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2012年1月

2012年1月19日 (木)

日本の植民地建築

 年末に読んだ「植民地建築紀行」に続いて、西澤先生の植民地建築本を読んだ。こちらの方が先に発行されており、あとがきには日本建築学会賞を受賞した「日本植民地建築論」のダイジェスト版として発行されたと書かれている。
 「第1章 植民地建築」で西澤先生がフィールドとする台湾、朝鮮、中国東北部(関東都督府及び満鉄)の植民地建築を紹介し、第2章以降、建築組織と建築家、建築材料、建築関係団体と建築雑誌を紹介する。そして「第5章 植民地建築とネットワーク」で、植民地建築の特徴や意味などをまとめて考察している。
 本書を通じて筆者が説明しているのは、植民地建築はけっして支配と権力誇示のためだけの建築ではなかったということ。もちろん支配の一環ということでもあったが、教育機関や医療施設など民政用建築物が先に建築され、官庁施設が建設されるのは数十年経ってからということが少なくない。また、日本の伝統的な様式で建てられた建築物はほとんどなく、当初は西洋建築の様式で建てられ、世界に支配の正当性を誇示する必要がなくなる満州事変以降は、現地の伝統的な建築様式を学び採用するようになる。植民地建築の建築家たちは、けっして頑迷な保守主義者ではなかった。
 これは藤森照信氏も書いているが、戦前の軍部はけっして日本の伝統様式を強制することはなかったし、逆に先端技術を取り入れることに熱心だった。帝冠様式はけっして軍部の強制ではなく、逆に保守的傾向におもねった建築家の作品だと言う。
 そういう風潮の中、植民地建築は日本本土以上に世界性と先進性を得ていく。シロアリ対策として台湾でRC造が積極的に建築され、その結果、劣化の問題も世界で最初に直面し、解決を模索していたという記述は興味深い。
 西澤氏は最近、「植民地建築紀行」に続いて「東アジアの日本人建築家」を刊行している。これも読みたいとは思うが、本書に重なる部分も多いと思われるので、またしばらく時間を空けてからにしようと思う。忘れずに覚えておかなくちゃ。

●後藤が唱えた「文装的武備」は、軍事力に頼ることなく、支配地の経済力と住民の生活環境の向上を図ることで支配を進めるという理論であった。そして、そのためには、教育、衛生、学術面の充実を目的として、それに応じた施設を作ることが必要であった。・・・さらに、満鉄が鉄道附属地の支配能力を示すには、少なくとも、中国各地の列強支配地における建築物と同等同質の建築物を満鉄が建てる必要があった。・・・そのために、世界水準の建築物が必要とされた。(P63)

●満州事変以前における日本の東アジア支配は、欧米諸国との協調の下で認められた支配であり、欧米諸国の支配の枠組みに組み込まれていた。したがって、その支配能力を問われ、それを示す一環として、西洋建築を規範とした建物を建てる必要があった。(P193)

●満州事変によって、欧米諸国による東アジア支配の枠組みからはみ出した日本は、他国に支配能力を認めさせる必然性はなくなり、・・・その結果、総体的に東アジアの伝統的建築の様式・意匠が重要視されることとなった。(P194)

●鉄筋コンクリート造建築の普及度合いは、日本国内に比べて台湾の方が早く、台湾総督府は次々と鉄筋コンクリート造建築を建てていった。台湾では、鉄筋コンクリート造の普及に先進性が存在した。/その先進性は、鉄筋コンクリート造建築の劣化という予想外の問題を引き起こした。・・・欧米諸国とは気候が違いすぎた台湾での鉄筋コンクリート造の普及は、その劣化においても先進性を持つこととなった。(P203)

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2012年1月 7日 (土)

郊外はこれからどうなる?

 「はじめに」に「東京郊外を考えるための最低限の基礎知識が身につく、入門書」と書かれている。また「公開講座で・・・若い人たちを相手に話した内容をまとめたもの」とある。
 これまで『「家族」と「幸福」の戦後史』や「ファスト風土化する日本」などで郊外を題材にした社会論、マーケット論を論じてきた筆者から、新たな郊外論が展開されるかと期待して読み始めたが、内容は「はじめに」に書かれているとおり、東京郊外の歴史や郊外の問題点を、主要な書籍や文献、現地に足を運んでの実感や写真等を用いてていねいに解説している。「郊外」をテーマに社会学の卒論を書こうとする学生向けの入門書といった感じ。
 同時に、「本書は私のキャリアヒストリーでもあります」と書かれているとおり、「第四山の手論」を『「東京」の侵略』を牽きつつ再解説するとともに、これを執筆するに至った当時の上司、パルコの増田通二の思い出を語る。
 さらに江戸時代から明治、昭和、戦後、さらにバブル期を経て、東京がいかに拡大し発展してきたか、いかに変遷してきたかをわかりやすく解説する。いまやどこも小奇麗な街となってしまった東京だが、かつては工業都市として煤煙にまみれ、歓楽街や下層労働者が呻吟する現実があった。
 そして一転、「郊外の文化論」としてアメリカ郊外の歴史や意味を説明する。冷戦時代に「専業主婦はアメリカの兵器だった」。さらに、世界最初の田園都市レッチワースを紹介、ニューアーバニズムとアワニー原則などを解説。ニューアーバニズムの街とは実は日本の古いまちの再評価ではないかという結論につながる。
 新しい発見というのではなく、きちんと文献に当たってみる。ちゃんと街に足を運んで見てみる。その大切さを自ら実践することで披露している。内容ではなく、それが披瀝してあること。それがまさに三浦氏の「キャリアヒストリー」であり、本書の入門書としての価値だと言える。

●工業地帯があるということは、そこに低賃金で働く労働者がたくさん住んでいたということです。だから今でも南武線沿線には、労働者の娯楽として、ソープランドや競馬場や競輪場がある。もっと言うと、在日韓国朝鮮人が劣悪な環境で働かされたという歴史もあるわけです。・・・東京の中の貧困、差別、格差といった問題とも深く関わるのです。・・・私としてはそういうことに無頓着であってほしくないのです。(P59)

●最初に視察に行って感じたのは、「なんだ、ニューアーバニズムが目指しているのは日本のまちじゃないか」ということでした。特にヴィレッジホームズを見たときには「なんだこれは。阿佐ヶ谷住宅と同じじゃないか」と思いました。(P181)

●健康のためには、ファストフードだけではダメというのは常識です。それと同じで、たしかにファスト風土的な商業空間が必要な面もあるでしょうが、それだけで生活するのはよくないと私は思うんです。やはりスローな風土とスローなフードをしっかり維持しなければいけない。歴史のあるまち、人が歩いて生活できるまちを残していかなければならない。だから、食育という言葉がありますが、それと同じようにまちが人を育てるのではないかと。言ってみれば「街育」が大切だと思うようになったんですね。(P194)

●近代化、高度成長の時代には、・・・未来に向かって前進することのほうが大切だという考え方があった。・・・しかし、社会が成熟し、人口も減少し、高齢化も進んでくるとなると、私たちは、単純に過去を否定して未来を求めるだけでは満足しなくなる。幸福を感じられなくなる。・・・これからは「輝く都市」より「古くて味のある都市」のほうが求められる。そんな変化がすでに始まっていると思うのです。(P213)

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