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2010年7月

2010年7月27日 (火)

「生協のんびり村」の暮らしと活動

 東海市と言えば、「デフレの正体」で藻谷浩介氏が、太田川駅前を「好景気にも関わらず閑散な駅前の代表」として取り上げていたが、「生協のんびり村」はその太田川駅から河和線で2駅目、南加木屋駅から歩いて5分ほどのところにある。南加木屋駅の東から北に広がる田園地帯は、2006年まで区画整理予定地に指定され、建築制限により緑豊かな環境が守られてきた。区画整理が中止となり、地主さんから土地提供の話がやってきたとのこと。

Dsc00983_3  事業主体は「南医療生活協同組合」。全国に115ある医療生協の一つで、愛知県内には名古屋を中心に、北医療生協、みなと医療生協と、この南医療生協の3組合が設立されている。南医療生協は伊勢湾台風(1959年)後の救援活動から出発し、1961年に設立。以後、名古屋市南部から知多半島一帯、さらに東は岡崎市まで活動を拡げ、現在11ブロック、75支部、725班で構成されている。組合員約63,000人。出資総額約25億円。

 南医療生協と言えば、この3月、緑区大高に「総合病院 南生協病院」が移転・新築され、その立派な施設ぶりが注目をされたところだが、小規模多機能施設やグループホーム、多世代共生住宅で構成される複合型介護施設としては、20056年、名古屋市南区柴田に「生協ゆうゆう村」がオープンしており、この「生協のんびり村」は南医療生協としては二つ目の施設となる。

Dsc00985_2  東海市ブロックは1市で8支部1ブロックを組織しており、知多市以南の7市町村で9支部1ブロックを形成していることに比べると、ある程度、活動が活発なエリアと言える。これは、東海市が新日鐵の名古屋製鉄所やトヨタの子会社である愛知製鋼などが立地する企業城下町で、転勤族も多く、社宅や雇用促進住宅なども多く存在する土地柄が影響していると思われる。一方で、地域とは疎遠な住民も多く、「地域との共同」という点ではかなり苦労しており、この「生協のんびり村」づくりの過程で、組合員の増強・拡大を図ってきた。

 今回、説明・案内をしていただいたのは、非常勤・副理事長(なんと無給!)の山口さんと施設管理者の水上さん、竹馬さん。特に設立までの経緯については、近くに住むと言う山口さんが丁寧に楽しく説明をしていただいた。

Dsc00987  20056月に、東海市ブロックに百人会議「ひやく会」を設置。組合員の意見を聞きながら構想づくりを始める。「107プラン」と称する運動を展開。これは当時5支部を10支部に拡大するとともに、組合員を5,200人から7,000人に、そして2年間で6,000万円の増資を募るという計画。このため、夕焼け訪問等の活動を展開し、組合員を募るとともに、施設のPRを実施。「流しソーメンまつり」で1,000万円以上の出資を集め、20084月の棟上げ式では地域住民300人が集まる中で盛大に餅まきを開催。秋には一部施設を開所し、翌20094月には全体が完成。地域住民の参加も得て、竣工イベントを開催した。

Dsc00988_2  施設は、9人収容のグループホーム「ほんわか」、定員25名・1日利用者15名の小規模多機能ホーム「おさぼり」、そして18室からなる多世代共生住宅「あいあい長屋」と地域交流館「おひまち」、喫茶「ちゃら」から成る。グループホーム「ほんわか」は別棟の木造平屋建て。残りは一体の木造で、多世代共生住宅「あいあい長屋」部分が2階建てになっている。木造軸組構法で、地域交流館「おひまち」の天井には大きな丸太梁が現しとなっており、その他の部屋も内装に木材が積極的に使用されている。整備費は約3億円。うち東海市から地域介護交付金が認知症高齢者グループホームと小規模多機能型居宅介護施設の2施設に対して計3,000万円交付されている。また、組合員がウッドデッキの組立・塗装や木部のワックスがけ等に参加するなどの協力もあった。

Dsc00992  グループホーム「ほんわか」は利用料約18万円で、東海市では最も高額とのこと。現在、待機者は23名。入居者はほとんどが近在の人で、たいてい週に1回は家族が訪問に訪れるという。また、小規模多機能ホーム「おさぼり」もほとんど定員一杯の利用状況とのこと。みんなで喫茶店や居酒屋に行くなど、自由で気ままな暮らしを心掛けているそうで、今回の見学の際も、説明する山口さんたちの横に入所者がやってきて、「みなさんようこそいらっしゃいました」と挨拶をされたのには驚いた。

 一方、多世代共生住宅「あいあい長屋」のパンフレットには、「若い世代も入居できます」と書かれているが、残念ながらそういう入居者はおらず、まだ2室ほど空いている状況。1K6.5万円の家賃(他に光熱費)はかなり高額。食事サービスの利用者は2/3程度とのこと。募集はもっぱら口コミで、あまり満室にこだわってはいないようだが、「今後も同種の住宅を建設するか」という問いには、「もう少し状況を見て」と答えていた。

 また、地域交流館「おひまち」と喫茶「ちゃら」の利用率もイマイチのようで、現在、地域へのPR活動に努めているとのこと。無料で使える地域の集会所や公民館がある中では、これらの施設はなかなか難しい。

Dsc00994  同種の施設として名古屋近辺では「ゴジカラ村」が有名だ。「ぼちぼち長屋」という多世代共生住宅もある。「ゴジカラ村との違いについて、どう考えているか」という質問に対して、「ゴジカラ村は、吉田一平さんの強烈な個性と大規模地主という特性に支えられている。それに比べれば、医療生協は真面目です」と答えられた。ゴジカラ村が不真面目というのではないが、誰でもできるものではない。南医療生協の取組も誰でもどこでもできるというものではなく、南医療生協という強力なバックがあってこそ成立していると言えるが、こうした取組や形態が一般的になる可能性を秘めているとも思う。

 東海市からは、「交付金を支給するので、次の施設も検討してください」と言われているそうだが、その前にもっと地域に根ざすこと、地域交流施設が軌道に乗ることを真っ先に考えているようだ。利用料が高いのは、木造で作ったゆえの償還期間の問題もあった。建築的な興味もあるが、「生協のんびり村」が継続して運営され、第3・第4の「生協○○村」がさらに進化して誕生することを期待したい。

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2010年7月26日 (月)

団地の時代

 政治思想史を専門とする原武史。直木賞作家である重松清。昭和3738年生まれの同学年の二人による「団地」をめぐる対談集。

 原武史が書いた「滝山コミューン1974」を中心に、団地の同質性に根ざす政治性の観点から公開対談した「対話のまえに」に続いて、こちらはホテルの1室で行われた4つの「対話」を集めて掲載している。

 各「対話」はそれぞれ、「東京の団地っ子と『非・東京』の社宅の子」、「団地の西武、一戸建ての東急」、「左翼と団地妻」、「団地と西武が甦る時」というタイトルが付けられている。

 東京の団地で生まれ育った原と、転勤族の父親とともに地方の団地を巡りながら成長し、大学進学とともに上京して東京で暮らすようになった重松。最初は二人の経験と団地観を語ることで、団地の持つ多様性を明らかにし、併せて、高度成長期という時代性を見ていく。

 「『定期券』という制度が隠蔽するもの」(P49)。「日本の団地はなぜソ連型なのか」(P106)など、高度成長期が持つ集団的・社会主義的な性格が団地形成の中に潜んでいることを指摘する部分は、いかにも文系的視点で面白い。

 「対話Ⅲ」ではまさにそうした政治性と団地の問題について話題としていく。「社会主義の影響は?」(P140)、「団地と米軍基地」(P143)、「西武線と『赤旗まつり』」(P145)など。そこには団地の共同性が育んだ環境と遠距離通勤やいつまで経っても改善されない不便性などが影響しているが、その後、生活に根ざした政治性は意外と落ちついていく。共産党も思った以上に団地で支配的になるわけではない。

 「団地は社会主義、ニュータウンは資本主義」(P160)という段落があるが、そのニュータウンが時代の急激な変化に翻弄される中で、社会主義的な団地がその共同性を若者に評価され、意外に甦りつつあるという指摘は興味深い。

 建替事業に対する住民意識や自治会の役割について、UR団地に偏重し、必ずしも公営住宅も含めた「団地」として一般化できない内容に誤って認識している部分も見られる。また、「団地」と「マンション」、「団地」と「ニュータウン」と相対化する評価軸にも、多少違和感を抱かないでもない。しかし、全体的に時代の流れの中で変化していく団地の役割と評価が、専門家でないがゆえに思った以上に多くの事柄を巻き込んで表現されており、団地を作る側、管理する側から見ると、逆に新鮮に感じる視点も多い。

 「団地」をこうして同時代のモノとして見る世代が既に社会の中心となりつつあるのだと言う事実にも感慨深いものを感じる。取り敢えず、原武史の「滝山コミューン1974」をさっそく購入した。団地に潜む政治性をまずは読み、確認してみよう。

●団地は、僕たちが後追いで思う以上に、いわゆる戦後というものと密接に関係している。(P144)

●多摩平で、ボウリング場まで反対したお父さんお母さんは、そういう生理的な嫌悪感(立川が基地の街となり解放され、風紀が乱れたこと)を、子供の教育上良くないという論理にすり替えた部分もあるんじゃないのかなという気がするんです。「子供の教育上」というのがいろんな面で大義名分となって通用していて、今でも通用している。(P175)

●多摩ニュータウンは広い分だけ商いも大きくなるわけですよ。・・・いい時は「第四山の手」みたいな感じで言われ、だめになったらもうゴーストタウンというように、身の丈でゆっくりと年老いていく、だんだん日が沈んでいくような感じではなくて、ストン! なんですよね。だから、・・・滝山団地は確かに負けっぽい感じだけれども、じつは穏やかに負けているという感じがするの。(P187)

●もともと大都市には、壁はあってもないような木造長屋が多かった。それに比べるとコンクリート造りの団地は、壁もしっかりしているから、隣の物音が聞こえず、プライベートな空間を確保できるというのが大きな売りだったわけですよね。・・・ところが実際に住んでみると、共同住宅に何千世帯もが暮らしていて、生活サイクルも同じという共時性や同質性が強く感じられてくる。自治会も全戸加入を前提として作られる。だから最初から、二律背反的なものが団地にはあったわけですね。(P191)

●そういう若い世代は、プライバシーよりもむしろ共同性を求めて団地に入りたいと思っているんでしょうか。/若い人の中には、それはあると思うんですね。・・・/プライバシーが守れることではなくて、コミュニティができるという、そっちの方が団地のメリットになってくる。一戸建てや民間のマンションがプライバシー過剰だとするなら、相対的に団地がいま一番開かれた形態になってきたのかもしれませんね。(P229)

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