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2011年3月

2011年3月31日 (木)

田原市へ「農業ごと疎開」の勧め

 田原市のまちなか整備の方向を検討する研究会が開かれた。学識者の方々がさまざまなビジョンや方策を話され、地元の方も旺盛に応えられ、活気のある時間だった。私もつまらない字句の修正指摘に加え、いくつか思いついたことをしゃべった。みんなもそうだが、東日本大震災に触発された着想が浮かぶ。私から話したことや心に残ったことをいくつか書き留めておきたい。
 参加する前から話そうと思っていたことの一つが「菜の花」だ。先日、女子高校生たちが菜の花を手に浜岡原発反対のデモ行進を行い、中部電力に申し入れをしたという話が「池田香代子ブログ:菜の花革命」に載せられていた。
 田原市は愛知県内では有数の風力発電を推進している自治体だ。市内には10数機の風力発電機が設置され、日々発電を行っている。また、たはらエコ・ガーデンシティ構想を平成15年度に公表し、菜の花エコプロジェクトなど多くの取り組みを進めている。実際、菜の花は田原市に早春を告げる野の花で、毎年1月には菜の花まつりも開催されている。
 「反原発を推進しろ」というつもりはないが、「菜の花」を田原市のキャッチアイテムとして、エコシティ施策を推進することは重要だと考えている。
 話し合っている中で出てきたもう一つの重要なキーワードが「健康」だ。町村合併により伊良湖岬の先端まで渥美半島全体が田原市となった。太平洋岸に沿って渥美サイクリングロードが整備され、毎年9月には全国的規模のトライアスロン大会も開かれている。また、太平洋に直接面する表浜海岸は全国有数の波ポイントの一つであり、サーフィンの世界大会も開かれているほどだ。市内に住みつくサーファーも増えているという。外者はまちづくりの重要なキーパーソンだ。「健康」をテーマとしたまちづくりは、田原市にもっともふさわしい。
 私からは、都市整備を推進する中で目立ってきた空き地をいかにコントロールしていくかが重要だということを言わせてもらった。開発圧力はもちろん高度成長期のような急激なものではないが、周辺地域に比べればはるかに高い。特に都市計画道路の整備もようやく終わると、今は「骨粗鬆症の町」と卑下していても、あっという間に空き地が建物で埋め尽くされる可能性がある。某先生から「埋め込み型宅地開発」という言葉をいただいたが、そのコントロールは市にとって今後重要な課題の一つになると思っている。
 さらに、このエントリーのタイトルにも掲げ、この記事を書こうと思った最大のテーマが「農業ごと疎開の受入れ」だ。
 田原市はトヨタ自動車(株)とその関連企業等の工場立地により近年急速に発展してきたまちだ。だがその前には、豊川用水の開通により農業のまちとして発展してきた歴史がある。何と農業出荷物の市町村別産出額では全国一を誇っている。主な作物は、キャベツやブロッコリー、レタスなど。また渥美町を合併し、温室メロンなどの果物に加え、電照キクで知られる花卉栽培も盛んだ。さらに、牛や豚、鶏、ウズラなどの畜産も盛んでブランド化も進められている。食料自給率は100%を越えている。
 しかし一方で高齢化とともに離農する農家も増えており、遊休農地も少なくない。今、福島県や茨城県では、放射線の影響で出荷制限や摂取制限のかかる野菜や原乳が出てきている。福島原発の最終的な処理にはまだ数ヶ月から1年を越すような時間がかかると言われている。また、出荷制限がかかっている野菜だけでなく、農業全体がいわゆる風評被害により苦戦している状況にある。
 こうした中で、国や茨城県などの各県では、農家の損害を最大限補填し、将来的な復興を支援する方向で考えていると思う。しかし、放射線被害という長期にわたり影響を及ぼしかねない状況の中では、今までと同様に元どおり復興するには相当な期間がかかるし、その間の損害を補填し続けるというのも相当に大変である。
 人だけがとりあえず避難する疎開はまだ簡単だが、疎開先での雇用の問題も語られ始めている。しかし、農業などの土地に張り付いた産業の場合はそう簡単にはいかない。一方で、茨城などの産地で高い収益率を挙げていた農家の技量は捨てるには惜しいものがある。
 であれば、当面、遊休農地や農業関連施設のある全国の農村等へ「農業ごと疎開」するということが考えられてもいいのではないか。もちろん、被災地の自治体にとっては不本意であり、また復興の意欲を削ぐ不謹慎な提案だと言われるかもしれない。しかし、情報だけでなく実際の農業技術を持って疎開し、現地の農家と交流することは、被災農家とっても益があるに違いないと思う。少なくとも被災に伴い、農業を廃業したり、損害賠償でもって生活するよりは、はるかにましだ。
 ひょっとしたら、東北・北関東産の野菜の出荷が低迷する機会に、販路の拡大を狙っている全国の産地があるかもしれない。それももちろんアリだと思うが、それならぜひ「農業ごと疎開の受け入れ」を考えてほしい。

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2011年3月25日 (金)

三低主義

 建築家・隈研吾と社会研究家の三浦展の対談本。両者ともここ10年近く注目してきた人たちだけに本書を読むのを切望していた。その期待にそぐわない興味深い本に仕上がっている。かつ読みやすくわかりやすい。
 戦後建築家の第1世代と言われる丹下健三や第2世代の磯崎新、黒川紀章らは、高層で高圧的で高尚な建築を作ってきた。これを「三高主義」と例える。安藤忠雄や伊東豊雄の第3世代は、軽くてチープで安藤に至っては出自も「低」を売りに、旧世代の「高」に対抗する。しかし、これは隈自身があとがきで書いているとおり、建築家という看板を掲げて仕事をしていること自体が「三高」である。その中でも隈研吾は、保存系、和風系の仕事をこなし、「三低主義」にこだわってきた。
 これが三浦の言う「シンプル族」と呼応する。リノベーションと言っても今や、R不動産を代表されるようなブームとさえ言える状況になっており、既に「三高臭」は漂い始めているのかもしれないが、「三高」から逃れられない建築家という自己認識も踏まえて、「三低」の視点から、都市づくり、建築物を見ていく。
 そこでは例えば「都市のイオン化」が否定され、コルビュジエや宮脇檀が再評価され、ルドルフ・シンドラーが持ち上げられる。アレグザンダーですら斬り捨てられる。
 第3章は「借りる建築、借りる都市」。私有が日本人を、日本の都市や建築をダメにしたと斬り捨て、コーポラティブ賃貸やコレクティブな住まい方、シェア居住等が話題となる。「シェア」は三浦展の最新刊「これからの日本のために『シェア』の話をしよう」でも取り上げられている三浦の最近の関心事項だ。
 最後のほうで、隈が「建築の設計っていうのは、結局すべて『場所のリノベーション』じゃないか」とつぶやく。建築するだけでなく、ほっておくことですらリノベーションではないか、と。
 都市や建築が偉大であったのは、かつて全てのモノは都市や建築に関わって存在したから。だが、ネットやデジタル環境が人間にとってその存在感を増すにつれ、都市や建築は相対的に小さくなってきた。相対化され、身近になった。「三低主義」とはそうした時代の必然の産物だと思う。なぜ「三低主義」なのか。そのことを考えてみるのもまた面白いかもしれない。

●かつての都市や建築は「偉大」であることがテーマだった。だから「高圧的」だった。近代になると、さらに「高層」の建築がいいということになる。ポストモダンになると、思想的にも「高尚」な建築は好まれもした。/ところが今は、そんな偉大で高層で高尚な、つまり「上から目線」の建築なんてものを求める人はあまりいなくなった。・・・むしろ、低層、低姿勢(かわいい)、低炭素、あるいは低コストなどのほうがよいと思われ始めている。(P7)
●ある種の男根的な計画は実際に実現してしまうと、計画では作れないような猥雑性が自然発生的に余白の部分に育ってきて、そこが男根的なるものの悲劇性を垣間見せてくれるようで、僕にはとても魅力的ですね。・・・僕が一番手におえないのは20世紀の官僚たちの手による中途半端に男根的な都市計画ですね。いわゆるニュータウンってやつはだいたいそうですけど、あれは科学ってコンドームをかぶった男根なんだよね。(P46)
●日本人は私有すると自分勝手になってだめになる。パブリックの観念が希薄になる。・・・ところが借地借家だと、もともと公共財を共有している、たまたま今は自分が借りて使っているという意識が働きますから、かえってパブリックな意識が醸成されるという面もあると思いますね。(P116)
●壊れることがそもそも宿命である建物、美しく風化することを受け入れざるをえない建築という弱い存在をつくっている人間として、建築を商品として分譲するという仕組み自身が非人間的だと僕は思う。(P214)
●建築の設計っていうのは、結局すべて「場所のリノベーション」じゃないかって、最近よく思うんだよね。・・・なんにも建てずに地面をそのままほっておく、なんていう行為も、場所のリノベーションには違いないわけで、ほっておくっていっても、完全にそのままフリーズするっていうのはない。そもそも無理なわけで、雑草がはえてくるとか、ほこりがたまってくるとか、必ず何か手を加えてそこをリノベしたことになるわけで、新築もほっておくことも、どちらも場所っていう切断しようのないとてつもなく大きなものに対する愛情表現なんです。(P220)

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2011年3月17日 (木)

国は早急に疎開対策を検討せよ!

 福島原発の被害が広がっている。今後の状況は予断を許さないが、既に福島県民全体の自主的な疎開が始まっている。今後は首都圏でも西日本に実家を持つ女性や子供の疎開が始まるはずだ。政府は、福島原発による影響を最小限に抑える努力をしていることもあり、自主的疎開行動を抑える方向で動かざるを得ない。しかし、国民、特に福島県民は、既に政府のプロパガンダを信じられない心境に至りつつある。既に検討が始まっているかもしれないが、国交省住宅局は早急に東日本住民の疎開行動に対する対策を検討し、対策を講じる必要がある。
 東日本大震災に対応し、全国の公営住宅で空き家を提供する対応が始まっている。しかし、どうやって提供していくのかは各自治体に委ねられているのが実態だ。大阪市は15日から受付を開始したという。愛知県では18日から募集を開始するそうだ。募集要件を見て驚いた。申請申込書に住民票と罹災証明書を添付しろ、と書かれている。
 これはあくまで地震被災者を想定したものであり、福島県からの疎開者は想定外だ。しかし、地震被災者だとしても、住民票や罹災証明の発行は既に始まっているのか? 運転免許証などの住所地を証明する書類があれば足りる、という対応がされるかもしれないが、役場自体が流出した市町村もあり、後日確認は困難を極める。親族による代理申請を認めれば、仮押さえの行動が始まり、あっという間に全国の公営住宅が空き家のまま抑えられる自体にもなりかねない。
 国は、全国の公営住宅の供給可能戸数を発表するだけで、それを被災者にどう提供するのか、その方針を示していない。公営住宅の募集と情報提供は、被災地において、全国で統一・集中的に行うべきで、国はそのための方針を早急に示すべきである。
 既に福島から逃げてきた家族が、新潟県のネットカフェで高山市内の定住促進住宅が開いているのを見て、さっそく入居したという記事が新聞で大きく扱われていた。名古屋でも当面ホテル住まいをするという避難者が現れはじめている。こうした疎開者に対する対応が全く検討されていない。
 場合によっては、被災地から遠い地域の公営住宅は疎開者への入居を第一とすべきかもしれない。福島県の人口は約200万人。疎開者の数は100万人近くなる可能性がある。疎開者のための仮設住宅の建設も検討する必要がある。
 現実的には、民間の空き家の供出だろう。相続対策等で建設され、空き家となっている民間賃貸住宅が平成20年の住宅・土地統計調査によれば、全国の空き家総数は756万戸、このうち賃貸用空き家は412万戸ある。空き家となっている要因は、立地、老朽化、高家賃などいろいろ考えられるが、人口が減少する状況では需要が足りないということだろう。しかし、疎開行動により、一気に需要が活性化する可能性がある。立地等によっては家賃高騰も考えられる。一方で、被災者は基本的に収入が途絶しているケースが多い。市場に委せておいてうまく機能するだろうか。
 今回の震災で国は民間の賃貸住宅関係団体へ住宅支援への協力を要請している。しかし公営住宅のように無料で入居させるという話にはなっていない。従来の震災対策であれば、市場家賃で借り上げ、応急仮設住宅の一つとして利用するというものだ。だが、疎開対策としてはどうすればいいのか。民間賃貸住宅市場をうまくコントロールする方策と方針を定め、実施していく必要がある。
 以上のことは既に国において検討が始められていると思いたい。しかし、これまで公表されている国の動きは、阪神・淡路大震災の教訓を下に動いているように思われる。これまでの経験に囚われない発想が必要だ。既にそういう状況になりつつある。早急に疎開対策を検討せよ!

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