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2011年6月

2011年6月16日 (木)

新たな担い手たちが共に創り育てるまち

 6月8日に開催された「あいちまちづくりシンポジウム」は、「新たな担い手たちが共に創り育てるまち」をテーマに、地域住民が主体となったまちづくりを実践している名古屋学院大学の水野教授と、NPO法人岡崎まち育てセンター・りた事務局長の三矢氏が講師となり、それぞれの講演と両者によるトークセッションが行われた。少し遅れての出席となったため、水野氏の冒頭の部分を聞けなかったが、期待以上に面白いシンポジウムだった。
 前半の水野教授からは、「まちづくりの担い手としての大学・商店街・NPO」と題して、学生がゼミの一環として商店街の活性化に関わってきた瀬戸市銀座通り商店街と名古屋市熱田区の日比野商店街での体験を語られた。レジュメには「銀座通り商店街物語」(2001年~2007年)と題して13話に及ぶ項目が挙げられており、これに沿って話を進められた。
 水野先生のブログ「まちづくり活動記録」を見ると、第1話から第4話までが紹介されている。多分これから第13話まで書き足していく計画なのだろう。その中で、特に先生が強調されていたのは「第5話 続けるための祝詞・職務分掌」だろうか。大学の中で、また地域とも、取組についての関係者の位置付けや関わり方をはっきり明文化しておくことが継続・発展のためには不可欠という話だ。
 学生が運営するカフェ「マイルポスト」については公式HPに詳しい。瀬戸市銀座商店街はその後、経済産業省「がんばる商店街77選」に選ばれ、瀬戸市も注目し支援を始めている。また、「第13話 勝ち馬に見せることで人は集まってくる」では、「話題性、社会性、継続性が大事だ」という話と、「事業ミッションから地域ミッションへ」という話をされていた。
 後半の三矢氏からは「市民的自由をつなぐNPO-Libraと岡崎のまちづくり」と題して、岡崎市の中心市街地・康生地区に完成した「岡崎市図書館交流プラザ(愛称Libra)」を巡り、施設利用を核に設立された市民グループ「りぶらサポータークラブ」、地元商店主を中心としたNPO法人「岡崎都心再生協議会」、そして三矢氏らが設立した市内のNPOを支援するNPO法人「岡崎まち育てセンター・りた」の活動などが紹介された。
 「りぶらサポータークラブ」では、施設側の取組とは別に、託児サービスや昔語り活動、周辺散策マップの作成・配布、利用者の統計分析などを自主的に行っている。また、「岡崎都心再生協議会」では、商店街店主による市民向けゼミナールなどの活動が行われ、これらの市民団体が集まり、「りぶらまつり」も開催されている(あ、今年は今週末の6月18日だ)。
 もう一つ、三矢氏が紹介していた活動が「青空クリエイターズフェスタ@籠田公園」だ。これは中心市街地でブティックを経営する女性が、籠田公園に全天候型の舗装がされるという話を聞いて、芝生にしてほしいという思いから、芝生の維持管理を地元で捻出しようという企画として始めたイベントだ。この経緯が当日配布された「岡崎まち育てセンター・りた」のニュースペーパー「Litaracy」に書かれているが、講演の中で三矢氏が披露したのはその女性が毎日続けているクリーンランニングの話だ。地域への恩返しの気持ちからジョギングがてら公園の掃除をし、そこで出会った事柄を岡崎市のSNSオカコミュに綴っているもので、そこから様々な出会いや取組への発展の芽が生まれていると言う。
 これらのLibraを巡る地域の多様な活動は全くもって目を見張る思いだが、活動が今後どう継続・発展するか、また、籠田公園はどう生まれ変わるのか、どんな活動が生まれるのか。三矢氏と岡崎の今後の動向に目が離せない。
 シンポジウムの最後は両者によるトークセッションである。「まちづくりの担い手を育てる5つの秘訣」と題し、「おす」「つなぐ」「覚悟する」「続ける」「越える」の5つのワードを巡り、まちづくりの秘訣について話をされた。様々な話が展開されたのだが、何より二人ともとても楽しそうだったのが印象に残った。
 「まち」を舞台に「遊ぶ」というのは、私のこのブログのテーマの一つだが、それをまさに実践している二人だった。もちろん「遊び方」は人それぞれだが、まち遊びが各地で多く実践されていることは、私もうれしい限りだ。みんなもっと楽しんでください、とエールを送ろうと思う。

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2011年6月14日 (火)

国・地方・政治家の役割 復興の進め方を考える

 土曜日に放送されたNHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 第1部 復興はなぜ進まないのか  ~被災地からの報告~」を少しずつ見ていっている。ようやくながら宮城県では復興への模索が始まったことが報告されていた。その中で、「国の復興方針が示されないので、決定することができない」という声が多く報じられていた。
 先々週の不信任決議とその後の首相辞任にまつわる報道の中で、被災地から「こんな政局をやっている場合か」という怒りの声が多く伝えられていた。私はそのことに強く違和感を感じた。なぜなら震災復興の作業の中で、政治家が果たすことのできる役割はほとんどないのではないかと思うからだ。
 震災復興の具体の業務は基本的に行政の仕事だ。中でも市町村が一義的にその役割を担い、内容に応じ県が役割分担をしつつ支援を行う。国は大きな方針を示し後方支援するというのが基本的な構図だと思う。そして国会議員は政府が示した後方支援のフレームに対して承認を与え、修正を加える。
 首相や政権与党は、国家官僚を指導してフレームづくりを行う。「3ヶ月仕事振りを見ていたが、その役割が十分果たされていないのではないか、これ以上はまかせておけない」というのが、野党や政権担当から外されている与党議員の意見であり、不信任決議案の趣旨である。その点では理屈が通っており、政権を担当していない国会議員にとってできることはこれしかないとさえ言える。もっとも国会など欠席して自らボランティア活動等に取り組むという選択肢もあるかもしれないが。
 今回の放送では、宮城県が主導的に復興計画を策定し、市町村へ提案している姿が報じられていた。その中で「国の方針が示されない」ということを多くの首長が語ったわけだが、この場合、国に期待してる方針とはなんだろう。具体的には「復旧する防波堤の高さが示されない」という言葉があった。そこにヒントがあると思う。
 国は復興構想会議などを開催し、復興ビジョンを策定しようとしているが、地区ごとの復興計画は先にも書いたとおり市町村が一義的に担うべきことだ。そうすると国の方針は二つ考えられる。市町村等で作られる復興計画を集め、国として財源等を鑑み、歯止めをかけ、かつ望ましい復興計画のモデルを示すこと。現在、国はこうした方向を目指しているように思われる。しかし、市町村がほとんど機能していない現状で、こうした取組はほとんど困難ではないのか。
 とすれば、国が示すべきはもっと大きな方針である。それは、震災前の状況まで復旧するのか、再度の震災に備えたもっと大規模な施設整備をめざすのか、のいずれかの方針を示すことである。ひょっとしたら、一部の地域は従前まで復旧しない、という方針もありうるが、いずれにせよ、どの方針を採るのかを示すことが今、いや震災後1ヶ月以内に示されるべき方針ではなかったか。
 現実的な方針として、「当面、従前の状況まで復旧する」こととして、そのための財源等を検討するのが国に課せられた責務である。その方針を早く示しておれば、県や市町村はそれを前提に、「従前に戻すのか」それとも「さらに災害に強い街づくりを目指すのか」を検討することが可能になり、今以上に復興計画づくりが進んだだろう。
 「さらに災害に強い街づくりを目指す」ための経費分担はすぐには決まらないかもしれないが、「従前に戻す」ための経費分担については早めに示すことは困難でないはず。その上で民間活用なども含めて地域の復興を考えるのは地方自治体として可能であり責務である。
 こうした、国・地方・政治家の役割分担が整理されていなかったこと、特に国において明確な方針が自覚されていなかったことが混乱の最大の原因ではないのか。もっとも国からは、政権を担う政治家の側の問題だという声が挙がるだろう。中途半端な地方分権、中途半端な政治主導の帰結が復興の現状につながっているということか。

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2011年6月13日 (月)

シンポジウム「東日本大震災から学ぶ」

 6月11日に名古屋大学で震災関連シンポジウム「東日本大震災から学ぶ」が開催された。一般市民向けの無料公開シンポジウムということで、妻と一緒に参加してきた。濱口総長、佐分副総長の開会・閉会の挨拶に挟まれて、専門の異なる7名の先生方から様々な報告や解説が行われた。建築関係の話はほとんどなかったが、津波や心理学、放射線等、普段ではあまり聞かれない事柄を聞くことができ、大いに勉強になった。
 最初は環境学研究科の隈本客員教授から。ただし私は駐車場へ車を停めるのに手間取って、最初の方を聞いていない。NHK出身で報道の観点から報告をされたようだ。「現代日本人にとって、阪神・淡路大震災が1時間目の授業とすれば、東日本大震災は2時間目の授業である。前者では都市型災害と耐震性について学び、後者では津波被害と広域災害、原発事故について学んだ。この教訓を近く確実にやってくる東海・東南海地震に役立てる必要がある。」という言葉はなるほどと思う。ただし、東日本大震災の特徴は、人口減少地域という点にもあり、この教訓はまだ引き出せていないと私は思っている。
 2講目は地震学の立場から環境学研究科の鷺谷教授の話。これについては既に山岡先生から聞いたことの繰り返しなので改めて書くことはしないが、報告終了後の総合討論の場で、司会の隈本客員教授から「本当に想定していなかったんですか」と質問され、「本当に想定していなかった。この地域で連動地震が起きないという知見は地震学者の常識となっていた」と言っていたのが印象的だった。本当に想定外だったんだ。
 3講目は工学研究科の水谷教授から津波の話。これについても、岩波新書の「津波災害」にほとんど同じことが書かれている。2mの津波で木造住宅は全壊するという実験を披露したのが目新しいところか。総合討論で、伊勢湾内の津波被害の想定と河川遡上の可能性について質問があり、「想定よりも大きな津波が来たとしても2~3m程度と予測され、高潮用の現状の堤防である程度は対応できると思われるが、再検証は必要だ」ということと、「河川遡上についても伊勢湾内の河川については、山崎川以外は河口堰があるのでまず心配ない」という回答をされていた。ただし、隈本客員教授が「それはうまく行った場合の予測ですよね」と盛んに不安を煽っていたのがうっとうしい。
 4講目は教育発達科学研究科の森田教授。先生からは臨床心理士の立場から、大災害時の被災者、支援者、さらには報道を見聞きする我々の心理的なストレスとその対応について、心理学的知見を報告された。基本は無理に聞き出さないこと。今回の災害に対する調査や研究はまだ出ておらず、もっぱら既往の研究成果からの報告であった。
 5講目は工学研究科山本教授から福島第一原発事故の概要について。これについてはマスメディアからの報道で十分知ったつもりになっていたが、報道されていない話もあり、興味深かった。特に興味を惹いたのは非常時のバックアップシステム。場外からの電源が喪失し、非常用電源も津波により故障。ここまでは報道のとおりだが、非常用電源のシステムには2種類あり、12基は津波で破損したが、残る1基は別系統で一時的には機能したと言っていたような(やや曖昧)。さらに非常電源停止時に原子炉内の圧力で駆動する注水システムがあり、これは予定どおり動いたが、電源が直流の蓄電池だったため、バッテリー上がりにより8時間後に停止。消防隊の電源車も機能せず、いよいよ水素爆発に至ったとのこと。
 また、水素爆発のメカニズムは、燃料ペレットを包む被覆管を構成するジルコニウムが高温になると空気中の酸素を吸着する性質があり、これにより水素だけが残って爆発に至ったということだった。なお、学術用語としてはメルトダウンという言葉は使われないという回答も興味深い。
 6講目は放射線による健康への影響について、西澤名誉教授から。実はこの講話が一番興味深かった。放射線にはα線、β線、γ線、x線、中性子線とあり、α線は紙でも止まる。β線はアルミニウムなどの薄い板で止まり、γ線・x線は鉛や厚い鉄の板で止まる。そして最後の中性子はこれらを全て突き抜けて水やパラフィンで止まる。
 また、放射線の人体影響については確定的影響と確率的影響があり、前者は一定値を超えると症状が起きるもの、後者はそうした閾値が見られず、浴びた放射線量に応じて癌等の発生確率が高まるといったものを言う。放射線業務従事者については、確率的影響を考慮し、5年間で100mSv(20mSv/年)が規定されている。一方で一般人については国際的機関が1mSvを定めており、これが今回子供たちの放射線量として問題になっている。ただしこれらはいずれも確率的影響であり、この基準は広島・長崎の原発被害を参考にかなり安全に定められたもので、年間1~50mSvといった低い線量のところでどんな確率曲線が描けるのかは実験データがない。
 今回の原発事故以来、積極的に警鐘を鳴らしている中部大の武田教授のブログでも、1mSvよりも高い値でも問題ないのではないかという議論が出ていた矢先の事故だった旨(このことがどこに書いてあったか探したが、見つからない。でも確かに書いてあった。)が書かれていたが、それと符合する解説である。しかし武田先生は、現時点でどこまで大丈夫かはわからないのだから、今までの規制値1mSvを守るのが国の責務だと主張している。西澤先生からは日本の法では明確に1mSvとは記述されていないことから、法廷ではどういう判断が出されるかわからないとおっしゃっていた。
 総合討論の場で、「『ただちに・・・とはいえない』はどう捉えればいいのか」という質問に対して、「『ただちに』という言葉には二つの意味がある。一つは『今は大丈夫だが、将来的には障害等が発生する恐れがある』という意味であり、もう一つは『このままの放射線量が継続すると、障害等が発生する恐れがある』という意味である。」という趣旨のことをおっしゃっていた。後者の意味と捉えると、すぐに大騒ぎするのではなく、その後の経過をよく観察するという態度になるはずだ。枝野官房長官がどういう意味で、またどこまで自覚的にこの言葉を使ったかわからないが、興味深い視点だ。
 最後の7講目は環境学研究科の福和教授から。予想はしていたけれど、建築構造学的な視点からの話(例えば卓越周期と木造住宅被害など)は一切なく、もっぱら過去の震災と事歴について語られた。例えば、清洲越えや浪分神社、浪切不動など。もちろん歴史に学び備えることは大事だが、現時点ではどうしようもないこともある。「耐震改修はどこまでやればいいのですか」という会場からの質問に対して、「できる範囲で」と答えていたが、結局不安を煽るだけになっていたような気がする。
 今回のシンポジウムは、隈本先生と福和先生という二人のアジテーターの間で、5人の科学者が良心的な知見を述べたという印象だ。閉会挨拶で佐分副学長が「できれば次回も企画したい」と述べていた。次回は例えば、今回報告がなかった液状化の問題や、プレート間地震と卓越周期との関係、放射線の除染の方法と見込みなどさらに進んだ状況と研究成果を踏まえた話が聞けると嬉しい。次回を期待したい。

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2011年6月12日 (日)

2100年、人口3分の1の日本

 タイトルを見て、もっとおちゃらけた本ではないかと思っていた。しかし読んでみると非常に示唆に富む内容のものである。今のままの推計では、2100年には日本の人口は1/3になる、というのは本当である。だからこそ、東日本大震災の復興についても、この人口減少を前提にすべきだと主張している。しかしほとんどのマスコミはこのことに目を向けようとしない。いや、政府や政治家も同様だ。曲がりなりにも国家百年の大計というのなら、1/3の人口でも成り立つ街を作る必要がある。
 という趣旨のことが書かれているのは、「第3章 人口4000万人の都市と地方」である。しかしそもそも第1章の「かつて政府は人口減少を望んでいた」という節に驚く。日本は政府の計画どおり少子化を実現したのだった。
 本書では、将来の人口予測をするだけでなく、経済、暮らし、都市と地方、人間関係などさまざまな分野で人口4000万人の日本を描いてみせる。一方、特に興味深いのが「第5章 外国人5000万人の未来」である。ここでは国連が2000年に発表した移民推計を紹介する。それによれば、2005年の日本人口を維持するためには年間平均34万人の移民を受け入れる必要があり、2050年には2250万人が外国人になると言う。さらに生産年齢人口を維持するためには、4600万人の外国人を受け入れる必要があると言う。章のタイトルの意味である。
 しかしそれはほとんどあり得ない世界である。こちらの方がもっと驚きなのだが、「日本の貿易依存度は世界170ヵ国中で164番目」であり、超内需型国家なのだそうだ。第6章では以下のように訴える。

●人口減少社会というのっぴきならない事態に遭遇している日本が今後、持続可能な発展を達成するためには、これまで営々と築いてきた産業社会に代わる新たな文明を創造していく必要がある。そのためには日本人が外に出て行き、同時に異文化を受け入れることで刺激を受けアイデアを生み出していかなければならない。(P214)

 まさしくそのとおりかもしれない。日本という国の形はこれから大きく変わっていくだろう。だからこそ我々は「2100年の遠い未来社会のために・・・木の苗を植えるような作業」をしていかなければならない。そう、未来の日本人のために、未来の人類のために。

●同年(1974年)7月には・・・「日本人口会議」を開催。・・・最終的には「子どもは二人まで」とする大会宣言を採択した。・・・すでに人口1億人を超えていた当時の日本では、とにかく人口を減らすべきだという声が大きかった。・・・日本の「少子化」は、このようにして政府主導で始まったのだ。 (P28)
●相互扶助とか共助と呼ばれる人間関係がつくりあげたセーフティネットは、残念ながら過疎化によって消滅してしまう。・・・いま日本社会がやるべきことはそうした延命措置ではなく、人口減少に応じた集落の整理、そして都市の集約化だろう。外延的開発ではなく、内的発展のために力を注ぐべきなのだ。/いうなれば、21世紀の日本は社会関係資本、きずなの再構築に向けた再定住の時代なのである。(P105)
●土地活用の問題を解決できなければ、減災・防災のための移住も、持続可能なコミュニティを維持するための集約的な都市の移転も、生産性の高い農業や林業を実現する集約的な土地利用も不可能だ。・・・快適で豊かな人口縮減社会を実現するためには、まずは土地に関する所有と利用について、新しい解決策を見出す必要がある。・・・土地と精神の結びつきは尊重されるべきだが、少なくとも利用面ではもっと柔軟な流動化を図るべきである。(P111)
●顕著な晩婚化と非婚化によって全体の出生率が大きく引き下げられたのである。/この点に注目すると、現在、取り組んでいる次世代育成支援メニューの対象は、子育て中の家族に偏りすぎているように思える。・・・本当に大事なのは、未婚者への施策なのだ。したがって、本当に必要とされている対策は、若い人々の就職を支援したり、家族形成への意欲を高めることではないだろうか。(P221)

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2011年6月10日 (金)

東日本大震災と住宅の耐震化

 4月以降、忙しい毎日が続き、なかなか落ち着いてブログを書いている時間が持てない。3月11日に地震が発生して以来、はや3ヶ月が過ぎようとしている。最初のうちはガソリン不足などもあり、現地に近付くことすら難しい状況だったが、最近は専門家からの調査報告等が行われるようになってきた。
 ここ1ヶ月ほど、地震学者や建築構造を専門とする研究者による講演を3回ほど聴いた。素人聞きで誤って理解している部分もあるかもしれないが、まとめと感想を整理しておきたい。
 最初は5月19日に聞いた名古屋大学地震火山・防災研究センターの山岡教授の話。先生は地震学の立場から、東北地方太平洋沖地震の特徴や東海・東南海地震に向けた課題についてお話をされた。
 地震の直後に「今回の地震は3つの地震が複合して起きた」と報道されたが、最初に三陸沖、直後にその南側のエリアに広がり、さらに日本海溝沿いの部分で地震が発生した。特に最後の地震による海底の変動が大きく、大きな津波を発生させたという説明だったかと思う。
 他に東海・東南海地震に向けた検討課題なども話されたが、既にほとんど忘れてしまった。ちなみに、管首相が浜岡原発停止要請時に口にした「東海地震の発生確率87%」は、参考値として記載されているもので、正式なものではないと言っていた。
 次いで6月3日には東京大学名誉教授の坂本功先生の講演。坂本先生の話は、先生自ら宮城県や浦安近辺を見て回ったスライドから始まった。その上で、今回の地震被害の特徴として、(1)津波被害、(2)地盤の液状化、(3)天井の落下の3つを挙げられた。
 木造住宅が意外なほど壊れていなかったことについては、木造を倒壊させる1秒超の周期成分が少なかったことを指摘された。これは坂本先生の前に被害調査報告をされた名古屋大学の勅使河原先生も指摘されていたが、応答スペクトルは周期0.5秒以下の部分では兵庫県南部地震を上回っているが、1秒前後より長い周期の部分では建築基準法に定められた設計基準加速度を下回っているということだった。
 地盤の液状化被害に対して浦安等では既に改修工事に入っている住宅も見られるそうだが、先生が工務店等に聞いた話では、傾いた基礎にスペーサーをかませて水平にする工事で300万円、基礎から水平にしようとすれば1,000万円位かかるそうで、地震による軸組みの傾きでも大工仕事だけなら300~500万円で済むことと比較して費用がかかると言っていた。
 講演の最後では、2005年11月にE-ディフェンスで行われた在来木造住宅の実物振動実験のビデオを繰り返し流しつつ、その意味について語られた。耐震補強前の倒壊した住宅の判定値が0.5、倒壊しなかった住宅が1.8だが、後者ですらかなりの被害が見られる。これについて、兵庫県南部地震のJR鷹取駅では法で想定する2倍程度の地震力があったこと。これに対して通常の木造住宅であれば、診断で計上しない二次部材による耐震効果が診断判定値の3~4倍は見込めるのではないか、と話されていた。ただし二次部材による安全度は計算できないだけに過信は禁物と釘を刺すことを忘れなかったが。
 そして昨日の6月9日には、名古屋工業大学の井戸田先生の講演。井戸田先生も地震後、現地調査に行かれており、いくつかのスライドを見せていただいた。先生からは木造住宅の被害の特徴を、(1)津波被害、(2)地盤の崩壊や液状化、(3)地震の揺れによる被害と分類され、(3)については短周期の揺れによる屋根瓦の損傷や土蔵の崩壊が目立ったことを指摘されていた。
 また、地震被害に加え、東海・東南海地震対策として耐震改修の必要性や改修工法まで幅広く話があった。中でも先生の研究室で作成された「木造住宅の耐震リフォーム」と題するパンフレットは優れもので、地震に関する様々な知識、住宅の耐震性と耐震改修の効果、改修工事の概要までが非常にわかりやすく、センスよくまとめられている。
 また「想定外」ということについて興味深い話をされた。牛乳などの品質保証期間を例に挙げつつ、一般の方は建築基準法に適合すれば絶対地震に安全と思いがちなので、その常識を変える必要があるという指摘だ。確かにそうで、住宅性能表示制度で耐震等級3まであるように建築基準法ギリギリの建築物は、震度6強の地震に対して倒壊はしないが損傷は受けるということが理解されていないのが現実だ。
 「想定外」という言葉は、工学分野ではあってはいけない言葉だが、「設定した地震動以上では壊れる可能性があります」とは言いにくいのも確か。山岡先生も、津波被害が必ずある地域の建築物対策は、保険制度ではなく積立制度にすべきだとおっしゃっていたが、想定される被害(いつ、どれだけの被害かは不明)に対してどう備えるかは、人生観に通じる部分もあり難しいと感じる。
 井戸田先生から、「東日本大震災では震度7でも短周期の揺れが多かったが、東海・東南海でも同様になるという保証はない。どういう周期の揺れが卓越するかは起こってみなければわからない」という話があった。東日本大震災は津波被害がなければ震度に対して被害が小さい稀な地震ということになったのかもしれない。東海・東南海地震もそうであれと願いたい。

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