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2012年4月

2012年4月22日 (日)

階級都市

 「橋爪紳也」氏が書いた都市論だと勘違いしていた。筆者の「橋本健二」氏は社会学者。それも「都市社会学」という分野があるらしい。本書はタイトルのとおり、社会階級が都市に表れているということを説明するものだが、それだけなら、「山の手」と「下町」を取り上げれば足りる。実際、本書でも第3章では山の手と下町の形成史や文化の違い等を文学作品や古い雑誌等から説明するのだが、筆者の関心はそれだけではない。
 一つは最近の格差社会の進行に伴い、特に東京の各地域の格差はどのように現われているのか示すこと。そしてもう一つは、それが地域内の格差拡大という形で表れていることを説明する。そのための道具立てが第4章で用いる統計的手法だ。23区別の収入や学歴、ジニ係数等を用いて、23区間の格差が拡大するとともに、各区内において格差が拡大していることを証明する。いわゆるジェントリフィケーションである。最近、下町の工場跡地などを再開発したビルに上級階層が住みつく現象が各地で見られる。六本木ヒルズなどはその典型だ。
 これらの現状を説明した後、第5章で突然、街歩きを始める。最初は、六本木ヒルズから湾岸へ。次いで、文京区春日から根津を経て谷中へ。さらに板橋と練馬の境の街々を。世田谷区では三軒茶屋から下北沢、そして祖師谷から成城、国分寺崖線の山の手に並ぶ高級住宅地を確認する。最後は足立区を北千住から歩き、新住民と旧人民の軋轢を見る。
 街歩きの最後は居酒屋だ。結局、この人は街歩きを楽しむために社会学を研究しているのかと思う。もちろん人のことは言えない。僕は建築や都市計画を学んで、まち歩きを楽しんでいるのだから。
 まとめの第6章「階級都市から交雑都市へ」で、やはりソーシャルミックスをめざす方が、人々の健康や教育水準を高め、文化を発展させ、相互理解を促すと利点を主張する。だが、それを妨げる人々の意識をいかに変化させるか、その具体的な提案は書かれない。先日、法政大の稲葉佳子氏が「社会学者は現象の要因を明らかにするところに留まるが、工学系の専門家は解決策を示そうとする」といった趣旨のことを述べていたが、まさにそのとおり。下町に建設された東京スカイツリーが交雑都市の形成につながることを期待する旨の記述で本書は締めくくられるが、本当にそうなるだろうか。そのための仕掛けや戦略が東京スカイツリーを建設する東武鉄道や墨田区にあるようには思えないのだが。

●都市とは、単なる人口の集積ではない。だから、多数の人が集まる難民キャンプを都市とは呼ばない。また都市とは、単なる産業の集積ではない。だから、石油コンビナートや巨大な製鉄所は都市ではない。集合的消費手段が配備され、大量の労働力が再生産される空間的な単位のことを、都市と呼ぶのである。(P052)

●震災前の好況期には、閑静な住宅地だった山の手にも工場が進出し、商業地も形成されたが、震災後の都市計画によって、それぞれの地域には同一目的の建築物を集めることになった。/これによって山の手は「多種多様の生産過程、並に生活様式の混在から免れ」、住宅地としての色彩を保つようになった。・・・労働者階級(プロ)は下町に住み、新中間階級(プチブル)は山の手に住む。このような山の手と下町の階級的性格の違いは、以前にも増して明確になったということができる。(P106)

●人々はしばしば、・・・みずからの社会的地位にふさわしいとされる地域に住もうとする。このことが、地域の格差を再生産し、固定化させる。それだけではない。このような居住分化の構造は、人々から居住の自由を奪う。どの場所に住むかの選択に対して社会的圧力が加わり、自由な選択が妨げられるからである。(P253)

●かつて東京都庁の新宿移転は、東京の西進と下町の没落を印象づけたが、スカイツリーは正反対の効果をもち、下町の復興のシンボルとなる可能性がある。/下町に、下町を愛する高学歴の新中間階級が流れ込み、高層マンションのようなゲットーに立てこもることなく定住することによって、彼ら・彼女らの親しんできた文化と従来からある下町文化が交雑し、新しい下町が生まれることに期待したい。(P264)

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2012年4月15日 (日)

東京スカイツリー

Dsc01782 上京したついでに東京スカイツリーを見てきた。2月29日に完成したけど、オープンは5月22日。それまでは見上げるだけ。友人に連れられて地下鉄半蔵門線で押上駅まで。改札を出ると真上にスカイツリー。高過ぎてただ見上げるばかり。カメラを向けるもなかなか全景が入らない。隣に立つイーストタワーも地上31階建て、最高高さ158mと十分高いが、スカイツリーはその4倍以上。だが下から見上げると、その違いがよくわからない。
 南に接する水路、北十間川に沿って、西に向かって歩いていく。この川もスカイツリーの整備と合わせてすっかりきれいに整備されている。水面近くに親水テラスが設けられ、船着場もできた。ところどころベンチも置かれ、散策する人々、寛ぐ人々。スカイツリーに直面するベンチから上を仰いで写真をパチリ。鉄骨の複雑な骨組みが上まで伸びて面白い景観。
Dsc01786 スカイツリーを過ぎると西街区。東京ソラマチというのは東京スカイツリータウンの中野商業施設の名前で、東街区も含めている。西街区は地上7階だが、水族館などが入る。東街区にはプラネタリウム。また完成したら建物内部を訪問しよう。
 そのまま親水デッキを突き当たりまで歩いて、業平橋からスカイツリーを振り返る。大きい。東京ソラマチの階段状の外観も面白い。東武伊勢崎線「業平橋」駅は、近日、「東京スカイツリー前」駅に変わる予定だ。墨田公園に至る小梅牛島通りをスカイツリーを振り返りつつ歩いていく。ネットで見ると、この道路の名称は昨年4月に決定したばかり。それまではどういう名前で呼ばれていたのか? これもスカイツリー効果の一つなんだろう。
 この通りを公園突き当たりまで歩いて振り返る。正面に東京スカイツリー。ただし無数の電線を纏った姿。それも一興。墨田公園内からスカイツリーがきれいに見える場所を探す。散り際の桜越しに眺めるスカイツリー。でもあいにくの曇天で桜の花びらと空が同じ色になってイマイチ映えない。晴れたらもっときれいかも。
Dsc01794 公園を抜けて墨田区役所前に架かる橋からまた見上げる。東武鉄道の電車がやってきて、川に浮かぶ船と電車とスカイツリー。これもまた面白い。この後、リバーピア吾妻橋やアサヒビールの足元を通って吾妻橋を渡る。西詰めで振り返ると、左から墨田区役所、スカイツリー、金色に輝くアサヒビール本社ビル、觔斗雲 を載せた吾妻橋ホールとリバーピア吾妻橋が並んでいい感じ。多くの人がここから写真を撮っていた。もちろん僕もハイ、パチリ。
 オープンしてしばらくすれば当たり前の景観になってしまうんだろうけど、facebookで投稿したらけっこう反応があったのでまだまだ地方の人間にはニュースバリューがあるようだ。でも完成したらやはり館内を見学して回りたい。そのときはまたレポートするのかな。

●フォトアルバム「東京スカイツリー」・・・他の画像はこちらにあります。

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2012年4月14日 (土)

住まいの手帖

 「暮らしの手帖」をパクったタイトル。装丁も内容の雰囲気も似てるかもしれない。「都市住宅」や「GA HOUSES」など住宅・建築雑誌等の編集長を長く担当してきた植田実氏による上質のエッセイ集。月刊「みすず」に連載した60回分を掲載している。
 住宅の本にしては一切、写真も図面もついていない。簡潔すぎる文章だけで綴っていく。筆者の著作は「集合住宅物語」位しか読んでいないが、住宅や建築物に対する目は確かだし、愛情を感じる。
 3部構成になっているが、ほぼ連載時の順番と同じだという。確かに内容で分類した感じもあまりしないが、3部では街の構成要素としての住宅を取り上げたものが多いような気がする。「差別化がすなわち均一性」という日本の街並み景観の指摘はまさにそのとおり。「この作用がいつか途方もなく入り組んだ未知の都市風景にふいに逆転して、みなが名作建築より街そのものを見にやってくる日があるはずなのだが。」(P154)というのは何より強烈な皮肉か。
 疲れたときに何気なく頁をくくるには最高の癒し系住宅エッセイだ。


●ピロティが現代のスタイルであるのは、地面の開放性というより、その場所から離れてどこにでも歩いていける脚の表現によるのだろう。集合住宅に似つかわしいゆえんである。現代の集合住宅は、世界中を歩き回っている。(P13)
●「水まわり」と一括して呼ばれる部屋はどの家でもよく知っている機器で構成されているのに、使い方、飾り方はそれぞれの家によってちがうし、よその家で借りるとなると細かいところまで目について、緊張ととまどいが生じる。それだけ身体に近いのだ。(P31)
●窓をつくるためには、まず壁をつくらなければならない。日本の住まいには、まだ壁もない。(P72)
●玄関ドアを一歩入った住戸内全体は、パジャマ化された空間なのである。(P87)
●できれば世界に唯一の自分の住まいを持ちたいという願望を、じつはだれもが等しく夢見ているという関係であり、それは住まいにとどまらず、公共建築や超高層ビルだって、差別化が均一性に呑みこまれていく制度は変わらない。・・・ようするにおしなべて好き勝手につくっていることの均一性が、北の端から南の果てまで貫徹しているために、この列島は奇妙に広く、奇妙に狭い。(P153)

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2012年4月12日 (木)

刈谷のまちづくり みなくる刈谷とカリコン・カリアンナイト

 春恒例の建築学会東海支部都市計画員会「春の見学会」に参加してきた。今年は刈谷市。日本政策投資銀行の藻谷氏が「日本一寂れた中心市街地」として各地で講演して回り、地元でも話題になっていた2005年に中心市街地を見学したことがあった。今回、7年ぶりにまちを歩いた。
Dsc01723 この間の最大の変化は、駅南の再開発事業が完成・オープンしたことだろう。1973(昭和58)年に刈谷市公社が旧タイル工場跡地を取得して以来、運動公園として利用されていたJR刈谷駅南の一等地で再開発事業の検討が始められたのはもう20年近く前のことだ。1997(平成9)年に当時の住宅都市整備公団に施行要請をして以来、権利者調整等が進められてきたが、ようやく2007(平成19)年に工事着手。翌2008(平成20)年には商業施設棟がオープン。さらに2009(平成21)年には住宅棟も竣工し入居開始。一昨年の2010(平成22)年4月、刈谷市総合文化センターがオープンして、全体事業が完了した。
 商業施設には岐阜を拠点に近年業績を拡大してきているバローを誘致。住宅棟には126戸の分譲・賃貸住宅が建設された。また、刈谷市総合文化センターには1541席・288席の大ホール、小ホールが整備され、生涯学習センターとして多くの会議室等が並んでいる。
 UR施行でそのノウハウを活用。特定建築者制度を活用し、商業施設・住宅施設の保留床を民間に譲渡。また刈谷市も公益棟の保留床を取得。棟毎に土地を分筆し、容積率も都市計画上400%を220%の利用率に留めるなど「身の丈再開発」に留意した点が特徴だ。
Dsc01776 特に市職員の方が強調していたのが、バリアフリーへの配慮。福祉団体の協力を得て、設計段階から使いやすい施設整備を検討。エレベータのフットスイッチなど様々な設備や工夫がされている。商業棟の正面には、建物愛称の「みなくる刈谷」の名前を取った「みなくる広場」が整備され、ステージやミスト設備等を設置。ストリートミュージシャン等の利用もあるようだ。
 また、刈谷駅南北連絡通路から円弧状を描くペデストリアンデッキでそのまま2階レベルにつながる動線処理もきれいだ。デッキから見下ろすように、駅南口の駅前広場や駐輪場も整備された。ちなみに再開発地区の南側には、保健センター、子育て支援センター、健康づくりを促すげんきプラザが入った刈谷市総合健康センターも2011(平成23)年春にオープンしている。
 「みなくる刈谷」の会議室で市職員の方に説明を受け、再開発事業の各施設を見学。続いてデッキと刈谷駅南北連絡通路を渡り、駅北口に出る。刈谷駅北口駅前広場も2006(平成18)年に再整備され、企業送迎バスの乗り入れにも対応できるようになった。デッキを進むと広場北側の広場に降りる。ここは市が民有地を買い上げて、広場にした。刈谷駅前商店街振興組合の有志がプランター等の管理をしている。
Dsc01735 続いて、中国料理「香楽」で刈谷駅前商店街振興組合の杉浦理事長から、商店街活動について話を聞いた。
 1999(平成11)年に刈谷市中心市街地活性化基本計画(旧法)が策定されたことをきっかけに、2002(平成14)年、350万円の補助を受けて、競争力強化基本構想を策定。グルメマップの作成やグルメツアー、地域情報誌Eライフの発行、花いっぱい運動などを開始した。2005(平成17)年には商店街の中に増えてきた風俗店との懇談会を開催。桜小路連絡会として継続開催し、2007(平成19)年からは風俗店の従業員が派手な仕事着のまま、月1回地域の清掃を行う「花と蝶のパトロール」を実施。現在も継続し、警察から感謝状も受けている。またこの年には、地元の愛知教育大学と連携しアクアモールイルミネーションを始めた。「アクアモール」とは明治用水上に延びる通りの愛称で、用水から水を汲み上げ、通り沿いに水のモニュメントが整備されている。
 そして2008(平成20)年、第1回「ほろ酔いカリアンナイト」が開催された。「店自慢の一品とドリンク一杯」のチケットが5枚綴り3500円(前売り)で振興組合加盟店舗(2011年秋は56店舗)を自由に飲み歩くイベントだ。大変好評で年に2回、既に7回開催されている。
Dsc01740 2009(平成21)年には大学生の活動拠点づくり事業として、アクアモール沿いの空き店舗を活用し、スペースAQUAがオープンした。さらに2010(平成22)年度には第1回カリアンゼミの開催。こちらは商店街内の店主等が講師となってミニ講座を行うもので、岡崎で実施されている「岡崎まちゼミ」と同様の取組だ。
 昨年2011(平成23)年には「情報誌あくあ」を創刊。年4回発行で、地域密着のイベント情報や店舗紹介などが満載だ。そして2012年1月14日、県下最大級、250対250の合コンと銘打った「第1回カリコン」が開催された。20歳以上2~4名のグループで申し込み、男性は6500円、女性は3500円の参加料を払えば、19時のスタートから23時の終了時間まで飲み放題。最初の店は指定され、30分過ぎたら強制的に次の店に移動。これを繰り返しては偶然隣り合わせた異性グループとの交流を楽しむというもの。地元TV局にも大きく取り上げられ、さっそく「第2回カリコン」は、500対500に拡大して、この週末4月14日に予定されている。
 こうしたイベントへの参加を期待して商店街振興組合に加盟する店舗も増加している。またこれらの活動に対して2012(平成24)年3月には、愛知県地域づくり活動表彰も受けている。
Dsc01743 理事長の杉浦氏は、今期で理事長からの退任を口にするとともに、まちづくり会社を設立して、補助金頼りではない活動を行うことを計画している。ちなみに駅南再開発事業に対しては、地元住民との連携や参加が十分でないと批判的であった。
 話を伺った後、商店街の見学。さらにみんなと別れ、数人で7年前に歩いた東陽町商店街と銀座新町商店街に向かった。東陽町商店街は通りの北側の店舗がほとんど閉店し解体され、大きな空き地が広がっている。南側の刈谷名店街ビルは上部の県営住宅は入居者が退去し、1階も空き店舗が目立つが、NPO法人が運営する「かたーら」は元気に開店していた。取り壊し計画が進んでおり、近いうちにまた新たなまちの顔が出現するかもしれない。
Dsc01745 銀座新町商店街は、周辺の商店街と合併し現在は、かりやセントラル商店街と言う。銀座通りは道路拡幅のための用地買収が進められているようで、道路後退した新築住宅や空き地の間に老朽化した建物がぽつんぽつんと残る状況になっていた。かつて1階が店舗の市営住宅があった土地も撤去され空き地となっている。駐車場になった広大な空き地は昔のままだ。その隣で優良建築物等整備事業により建設された高層マンションが2棟そびえ、現在さらに3番目の地区整備が進められている。
 商店街と言うにはあまりの惨状にびっくりしたが、整備中の過渡的状況と思えば仕方がないか。通りに面してレトロな外観の銭湯「刈谷浴場」はまだ現役のようだ。さらに西に進めば亀城公園に続くが、だいぶ暗くなってきたのでここらで引き返してきた。
Dsc01753_2
 7年という歳月は刈谷の街を大きく変貌させた。駅南再開発は駅を降りた時の展望を一変させたし、駅前商店街振興組合の活動にはびっくりする。豊富な財政力を活かし、刈谷市役所も建て替えたし、基盤整備・施設整備にはカネを惜しまない。だがそれが本当に市民の活性化につながっているのかと言うと、よくわからない。商店街振興組合は市補助金をうまく活用し、したたかに活動を進めている。今後の変化にも注目していきたい。

○参考
・マイフォト「刈谷のまちづくり」・・・その他の画像はこちらにあります。

・中心市街地研究会「刈谷市の中心市街地」

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