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2011年8月

2011年8月27日 (土)

五一C白書

 娘の学校の宿題で本書のまとめレポートの提出があった。提出後、本書を借りて読んでみた。「51C」は言わずと知れた1951年度公営住宅設計標準で、その後の集合住宅におけるダイニングキッチンの導入や間取り計画に大きな影響を及ぼしたとされる。著者の鈴木成文は、東大吉武研究室の院生としてこの設計案の提出に関わった。『「51C」が「nLDK」の元凶』と言われるのは誤解だというのは、鈴木氏が前から主張してきたところだが、本書で改めて「51C」の成り立ちを説明するとともに、それにとどまらず、吉武研究室配属当初からの鈴木氏の建築計画研究の全てについて、年代記としてまとめている。
 私は本書はもっぱら「51C」を説明する研究書だとばかり思っていた。だが全然違い、鈴木成文氏の半生記である。戦時中の東京空爆後の生活から始まり、「51C」後の住み方研究や順応型住宅、住宅の生活領域研究、農村住居の変遷研究など、多角的に広がっていく多様な研究を網羅的に説明していく。
 そして最後の第6章は「建築計画学の理念」。建築計画学とは何か。これまでの多くの研究を振り返り、鈴木氏の信念を語る。本書が生まれるきっかけとして社会学者・上野千鶴子による「空間帝国主義者」等の糾弾があったと言う。社会学が時代の要求を解釈することを追究するのに対して、建築計画学は単に要求に迎合するのではなく、少しでも望ましい方向に向くように仕向けていく。そして建築計画学の非力さを嘆く後進に向けて、自信を持てと激励し叱咤する。
 私は研究者ではないが、自分なりに建築に関わることで、少しでも社会がよくなることをめざしたい。鈴木成文の意志は必ずや建築研究者に伝わるものと信じている。

●日本住宅の伝統的空間構成としては伸びやかな開放的雰囲気をもち空間の連続性、視覚的な広がりを基本とするものだということは十分意識しつつも、今対象とする都市勤労者層の零細な住居において見られる居住実態は、その畳の部屋の連続した開放性が却って生活の乱雑や混乱の因となり、住要求への桎梏となっているのではないかと考えたのです。・・・これが、居室間に壁を立てて仕切りながらも一方で炊事と食事の場を重ね合わせ、また台所と一居室との開放的な連続となってあらわれています。(P123)
●住宅というものは、生活の側から考えて絶対にこれだけの面積が必要だという数値は出せない、というのが私の考えでした。人間は社会的状況に規制されて、広い家に住む人もあれば狭い家に住む人もあり、それぞれこれに順応します。・・・絶対的なミニマムの数値は出せませんし、最適数値はさらに困難です。ある居住水準を仮定してそれに応じて規模を算出するほかありませんが、その水準設定の決定的要因を人間の生理的条件に求めることは不可能で、社会的条件により目標値を設定するほかありません。(P183)
●「住宅基準」・・・が日本住居の水準向上に何らかの役割を果たしたかどうかは甚だ疑問です。むしろこの数値は、政策的な目標というよりは単なる行政的な道具としての役割に過ぎないと思われました。建設省は全国各府県の住宅統計とこの基準を比べて、この最低居住水準の値に達しない世帯の数を算出します。そしてその世帯数に応じて公営住宅建設の国庫補助の予算を配分するという行政作業の操作に使われたのです。しかしそれは公営住宅建設戸数の基礎となるだけで、その公営住宅が基準を割る世帯に供給されるかどうかは全く問いません。単なる予算配分の為の便宜に過ぎないのです。(P191)
●そもそも高齢者や障害者は、単に手摺があるとか段差がないといった物理的な利便だけでなく、近隣との親しい関係を保つとか、見る・見られるといった心理的な人間関係がたいへん重要です。これは阪神・淡路大震災後の復興住宅における被災独居老人の住居などでも痛感されたことです。全国の公共住宅に一律に段差なしを強制することなどは誤った政策であると思われ、近視眼的な視点に陥って総合的な視点を欠いた例です。(P334)
●建築計画学の主題は極めて動的なものです。「51C」の時代の計画主題は既に過去のもので、それを今日持ち出しても通用しません。ただ変わらないのは、計画に対する理念・態度です。人間を主体に考えること、社会との関連を考えること、常に動きの中で捉えること、時代の変化を見通すこと、静的な分布を見るよりは状況を動かす要因を捉えること、常に相対立する要因の矛盾に注目すること、これらは建築計画学の基本的理念として生き続けています。(P360)

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2011年8月13日 (土)

トヨタホームのスマートハウス

Img_0025 高校時代の友人がトヨタホームの役員に就任した縁もあって、トヨタホームが豊田市で実施している実証実験住宅を見学する機会を得た。経済産業省の「次世代エネルギー・社会システム実証」の採択地区の一つとして、豊田市を中心に関連企業等で実施する「低炭素都市構築実証プロジェクト」は、2010年度から14年度までの5年間、トヨタホームが分譲販売する実証住宅において入居者のエネルギー利用状況等を計測し最適化を図るとともに、PHV(プラグ・イン・ハイブリッド車)、EV(電気自動車)等を導入して低炭素交通システムの構築を目指すものだ。
 豊田市では今年度から、名鉄新豊田駅近くの低炭素社会モデル地区でモデルルームやパビリオンの整備を始めるが、トヨタホームの実証住宅は既に豊田市東山町と高橋町の2地区で6月から分譲住宅の販売を開始し、9月には入居が始まる予定となっている。豊田東山地区の一画に6月末、スマートハウスのモデル棟が完成しており、今回、この住宅を見学させてもらった。
Img_0019 スマートハウスには創エネ・蓄エネ・省エネ・の3つの視点から各種の設備が設置されている。「創エネ」の観点からは、家庭用燃料電池システム「エネファーム」と太陽光発電システムが設置されている。こうして作られた電力は、蓄電池に蓄えられる。温水の形で蓄えるエコキュートや充電スタンドを通して電気のやり取りを行うPHVの蓄電池も「蓄エネ」の一つに挙げられている。さらに「省エネ」では、LED照明などの家電機器における省エネ仕様に加え、家電コントローラにより消費電力の表示等を行い、省エネアドバイスを行う。
Img_0003_2 これらの中核として全体をコントロールしているのがHEMSと呼ばれるマネジメントシステムで、住宅全体のエネルギーの状態を把握・予測し、創エネ・蓄エネの最適化を行う。また各戸のエネルギー状況は地区レベルで集積・把握し、例えば太陽光発電量に応じたエコポイントの発行などにより、生活圏全体での行動最適化をめざすこととしている。さらに、FC(燃料電池)バスやEV、PHVの積極的な導入により低炭素交通システムの構築もめざす。
Img_0021 地域全体の取組み等については、まだ構想段階だが、住宅内の設備については一部の家電設備を除き一揃い設置されていた。中でもHEMSのコントロールパネルでは、プリウスのナビパネルさながら、発電系や蓄電系の電気のやり取りが表示されたり、部屋別の電気使用状況や水道光熱費の推移など多様なモードへ切り替えることができ、見ていて楽しい。また、電動ルーバーシャッターやキーレスドアなどの最新式の設備も設置されている。
 屋外に廻ると玄関脇の駐車場にはプリウスが停められ、充電スタンドと接続している。蓄電池は鉛蓄電池で意外に大きい。リチウム蓄電池の方が小型化できるそうだが、PHVとの電気のやり取りを行うとなると、PHVの蓄電池も含めて、耐久性が大きな検討課題の一つだと言っていた。
Img_0023 さらに雨水タンクやエネファーム、エコキュートが並べて設置されている。これはモデル住宅だからで、実際の分譲住宅ではエネファーム設置住宅は少なく、オール電化住宅が多いようだ。個人的には、先日の大震災を考えると、電気偏重ではないかと思うが、オール電化に対する一般購入者の支持はまだ高いのだろうか。
 今回、2団地で全67戸の分譲を予定している。6月に販売した東山地区第1期14戸はあっという間に売り切れた。今後、来年にかけて67区画全ての分譲を行い、2014年にかけて入居者に協力を依頼し実証実験を実施する。全国4ヶ所のモデル地区の中でも、PHV・EVも組み込んだ実証実験という点が特徴的なのではないか。実現可能性を考えると、住宅単体の市場化はともかくとして、地域システムとしては課題が大きい。コミュニティレベルの政府がこれを運営するのか、それとも市場ベースで実現するのか。いずれにしても遠い未来の話のような気がする。

●参考
 豊田市低炭素社会システム実証推進協議会
 トヨタすまいるライフ・スマートコミュニティ

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2011年8月 6日 (土)

富山ライトレールと岩瀬大町

 一昨年のGWに富山・岩瀬に行った。この時は家族旅行で前日、砺波のチュッリップ公園に行って、高岡でお堀巡りの船で遊び、山町筋・金屋町の町並みを歩いた。さらに立山黒部アルペンルートに登る前の午前早い時間に岩瀬の町並みを慌ただしく歩いた。
Dsc01495 今回は富山で会議があり、少し早めに富山に着いて、ライトレールに乗って岩瀬まで往復。今回も慌ただしかったが、富山駅を降りたらちょうど出発のポートラムに間に合って、予定よりも15分早く東岩瀬駅に到着。おかげで岩瀬で昼食を取ることができた。
 ポートラムの停車場は富山駅北口の目の前、駅前広場に奥深く入り込んでいる。車両は噂どおりの低床構造。2両編成。7色7種類の外観。車両内も左右に2席と1.5席のアンバランスな配置、横座りシートもあって変化に富み楽しい。
Dsc01500 粟島(大坂屋ショップ前)という電停で買い物かごを下げた主婦らが大勢乗り込んでくる。たまたま隣に座ったおじいさんに話しかけてみる。「岩瀬の町を歩くには、どこで降りたらいいんですか?」 すると「東岩瀬がいい」と教えてくれる。「ポートラムができて便利になりましたか?」「ポートラムは15分に1本出ているから便利だ。昔は2時間に1本位だった。」「電停の近くの家はいいが、ポートラムができる前はバスが運行され、もっと近い距離にバス停があった。だから不便になったところもある。」などと気さくに話してもらった。
Dsc01509 東岩瀬駅はレトロな駅舎だ。旧富山港線時代の駅舎を残している。信号を渡り、曲がりくねった道を行くと、旧北国街道、岩瀬大町・新川町通りに出る。平日の昼前は人通りもまばら。佐藤釣具店は元廻船問屋を営んでいた家屋だ。竹で作られたスムシコがきれい。そば処丹生庵は手打ちそばの店。かつては木材店だったそうだが、瓦の端を埋め込んだ入口の土間。ガラス扉の向こうにオートバイが飾られているのが面白い。その隣には富山信用金庫。こちらはRC造の建物だが、1階部分を景観に配慮して商家風に作っている。
Dsc01518 その向かいに、路地を挟んできれいに修景された建物が並んでいる。舛田酒造店だ。スムシコで覆われた壁面がきれい。路地の奥には高い煙突がそびえる酒蔵がある。通りに戻ってさらに進むと、国指定重要文化財に指定された森家。ここは前に来た時に見学した。軒下に掲げられたガス灯が印象的。
 向かい側にはギャラリー岳。そして岩瀬大町公園。森家の隣は馬場家。こちらも見事。そして馬場家土蔵群。満了寺は馬場家当主の寺だそうだが、どこか洋館ぽい作りだ。
 その後も廻船問屋の町並みが続く。庭の大木の緑との比較が美しい。通りを突き当たりまで歩き、戻ってきた。もう一度町並みを堪能しながら。お昼は「そば処丹生庵」でそばを食べる。おいしい。落ち着いた雰囲気もいい。
Dsc01532 その後、ポートラムに乗って富山駅まで戻り、地下道を通って南口に出て、今度はセントラムに乗った。こちらは富山地方鉄道が運行する路面電車。このうち環状線を走るのはセントラム。富山市の路面電車はこの環状線の他に南富山駅前と大学前を結ぶ路線があり、このうち南富山駅前と富山駅前間にはサントラムという新型車両が運行されている。その他はレトロな市電タイプ。さまざまな路面電車が楽しめるのも面白い。

●参考
 まちなみ・あれこれ●「岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山」
 マイフォト●「富山ライトレールと岩瀬大町」

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2011年8月 5日 (金)

東京・谷中ふたたび

 東京谷中へは10数年前から何度も訪れている。きっかけはニフティのFCITY。そのコアメンバーの一人であった西河さんの案内で、谷中学校とその活動などを案内してもらった。その後も東京へ行く機会があるとふらっと訪れていたが、最近は上京の機会も少なく、しばらく訪問していなかった。
 先日ふと、谷根千の古い建物の保存再生の活動を紹介するTV放送を見た。BS朝日の「百年名家」の「芸大生が守る伝統建築の美 ~芸術が香る街東京・谷中~」だ。
 そこでは、昔、谷中学校で活躍していた椎原晶子さん(たいとう歴史都市研究会、東京藝術大学非常勤講師)が出演され、市田邸の保存活用の活動などを紹介されていた。かつて2度ほどお会いしたことがあるが、懐かしい。少し太ったかな、西河さんはどうしているのだろうと思った。
 と、しばらくして東京出張の機会が訪れた。時間的にはかなり変則で、11時に一仕事終えて、午後は1時に再開。3時過ぎには終わる予定。そこで午前の仕事が終わったら、築地で食事。その後しばらく築地本願寺で涼を取った。
 実は築地市場を訪れるのは初めて。場外市場は狭い路地に店舗がひしめき、客もそこそこ行き交っている。場内の鮨屋を覗くが既に長蛇の列。場内はフォークリフトが行き交い、暑い中、仕事に精を出していた。
 築地本願寺は言うまでもなく伊東忠太設計。ここ彼処の動物のレリーフが有名。「築地本願寺:築地本願寺にすむ動物たち」。軒下や階段手すりなど飾る動物たちを見上げつつ、本堂に入ると、涼しい! 整然と並べられた長椅子に座り、天井下の大きな梁型を見上げ、首を回すとパイプオルガン。しばし息抜きの時間を過ごす。
 さて、午後の仕事を終えて、地下鉄で千駄木へ。地図も持たずに来たので、駅を出てもどちらに行っていいかわからない。それでも昔の記憶を掘り起こし、へび道を歩こうと団子坂下を東に向かう。すぐのビルの下に、千代紙のいせ辰の千駄木店があったのですね。素敵な店だなと思いつつ通り過ぎてしまった。これまで本店にも行ったことがない。どうも縁がないようです。
 さてへび道をたどり南へ。どのみち当てもないので、途中左折して台東谷中郵便局の前を通る。「澤の屋」の看板。あれ、有名な外国人がよく利用するという旅館はこんなところにあったのか。さらに歩くと行き止まり。三浦坂と書かれた案内板を見つつ、坂を左手に登る。右はお寺と墓地。突き当たりに大きなヒマラヤ杉。その陰に隠れるようにレトロな看板のお店「みかどパン屋」。昔来たときにもあったけど、何かスゴイ。「Nostalgic TOKYO:谷中のヒマラヤ杉とみかどパン」
Nec_0004 立派な寺院の間をさらに進むとまた突き当たり。右に折れて言問通りに出た。狭い歩道を上野桜木まで。レトロな感じの台東区「谷中・上野・浅草」循環バスが通り過ぎていく。
 上野桜木の交差点にカヤバ珈琲がある。ここは「百年名家:芸大生が守る伝統建築の美 ~芸術が香る街東京・谷中~」でも紹介されていた。戦前創業の歴史ある喫茶店が廃業されたのを惜しんで、NPOたいとう歴史都市研究会が借り上げ、現役芸大生がサークル活動の一環として営業している。大正ロマンあふれる内装が楽しい。
Nec_0003 交差点向かいに「下町風俗資料館」がある。旧吉田屋酒店で台東区が寄贈を受け、資料館として公開している。があいにく月曜日で休館だった。残念。外観だけを楽しむ。上野桜木の交差点を芸大方面に向かえば市田邸もあったんだ。今わかっても遅過ぎる。次回こそ行きたいと思う。
Nec_0005 で、この日は道を左に谷中霊園方面へ。しばらく行くと、銭湯を再利用したギャラリー、SCAI THE BATHHOUSE。そのまま進むと広い都市計画道路が一部だけ完成する三差路に着き、道を右手へ。谷中霊園。その入口に「生花 老舗花重」。TVでは東日本大震災の際に瓦が落ちて修繕工事中だったが、既に修理も完了し、どっしりした姿を見せていた。谷中霊園の入り口には茶店も。いつもながらいい雰囲気。
Nec_0006 広い道まで戻って尾根筋の信号を渡り、行き止まりの路地を入って突き当たりを右に入ると、路地が集まった小さな広場。そこに面する4軒ばかりの木造長屋の端に西河さんの住む谷中西庵がある。2階に上げてもらい、向かいの墓地を眺めながら話をした記憶がある。もう引っ越したかと思ったが、まだ住んでいた。鍵もかけずに開けっ放し。懐かしく声をかけたが誰も出てこない。残念ながら留守らしい。西河さん、元気だろうか。
Nec_0008 信号交差点まで戻り、尾根道を北に向かう。TVで紹介されていた日本画家のアランさんのアトリエもこの通りに面していたような(記憶が曖昧)。しばし行くとすぺーす小倉屋。蔵を利用したギャラリーだ。この辺りはもう何度も歩いた。しばらく行くと谷中学校が利用していた民家がある。今は小さなギャラリーになっている。その手前の路地を入ると、観音寺の瓦を積み上げた築地塀。谷中のシンボルの一つだ。
Nec_0009 尾根道をさらに進むと、右手に朝倉彫塑館だが工事中で幕に覆われていた。その向かいに和菓子屋「岡埜栄泉 谷中」がある。広い通りまで出て、左に進むと谷中銀座に向かう階段「夕やけだんだん」。これも谷中ならではの景観の一つ。
 以上で久しぶりの谷中散策も終了。昔ながらの景観も残り、また新たな発見もあった。市田邸という宿題も残しておいた。また機会があったら訪れよう。その時まで宿題のことを忘れなければいいが・・・。

●参考
 「中心市街地住まい研究会:谷中学校」

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