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2011年2月

2011年2月27日 (日)

高齢者の住み替えは善か?

 「高齢者の住まい」として最近、高齢者専用賃貸住宅が取り上げられることが多い。バリアフリー仕様は当然として、見守りや生活支援サービス等が付いた「安心できる住まい」という触れ込みである。生活支援サービスは応益加算としても見守りサービスのための経費がバカにならない。
 先日訪問した有松の高齢者向け優良賃貸住宅は、緊急通報システムは任意で、それ以外のサービスは一切付いていない。同一敷地内にデイサービスセンターがあることが安心感を加えているが、家賃は所得に応じて市から家賃補助が出るからそれなりに格安ではあるのだが、管理開始後半年が過ぎて、未だ半分は空室のままと言っていた。
 これには高齢者向け優良賃貸住宅に係る制度的な問題もあるが、そもそも高齢者はこうした高齢者専用の賃貸住宅に住み替えたいと思っているのだろうか。
 平成20年度の住生活総合調査によると、75歳以上単身の81.7%、65歳以上夫婦のみ世帯の81.0%は「現在の住まいに住み続けたい」と回答している。それぞれ「わからない」と「不明」が1割以上あるので、「住み替えたい」とするものは1割以下に過ぎない。
 高齢期における住み替え意向と住み替え先を聞いた質問もある。これによれば住み替え意向のある割合は、75歳以上単身で7.9%、65歳以上夫婦のみ世帯で7.3%であるが、このうち老人ホーム等の施設を挙げるものが3~4割を占め、サービス付き高齢者向け住宅は2~3割となっている。これらを掛け合わせると、サービス付き高齢者向け住宅の需要は高齢者世帯のわずか2%程度ということになる。
 自分のこととして考えてみても、健康なうちは今の住まいに住み続けたい。手助けが必要になっても、できれば今の住まいに住み続けたい。施設に行こうが、入院しようが、自分の居住地は今の住まいだと思うだろう。
 なかには今の住まいや住環境に不満のある人もいるだろう。子供世帯と折り合いが悪かったり、近隣トラブルもあるかもしれない。しかし、たぶんほとんどの高齢者にとって老人ホーム等の施設は子供等に迷惑をかけないために仕方なしに行くところで、けっして望んで行くところではない。サービス付き高齢者向け住宅も同じではないだろうか。
 もちろん単身高齢者者にとっては、広い部屋で一人暮らしするよりも、人の気配のする共同住宅の方が居心地がよかったり、安心ということもあるだろう。しかし逆にわずらわしさを感じる人もいるに違いない。昔からの知人や家族とのコミュニティは高齢期になればなるほど重要で、住み替えるにしてもそれらが途切れないことが必要だ。これらを一から作り直すというのは、高齢者にとってはかなり難儀なことだろう。
 こうして考えると、高齢期の住まい対策は、現在の住まいに住み続けられることを第一に考えるべきではないのかと改めて思う。そのためには在宅介護や生活支援の仕組みこそが大事であって、住み替えは次善の策であるはずだ。住宅に関して言えば、バリアフリー・リフォームが重要であり、たとえ住み替えるにしても、ごく近くにある必要がある。高齢期には高齢者向けの住まいという最近の風潮には、どこか胡散臭いものを感じる。

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2011年2月24日 (木)

公営住宅に併設された地域拠点施設

 都市住宅学会中部支部公共住宅部会で「公営住宅に併設された地域拠点施設」に関する研究報告を拝聴した。修士論文研究の報告である。この研究は全部で3つに分かれており、「その1」で全国17事例の現状分析、「その2」が開設場所に特徴のある4事例の分析。そして多分修士論文になったと思われる梗概が「公営住宅に開設された生活支援拠点の空間とサービス・組織連携の相互関係」である。
 同席された指導教官の方がおっしゃっていたが、当初、地域拠点施設の空間構成とサービス・地域連携の関係を全国事例から統計的に抽出したいと考えていたが、空間構成とその他との関連性が低く、かつその他の要因、例えば開設経緯や運営主体、自治体政策等との関係性の方が大きいことがわかり、最終的に熊本県営住宅健軍団地に絞って調査・分析を行っている。
 「その1」の17事例分析の中で、開設経緯として、(1)行政の住宅計画、(2)行政の福祉政策、(3)住民のまちづくり活動の3つに分類している。いや、正確には分類しようとしている。実は研究では、「(3)住民のまちづくり活動」は「団地内まちづくりの中で拠点整備に至る事例」とされており、(1)の住宅政策との違いが不明確である。分類結果を見ても、(3)と分類されているものの実態に疑問を持つものも少なくない。それはさておき、こうして分類した時に、「(2)行政の福祉政策」の役割が大きいことが見て取れる。
 「その2」では、(1)大牟田市営南橘団地、(2)大牟田市営新地東ひまわり住宅、(3)神戸市営本山第三住宅、(4)熊本県営住宅健軍団地の4住宅の比較検討をしている。この4住宅を抽出した理由は地域拠点施設の空間特性による。(1)は別棟、(2)は住棟1階に合築、(3)は空き住戸の活用、(4)は住棟1階+副拠点の存在である。また開設の経緯も異なる。(1)は団地建替に伴う余剰地の公募一般入札、(2)は団地建替に伴い提案型公募で事業者を決定し賃貸、(3)は市の見守り交流拠点整備事業の一環として空き家を活用、(4)は県の「地域の縁がわ事業」のモデル事業として改良住宅の建替に合わせて合築したものである。
 (1)の事例では土地も運営者に売却しており、活動内容は運営者に任されている。よって団地周辺を含めた地域拠点となっているかどうかは運営者による。(2)では住宅事業者が地域拠点施設の活動内容を選定して運営者を決定している。しかし合築のため、設計内容や整備期間、開設時期を合わせる必要がある。介護や保育などの社会福祉サービスを取り巻く市場はかなり流動的なはずで、公営住宅の建替とうまく合わせるのはかなり難しいのではないか。
 (3)は神戸市独自の福祉施策である。災害復旧基金を利用して整備をしているもので、既に市内25ヶ所に設置されている。見守り推進員が独居老人の見守りと地域の見守り活動の基盤づくりの活動などをしている。
 (4)の熊本県営住宅健軍団地もかなり特殊な事例である。建替前は改良住宅で地域福祉部が管理していたと言う。HPで調べると現在は土木部住宅課で管理しているので、当時はということかもしれない。地域福祉部も現在は健康福祉部という名称になっている。健康福祉部所管の「地域の縁がわ事業」のモデル事業として、当時所管していた改良住宅の建替に合わせて地域拠点施設を整備した。そもそも県営で改良住宅を管理していることが珍しい。「地域の縁がわ事業」のモデルとして運営主体のあり方についてかなり指導があったという話もあるようだ。結果として、地域のNPO等が連携した運営主体により、近傍の商店街の中に3ヶ所の副拠点を開設して子育て支援や雇用支援など多様な活動を展開する全国的優等生モデルとなっている。しかし「地域の縁がわ事業」があって成り立っていることは間違いない。
 公共住宅入居者の高齢化が進み、住宅事業者に対応を求める声が強い。高齢者向けサービス付きを売りに入居者を募集する高齢者専用賃貸住宅であれば対応は必然だが、公共住宅の場合は対応が後追いになりがちだ。特に住宅部局だけでは高齢者向けサービスを自ら提供することは難しく、福祉部局の積極的な対応がなければどうしようもない。もちろんかつての熊本県のように福祉部局で住宅管理も担当していれば、縦割りの弊害はないのだろう。そのためには、例えば厚労省を生活省にして国交省住宅局を吸収合併するなどの行政組織の改革が必要だ。
 国土交通省では高齢者等居住安定化推進事業を公募し支援しているが、公営住宅で取り組むためには、地方自治体の福祉部局が積極的でない限りかなり難しいと思われる。地域拠点のための用地や施設提供における優遇等が最大限できることではないか。それすら厳しい財政状況下では難しいのかもしれない。

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2011年2月15日 (火)

三河田原駅周辺のまちづくり

 愛知県田原市は先進的かつ積極的に住宅施策やまちづくりに取り組んでいる自治体である。古くはHOPE計画に取り組み、市街地再開発事業に取り組み、中心市街地活性化対策に取り組んできた。以下のサイトは2004年9月に田原市を訪れた時のものだが、それ以前の記録もリンクを辿っていくと、色々と思い出される。
「住宅施策を考える:田原市の中心市街地活性化への取り組み」
 最近では、一昨年10月に市営住宅を訪問した。ちなみに、この住宅は2010年度の住生活月間大臣表彰を受けている。
「すまいづくり・あれこれ:低層RCで造る 田原市緑ヶ丘住宅」
Tahara1316 さて今回、田原市の中心、三河田原駅周辺の土地利用について検討したいという趣旨で見学会が開催された。これまで市の都市・住宅関係の委員会等に関わった研究者の方々が主だったが、私も昔のよしみで声をかけていただいた。
 最初に再開発ビル「セントファーレ」の会議室で、田原市の都市整備の経緯や現状について伺った。
 平成8年度に田原市の都市整備の方向について、 (1)市立図書館の整備、(2)渥美病院跡地整備、(3)市街地再開発の推進、(4)駅周辺整備の推進などを定めた。このうち(1)~(3)は整備が完了し、(4)も次第に形が見えてきた。
 しかし、市全体の人口は微減傾向で、中心市街地は微増とはいうものに単身向けアパートが多く、地区内には空き家や空き地が目立つ。空き家・空き地バンクも始めたが、登録物件が少ないのが現状である。こうした状況を踏まえ、今後の田原市の駅周辺地区の都市整備の方向について改めて検討したい。
 ざっとまとめると以上のようであった。この後、街に出る。
Tahara1320 住民参加型で整備された「はなとき通り」の延長の都市計画道路は、再開発ビル「セントファーレ」の横を通って、三河田原駅の西側に向かっていく。前に来た時はまだ多くの建物が建っていたが、来る度に減少し、もうほとんど道路にかかる建物は移転してしまった。道路の形が空地となってはっきりわかる。
 都市計画道路は三河田原駅の西側を通って、区画整理事業で整備された広幅員の道路に接続する。三河田原駅は豊橋鉄道渥美線の終着駅なので道路が線路を跨ぐことはない。現在、駅の南側に駅前広場を整備中だが、将来的には道路に沿って歩行者空間が回り、駅の南北をつなぐ予定だ。
 駅前広場の南側には、市の公共駐車場が建設されている。その西隣も市所有地でホテル誘致を図ったが、リーマンショック以降、保留となっているそうだ。公共駐車場は月極5,000円で鉄道通勤利用者が多いようだが、まだ半分ほどしか埋まっていない。道路整備予定地内の土地を無償で貸し出していることも原因だと言う。ちなみに渥美鉄道も駅構内の一部を月極で駐車場用地に貸し出している。
Tahara1329 駅前広場の東に戸建て住宅団地がある。住宅地と駐車場の東側、汐川との間の土地に、最近、2~3階建ての鉄骨造の民間賃貸住宅が数棟建設された。トヨタ自動車勤務の単身者や世帯を当てにしたもので、ほとんど満室のようだ。ちなみに川向こうに愛知県住宅供給公社の賃貸住宅が見える。こちらはRC造5~8階建てでその違いに驚く。
 汐川は民間賃貸住宅のある辺りで支流の清谷川が分かれ、駅の南側を区画するように流れている。清谷川の南側は田原福祉センター。そこから南の田原赤石土地区画整理事業は平成8年に完了している。
 川沿いを歩き、道路予定地を渡る。フタムラ化学(株)の田原工場だ(会社の沿革を見ると、子会社のフタムラスターチ(株)の所有になっているかもしれない)。既に工場としての操業は中止し、現在は研究施設として使用している。小規模だが、化学工場らしくいくつもの炉が聳えるさまは、工場萌えの対象になるかもしれない。地元の方にとっては、駄菓子を製造していた原野産業(株)の工場として懐かしいようだ。その北隣には漁網製造の工場もある。
Tahara1343 この後、自動車で県道北、汐川沿いの松下公共駐車場まで乗せてもらった。こちらは134台あり、ほぼ満車。周辺地区の居住者、企業通勤者が大半だそうだ。かつてはここで二七の市を開催していたが、現在はセントファーレの駐車場で行っている。ちなみにこの朝市の出店者は近在の農家などで、よく賑わっているとのことだった。
 帰りは町中の路地を通ってセントファーレまで戻った。途中には柳町公共駐車場、路地奥の空き地に鉄賃アパート、北には渥美病院跡地に整備された市営福祉の里住宅などが見える。
 見学会が終わった後、道中を一緒に歩いていただいた市会議員の方から「OIDEN MAP 田原まちなかものがたり」という小冊子をもらった。横幅がA4の半分の縦長変形、表紙も入れて48Pの小冊子だが、田原の中心市街地の歴史や案内、昔話などが満載。特に興味深いのは「まちなか時空地図」と題して現在の地図の上にトレーシングペーパーで幕末近い文化5年(1808年)の古地図を重ね合わせたページ。当時の通りや家中屋敷が今にどう残っているか、どう変化したかがよくわかる。これを制作したのはNPO法人たはら本舗。田原のまちづくりに向けた様々な活動を展開しており、田原市検定なるものも実施中だ。
 こうした市民活動がある街は心強い。見学会後に感想を聞かれたが、新しい民間賃貸住宅が建設されているのを見ると、田原の中心地としての住宅需要はそれなりにあると思われる。今後重要なのはこの民間需要をいかにコントロールするかではないか。市民と連携した行政力が今こそ問われる。トヨタ自動車(株)の好調にも陰りが見られる昨今、都市整備・まちづくりの優等生、田原市の今後が注目される。

●参考
マイフォト「三河田原駅周辺のまちづくり」

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2011年2月11日 (金)

日本式都市計画に問われるもの

 愛知県知事選挙に元衆議院議員の大村秀章氏が当選した。その前日、ある都市計画研究者から「市街化調整区域の規制を骨抜きにしようとしている大村氏のマニフェストは許せない」という言葉を聞いた。大村氏のマニフェストには「市街地緑辺集落制度の導入など市街化近隣の調整区域の宅地開発を緩和」と書かれている。市街地緑辺集落制度がどういうものかよく知らないので論評を控えるが、調整区域の宅地開発を解禁しても、今後どれだけの開発力が日本の経済界にあるのか知れたものではない、と思った。もちろん某氏の危惧するのは、幽かな開発余力が市街化区域に向かず、調整区域にばかり集中することで、都市活力につながる機能的な都市像が崩れ、余力の無駄遣いによる都市崩壊を恐れているものと思う。それは理解するが、では日本の都市計画が達成してきたものは何かと問うと、現在の都市像がそれなのであって、それで胸を張れるかと言えば自信がない。

 日本建築学会の建築雑誌20111月号は「未来のスラム」特集である。興味があって手元に取っておいたが、2月号が届いたのであわてて読み出した。難しい論文はさておき、興味を持ったのは二つの鼎談とインタビューである。第1部の「UN-HABITATからの現状報告×『スラムの惑星』」は、長らくスラムの居住地改善を研究してきた日本福祉大の穂坂先生と国際NPO活動で著名な東京外大の伊勢崎先生、そして『スラムの惑星』を訳した日本学術振興会の篠原先生の鼎談である。穂坂先生は、随分前になるが、その著書「アジアの街わたしの住まい」に魅了された。住民の自助努力ベースの地域開発は説得力がある。これに対して伊勢崎先生が「それは『お上』性善説ですね」と一蹴する。伊勢崎氏が早稲田大建築学科吉阪研究室の出身だとは知らなかった。紛争論の立場から「低度の紛争が適度にある状態が一番いい」などラディカルな現実を暴く発言が面白い。篠原氏の訳した「スラムの惑星」はさらに暴露的で救いのない世界を描いているらしい。機会があれば読みたいと思う。

 今回、本誌で一番興味を持ったのは、東京理科大・渡辺教授のインタビュー記事「なぜ今東京にはスラムがないのか?」である。渡辺氏は日本の都市計画について正直に「『都市計画がスラム問題を解決した』というよりも、コントロールが弱かったために『市場メカニズムの力が解決した』とも言えると思います。」と言っている。さらに、圧倒的な住宅不足に対して貧弱な住宅政策を「庭先木賃アパート」や「文化住宅」がカバーした。「政府の『弱い住宅政策』を補うかたちで、庶民の知恵で住宅を建設したのです。出来上がった都市の姿はプロの目から見るとまずいのですが、問題解決の方法としては学ぶべき店があると思います。」と言っている。

 つまり、日本の都市計画は理想を示そうとしたが法権力が弱く、住宅政策に十分な予算を充当することができず、結局、日本の都市を造ってきたのは民間市場であり庶民の力であったということである。

 しかし同時にこうも言っている。「『近代都市計画は、豊かな社会、揃った条件のもとでの都市計画だ』ということです。経済的な豊かさだけでなく、例えば、官僚制や土地登記やマーケット機能など、基本的な社会条件が揃っているという、ある意味で特殊な状況のもとで、技術化され法制化されたものなのです。」つまり、高度成長と相対的に貧弱な行政権という状況の中で、欧米型の都市計画制度を当てはめようとしてきたことには無理があり、現在の状況もむべなるかなというわけだ。

 しかし現在、高度成長を続けている国々においては、日本の失敗と達成の状況こそが参考になる。「21世紀アジアの都市問題に対して、日本の都市計画家や建築家がしっかり貢献できなかったら、『おまえたち20世紀の間中、いったい何やってたの』と問われるのではないでしょうか。」と渡辺氏は檄を送る。

 今回、建築学会が「スラム」を特集したのは、当然、こういう気概と問題意識があるからだろう。そしてそれは日本の現在の都市計画のあり方を見直すことにも通じる。市街化調整区域の開発を容認することは確かに間違っているかも知れない。しかし、それに固執しているだけでも進歩はない。民間市場や庶民の力を相対的に見極めつつ、日本の都市計画制度のあり方について再検討することが必要ではないか。特に、経済的な民間活力が低迷する中で、市民力を生かした都市計画のあり方を構想することは今までの失敗をやり直すためにも是非とも必要なことのように思う。

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2011年2月 8日 (火)

有松の町並みを歩く

 有松の高優賃を見た後で、有松の町並みを歩いた。

Arimatu1274  まずは、街道沿いを西に向かった。竹田中升荘の右向かいには山車蔵が、左向かいには玄関引き戸袖の腰壁をナマコ壁にした住宅がある。美しくはないが配慮はしている。しばらく歩くと竹田嘉兵衛邸がある。1階屋根上に掲げられたガス灯が特徴的だ。1階の細かい板格子、2階虫籠窓の丸金棒のような細い格子が繊細で美しい。「加」の文字が入った丸瓦が使われ、側面には特徴的な文様が描かれている。

 有松の街道は自然に蛇行しているのが心地よい。張り出した庇を格子で囲って車庫?にする民家があり、赤い昔ながらのポストがあって、古い建物が続いている。左右にナマコ壁、2階は白壁塗込窓の商家が岡邸。2階庇下の塗込めが波状になっているのが特徴だ。

Arimatu1284  繊細な造りの町家が多い中で、小塚邸は豪壮な造りだ。両側にうだつが上がり、2階の壁も虫籠窓の格子が太くて荒々しい。天明の大火(1784)後に建造されたというのは有松の中でも古い部類に入る。1階に外柱が並んでいるが、土間に木柵が並び、あまり目立たなかった。その隣には黒い下見板壁に上部の漆喰壁がまぶしい蔵が建っている。上部中央の庇と窓が印象的。町家を1軒挟んで西町山車蔵。端正な外観だ。ここには有松祭りの3台の山車の一つ、神宮皇后車が収められている。

 このあたりが西の端。高速道路の遮音壁が立ちはだかる。きびすを返し東へと戻る。都市景観重要建築物に指定されている町家以外の建物もよく景観に気を使っている。ガス灯が残る商家、細い格子やナマコ壁はこの地区の特徴だ。伝建地区指定を目指す活動も続いているようだ。

Arimatu1289  突然、鉄筋コンクリート造の薬屋が現れる。2階・3階の窓を縦につないだ白い枠は、けっして有松の景観にマッチしているわけではないが、どこか優しげで懐かしい感じがする。同行した友人が「これ、昭和30年代のアパートですよ」とささやく。どれどれと覗くと、裏手に3階建ての住戸が連なっている。うら寂しい雰囲気が意外に古びた時代に合っている。

 「こうした町が観光化で生きていくことは無理なんですかねえ」と同行者の一人が言う。「無理でしょう」。住民一人一人が町並みを愛し、守っていくしかない。「たばこ」の箱看板が乗る店舗。唐子車(からこしゃ)山車庫は3体の唐子からくり人形を乗せた山車を収めている。背が高く茶色に下見板がよく目立つ。

Arimatu1291  駅前に区画整理で整備された広い道路を渡り、東側の通りを歩く。渡ってすぐ左手には、神半邸を再生利用し、カフェやレストラン、パン屋などが入っている。とりあえず通り過ぎて隣は中濱邸。入口に掛けられた紺色幕がいい感じ。道路沿いに大きな石が置かれている。左側には2階建ての土蔵。白壁が煤で汚れ、雰囲気がある。

 服部邸、屋号井桁屋は街道随一の大屋敷。1階の庇下に家紋の入った幕が吊され、有松絞りの小売も行っている。2階は黒壁の虫籠窓が並び、うだつも立派。本屋敷の左には板塀が続き、屋根越しに松が生い茂る。右隣には服部良也邸。土蔵が立派。腰のナマコ壁は黒壁。道路から見て平入りの蔵と妻入りの蔵。間に片流れの下屋と黒板壁の木戸が付く。右隣には1階が茶色に格子壁、2階は白壁塗込めに木格子の商家が続く。

Arimatu1300  その先には、RC造の有松鳴海絞会館や有松山車会館があるが、伝統的な町家は少なくなり、錆の浮いたトタン壁の車庫の先にマンションが見える。隣には見事な松と町家。平入りの民家に妻入りの町家風の看板を建てた看板建築。テント張りのガレージ。白塗込虫籠窓に細かい格子の町家。持出し看板に格子と下見板壁、銅板飾りの戸袋のある商家。1階外柱に格子壁からショーウィンドーが張り出す工芸店。寿限無茶屋は築100年の民家を利用したうどん屋さん。雑多な建物が並ぶ。統一的な景観整備ができればいいが、やや雑駁な感じになっている。

 昼食は街道を戻って神半邸のレストランへ。おもての間はカフェになり、土間の突き当たりはパン屋。土間から見上げると豪壮な小屋組が見える。レストランは2階の座敷にイス・テーブルを並べてゆったりと食事。町家のこんな使い方はいいが、人通りを考えるとこれ以上増えることは営業的に厳しいだろう。

 繊細な町家、ゆったりとした雰囲気。やっぱり有松はいい町だ。しかしこの町を残していくのは難しい。住民の思い如何にかかっているのだと思う。

●参考

フォトアルバム「有松の町並みを歩く」

「有松・鳴海絞会館:町屋建築」

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2011年2月 2日 (水)

有松の古民家再生プロジェクト

 旧東海道に面した有松は、江戸末期の町家がよく残り、歴史的な町並みとなっている。名鉄有松駅から街道を西へしばらく行ったところに、目的の中升竹田邸がある。いや、あったというべきか。

Dsc01252_2 江戸末期と言われる旧町家は、かつては有松絞り関係の商家だったが、その後老朽化し空き家となっていた。所有者は広大な土地の活用を図るため、当初は取り壊してアパート経営を考えたらしい。しかし、ぜひ保存してほしいという周囲の声もあり、また今話題の河村市長(前?)の声掛かりもあって、保存しつつ活用していく方策を検討することとなった。

 今回、現地を案内していただいたのは、所有者から建物管理を受託している()クルーズの方。保存の期待は高かったものの実際に調査をしてみるとかなり老朽化しており、使える材を使用しつつ、従来の外観を復元するという方針で再生することとなった。

Dsc01260 街道に面した部分は店舗・飲食店等の商業的な用途も検討したが、観光者数もそれほど多くないこと、また周辺地域の高齢者人口が多いことから高齢者デイサービスセンターとして賃貸することとなった。またその背後には、和風黒塗りの外観を持つ木造2階建ての高齢者向け優良賃貸住宅を建設。敷地の南には高い楠と緑地が残り、歴史的な町並みに溶け込んだゆったりとした住環境が実現している。

 再生・復元に当たっては、名古屋市が開府400年記念事業として「有松まちなみ保存ファンド」を設置。保存に係る経費660万円を目標に募金を行った。有松まちづくりの会が発行する「有松かわら版 第6号」によれば670万円余集まり、残りは名古屋都市センターの「まちづくり基金」に寄付されたという。

Dsc01257  外観はきれいに保存されている。室内に入ると、思ったほどには古材が使用されていないことに少しがっかりする。大梁は45本、古材が用いられているが、1本を除き、途中で継いである。表に面して筋交いが設けられており、現行基準に適合させるためには仕方ない。しかし小屋組はあらわしとなっており、古家具なども入れられ、古民家の中という雰囲気は十分に伝わる。高齢者にとっては懐かしい気分がするのではないか。

 高齢者向け優良賃貸住宅は2階建て8戸の小さなものである。1偕に4戸。いずれも引き戸で入る。2偕に上がる階段が2ヶ所。これも1偕住戸の玄関引き戸に並んで設けられた引き戸を開けて入る。

Dsc01266  室内は1K、約33㎡。居室の壁には、緊急通報ボタンと生活リズムセンサー用の外出・在宅ボタンが並んでいる。つばめタクシーと契約し、緊急時には運転手が駆けつけることになっている。ただし有料3,150円。現在の入居者は誰も利用していいないそうだ。家賃は65,000円だが、収入に応じて市の補助が最大23,500円受けられる仕組みになっている。他に共益費7,000円が必要。駐車場も各戸1台ずつ用意されているが、利用者はほとんどいない。現在8戸のうち4戸が入室。1戸は入居後すぐに体調が悪化して退去されたそうだ。

Dsc01264_2  昨年の7月から入居を開始したが、思ったほど入居が進んでいない。()クルーズによると、高齢者向け優良賃貸住宅制度の仕組みとして、仲介業者への手数料等が認められていないことから、募集情報が高齢者にうまく伝わっていかないことを最大の原因として挙げていた。その他、入居資格があり、毎年、収入証明が必要になること、礼金が取れないことなど制度に伴う隘路はよく聞くところだ。

 入居者は近在の方や有松に縁のある方が多いと言う。デイサービスセンターがオープンすると、口コミでもっと広まるだろうか。表棟と住宅棟の間に広がる駐車場に面してベンチが置かれている。この空間で住宅居住者とデイサービス利用者の交流が始まれば、施設全体が生きてくるだろう。

●参考
フォトアルバム 「有松の古民家再生プロジェクト」

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