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2010年1月

2010年1月28日 (木)

居住の貧困

 あとがきで、「戦前戦後を通じて、政治あるいは行政にとって、・・・住宅問題がマイナーな扱いしかされてこなかった」(P215)と言い、「本書によって住宅問題、とりわけ住宅政策に関心を抱く人が増えることを期待しています。」(P218)と書かれている。私も全くの同感である。
 Amazonの売上ランクを見ると(2010.1.28現在)、書籍全体で9,180位。「民家・住宅論」ジャンルで3位となっている。平山洋介の「住宅政策のどこが問題か」が全体で70,502位。ジャンル別で9位であり、このジャンルの本としては多くの人に読まれていると言っていいだろう。
 それにしては誤りが多いことが気になる。「地域住宅交付金が補助金時代の1/10になった」(まえがきP3)というのは移行時の予算計上上の現象で、実質は若干減に収まっているし、現実は予算執行に汲々としているのが実態だと聞く。
 また、「公営住宅の家賃が民間賃貸住宅と変わらない家賃となった」(P14)というのも誤り。その他にも「公営住宅に単身者が多いのは狭いからだ」(P48)とか、「公共住宅が狭いから、民間賃貸住宅も狭い」(P73)とか、「定期借家契約の公営住宅では更新時に近傍民間同種家賃に家賃改定する」(P210)など、噴飯ものの誤った記述が頻出する。これらが筆者の認識不足によるのかどうかしらないが、その意図に反して本書の価値を著しく下げているのは残念だ。
 日本の住宅政策批判に続いて、第5章では諸外国の住宅政策を紹介している。人権意識の違いが住宅法制に反映しているという主張は理解するが、国ごとの現状と具体の施策の実施状況はよくわからない。例えば韓国では普通世帯1400万世帯のうちの23.4%が最低居住水準未満(日本の2/3位の基準)だというから約300万世帯いる計算になるが、それに対して10年で100万戸建設する計画を絶賛されても、それって30年計画じゃんって思ってしまう。
 公営住宅制度について言えば、地方公共団体が事業主体であり、交付金が少ないから建設が進まないのではない。首長や住民等に住宅問題への関心がないことも大きいが、同時に地方公共団体に財政的・人的な体力がないことが大きな要因の一つだ。例えば交付金の充当率を80%位まで上げるなどの政策が有効だし、公営住宅建設事業が基幹事業となり、家賃補助などのソフト事業は基幹事業費の2割程度しか交付金の対象にならないことも問題である。筆者が指摘するとおり、国土交通省だから基幹事業の実施が不可欠かつ中心になってしまうのだが、できれば公営住宅建設に関わりなく有効な施策は交付金対象とすることが望ましい。
 せっかく多くの人に読まれているのなら、こうした実際的かつ即効性のある施策提案や問題指摘がされていればよかったのにと悔やまれる。

●災害は弱者を襲う。これは古今東西の災害に共通していることで、阪神淡路大震災でも明らかになった教訓です。・・・それがわかっているのなら、弱者の中から被害者が出るのを少しでも減らす努力がなされなければなりません。それが政治であり、行政の役割というものです。(P94)

●1950年6月に発足したのが住宅金融公庫です。これは戦後住宅の復興を国の手では行えないので国民自身にゆだねたことを意味しています。一般国民の住宅難を平等に解消する施策より、まず自力で居住改善可能な人たち、つまり富裕層に融資して、それらの人たちに自力で住宅を確保させることを優先したのです。戦後の住宅政策の主流となる持ち家主義はなお小規模ながら、実はこのときに始まったといっていいでしょう。(P103)

●仮に生存権の内容が国の裁量により決定されるものであるとしても、国はその裁量の中で最大の内容の決定をする責務を負っているはずです。最高裁判断は、生存権を積極的に認めるまではしないまでも、その実現に向けて不断の政策的関与を国に求めていると考えるのが妥当ですが、果たして国はこれまで、そういう努力をしてきたでしょうか。(P180)

●建設行政として展開されてきた住宅行政を社会政策として捉えなおすことが必要です。そのためには、その所管をとりあえず国土交通省から厚生労働省に移す。あるいは閣内に住宅担当相を置いて、住宅政策の一元化を図る。その転換が求められます。(P193)

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2010年1月27日 (水)

地域の再生は地域力による。住宅市場は誰が整備する?

 第5回あいち住まい・まちづくり研究会は「地域戦略」をテーマに、愛知大学三遠南信地域連携センターの黍島先生から「中山間地の居住と定住」、名古屋大学小川准教授から「地域戦略としての中古・賃貸市場の整備」について報告・提案があった。
 前半の黍島先生からは、三遠南信地域(奥三河、北遠州、南信州)の人口動向等の説明の後、先進的な町村で取り組まれている定住促進・地域共住施策について紹介があり、地域力を核とした定住促進・地域づくり施策についての提案がされた。
 地域力を「地域コミュニティに内在もしくは蓄積されている地域資源、人的関係、機能・仕組み等の相互作用と地域を維持する人の力」と定義し、「地域に問題解決力があれば、地域は再生できる」という、ある意味当たり前な話であったが、地域の持つ資源やヒトが千差万別で、それぞれの地域が試行錯誤し取り組むしかない、というのは実際的な結論だろう。
 紹介された事例は、豊根村(以下、特に県名の町村は愛知県内)の短期滞在お試し居住(2~5年の期間で村外者に住宅施設を貸与。入居者は週末居住による利用も可能)や公営住宅建設、設楽町田峯地区の地区組織が事業主体となった宅地分譲事業、長野県下條村の若者定住団地、長野県泰阜村の村営住宅と高齢者協同企業組合による高齢者協同住宅「楽々長屋」、東栄町東園目地区における共住の取り組み(和太鼓集団「志多ら」の練習拠点となり居住)などである。
 これらの成功している事例については、それぞれの特殊要因があって結果に結びついているのであって、物真似すれば足りるわけではないのは言うまでもない。また、課題も垣間見える。例えば、豊根村の短期滞在お試し居住では、お試し期間終了後の定住に必ずしも結びついていないようだし、田峯地区宅地分譲事業も年1~2区画ずつ売れているそうだが、職の問題が大きなネックであることは間違いない。下條村は飯田市までわずか20分という地の利が大きく影響しているし、泰阜村も税金や高齢者の保有資産を食いつぶして成り立っていると批判することが可能だ。また東栄町の共住の取り組みも、和太鼓集団という特殊なグループをつかまえた地域の勝利という気がする。
 研究会の進行を務める海道先生から、イタリアで高齢者ばかりが集まり暮らす町があるという話があり、会場からも「人口回復などの地域活性化を考えるのではなく、今までにない視点からの新たな中山間地の使い方、生かし方を考えたらどうか」という意見があった。
 まさにそのとおりで、かつて旧足助町で年齢別人口を調査したところ、都市部と違い団塊の世代が少ない人口構成に驚いたことがあった。当然、若中年層も少なく、このままいけば町が崩壊してしまいそうな気がするが、定年後の転入者がそれなりにいることに注目すると、また違った町の姿が見えてくる。当時の町長も「高齢者が年金を持って転入してきてくれるならそれはそれでありがたい」と言っていたが、泰阜村の高齢者住宅施策と同様の発想ができなくはない。足助では「したたかな山の暮らし」と言っていたが、中山間地域の地域力を生かすとは、まさにこうした発想の転換を言うのだろう。
 それでも日本の人口が半減する未来を見越すと、7~8割の集落は消滅の憂き目を見ざるを得ないかもしれない。孤独死の続出や災害発生、都市災害の惹起など悲惨な状況に至らぬための限界集落の安楽死方策について、そろそろ真面目に検討すべき時期に来ているようだ。集団移転などの強制的手段ではない安楽な自然死を求めて。
 後半の小川先生からは、県民所得や人口動態、住宅需要実態調査等の統計データを用いての分析結果を示した上で、賃貸住宅市場と中古持家市場の機能不全の指摘があった。ノーベル賞受賞の経済学者、ジョージ・アカロフの分析を紹介し、賃貸市場においては貸し手保護が、中古市場においては購入者保護と情報提示が求められていると言う。後者については、第4回の齊藤先生の紹介された「いえかるて」がまさにそういう制度だが、小川先生からは、公営住宅を活用して魅力的な高齢者施設が併設された建替・改修を行うことが、持家居住の高齢者の移動を促し、中古戸建住宅と良質な賃貸住宅の供給促進につながって、住宅問題の循環的解決が図られるのではないかという「住まい版 循環型社会」が提案された。
 PFIを活用した公営住宅の建替整備という提案に対しては、適当な立地・条件の公営住宅の不在や制度的な隘路の指摘もあり、先生からも将来的な方向、一試案といった説明があったが、民間による高齢者住宅の供給と読み替えれば、循環の最初の起動は不可能ではないかもしれない。
 しかし、福祉サイドはあくまで在宅でのサービス提供を前提に制度を組み立てている状況の中で、福祉サービス付き高齢者住宅をアフォーダブルな価格で提供することは現状ではかなり難しい。加えて、介護保険制度や年金制度の将来像がいまだ不安定な状況では、第二の人生を将来の福祉制度に賭けるという選択を期待するのは相当に厳しいのも事実。だから公営住宅でというのかもしれないが、それは結局、行政依存にしか過ぎず、根本的な解決策にはなっていないのではないか。
 前半に議論された地域施策の担い手としては地域住民や町村が想定され、後半の住宅市場整備の担い手としては国または民間事業者が想定される。ではその中間の都道府県はこれらの問題にどう対応したらいいのか、何を持って貢献できるのかと考えると、明快な答えが浮かばない。
 両者の話を聞きながら、中山間地域と住宅市場というある意味両極端の問題が、なぜか私の頭の中では「中間自治体の役割はいかに」という一点の課題でつながった。もっともその答えが「不明」というでは何の解決にもなってはいないが・・・。「地域戦略」とはまさにそういう問題なのかもしれない。

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2010年1月21日 (木)

NPOが豊かにする住宅事業

 先に「民間非営利組織による住宅供給と貧困ビジネス」で報告した住宅都市整備公団住宅技術研究所の海老塚氏の著書。先の報告は本書及びその元となった博士論文を下敷きに行われたもの。そこでその詳細を知るべく、本書を手に取った。
 全体4章構成だが、第2章の「日本の民間非営利組織による住宅事業」と第3章の「欧米諸国の民間非営利組織による住宅事業」がメインで、その前説と比較考察及び提案が加わっている。
 第2章で紹介される住宅事業は、住宅密集地事業、コーポラティブ住宅、高齢者住宅事業、ホームレス住宅事業の4種類だが、先日の報告時から目立って注目したことは少ない。
 ホームレス住宅事業については、狭い居室に押し込んで高額の家賃を徴収しているという貧困ビジネス批判があるが、下に引用したとおり、既に居室面積に応じた扶助額にしているようであり、また収納部分や台所・トイレ等は別途あることや生活支援に要する経費も必要なことを考えれば、実態を見ない批判は慎むべきではないかと感じる。
 恒久的な居住施設提案も出ているが、生活保護費を原資としているわけで、民間賃貸住宅も含めた住宅施策全体で考えるべき課題である。先にエントリーした「大家さんに期待・・・」と合わせて、民間非営利組織に限らず、民間活用施策として考えることができるのではないか。
 大いに参考になったのは第3章である。欧米の住宅施策については、これまでいろいろな本を読んだり、話を聞いたりしてきたが、もう一つ理解できないことが多かった。特に社会住宅の実態については、著者の「いい制度だ」というバイアスがかかり、全体像が見えてこなかった。
 本書でも十分とは言えないが、各国、支援を減少する中で、直接資金供与ではなく、その他の手法でもって、民間も含めて全体的にアフォーダブル住宅対策を行っていることが理解できる。また、イギリスのハウジング・アソシエーションの多くが、公営住宅部局の移管により設立されていることは新たな情報だった。
 筆者は、自身が公的住宅組織に身を置いているせいか、URや住宅公社に対して否定的だが、私は必ずしもそうは思わない。要は、いかに行政との独立性を保つかという問題である。都市住宅学会の大会後の懇親会で、筆者本人に「UR職員が退職して民間非営利組織を作ればいい」と放言したことがあったが、本書を読んでもそういう気がする。当然、公営住宅等も公社移管とし、家賃補助等の支援を行うイメージである。
 具体の政策検討は私自身にとっても大きな課題の一つだが、そのベースとしてわかりやすくかつ大いに参考になる本であった。面白かったですよ。

●東京都福祉局は「宿泊所設置運営指導指針」を作って、設備・人員などのガイドラインを定めている。2004年1月の改正では、居室の床面積は収納設備等を除き、一人当たり3.3m2(2畳)を最低の基準とし、基準面積の4.95m2(3畳)以上となるように努めることとなった。また、住宅扶助費の算定では、・・・4.95m2の場合の3万9000円を基準として一人当たり床面積で増減されることとなった。(P77)

●宿泊所は一時的な居住施設で、通常の住宅に転居するまでの通過施設であるが、ホームレスを経験した人々は、自立した通常の住宅で生活をすることが困難なケースがあり、生活支援を継続して行える永住型のグループホーム等の建設が日本でも必要とされている。・・・公営住宅の代替として、生活保護の中の住宅扶助費を利用するなどして、新たな形での社会住宅を提供する民間非営利組織の出現が待たれる。(P104)

●イギリスの民間非営利組織は、1980年代以降に増加しているが、公営住宅の移管事業に伴って新たに設立されたハウジング・アソシエーションや地域住宅会社が主体であり、新設されたハウジング・アソシエーションの職員の多くは、地方公共団体の公営住宅部局の元職員であり、これまでのハウジング・アソシエーションとは異なった新しいタイプの組織となっている。(P122)

●(イギリスの)地方公共団体は、ハウジング・アソシエーションの住宅建設資金を補助する見返りとして、入居者の指名権を獲得し、住宅困窮者への住宅提供などの政策義務を果たすことが可能となっている。地方公共団体は、また、アフォーダブル住宅を供給するため、民間の開発事業者に開発許可の条件としてハウジング・アソシエーションへの土地提供を求めるなどしてハウジング・アソシエーションの住宅事業を支援している。(P125)

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2010年1月20日 (水)

大家さんに期待 そして、住宅施策と福祉施策の連携について考える

 第4回あいち住まい・まちづくり研究会が開かれた。今回の報告者は、弁護士の杉本みさ紀さん、日本福祉大学の児玉教授及び名古屋大学の生田准教授の3名。テーマは「セーフティネット」と「高齢者等の安定居住」で、前者を前2名が、後者を生田准教授が担当した。
 杉本弁護士は法律事務所を構えている訳ではなく、(社)愛知共同住宅協会の職員。この協会は、中小の共同住宅経営者、すなわち大家さんの団体で、会員数400名。会員(大家さん)向けの困り事・経営相談や広報・啓発・研修活動、また入居者向けの一般住宅相談・住宅紹介などの事業を行っているほか、最近はホームレス・シェルターでの住宅相談業務も受託している。また、弁護士会の活動として、派遣切り労働者を対象としたワンストップサービスにも協力していると言う。
 大家さんの立場に立った発言が非常に楽しかった。
 大家さんは不労所得で暮らす守銭奴といった悪いイメージを持っている人がいるかもしれないが、ほとんどの方は入居者に気を配り、家賃が払えないなどの困った時にも納期を延長したり、訴訟までいかずにあきらめたりと比較的寛容な良い人が多いと言う。大家さんの気持ちとしては、(1)家賃をきちんと払ってもらい、(2)隣近所、円満で、(3)家を大事に使用してもらい、(4)退去や死亡時などの万一の場合にきちんと対応してもらえばいいと思っている。
 こう書けば当たり前だが、今の時代、モノの貸し借りはとかくトラブルになりがちで、住宅にあってはなおのことトラブルが喧伝される中で、よほどお金に困らない限り、あえてリスクを冒してまで大家になろうというのはかなり奇特な行為のような気もする。
 土地・不動産の運用益と手間を考えるなら、駐車場経営や業務用土地貸しの方が楽だろうし、住宅しか需要がない場合でも、管理業者の借り上げや管理委託をする方がいい。管理業者の借り上げが一時期かなりのシェアを占めたが、最近は減少傾向で全体の半分程度、しかも当初の契約条件の変更を余儀なくさせられるケースも多いと言う。
 こうしたことを聞きながら、住宅事業の一部は非営利公益事業となり、住宅事業法人が非営利事業団体として認められてもいいのではないかと考えたが、これは現在読んでいる「NPOが豊かにする住宅事業」からの連想でもあり、本書読了後に改めて記述したい。
 住宅を借りる場合に求められる条件として、収入と連帯保証人がある。連帯保証人に期待されるのは、家賃滞納時の対応と死亡時等の後処理である。最近は、親が高齢で兄弟も少ない場合など、兄弟の配偶者からの反対などにより、連帯保証人が見つからない人も多い。その場合、保証会社を利用することになるが、保証会社もピンキリで保証審査が緩い業者ほど、滞納時の追い出しや取り立てが厳しくなる傾向がある。また高齢者住宅財団などの公的保証はスピードが遅く使い物にならないことが多いと言う。
 生活保護世帯については、住宅扶助費が出るので、家賃滞納の危険は少なく、死亡時対応等の緊急連絡先がしっかりしていれば、連帯保証人までは不要なことも多い。一昨年からの経済危機で、派遣切り労働者やホームレスの住宅相談も多く対応したが、一人ひとりは本当に普通の人で、大家さんと相談して、うまく条件整理を行い受け入れたケースも多いと言う。「大家と言えば親も同然」。実際、入居者の生活再建に大家が手を貸す事例もあるそうで、こまめに入居者に会い気を配れば、賃貸住宅管理は難しくないと力説をしていた。
 二人目の児玉教授は、精神障害者の地域生活移行(退院後の住まいの問題)やホームレス・派遣切り労働者、母子世帯等に対する公的住宅対策がテーマだったが、現実問題として対応が難しい課題のため、ここでは割愛。
 ただ、「住宅施策と福祉施策との連携が重要」というある意味聞き飽きた言葉があったが、この場合の「住宅施策」にはどこまで含めるのか、福祉施策との境目が不明確という印象を持った。特に最近、個人的に、市町村福祉部局の高齢者介護担当者から話を聞く機会があったが、福祉施策の背景となる平等性・公平性の思想と住宅施策の持つ自律性・任意性の思想とが相容れないことが多い。
 個人的には、住宅施策は住宅の量と質の問題(モノ)だけを対象とし、居住者の問題(ヒト)は福祉施策として整理した方が適当ではないかと考える。最近は住生活基本計画といい、住宅内で営まれる生活を重視した居住施策に重点が移ったと言われるが、その時の施策の背景となる思想を福祉施策の持つ思想と合わせなければ、本当の意味の連携は無理ではないかと感じた。
 3番目の生田先生の話も、専門的かつ理想的過ぎたので割愛。低所得で中軽度の要介護高齢者に対応した住宅の不足を指摘されたが、それを住宅施策として考える必要性が不明。持家・借家を含めて自立から要介護(中軽度)までに対応した住宅として、一般住宅のバリアフリー化を考え、あとは在宅型の福祉施策で対応というのがこれまでの考え方だと思うが、それでは不都合な実態があるのだろうか。もちろん理想として語られるのであれば、いろいろあるだろうが。
 最後の意見交換でも、またまた杉本さんが大活躍。公営住宅のコミュニティ問題に関する会場からの問題提起に対して、民間賃貸ではコミュニティはないことが前提、下手に住民同士のコミュニティが高まると、家賃値下げ要求につながりかねないと考える大家が多い、という話は思わずなるほどと頷いてしまった。もっとも公営におけるコミュニティ問題は、実は共益費問題で、民間賃貸と同様、大家が徴収し管理をすれば、基本的には公営とて民間と同様の認識になる。
 杉本さんが言うように、実態として多くの大家さんが日頃から入居者の状況を把握しているのであれば、高齢者福祉施策における見守りサービスは日常的に実施されていることになる。残念ながらこうした住宅のほとんどが、高齢者専用賃貸住宅はおろか高齢者円滑入居賃貸住宅の登録もされておらず、施策効果測定上は計上されていない。
 高齢者住宅対策の観点から、大家さんパワーをうまく活用し顕在化していくことを、方策の一つとして考えてもいいのでないか。新たな施策検討のヒントをもらった気がする。

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2010年1月15日 (金)

■都市は如何に縮小されるか-若しくは、立地はいつまで都市を支配するか

 「第3回あいち住まい・まちづくり研究会」に参加してきた。この研究会は、愛知県が主催し、住まい・まちづくり関係の各課題について、毎回、テーマに応じた講師を招き、報告を聞き、意見交換をしているもの。今回のテーマは「都市(まちなか)・郊外住宅地・マンションの再生」で、前半を名城大学の海道先生から、後半は明海大学の齊藤先生から、それぞれ報告が行われた。
 海道先生からは、「名古屋都市圏におけるまちなか居住と郊外居住のいまとこれから」と題し、「都市化、郊外化の転換」、「郊外居住」、「まちなか居住」、そして最後に「都市空間構造からみたこれからの居住地と居住のありかた」について、「C&D」2010年1月号に掲載された内容を中心に、都市空間別の地域づくりの方向についての報告と提案があった。
 名古屋市では昨年公表した「低炭素都市2050なごや戦略」で、駅そば人口(駅から800m圏内)の比率を63%(2005年)から75%(2050年)に高めるとしているが、将来人口の減少を勘案すると、駅そば生活圏人口は140万人から145万人に増えるだけにとどまり、非駅そば人口が82万人から54万人に減少すると言う。
 人口縮小は利便性の低い地域に特化して問題となるという指摘だ。会場から都市の撤退に関する質問が出たが、海道先生からは「属人的なサービス低下はできないが、属地的なサービス低下が求められるかもしれない」という回答であった。現実的に考えるとどうだろうか。
 多分、戦略的に特定地域のサービス低下を図ることはほとんど無理だろう。結果的に、人口減少に伴う税収減は、都市全体における計画的な修繕工事を減少させ、突発的な事故対応を主とするようになっていくだろう。雪国では除雪作業を減少せざるをえなくなっているという話もある。昔、過疎の町で働いていた時に、道路の舗装修繕は役場がレミコンを支給し、作業は住民自らが行っていたが、そういう状況も普通になっていく。そして嫌気がさして移転する世帯もあり、逆に地域に愛着を持って残る住民もいる。最終的には、移転したいが移転できない高齢単身者等への対応が課題になるのかもしれないが、過疎地での経験ではこうしたケースは限定的でそれほど大きな負担になるとは思えない。
 一方で、継続居住者調査では、日常買い物と医療機関の立地が不満足度、重要度ともに高いが、ネット時代の進展とともに、店舗のあり方も変わるのではないか。すなわち店舗は実物展示の場となり、貨幣との交換・運搬機能はネット売買配達が主流になるというイメージ。そうした時に、都市はどうなるのだろうか。
 今、議論されている「都市の縮小」論は、都市を支えるサービス機能が現在と同じ方法で行われると仮定で考えているが、IT化や環境問題(資源の枯渇など)のドラスティックな変化を視野に入れると、必ずしも立地が都市構造を決める第一ファクターであり続けるとは限らない。人口減少時代における都市戦略をコンパクト・シティ(集中と撤退)だけで考えるのは現実的ではないとすれば、都市全体が均一に薄まって、かつ困らない(快適に暮らせる)ような都市戦略を考えていくことも必要ではないか。海道先生の話を聞きながら、そんなことを考えた。
 齊藤先生からは、「エリアマネジメント」「マンション管理」そして「住宅履歴情報(いえかるて)」に関する話である。それぞれ興味深いが、エリアマネジメントについては成功事例の分析と紹介、マンション管理と住宅履歴情報については、住宅所有者に負担のかからない仕組みが必要だという思いを強くした。そういう意味で、マンション管理については、第三者管理方式の早期導入と移行が、住宅履歴情報については不動産業者が主導して成功事例を残すことが必要だと思う。
 前半と後半でかなり課題の対象が異なったため、全体としては雑駁な印象となった研究会だが、個々の課題は個別に興味深い。また直面したら深く考えよう、と頭を振ったら全てこぼれ落ちてすっきりした。

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2010年1月 5日 (火)

建築史から何が見えるか

 同時に発行された「建築史に何ができるか」は、平戸等での町並み保存の活動や研究を中心に書いた論文やエッセイを集めたものだったが、本書は建物単体の保存や歴史を巡って書かれたエッセイ等を集めたものである。
 第1章の「建築史を語る」は、日本文化と古建築などに関わるエッセイが集められているが、第2章「数寄空間を語る」、第3章「建築の用語を考える」、第4章「建築課を語る」はそれぞれ特定のテーマに沿って書きためたものが集められている。
 中でも、第2章「数寄空間を語る」が面白い。中でも「修学院御幸記」は霊元法皇の修学院離宮への御幸の記録を解き明かし、離宮がいかに使われてきたかを示しており、興味深い。以下に引用したとおり、「如何につくられたか」と同程度に「如何に使われたか」は建物を見る際に重要な視点の一つだ。
 読み終わって、「建築史から何が見え」たのか。その一つが、建物を形と美からではなく、用の視点から見ること。これこそが、本書を読んで建築史から見えてきた建物のあり方、造り方であった。

●日本人が、自然を対峙し克服すべきものと考えず、共存すべきものとして認識してきたことがよくわかる。そのための生活上の知恵と工夫を、先人たちは積み重ねてきた。住居は、その生活を包むものである。柱と梁で骨組みをつくり、建具を多くして開放的にした日本の住居は、その生活にふさわしくでき上がったのである。(P023)
●庭や建築の素晴らしさはさまざまに語られているが、その使い方はほとんど不明のままにされてきた。・・・見るだけのものではなく使うものだった以上、使い方に触れずに価値を論ずるのは片手落ちである。使い方は形に残らない。残らないから見えない。見えないから無視されてきた。見えないと言えば、もう一つ、今はなくなってしまったために見えないものもある。これもやはり忘れられてしまう。(P142)
●江戸は大火の多い町であった。・・・二百年で二十一回、平均十年に1回は大火があったのである。一つの町が焼ける程度の火事は、このほかいくらでもあっただろう。火事だけでなく地震もあり、洪水もある。家が十年二十年と長持ちするとは、江戸の町人は、考えたくても考えられなかったであろう。「宵越の銭は持たねえ」という江戸っ子の啖呵は、その日暮らしの貧しさを示すと同時に、火事が多いため、貯蓄の習慣が身につかなかったことを示してもいる。(P182)

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