« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月27日 (水)

郊外住宅団地再生研究会

 (社)地域問題研究所が呼びかけて、「郊外住宅団地再生研究会」が開催された。人口減少社会における郊外住宅団地(ニュータウン)が抱える問題や課題を共有し、「魅力の維持や再生に向けた取り組みについて、地域住民の活動と行政施策の両面から検討」しようというものだ。会員等への呼びかけに行政職員・住民・議員等、総勢30名ほどが集まり、狭い会場が一杯となった。
 冒頭、当研究所主任研究員の加藤氏の問題提起「郊外住宅団地を取り巻く現状と課題」があり、続いて行政と市民から二つの報告が行われた。
 報告1は「郊外住宅団地に対する行政からみた問題意識」と題して日進市企画政策課の近藤氏から、続いて報告2は「住民による住宅団地でのコミュニティ活動の成果と課題」と題して高蔵寺ニュータウン石尾台コミュニティの吉田氏から、それぞれの取組が報告された。
 日進市は、名古屋市東部に隣接する住宅都市で、昭和40年以降人口が急増し、昭和40年当時1.4万人であったものが、今では8万人に達しようとしている。市の中央を東西に天白川が流れ、その流域は農振農用地に指定されて、今も多くの水田が残る。住宅地は南北の丘陵地に開発され、それぞれ名古屋市営地下鉄駅につながる鉄道・バス路線が走っている。中央部の自然環境に対する市民の評価は高いという話は興味深い。
 開発された住宅地のほとんどは市街化区域に指定されているが、一部、調整区域地区計画を決定した団地もあり、また最遠部の団地には、下水道等の都市インフラが十分整備されていない。団地住民の多くは自家用車を利用するが、高齢者の増加等もあり、市は市内をくまなく巡回する「くるりんばす」を運行。また、週1回の農産物市なども開かれているという。市としては「クオリティの高い住宅都市をめざしている」という言葉が印象的だった。
 一方、高蔵寺ニュータウンの吉田氏の報告はこれまでもこのブログで何度も紹介している内容でもあり、省略。ただ、6月には市役所が住民委員会を設置するようだという話があり、遅々とではあるが、行政も動きつつあるようだ。
 後半は、先日も紹介した元愛知工業大学教授の曽田忠宏氏も加わっての意見・情報交換。曽田先生からは、先日と同様、NPO法人高蔵寺ニュータウン再生市民会議設立の話から始まった。郊外住宅団地の問題は、団塊の世代等、一定の年齢階層が集団的に存在することにあるという指摘は正しい。少子高齢化にしろ、空き家の発生にしろ、基本的には全ての地域・住宅地で共通に起こっている中で、この点のみが他の地域との相違点だ。
 かつて足助町の人口構造を調べた時に、意外に団塊の世代が少ないことに驚いたことがあった。過疎地を出た団塊の世代の多くが大都市に出て行き、郊外住宅団地等に居住している。団塊の世代の高齢化の問題は地域に偏在して発生しているのだ。
 こうした現状を踏まえ、曽田先生からは、今後の郊外住宅対策として、空き家対策と交通対策の重要性を強調された。
 また、愛知県住宅計画課の成田氏から、昨年度に実施した住み替え調査の報告があり、2~3割の世帯が「住み替え意向あり」と回答したこと、また、住み替え対策には住み替え意向を持つ世帯と不動産仲介業者とをつなぐ窓口機能の強化拡充が必要ではないかという意見が披露された。
 その後、会場からの自由意見交換が行われ、郊外住宅団地に外国人が集中居住している問題や、主に丘陵地が開発されたため、バリアフリー化が課題であること、また、区画面積が小さく二世帯住居の建設が困難なため、容積率の緩和等の対策が必要だという意見も出された。また、地域問題研究所の河北氏からは、アメリカ・カリフォルニアの事例として、住民を中心とした魅力ある住宅地づくり活動が紹介された。
 まとめに加藤氏から、郊外住宅団地問題の切り口として、①相隣レベル・地区レベル・都市地域レベルのエリア的視点、②住民・行政・民間の各セクターの役割を考える視点(コスト負担やそれらをつなぐ中間セクターも含めて)、③ハード/ソフトの具体施策の視点の3つが提示され、次回研究会までに論点整理と研究会の運営等も含めて検討した上で、再度、開催の案内をすることが伝えられた。
 加藤氏からはさらに、成功モデルとともに撤退モデルも検討する必要があるのではないか、また若年世帯のつなぎ止めや転入促進の観点からは、過疎地域でのIターン施策が参考になるのではといった提案がなされた。

 このところ郊外住宅団地の問題がたびたび取り上げられ検討されることが多い。そのたびに感じるのは、この問題をどこまで深刻な問題として取り上げる必要があるだろうかという点だ。少子高齢化や地域衰退を取り出せば郊外住宅地よりも衰退し問題の大きい地区はいくらでもある。日進市のように市域全体が郊外住宅地で新住民の方が圧倒的多数を占める自治体であればまだしも、春日井市のように、しょせん人口で2割以下の地区の問題をどう取り扱うかはかなり悩ましいはずだ。
 得てして郊外住宅団地は、学生運動を経験した団塊世代の高学歴のサラリーマン世帯が多いため、自治体に対しても要求型の運動になりがちだ。都市基盤は老朽化が始まりつつあるとはいうものの既成市街地に比べれば高い水準で整備されており、子供世帯の分離・独立は全国的な現象でもある。必要なのは既成市街地や既存集落から集めた税を郊外住宅団地に集中投下することではなく、さらにいっそう魅力ある住宅地となるよう、さまざまな活動を活性化させることではないだろうか。そういう意味で、加藤氏の言われたIターンという視点は大いに賛同する。
 また、団塊世代が、若者や団塊下の我々の世代を見て、「介護はどうしてくれるのか」と訴えるのは正直気に入らない。先ほどの容積率が厳しいから二世帯住宅が建たないなどという意見は言語道断。雇用・社会情勢や生活・価値観の変化等により別居や遠方居住が選択されているのであり、断じて土地利用規制のせいではない。こうした世代間の利益供与を問題とするのではなく、同世代間でいかに楽しく生活するか、それを見せることが若年世代の転入にもつながるのではないか。
 孤独死についてもそれを行政の問題として訴えるのではなく、自分自身が孤独死したくないのであれば緊急通報装置の設置など日頃から講じるべき方策はあるし、隣人の孤独死を懸念するのであれば日頃から声がけをすればよい。自分が声をかけずに行政に動けというのはワガママだし、離れた地区の孤独死を取り上げ問題視するのは大きなお世話だと思う。
 少し前の高齢者は隠居後、仏事・神事に熱心に取り組んだ。これからの高齢者も、いかに社会から離れて隠居するかをもっと真剣に考えてもいいのではないか。郊外住宅団地の再生も、団地住民がいかに死と向き合って生き続けるかが、実は再生のカギではないかという気がする。「再生は死と向き合うところから」というのは、話題を変えすぎているかもしれないが・・・。
 いずれにせよ、郊外住宅団地問題で思うところは千々雑多。地域問題研究所の方にうまくまとめていただき、噛み合った議論が続けられることを期待する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

減災のまちづくりと建築の危機管理

 防災まちづくりの第一人者、室崎益輝先生の講演会があったので参加した。ちなみに室崎先生の今の肩書きは関西学院大学総合政策学部教授。高名な先生でもなかなか再就職には苦労されているようだ。それはさておき・・・。
 いつも都市計画に関する話題が尻切れとんぼになってしまう、ということで、今日の講演会では最初にまちづくりの話題から始まった。最近の防災対策は、コミュニティ、ボランティア、帰宅難民対策のソフト対策に建物の耐震改修で終わってしまう。それでいいのか、という指摘だ。「ソフト+建築+まち」の3つが揃って初めて、バランスのとれた防災対策になりうる。
 現在の政府目標である建築物耐震化率90%は、一定程度、老朽家屋が建て替わることを想定して試算している。しかし密集住宅地では、狭隘道路や未接道敷地があり、建替えることができない老朽家屋が多くある。結果的に耐震化率は地区によってかなり差ができることになる。加えて、中途半端な壊れ方(改修)は、火災時に却ってよく燃えるという。耐震改修だけでは不十分だということだ。
 減災の視点からの危機管理として、手だての足し算、空間の足し算、人間の足し算、時間の足し算の4つの要素が重要と整理された。手だての足し算とは、ハード・ソフト・ヒューマンの各対策の融合を図ること。特にハード対策が基本というのは、都市整備が重要ということと通底する。また、ヒューマンウェアとして、昨年、大阪で発生したビデオ店の火事の話が面白かった。あのビデオ店は1階にあり、建築基準法的には二方向避難は不要でその点では違反建築物ではなかった。しかし、それは1階ならいざという時には屋外に逃げられるという仮定の法律。しかしあの建物では1階は完全に壁で、出入り口は1カ所しかなかった。これは設計者の倫理の問題だという指摘だ。
 また、空間の足し算では、まんじゅうのアンコとカワを例に、アンコがうまければカワも薄く済む。アンコ=小さな公共(コミュニティ空間)を整備することが重要という指摘。また時間の足し算では、最近大掃除をしなくなったことが住まいの維持管理・メンテナンス文化の喪失を招いているという指摘があり、家検制度の創設を提案された。
 もう一つ興味深い指摘は、都市の危機管理に関して。安全都市デザインガイドラインが必要じゃないか、というもの。これは建築基準法の集団規定のような仕様規定ではなく、都市計画の性能規定化を求める趣旨で、例として大阪の法善寺横町の安全性を確認した上での柔軟な集団規定の緩和等を上げられた。
 減災の視点からの危機管理(手だて、空間、人間、時間)、建築の危機管理(フロー、ストック、応急対応、復旧・復興)、都市の危機管理(フロー、ストック、応急対応、復興事業)ときれいに整理された構成の資料を配布しつつ、奔放に横道に逸れていくお話は、親しみやすく楽しい。しかも大きな構成のなかに埋め込まれた一つひとつの主張はどれも頷くに足る説得力があった。「ソフト対策に流れていませんか」という問い掛けは耳が痛い。これは国を挙げて姿勢を正し取り組んでいかなければならない課題であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月20日 (水)

景観形成と地域コミュニティ

 まちなみ景観に関する建築・工学系からの考察は数多くあるが、社会学からのアプローチは観光化や地域活性化とからめて考察されることが多く、直接、景観形成そのものを考察することは少ない。本書は、筆者の一人、鳥越教授とその門下の二人の環境社会学者による、生活環境主義というアプローチからの、景観形成と地域の継続・活性化のあり方についての論考をまとめたものである。
 冒頭、景観法に対する評価と疑義が述べられている。「従来、住民主役で進められてきた地方自治体の景観政策を骨抜きにするものではないか」という指摘は、私も景観法制定寺に感じたことであり、大いに同感する。加えて、最近のどこでも同じような多自然工法の河川改修に違和感を訴えるのも、まさに同感の至り。筆者たちの主張はあとがきの一文に十全に現れている。

●本書で指摘したことは単純なことである。すなわち、生活と景観とを絶対に切り離してはいけない、ということである。・・・それぞれの地域で人びとは生きつづけており、その生きている総体の形が景観である(P303)

 このことを主張するために取り上げる現地は、竹富島であり、阿蘇山の草原であり、白保のサンゴ礁と恩納村の海面管理であり、宮崎の山村・諸塚村(神楽と山に生きる生活)であり、中国の白洋淀と霞ヶ浦の潮来とイギリスの湖水地方の観光の取組みである。
 阿蘇山の草原を守るNPO等の活動と放牧や野焼きでは生活できない地域住民の相克は、生活と景観保全の矛盾を見事に現しており、興味深い。また、景観を生かした有力な地域産業である観光について、近代化の進展と景観資本の発見との関係を分析する第6章の考察も面白い。
 ただし、この考察が、住民生活と景観形成が両立し得る明らかな処方箋を明示しているわけではない。もとよりそれは難しいことだが、「生活と景観を切り離してはいけない」という主張は絶対的に正しいと私も思うし、その上で景観政策や景観形成活動に関わっていければと考える。


●地方自治体の基本的な姿勢は、景観はあくまでまちづくりの一環であるという発想にある。まちづくりであるから当然のことながら、主役は住民である。ところが、罰則規定を付置したこの法律(景観法)は、・・・住民が意見を挟むことができる配慮をしてはいるものの、住民は主役の座から降ろされている。(P44)

●目に映る地表の相貌としての景観は、目に見えない仕掛けに支えられて人びとの目の前に現れる(P170)

●さまざまな事情があって農山村で暮らそうと決めた人たちは、自然の、循環する時間のなかで生きることを受け入れ、決意する人でもある。・・・彼らは、無事に楽しく生きることが目的だという。・・・重要なのは、・・・それが、無知やひがみや強がりではなく、自分がここで暮らすことの意味を考え抜いた結果として生まれてきた思想だということである。・・・それは、直線的な時間のなかでみると「努力しない」「上昇志向をもたない」人たちにみえるかもしれない。しかし、先ほど述べた阿蘇の農家は、そのことを「負ける勇気」と表現する。いま農業をつづけていくためには、都市と同じ土俵で行動するのではなく、負ける勇気が必要だというのである。(P251)

●景観論にとって、観光産業の位置づけはむずかしい。観光はしばしば景観を俗化させるし、さらには心ない観光客によって地元の人の心が痛めつけられることもある。しかしながら、・・・観光は当該地域を活性化させる力をもっており、さまざまな産業のなかでも景観を大切に考える産業である。生活から乖離していかないことを”地元が”心がければ、観光から発想された通俗的な景観も楽しめるのではないだろうか。(P300)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 9日 (土)

岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山

5010 翌日は富山市のみなと町・岩瀬を訪れた。コンパクトシティの優等生として青森と並んで名高い富山市だが、その象徴的公共交通である富山ライトレールの終点近く、東岩瀬駅から先の神通川沿いに岩瀬大町の家々が並んでいる。岩瀬は北前船の拠点として多くの回船問屋が並び、肥料や日用物資の運搬・交易でたいそう繁栄したという。
 見学をした北前船回船問屋「森家」も豪壮な木組みも露わに、能登材、屋久杉、朱壁塗りと剛胆・繊細な造形を見せている。2階表の使用人部屋に北山絞りの床柱、2回裏の女中部屋にも裁縫ができる明るい窓が設けられ、使用人を大事にしてしっかり働いてもらおうという商売人らしい簡素で合理的な造りとなっている。
5024 微に入り細に入る明るく楽しい解説の後、町並みを見学して歩く。隣家の馬場家は公開されていないが、森家以上に立派な造り。さらに現北陸銀行の邸宅にはさらにも立派な座敷があるとのこと。馬場家の正面にはポケットパークが整備され、公衆便所が設置されている。また、妻入りの田尻酒店や奥行き60mの土蔵蔵、さらに和菓子屋や蕎麦屋など多くの魅力的な商家がきれいに景観整備され並んでいる。ちなみに富山市は岩瀬民間建築物の修景整備に対して、500~150万円かつ補助率70%の修景事業補助を行っており、富山県も市町村負担の1/2を上限とする景観補助を実施している。
 この後、家族サービスで立山黒部アルペンルートの雪の大谷ウォークを楽しみ、夕刻に立山駅まで戻ってきた。帰りの東海北陸自動車道が渋滞していたため、富山県内でもう少しゆっくりしようと五箇山を見て帰ることにした。
5150 五箇山ICに着いたのは6時過ぎ。ICの眼下に見える菅沼集落は観光客も消え失せ、駐車場もひっそりとしていた。ウシガエルの声ばかりが鳴り響く静かな村里。白川郷よりは小振りな合掌造りの2階・3階の窓から明かりがこぼれ、それを頼りに田んぼを囲む集落を歩いて廻る。店じまいを急ぐ土産物屋が4軒ほど。いくらか土産を買って車に戻る。
 せっかくなので相倉集落まで車を走らせる。着いた頃にはすっかり暗闇。足下の外灯と合掌造りから漏れる明かりだけの幻想的な世界。生活の邪魔をしないようにと静寂を味わって集落を離れた。
 駆け足で廻った富山・高岡の町並み。豊かな風土に培われた人柄と景観を満喫。心と暮らしの豊かさを実感した旅でした。

【参考】
●前に富山を訪れた時の記録 富山<八尾・井波・五箇山>を巡る
●マイフォト「岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山」もごらんください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 8日 (金)

高岡の町並み 山町筋・金屋町

 GW中の2日・3日と家族旅行で富山県の各地を廻ってきた。最初に訪れた「となみチューリップフェア」と3日に行った立山室堂の旅は別のブログに譲るとして、その間に家族にワガママを言って、高岡市山町筋と金屋町の町並み、さらに富山市岩瀬と五箇山にも寄ってきたので、その報告をしたい。
4938 高岡市は今年開町400年で、さまざまなイベントを実施している。その一つが土日祝日に実施している古城公園の水路をめぐる遊覧船の運航。家族サービスということもあり、まずはこのお濠めぐりの遊覧船に乗り込んだ。高岡城は加賀二代藩主前田利長の代に、高山右近の縄張りにより1609年に築城されたとされる。しかしわずか6年後の1615年、一国一城の令により廃城を余儀なくされ、武士団が引き上げた後の高岡を、三代藩主利常が町人の転出を禁じ、商工業の町へと転換させる政策を進めた結果、越中の米や綿の集散地として繁栄を続けたという。
 わずか6年間しか栄えなかったお城跡だが、鬱蒼とした林とお濠が今も残り、町の肺機能として、また市民の憩いの場として、いい雰囲気を醸している。この豊かな水がどこから湧き出ているのかは今も謎で、「封鎖された水面の汚れ対策が必要なんです」と観光ボランティアの女性がおっしゃっていたが、そうした努力も含めて、市民の精神的な求心装置として重要な役割を果たしていると言えそうだ。
 山町筋は古城公園からほど近く、国道156号線に平行して走る旧北陸道沿いの町並みだ。無料の観光駐車場が整備され、重要伝統的建造物群保存地区に指定される町並みには、土蔵造りのまち資料館と重要文化財菅野家住宅が有料公開されている。
4956 開町以来続く古い商業町だが、明治33年(1900年)に大火があり、その後防火に配慮した土蔵造りの町並みとして整備された。このためいずれも築100年前後の建物ではあるが、当時の繁栄を反映して、北山杉の長押や屋久杉の天井板など、贅を尽くした造りとなっている。
 旧室崎家である高岡市土蔵造りのまち資料館は、(株)蔵のまちスクエアが指定管理者として管理しており、観光ボランティアが丁寧な案内をしてくれる。通り土間やミセ・ナカノマ・ザシキの三間構成など商家らしい間取りで、黒壁塗込みの重厚な外観と紅殻の朱壁や細い桟割の障子などの繊細な内部意匠が対照的で面白い。また2階には前日開催された御車山祭り関係の展示がされている。1日違いで見られなかったのは何とも惜しいが、通りの各商家には昨日の祭りの飾り付けの名残が残っていた。
 (株)蔵のまちスクエアは、高岡ガスの菅野社長が全額出資して設立したまちづくり会社で、山町筋の活性化をめざしているという。2006年に設立されているのでもう3年が経過するが、ホームページが見当たらないので活動内容は今ひとつわからない。400年記念グッズの販売や喫茶店「山町茶屋」の出店等を行っているようなので、民間ベースでの観光活性化活動を行っているということなのだろう。
4944 その菅野社長の本家を公開しているのが重要文化財菅野家住宅である。鯱の乗った大きな箱棟や黒く塗り込められた2階壁に観音開きの分厚い窓扉、1階の細格子と両脇に立つ石柱、庇天井の鏝絵と庇を支えるアカンサス模様の入った鋳物支柱など、通りに面して圧倒的な存在感を示す立派な外観。内部も中国の伝承をテーマにした欄間彫刻、古風な鋳物製シャンデリア、屋久杉の天井板、朱壁の床の間など贅沢な造りになっている。さらに目を驚かすのが金の延べ板に浮き彫りをした仏壇。格天井など細かいところまで工作され、思わずみんなで覗き込む。ちなみにこの施設は管理事務を行う女性が案内をしてくれるが、明るく冗舌で忙しいと言いながら懇切丁寧に説明をしてくれる。今回、富山の各地を廻って何が一番うれしかったと言って、人の親切さ・純朴さがうれしかった。どこも本当に詳しく楽しく解説をしていただいた。
5004 次に向かったのが、金屋町。山筋から千保川を渡った北側に残るこの通りは、高岡開町以来、鋳物職人の町として発展してきた。当初は鍋釜や鋤鍬などの日用品の鉄鋳物の生産が主だったが、その後、釣鐘や仏具などの銅鋳物の産地として国内外に輸出・出荷をして今に至る。通りには「釜師○○」という看板が掲げられた家もいくつか見られ、今も元気に生産を続けている様子が垣間見られる。
 金屋緑地公園脇の無料駐車場(高岡市内はどこも無料駐車場が多いのがうれしい)に車を止め、まず高岡市鋳物資料館に入る。ここは旧若野家を改修して公開しているとのことだが、メインの展示室は奥にあって真新しい。ビデオで鋳物造りの現場を観賞し、古文書や鋳造・造形工具などを見せてもらう。通りに出ると、向かいに鋳物商。隣に鉄瓶を始め鋳物小物を売る鉄瓶屋。通りのところどころに鋳物製の若々しい像が展示されている。
4986 「千本格子の町並み」と称されているが、こちらは築150年から200年の江戸期の建物が多いようだ。表に町家が並び、細長い敷地の奥に吹場という共同作業場があり、それを土蔵で囲んで出火には細心の注意を払ってきたという。また、通りを歩くと、外壁を銅板で蔽った建物がいくつか見られ、鋳物の町という雰囲気を醸している。木造商家の屋根の上には明かり取りの吹き抜け天窓の壁が立ち上がっているのが見える。これは山筋にもあるようだが、造りが小さいためか、通りからよく見えうれしい。
 ひとしきり歩いた後、大野幸八郎商店と看板の立つ雑貨兼喫茶店に入った。畳にラグを敷き詰めた奥座敷で抹茶オーレを楽しむゆったりとしたひととき。月見障子に朱壁の床の間、築200年の民家は職人の家でもゆとりと繊細さが感じられる。
 町並みの東側にはキューポラと溶鉱炉があるというが、通りすがりに煉瓦煙突を見ただけでしっかりと見学する時間がなかった。翌日は富山市内に宿を取り、岩瀬の町並みを見て回ったが、長くなったので別のエントリーで報告する。

【参考】
●マイフォト「高岡の町並み 山町筋・金屋町」もごらんください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »