づくり」と題する第1部では、平戸、江津、松代、壱岐勝本、鵜沼宿、長井(山形県)での経験を紹介している。第2部の「蘇った建物」では、足利学校、旧染井能舞台(横浜市)、三渓園旧原邸、佐賀城本丸御殿、出島オランダ商館の実例を紹介する。第3部「文化を守り、町をつくる」、第4部「建築史に何ができるか」は前出の事例を踏まえた考察だ。それらはいずれも基本的に既出の雑誌等からの抜粋である。しかし単に掲載されているだけでなく、その当時の意図や意味が添えられている。それも、調査報告書のような学術的なものもあれば、講演会記録、座談会、ポエム形式のものまである。きわめて多様で面白い。かつ文章が平易で読みやすい。訴えたいことがストレートに伝わってくる。とてもいい本だと思う。
 筆者が訴えたいこと。その一つは、「私たちが大切にしたいと感じたら、それが文化財ですよ」ということ。そして、「町並み調査は町に返しましょう」ということだ。とてもシンプルだが大切なこと。それを実践している西氏の姿勢に感服する。建築史にできること。それは建築することの心を知り、謙虚になることかもしれない。先生の心が伝わってくる良書である。

●町並みを整備するにはどうしたらよいだろうか。・・・歴史的な背景をきちんと認識し、平戸の町並みの歴史的特色を正確に把握した上で、それを生かして整備すること、これしかない。そのためには、平戸の町並みの歴史をよく知らねばならない。町並みを構成してきた建物はどのようなものであったのか、これを知らねばならない。町並み調査は、そのために実施されるのである。(P022)
●どんな重要な建物も「指定されるまでは指定されていない」のだ。かといって、指定された途端に価値が出るわけではもちろんない。つまり、指定だけが価値判断の基準ではないのだ。自分たちが大切だと思うもの、それこそが文化財である。私はそれを庶民文化財と呼んでいる。(P036)
●一番大事なのは、町の方たちにとって住みやすいこと、これを基本に据えないとうまくいかない。・・・まずどんな場合でも、町民が主体です。(P038)
●建築とは何か、よい建築とは何か、これを考えるために歴史を勉強する。(P124)
●あなたが町を、水辺を、緑の森を、あるいは社寺などの歴史的建造物を見て「素晴らしいな」と感じたら、それはすべて優れた景観であり、あなたはそれを所有し、保全する仲間の一人にすでになっている。横浜をよりよくしていくデザイナーの一人になっている。(P198)
●研究者は、調査は自分の研究のためにやると思っている人が多い。そういう人が得てして結果を地元に還元すべきだ、などと言う。ほんとうはそうではない。地元のためにやる。地元と一緒に、地元と力を合わせてやる。わかったことはすぐ地元に報告する。成果は自動的に地元のものになる。(P218)

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2009年2月13日 (金)

英国の社会的住宅制度に学ぶ

 世界の公営住宅施策シリーズ、第3弾はイギリス。中京大学の岡本祥浩教授にお話を伺った。
 イギリスと言えば、サッチャー政権下の公営住宅の払い下げが有名だ。この背景として、「国民が持ち家所有を望んでいる」というのが公式には政府見解だそうだが、ロンドン病と言われる経済低迷を前に、世界の投資をロンドンに呼び込むための規制緩和や市場競争原理の導入による行政の分割・民営化、さらには住宅の自己所有化により国民の保守化を促進するといった新保守主義政策の流れの中で断行された。
 払い下げの推移と現状であるが、払い下げが始まった1980年代当初に一度ピーク(82年約24万戸)を迎え、いったん落ち込んだ後、80年代後半に処分価格の引き下げ等により再度ブーム(89年約20万戸)を迎える。90年代に入ってからは年5~10万戸で推移している。人気のあった戸建てや二戸一は早々に売れ、今は共同住宅のフラットばかりが残っているそうだ。最近は、入居者への個別払い下げではなく、HAなどの大家へ売却することも行われているが、最終的に低所得者ばかりが残り、住環境の悪化が問題となりつつある。また、払い下げを受けた者もその後ローン破綻するケースがあり、問題になっているとのことだった。
 イギリスの公営住宅制度がどういう形で運営されているか、例えば入居資格や家賃の仕組みを聞いたが、自治体毎に異なるようである。公営住宅入居者の収入分布というデータがあり、当然低所得者が多いものの、平均的には収入分位10段階の4~5段階程度になるようなので、日本のように低所得者に特化しているわけではない。また、20年ほど前の話として、家賃は市場家賃を徴収し、別途家賃補助をしていたという話もあった。住宅の一人あたりの部屋数は2.5部屋で、老朽化や衛生状態に対する不満もそれほど高くなく、住宅単体の質はある程度確保されているが、住環境に対する不満や不安が大きい。
 スラム化する住環境への対策は、EUからの地域再生補助金を活用し、持ち家や商業施設等も含めた総合的な地区再生や職業訓練等のソフト事業が行われているようだ。
 入居申し込みであるが、基本的にはウェイティング・リストに登録し、順番を待つことになる。1977年のホームレス法改正により、ホームレス優先枠が設定され、通常のリストには非常に長い列が連なることになったが、90年にロンドンでホームレス収容施設が積極的に建設された結果、96年に再度改正され、現在はウェイティング・リスト方式に戻っているようだ。ただし選別方法等は自治体に委ねられている。
 イギリスの住宅建設戸数は年20万戸程度であり、人口あたりにしても日本の4割程度だ。このうち公営住宅は90年代以降ほとんど建設されておらず、家賃補助やHAなどの社会的住宅の支援に重点が置かれている。設備系の維持修繕などどうしているのか疑問が残るが、市場家賃を徴収し、別途家賃補助をする仕組みであれば、適切な維持・管理は可能なのかもしれない。
 住宅経営を行う主体を行政から切り離すこと、そして、家賃補助を住宅経営から切り離すことの意義は理解できる。しかしそのためには大きな政治的な決断が必要であり、また住宅経営と生活(家賃)補助を一体的に担当する組織を構築する必要がある。日本のように低所得者ばかりを集めてしまった公営住宅でそれを行うとすると、家賃補助のための予算規模が膨大となり、現実的でないかもしれない。
 離職退職者の受け入れなど日本の公営住宅制度がますます変質しつつある。イギリスのような大ナタを振るう、というのも魅力的だが、日本の政治・官僚風土の中ではドラスチックな変革は難しいだろう。日本に適した現実的な方策を考えたい。

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2009年2月10日 (火)

地域と大学の連携まちづくり

 (社)都市住宅学会中部支部の講演会に行く。講師は名古屋大学の小松先生。演題は「地域と大学の連携まちづくり~住環境の創生・再生事例を中心に」。先生も執筆者の一人として参加し、最近発行された「地域と大学の共創造まちづくり」からの紹介が主な内容だが、先生は各論の中の一項目とともに、「1章 本書のねらいと事例の位置づけ」も担当しているから、総括的に俯瞰していると思われる。
 パリのプチ・ボンに代表される「場」としての大学、ボローニャのボルティッチに見られる「部屋」からなる大学、ケンブリッジ大学などで見られるクワッド・ラングル(建物と中庭)と呼ばれる「建物」からなる大学、そしてアメリカで発達したピューリタンの理想郷を形にした「領域=キャンパス」としての大学と、世界各地の大学施設の形を発展過程とともに紹介した上で、タウン(まち)とガウン(大学=博士の着るガウンに寄せて)がいかに連携していくかを、研究のテーマとして掲げられた。
 まず、アメリカ・フィアデルフィアのペンシルバニア大学における事例が紹介された。フィアデルフィアの都心部から川を挟んで西側の、かつては工業地帯、その後は移民街として衰退した地区に、都心部から移転したペンシルバニア大学では、1994年の殺人事件の発生以降、地域と連携した環境改善事業が進められている。具体的には、従来、通勤通学型大学であったものを、関係者が大学周辺に住むよう、住環境改善や住宅供給、融資等を進めるとともに、公立学校への大学協力や地域経済への支援等、地域と一体となった取り組みが進められている。
 日本ではこのような居住まで含めた大学キャンパス計画の事例は少ないが、近年では柏の葉アーバンデザインセンターや酒田市の東北公益文科大学などで、新しい大学を取り込んだまちづくりが進められている。特に、柏の葉アーバンデザインセンターでは、開発事業者である三井不動産のブランディング戦略に乗って、千葉県・柏市・東京大学・筑波大学が運営部分でうまく協調し合い進められているとのこと。
 私が興味を持つのは、こうした大きな取り組みではなく、小さくは教員個人と建物所有者との1対1の関係による「まちなか研究室」のような取り組みから、大学サイドは、研究室<学科<学部<大学というヒエラルキー、まちサイドは、地域住民やグループ・商店街<地区<行政というヒエラルキーの中で、相互がどのように連携しているのか、その連携事例や組織内での調整事例、連携形態の評価などを知りたいと思ったが、これについてはこれからの研究課題と言われてしまった。
 そもそもこの講演会に参加しようと思ったのは、テーマよりも講師に惹かれたから。より正確には、小松先生がどんな研究をしているのか興味があった、ということなので、その点では大いに収穫のあった講演会ではあった。
 大学からの視点だけでは当然地域との有機的な連携は図れないわけで、かと言って地域からの視点では、相手は大学だけではなく企業、商店街、工場、ディベロッパー等々多くの対象が考えられる。そう考えると、「地域と大学の連携まちづくり」のプロトタイプを創るというより、多くの事例とその評価・考察を提示する以外に、よい事例を創出していく方法はないのかなと思う。申し訳ないが、多分当面、本書を読むことはないだろうが、こうした仕事に巡り会えれば、また楽しいかもしれない。課題と可能性はいろいろあるということがわかった。

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2009年2月 5日 (木)

椿とともに散歩道を歩く-2009冬

 昨年に引き続き、今年も常滑やきもの散歩道で、つばきをテーマに展示されたギャラリーを巡るイベント「椿の頃、陶都とこなめに遊ぶ」が開催された。これで3回目。仲間内で「やりたい!」という声が出たら開催するという不定期イベントで、今年は少し準備不足で、事前告知も十分行えなかったが、それでも天気に恵まれ、そこそこの人出でにぎわっていた。
 「タウンキーピングの会」は今年も土管坂休憩所「旧渡辺邸」をお借りし、甘酒の無料サービスをするとともに、セントレアが一望できる高台の日当りのいい和室でお餅を火鉢で焼いて食べながらのんびりとした時間を過ごしていただいた。
 他に、常滑屋では椿をあしらったしつらえの中でお食事をいただく「召しませ 椿づくし」を開催。また、TO'sギャラリーでは富本泰二氏の器に伊藤圭祥氏の花を生けた「艶葉木」、名古屋芸大のギャラリー「art&design rin’」では「Tsubaki 1 rin」を開催した他、ギャラリー共栄窯を始めとする各ギャラリーでそれぞれ椿にちなんだ展示が行われた。
 「椿の頃、陶都とこなめに遊ぶ 2009」
Imgp6093 私は1日(日)午後の当番だったので、少し早めに来て、普段はあまり歩かない散歩道の北側を廻って、土管坂休憩所に向かった。
 一昨年頃から、散歩道を東西に掘り割って通る市道沿いに、招き猫の屋外展示などが施されている。かつての窯場の風景を映したタイル画と歩道脇の巨大な招き猫を確認。この招き猫については、会の中でも賛否両論あったが、「そのチープさ、キッチュさが常滑らしい」と反対派も今やあきらめの境地。それがまた常滑らしい。
 タイル画のある交差点を北に向かうと、競艇ラーメンの店がある。楕円形の器に1cm以上ある分厚いチャーシューが2枚乗り、おにぎりがついて600円は安い。濃いめの醤油味もおいしい。
Imgp6090 その東の坂を上がると土管擁壁が出迎え、奥に野ざらしになった窯が見える。通り過ぎて坂を下ったところがギャラリー共栄窯。そこを右に折れ、黒壁の工場の前、植木鉢が積み上げられた作業場の脇の細い道を登っていくと掘割市道の上の陸橋に出る。椿や蜜柑に彩られた緑の木々と年月を経た工場や家屋がいい雰囲気を醸している。
 常滑と言えば土管など窯材を利用した擁壁が有名だが、石垣も多い。それが丸石だったり、無造作な欄積みだったり、また城郭風に反りを付けてきれいに積み上げたものありとさまざまで興味深い。この多様さも常滑の面白さの一つだろう。
 われわれ(タウンキーピングの会)が椿をテーマにしたイベントを始めたのは、瀧田家前のでんでん坂脇の椿が花を散らしたきれいな1枚の写真(「椿の頃、陶都とこなめに遊ぶ」の冒頭の写真)がきっかけだが、今の時期、散歩道のここかしこに椿やさざんかが咲いている。日だまりの中、蜜を求める小鳥たちが鳴きながら飛び交う姿を追いかけるのは、至福の時間だ。
Imgp6085 歩道の上に出ると、巨大な招き猫にご対面。市道のコンクリート擁壁の上にも、何匹もの猫の遊んでいる姿が見られる(陶芸作品です)。
 この後はいつも見る風景。「art&design rin’」など協賛ギャラリーの展示を見つつ土管坂休憩所へ向かう。午後はもっぱら旧渡辺邸の台所で甘酒を給仕して半日を過ごした。若いカップルや幼い子供を連れた家族連れが多い。散歩道を訪れる人にも少しずつ変化があるようだ。
 さて、今年中にも常滑市は景観計画を策定する意気込みだ。いよいよ会の目的の一つが実現するかと思うと、今から楽しみ。この町の変化をさらに楽しんでいきたい。

マイフォトもごらんください。

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2009年2月 4日 (水)

ここまで変わった 木材・木造建築

 建築の専門教育を受けた方はご存じのように、私もご多聞に漏れず、木造に対する知識は非常に乏しい。それでも多少の現場経験と耳学問でここまでやってきたが、仕事で木造4階建てといった言葉を聞く機会が多くなり、最新の木材・木造事情について確認しておきたいと本書を手に取った。もっとも、本当に入門書なので、この程度の知識を持って専門家というには誠に恥ずかしい限りだが、それでも「最近はそうなのか」と目を開かれる箇所も少なくない。

●木材の知識が欠けていることを心苦しく感じておられる建築業界関係者には、ぜひ一読をお願いしたい。(はじめにP6)

 と最初に書かれているが、全く同感。同様に感じておられる方は是非ご一読ください。とは言うものの、本書も発行されて早6年になろうとしているので、この最低限の基礎知識の上に最新の情報を積み重ねる必要がある。努力します。
 筆者は農学を学び、木質材料の研究を長くやってきた方なので、エンジニアードウッドを始めとする木質材料の解説が詳しい。私の関心は木構造の方にあったので、その方面の記述が相対的に少ないのはやや物足りなかったが、まずは材料が基本なので、本書で基本を確認できた意味は大きい。
 それにしても、木材の世界も十数年前からすると大きく様変わりしているらしい。品質保証された材が普通に流通しているのが現状であれば、確かに木構造の世界も大きく変わる。本書を疑うわけではないが、現実の実態をよく見極めた上で、今後の木造建築の方向についてよく考えてみたい。

●木材は強度の異方性だけではなく、収縮や膨潤にも異方性がある。このことが、木材の取り扱いを難しくしている一つの原因である。(P38)
●もちろん、大工さんが勘と経験(と度胸)だけで作ったからといって、その建物が危険だというわけではない。また構造計算をしたからといって、その建物が絶対的に安全であるわけでもない。その時点における工学的な知識により強度性能がそれなりに保証されているというだけのことである。(P77)
●EW化技術とは製品の5%下限値を高め、それを維持管理するために行う様々な工夫のことである。(P96)
●高気密・高断熱のようにちょっとした隙間も許されないよう構造が普及し始め、また部材の狂いが許されない構造用の金物が多用されるようになると、乾燥していない材が徐々に敬遠され始めた。そこに10年間の瑕疵保証を定めた品確法が1999年に登場し、クレームを恐れた住宅メーカーが雪崩を打ったように、乾燥した外材の製材や構造用小断面集成材などに鞍替えを始めたのである。(P136)
●どうもわれわれは「匠の技」とか「千年の歴史」という言葉に弱く、逆に「化学薬品」とか「工業製品」といった用語に対して妙な嫌悪感を感じてしまうことが多いが、このようないわば一種の思考停止状態に陥ることは避けるべきである。(P187)

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2009年2月 3日 (火)

都市住宅学 第64号「200年住宅を考える」

 都市住宅学会の機関誌「都市住宅学64号2009冬」の特集は「200年住宅を考える」。やはり今、「200年住宅」は建築・住宅・都市分野の専門家にとって、気になるテーマの一つと言える。
 集められた論文は全部で10編。「そもそも住宅の長寿命化とはどういう取り組みか」と題する国土交通省住宅生産課による長期優良住宅の普及の促進に関する法律を始めとする関連施策の解説に始まり、日本大学経済学部の中川雅之氏による「200年住宅構想は何を目指すか?」、東京大学の野城智也氏による「住宅履歴書の制度設計について」、さらには不動産税制や住宅金融、住宅流通、また環境、森林・木材、都市工学、国土形成に至るまで、多方面から「200年住宅」を巡る考察と検討がなされている。
 これらを眺めて興味深いのは、住宅の耐用年数を現状から200年に伸ばすための技術的検討や視点からの論文がないことである。

 東京大学名誉教授の有馬孝禮氏による「200年住宅を森林・木材・木造から考える」では、建てた時のまま200年保たせるのではなく、更新・維持という視点から考察を進めている。その際、数年前に取り組まれたセンチュリーハウジングシステムを取り上げていることが興味深い。

●このセンチュリーハウジングシステムの設定耐用年数の持つ意味は「何年もつ」という耐久性を保証するのではなく、「何年もたすための仕組み(システム)を有している」ということを意味する。(P23)

 そして最後にはこう結んでいる。
●200年木造住宅にとって何より重要なことは平和である。200年平和の重みこそ重視したい。木造200年住宅が存在する時代こそ平和であることの証である。/大事なことは「百年」、「二百年」という数字でもなければ言葉でもない。それを可能とする空間的仕組みと時間・世代を超えた連携がどのようになされるかである。(P24)

 「平和」を出したら反則という意見もあるだろうが、東京大学の浅見泰司教授による「都市工学からみた『200年住宅』」でも、

●100~200年という長期で考えた場合には、人口が半減以下になる都市が多く発生することを鑑みると、現在の市街地圏域よりも狭い範囲でしか、200年住宅を供給することは適切でないことになる。(P41)

●都市的行政サービス圏域からはずれる地域においては、・・・むしろ部材を他の地域で有効に利用できるような配慮こそ求められる。(P42)

 という指摘がされており、住宅が本当に200年間保ってしまうとすると、社会的にどう受け入れるのかという射程の長い問題に目を向けざるを得ない。国土交通省は、都市計画や国土形成等も所管しているのも関わらず、この点についていかに無頓着であるかが問われる。

 千葉大学の小林秀樹教授は「共同住宅の長寿命化と不動産関連制度の変革」において、長寿命化建築の実現に関わる課題を、(1)スケルトンとインフィルの分離、(2)ライフサイクルコストの低減、(3)地域の持続性を高める仕組み、の3つにまとめている。3番目はまさに前2者の論文に通じる課題である。その上で、「スケルトンとインフィルの分離」に応えた建築基準法の見直しと、「ライフサイクルコストの低減」等に応えた金融と税制の見直しを提言している。「そもそも不動産だけが『資産税』をかけられる仕組みに無理がある」という前置きをした上で、「不動産利用に伴う公的サービス利用の対価として税を位置づけるほうが適切である」として、以下のように提案する。

●サービスの対価として位置づけるならば、建物の築年数とは無関係になる。ではどうするか。一つは、建物課税を廃止し、土地課税に一本化することだ。・・・もう一つは、建物については、築年数や構造種別に関係なく、床面積によって一律に税金を定めることである。(P20)

 実に合理的であり、単に200年住宅のための制度というだけでなく、快適で環境にやさしい都市づくりや税負担の公平性の観点からも一考に値する提案だと思う。

 熱が入って面白いのが、移住・住みかえ支援機構代表理事・立命館大学教授の大垣尚司氏の「2つの長寿命化と住宅金融」である。2つの長寿命化とは、「人間の長寿命化」と「住宅の長寿命化」を言う。この2つの長寿命化のミスマッチが起きているという視点から、住みかえの必要性とそのための金融制度と政策支援の必要性を説いている。「住宅家賃を金融資産として認めるべき」というのがその要諦であるが、既に「住みかえフラット35」などの具体的な金融商品も出ているようであり、今後の発展に注目される。

 実は、この特集でもっとも興味深かったのは、リクルート住宅総研の島原万丈氏による「既存住宅流通の本当の阻害要因と活性化策」である。日本人の新築志向の実態は、(1)潔癖性や美観、(2)見た目から感じる性能への不安、(3)リフォームに関する知識不足、であると指摘し、そのためには、「建設・リフォーム業と宅建業の垣根を取り払い、流通+リノベーションという住宅の取得方法の認知度を高めていく」ことが必要と提言する。

●「200年住宅」がいくら高耐久で可変性の高い建物で、新築時からの履歴情報が残っていても、他人の痕跡を嫌い、現代的な設備や美観にこだわって新築住宅を選好する層は、見た目が悪い既存住宅を選ぶことはないだろう。・・・既存住宅を流通時点で買い手のコスト負担でリノベーションするという手法は、市場システムの大がかりな改造を必要とせず、「200年住宅」以外の既存住宅の寿命も延長することができる。(P34)

●「200年住宅」が長寿命を理由に各種の優遇を受けられるなら、リノベーションによって再生した既存住宅は、あらゆる恩恵が「200年住宅」と同等に扱われるべきである。(P34)

 通して読んでみて感じることは、「200年住宅」という発想は、新築住宅だけしか見えていない安易で視野の狭いものだということだ。本気でやるなら、「既存住宅をいかに長寿命化するか」こそが中心的に据えられるべきであり、そのための税制や都市計画等も含めた制度構築が求められるだろう。
 今は経済対策の一環として、長期優良住宅制度に注目が集まっていると言う。経済対策であれば何も「200年住宅」などと限定する必要もない。わざわざ差別化を図るのは、その結果、優遇されることが見込まれる住宅メーカーへの支援策だからという穿った見方もしてみたくなる。しかしそれではますます住宅産業内の格差化と貧困化が進むのではないか。
 各論文はどれも「200年住宅」という発想そのものには好意的な論調である。必要なのは、これらの英知に真摯に応えていくことではないだろうか。

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