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2012年2月

2012年2月29日 (水)

後藤新平

 越澤先生が「東京都市計画物語」や「東京の都市計画」を書かれていることは知っていたが、そもそも東京のことをよく知らない私が読んでも理解できないだろうと思い、未だに読んでいない。東日本大震災が発生し、震災復興が大きな課題になっている。今この時に、関東大震災にあたり帝都復興を主導した後藤新平の話を読むことは何かの参考になるかと思い、越澤先生の著作を初めて手にした(多分)。
 もう一つの動機は、西澤先生の台湾・満州等における植民地建築に関する本を2冊続けて読み、そこに後藤新平の姿が著されていたことだ。
 後藤新平は岩手県水沢の下級武士の家に生まれ、福島県で設立されたばかりの医学校で教育を受け、医師として生活を始めた。そこから、後藤の実力を見込んだ官僚や軍医の推挙を受け、内務省に抜擢・採用され、衛生局長の地位にまで上り、その後、台湾総督民政長官、満鉄初代総裁と植民地の開発と経営に関わっていく。この新しい土地で医師として衛生行政に関わってきた経験が活かされる。
 上下水道や公園の整備など良好な住環境を整えることは、確かに衛生の観点からも重要な事業である。だが、後藤は台湾・満州で専門的見地から都市整備を進めただけではない。都市経営を行い、本土の政治家や官僚と渡り合う中で、政治的センスや人材育成・登用の術を学び、さらに内務大臣・東京市長等を歴任して、押しも押されぬ有力政治家に成長していった。
 筆者が本書のために書き下ろした第1章から4章までは、こうした後藤の前半生が描かれている。そして第5章以降はいよいよ都市計画、復興計画の策定と復興事業である。
 多分、「東京都市計画物語」などでは既に書かれていたのだろうが、政治的嫉妬の前に挫折した帝都復興計画は、しかし大半を東京市の事業に移すことで実現された。単なる大風呂敷ではなく、引くところは引きつつも実を取る後藤のしたたかさが如実に現れている。後藤は単なる政治家ではなく、偉大な実務家であったのだ。
 現在進行しつつある震災復興も、まるで後藤が直面したような政治家同士の政争の道具と化している。しかも後藤新平はいない。今こそ後藤新平が望まれている。いや、どこかで現在の後藤新平が活躍していると信じたい。

 

●日本ではまだ有力政治家や世論の都市問題・都市計画に対する関心がきわめて薄かった大正時代に、有能な実務家・専門家の人材を結集して、自分がその先頭に立って法制度と政策形成を行っていた。都市問題の普及啓発を進め、都市計画をいつでも実行できる準備を済ませていた。この6年間の政策形成、人材蓄積、助走期間が、帝都復興を4ヶ月という短期間で計画策定し、6ヵ年余という短期間で復興事業を完成させるという、二つの偉業を成し遂げた原動力と背景であった。(P018)

●後藤は調査研究を重視し、ビジョンを打ち出し、人材を集め、リーダーシップを発揮して政策を実行するという日本の政治家としてはきわめて特異なパーソナリティを持っている。それが帝都復興の原動力となったが、後藤の都市計画、社会資本整備に対する熱意をつくった原点は、台湾総督府時代と・・・満鉄総裁時代にある。(P112)

●結局のところ、都市計画法草案から国庫補助の規定は全面削除された。この結果、道路は道路法、河川は河川法、と個々の土木事業として国庫補助をするしか方法がなくなった。都市計画、都市改造という都市のインフラ整備を総合的に推進し、それを国庫補助する途がふさがれた。・・・また、道路、河川、下水道という個々の土木施設しか考えないという傾向、視野の狭さを国の公共事業・社会資本整備にもたらすことになり、都市の将来像を見すえてトータルに計画し、社会資本整備を実施することが困難になった。(P176)

●枢密院や二大政党の長老政治家は、首都の復興という国家・国民の一大事を放り出して、政争を優先させた。後藤が主導する帝都復興計画を山本権兵衛内閣への政治的揺さぶりの機会として利用した。それは後藤には勝手なことをさせないという”政治的な嫉妬”であり、そのため復興事業の実行は財産権の侵害だと攻撃した。/このような執拗で激しい「政治的な嫉妬」を引き起こした原因は、後藤内閣誕生の阻止であったと筆者は考える。(P223)

●政友会の予算修正により、区画整理は地主組合を主体とし、国の事業執行は幹線道路に限定されることになった。・・・しかし、これでは都市改造の実現が不可能になりかねない。そこで、復興計画を推進してきた後藤たちは、区画整理の事業主体を東京市に切り替え、東京市の負担を増加することによって、この緊急事態を切り抜けることにした。・・・東京市長永田秀次郎は帝都復興を推進する立場をとり、東京市会もこの措置を支持したのである。(P244)

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2012年2月26日 (日)

伊勢河崎商人館に寄る

 久しぶりに家族そろって予定のない週末。娘が前から行きたいと言っていた牡蠣の食べ放題に行くことにした。予約時間が遅く、途中、時間調整に伊勢河崎の町に寄る。
 もう10年も前に一度行ったことがあるが、当時はまだ伊勢河崎商人館の整備中。それでも伊勢河崎独特の上部が少し迫り出した妻入りの商家に立派な注連縄が飾られていたことを思い出す。
 やや遠めの大駐車場に止めて勢田川沿いに歩くと、川に面して「河崎・川の駅」がある。川から石段越しに見上げる外観は鉄道駅のようで面白い。川向かいには黒塗り下見板の立派な蔵が並ぶ。この景観もなかなかのもの。
 しばらく歩くと、伊勢河崎商人館。斜めの道路に黒塗り3連の蔵が並び、その向かいに商人館の建物がある。中に入ると受付の男性が丁寧に建物や町並みの説明をしてくれる。元は造り酒屋、そして「違い鷹の羽」の家紋から取った×印にSの商標で売り出したエス・サイダーが好評だった。鬼瓦にも×印。
 中に入ると、まずは左手の洋館の応接間。庭を挟んで母屋には京都裏千家・咄々斎(とつとつさい)の写しの茶室もあって、伸び伸びとした印象。奥にも中庭があって内蔵につながっている。さらに靴を履いて最奥には蔵が3つ並ぶ。きれいに整備されている。10年前の整備中には雑然としていた覚えがある。
 ゆっくりと見ていたら時間がなくなったので、あわててクルマに戻り、町並をクルマでザッと通ってみる。妻入りの商家や蔵を利用したモダンな店舗などが並んでいる。昔を思い出す。今度、時間を作ってゆっくり歩いて回ろう。
 牡蠣食べ放題の鳥羽市浦村町まで伊勢からクルマで約30分。途中で二見浦旅館街を通る。ここも10年ほど前に歩いたことがある。この日はほとんど通り過ぎるだけだったが、意外に多くの人が歩いていたことに驚いた。こちらももう一度行かなくては。
 ということで、無事、牡蠣の食べ放題には間にあった。あまり町歩きはできなかったが、以下、撮影した写真を掲載しておく。

●河崎・川の駅(通り側)
Dsc01662

●河崎・川の駅(勢田川側)
Dsc01663

●勢田川沿いの蔵
Dsc01664

●伊勢河崎商人館
Dsc01667

●伊勢河崎商人館向かいの蔵
Dsc01666


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2012年2月19日 (日)

最近の大学建築学科の研究室選び

 名古屋大学の恒川先生がfacebookで、意匠・計画・都市系の研究室の4年生配属が少ないと嘆かれて、ひとしきり話題になっていた。
 実は娘はその3年生に在学しており、まさに計画系を選択しなかった一人なので、学生側からの話も含めた現状と感想を一言。
 というよりもまず、4年進学時の研究室の選択にあたり、学生相互で非常に精力的に調整がされていることにびっくりした。私のときは学校に希望の書類を出して、そのまま認められたので、学生同士での調整など一切なし。友人がどこを選択したのか、後から知った始末。もっとも私の場合は、期末試験が終わるとすぐに帰省したから、ひょっとしたら残っていた学生同士では調整とかしてたのかな?
 それはともかく、今年は一人、幹事を決めて、彼に第1希望を提出。定員内の研究室はそれで決定し、定員オーバーした研究室は学生間で話し合って決めたとか。どうしてもその研究室に行きたい人もいれば、第2希望と迷っている人もいて、どうしても譲らなければ、成績比較や研究室の先生に判断を仰ぐということらしい。
 この選択の前に、幹事や数人の学生が研究室訪問を企画し、先生に直接どんな研究をするのかなどを聞きに行く。うちの娘も4つばかりの研究室訪問に行ったが、いずれも構造系だったのは、彼女の希望による。ちなみに名古屋大学で有名な福和先生の研究室訪問は、先生多忙につき、朝7時半からの30分間だったとのこと。さすが。
 最初の希望開陳の日。結果はメールで流されたが、「合格発表の時と同じくらい緊張した」と言っていた。結果は計画系が2名(計画系希望者は少ないという情報が予めあり、最初希望を出さなかった学生もいた)、環境系に殺到。娘の希望する構造系は満遍なく分かれたがどこも定員に余裕があるという状況だったらしい。それにしても、環境系であぶれた学生が計画系ではなく構造系に流れたのはかなり意外。
 名古屋大学の設計演習は、少なくとも私が学生だったころに比べるとかなり熱心、というか厳しい。課題提示後、毎週のようにエスキースチェックがあり、模型まで含めて毎週描き直し、作り直している印象。もっとも最後の方はだいぶ慣れて手を抜いていたが、それでも私のときとは段違い。中には指導が厳しい先生もおり、泣き出す女子学生もいるとか。
 ただ、今年、計画系を選択する学生が少なかった要因は、谷口先生退官後の体制を明確に学生に示せなかったことと、今年度後期の設計演習が某先生の長期出張で例年と異なる指導体制になったことが影響したというのが娘の意見だ。構造系も大学院進学後(再来年)の体制が不明確な研究室は敬遠されている。
 今どきの学生は、不安定な社会情勢を反映してか、単に自分の関心や興味だけでなく、就職先や大学院進学後の指導・研究体制まで考慮して、できるだけ多くの情報を集めて検討し選択をしているようだ。
 facebookでは、就職を考えて環境系を志向する学生が多いのではという意見もあった。構造もかつては計画の下請けという印象だったが、アネハ事件以降、構造の重要性が認知されてきた。昨年、構造家の佐々木睦朗氏の講演があった際には、他学年の学生も殺到したそうだ。また、最近は建築よりも土木の人気が高まっているという話もある。そういう状況の中で、実務としての都市計画や建築設計がどれだけ将来性や魅力を提示できているかが問われている。コンバージョンや都市再生位しか新しい潮流が見えない状況では、計画系の人気低迷はしばらく続くのかもしれない。

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名古屋市都市計画マスタープランを考える

 名古屋市の都市計画マスタープランが昨年末に決定・公表された。なかなか面白いという話を聞いていたが、先日、名古屋市の職員の方をお迎えし、内容について伺う機会があったので参加した。名古屋市都市計画マスタープランの内容については名古屋市のHPに掲載されているので、詳細はそちらで見ていただくこととして、説明を聞かせていただいた感想を少し記しておきたい。
 本計画の特色については、HPでも、(1)駅そばまちづくり、(2)戦略的まちづくり、(3)地域まちづくり、と紹介している。中でも、(1)駅そばまちづくりと(3)地域まちづくりは大きな特色だろう。
 「駅そばまちづくり」については、平成19年に策定した名古屋市の総合計画「名古屋新世紀計画2010第3次実施計画」に初めてその言葉が使われ、駅そばの定住人口を5年間で1万人以上増加させる」という数値目標も示されている。その意味ではけっして新しい概念ではないが、これを受けて本計画では、駅そば生活圏等を拠点に設定し、「都市機能の更なる強化」と「居住機能の充実」を図ることとしている。
 もう一つの特色、「地域まちづくり」は本計画独自のものだろう。これはその前提となる「戦略まちづくり」を支える仕組みとして、多様な地域主体による構想づくりと実践を位置づけたもので、計画では、目的・概要、まちづくり構想づくりと実践のイメージ、本計画への位置付けなどが記載されている。
 参加者からは、市長が主導し既にモデル的に試行されている地域委員会との関係を問う質問や、地域まちづくりの具体的内容が不明確であることを指摘する意見や感想が多く述べられていた。地域まちづくりにより策定されたまちづくり構想は、都市マスの地域別構想に位置付けるとされているが、本計画には現状、地域別構想は記載されておらず、今後、この計画にどう追加されていくのか注目される。
 市が2つ目の特色とする「戦略的まちづくり」については、行政発意のまちづくりを進める地区として26の重点地域を定め、地域の状況や特色に応じ、都市力の向上や持続性の向上、居住環境の向上等の施策を講じていくとしている。
 一方で、土地利用、交通、住宅・住環境など9つの分野ごとに、分野別構想も示されており、名古屋市が目指す都市計画の方向については、ある程度網羅的、総合的に示されたものとなっている。
 これらの3つの特色だけでなく、計画全体としては、もちろん最初に目的や位置付けを記した「1.策定にあたって」、概要を記した「2.長期的視点に立ったまちづくりに向けて」があり、さらに「3.めざすべき都市の姿」、「4.まちづくりの方針」(「駅そばまちづくり」はこの章に記載されている)と続き、「5.分野別構想」「6.戦略的なちづくりの展開」「7.地域まちづくりの推進」、「8.評価・見直しの方針」で終わる構成となっている。
 だが、これらの各章、特に「4.まちづくりの方針」と、以降の各章との関係がわかりにくい。「戦略的まちづくり」や「地域まちづくり」はどのように「めざすべき都市の姿」につながるのか。なぜ必要なのか、どういう効果を期待しているのかが「まちづくりの方針」の中に十分記載されていない。
 私からは、「めざすべき都市の姿」で示される「人・まち・自然がつながる交流・創造都市」の「人=やすらぎ」、「まち=ときめき」、「自然=うるおい」が、その後の「まちづくりの方針」でも、「安心・安全な暮らし」「交流・創造的活動の場」「低炭素・自然共生都市」として提示され、めざすべき都市構造の視点でも同様の視点が提示されて、「集約連携型都市構造の実現」に導かれるその記述に重複感があるということを指摘させていただいた。本来はその部分に、「戦略的まちづくり」と「地域まちづくり」との関係が書かれるべきではなかった。説明の場ではその点までしっかり指摘・表現することができなかったので、今ここでその感想を書いている。
 その他にも、従来の都市マスを越える試みの意欲は買うが、十分離れられずに中途半端になっているのではないかという指摘もあった。それでも新たな都市整備が従来ほど必要ではなくなった大都市における都市マスのあり方として、一石を投じる内容であるとは言えるのではないか。その点は評価しつつ、都市マスはどうあるべきか。いや、都市計画部局は今後の都市整備にどういう役割を果たすことが期待され、どういう施策が求められているかについて考えさせられた。これは都市計画だけでなく、全ての行政領域にわたって言えることかもしれないが。

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2012年2月 9日 (木)

ワールドカフェ方式

 大勢の人々の参加と合意の下で計画策定などを進める手法として、ワークショップを開催するということはもうほとんど当たり前な手法として実施されている。もちろん何でもワークショップをすればいいわけではなく、目的に応じて適当な方法で行うことが大事なのは言うまでもない。
 昨年度、ある計画の策定にあたって、この計画に関する課題や方策をテーマに、NPO等を通じて参加者を公募しワークショップを行った。この企画にあたり、従来の数人がテーブルを囲んで付箋紙を使ってみんなの意見を出し合い、意見交換し、テーブルごとにまとめて報告をするような一般的なワークショップではなく、ワールドカフェ方式でやらないかと提案した。
 ワールドカフェ方式とは、一般的なワークショップよりはテーブル人員を少数に設定し、テーブル毎に異なるテーマについて話し合い、かつ20~30分程度の短時間で次から次へとテーブルを変えて話し合いをしていく。各テーブルにはテーブルマスターが付いて、そのテーブルで話されたことをまとめる、という方法だ(たぶん。下記のネットを読んだ限りでは)。
●参照
 「HUMAN VALUE:ワールドカフェ」
 「WORLD CAFE.NET:ワールドカフェとは?」

 つまり、多様な意見を集め、かつそれなりに深めるには最適な方法だと思ったのだが、その時は、コンサルタントの方に「経験がないので」と断られた。ちなみに当時、私は部外者からの提案だったので採用されなくてもしかたがない。
 今年度に入り、ある条例に基づく事務に関する調査で、コンサルタントから「ワールドカフェ方式でやりたい」と提案を受けたので、一も二もなく「やりましょう」と大賛成した。もっとも、その担当者とワールドカフェ方式について若干理解が異なる部分があり、私なりに修正指示等をして実施してもらった。
 残念ながら当日は別の仕事が入り参加できなかったので、正確なことは言えないのだが、その後の報告を読み聞くと、ワールドカフェ方式を採用した狙いがよく現れており、ほっとした。
 こちらの狙いは、施行後10数年が経った条例の現状と成果について、本音を聞きたい、現状を知りたい、思いつきの提案を語ってほしいというものだった。おかげさまでというか、そんなんでいいのというか、「条例の整備基準が間違っている」とか「届ければよくて不適合でもかまわない」とか「不適合になりそうなものは届出をしない」とか、まあ言いたい放題。もちろんそんな意見ばかりではなく、なるほどと思う提案や気付きもあって、大いに参考になった。
 これらの本音に加え、アンケート調査や有識者会議等の議論などを基に、今後さらに検討を進め、方針(案)としてまとめていかねばならないので、担当者はこれからが大変だが、それはそれとして、ワールドカフェ方式の威力をそこそこ感じた次第。実際、ボクも立ち会いたかったなとは心底思っている。

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