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2012年6月

2012年6月 9日 (土)

天神橋筋商店街と大阪市立住まいのミュージアム

Dsc01855 久々に大阪へ行く機会があり、ついでに天神橋筋商店街を訪問した。ネットを検索すると日本一長い商店街と紹介されている。天神橋六丁目には大阪市立住まいの情報センターと住まいのミュージアムがある。これも一緒に見たいと思って、予定より早い新幹線に乗った。
 新大阪でJR東海道線に乗り換えて、大阪で環状線に乗り換え。天満駅で降りる。改札口を出たすぐ前に、ごみごみとした小さい木造家屋が小さい広場に面して並んでいる。看板に「天神橋筋四番街商店街振興組合 カルチャーセンター」の文字。
 マンション横の狭い道をたどるとアーケード街に出る。ここは天神橋筋四丁目。住まいのミュージアムは最後にして、まずは南に一丁目方向に向かう。四丁目あたりは通り幅も広く、所々空き店舗もあるものの、通りに商品が飛び出て、平日の午前中にしてはまあまあの活況を呈している。
Dsc01860 大きめの道路を横断すると、天神橋筋三丁目。通りの入り口に梅の花をデザインした大きなサインが上がる。振り返ると、四丁目商店街の入り口にも。「ギャルみこし」の垂れ幕と幟が並ぶ。三丁目商店街を少し歩くと左側に「楽歳天三/天満天神楽市楽座/関西大学リサーチアトリエ」の看板。白基調の明るいスペースの中には学生とおぼしき女性がパソコンに向かっていた。通りに突き出してパンフレットが置かれており、商店街の地図などをゲットした。
 通りに面する各商店は、1店舗ずつ鉄筋コンクリート造や鉄骨造で作られているものが多いが、中にはマンションの1階部分を貸店舗にしているものもある。2丁目のところで国道1号線を横断。アーケードの入口に立派な人形が南北4体ずつ飾られている。天神祭の御迎人形だそうだが、非常に躍動感がある。
Dsc01872 道路を渡ってしばらく行くと上部に「大阪天満宮参詣道」の大きな赤提灯。東側に広場が見える。足を進めると奥に「天満天神繁昌亭」。上方落語専門の定席寄席だ。右に折れると神社の入り口。中に入ると広い境内。大阪天満宮に北の裏口から入る。天神橋筋の名前の由来となる神社だ。もちろん祭神は菅原道真。境内の西には資料館もある。本殿は弘化2(1845)年に再建されたもの。表門も相当に立派だ。
 門を出て西へ商店街に戻る。ここから南が1丁目商店街だが、やや寂しい感じ。ここで引き返すことにする。国道を北に渡ると地下鉄南森駅の出口。そこに木製ベンチが並べられ、サラリーマンが数人休んでいる。「皆様のおかげで駐輪が無くなりました」と書かれた札がかけられている。関西大学リサーチアトリエが実施する社会実験だ。
Dsc01877 4丁目まで戻る。JR環状線の高架手前を西に出ると、大阪市北区役所。南に関西TVとキッズプラザ大阪が入る扇町キッズパークだ。外観だけ見てまた商店街に戻る。高架をくぐって5丁目に入ると、道はぐっと狭くなり、パチンコ屋などが多くなる。レンタルスペースと書かれた個店がいくつか見られる。貸店舗のことを大坂ではこう呼ぶのか?
 6丁目に入るとさらにコアに。狭い道で人出も多くなる。5丁目との境を左に行くと天五中崎通商店街。右に抜けると天満市場があったのだが、気が付かなかった。そこはもっとコアらしい。残念。両側から幟が差しかけられた中を抜けると突き当たりは広い道路に出る。道路の先にも商店街は続いているようだが、アーケード街はここまで。南東角に大阪市立住まい情報センター。この日のもう一つの目的地だ。
Dsc01882 大阪市立住まい情報センターはその名のとおり、住宅関係の情報提供をする住情報プラザと大阪市住まい公社、子育ていろいろ相談センター、さらに最上階に住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館が入っている。ちなみに3階には大阪ガスのショールーム「ディリパ大阪」、1階に三井住友銀行天六支店、そして地下は地下鉄につながっている。
 まずは住情報プラザへ。相談窓口と展示スペース、打合せスペースがあり、住まいのライブラリーも併設されている。新婚家賃補助の掲示がやけに大きい。ちょうど午後からは「民間住宅活用型セーフティネット整備推進事業」の説明会が予定されていた。
 続いて8階、「住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館」へ。入場料は600円。受付を通ってエスカレーターで10階へ。階下に 江戸時代の大坂の町並みが再現されている。9階へ降りていくと、ちょうど町家ツアーが始まるところ。せっかくなので参加した。ちなみに参加者は9名。今日は多いと言っていた。
Dsc01884 女性のガイドさんが大阪弁で1軒1軒ていねいに説明してくれる。春から夏にかけては祭りの飾り。通りには高張り提灯が上げられ、各町家の前に幔幕がかけられている。中には各店の商品を使った祭り飾りが並べられている。化粧道具や櫛等を扱う小間物屋の鶏、輸入雑貨を扱う唐物屋の獅子舞は見事。またはね上げ戸や釣り下げ戸、無双窓なども再現され、実際に開け閉めをしてみせる。時折、三択クイズも織り交ぜて、楽しく町家のくらしや仕掛けを説明してくれる。
 途中でスクリーンに花火も上がる。場内は約45分かけて明るくなり暗くなって1日を再現。それもまた面白い。裏長屋のくらしも垣間見て最後は銭湯へ。大阪は明治に入るまで混浴だったとのこと。色々な話を聞いたけど、覚えきれない。建築や住宅に関する知識もいっぱい。知らないことも多かった。
Dsc01886 あっという間の45分間。帰りは大阪の街の歴史をいくつものパノラマ模型で再現した展示を見る。バス住宅の団地やRC造の市営住宅団地も再現されており興味深い。でも時間がなくなってきたので駆け足で見学。
 昼食は天六商店街に戻って、激辛汁なし坦々麺の楊楊で麻拉麺のセットを食べる。山椒が効いて面白い。麺を食べたらご飯を足して坦々飯。スープを加えて坦々汁。どれも美味しい。
 日本一長い商店街は長いだけじゃなく面白い。町家ツアーにも巡り合えてラッキーだった。今度は秋冬の展示を見てみたい。その時には天満市場ものぞいてみよう。

●参考
フォトアルバム「天神橋筋商店街」

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やわらかく、壊れる

 五十嵐太郎の「被災地を歩きながら考えたこと」の巻末のみすず書房刊行書名リストの中にこの本が並んでいた。その時は筆者の佐々木幹郎氏について何も知らなかった。詩人である。大阪で育ち、東京下町に住み、近年はネパールを歩き、世界を旅して紀行文を多く著している。
 2003年に発行されている。東京下町に住み、東京を巡った紀行文や徒然のエッセイ、関東大震災後の西条八十と中原中也を巡る評論。大正4(1915)年、後藤慶二設計の中野刑務所(旧豊多摩監獄)の取り壊しを取材し、獄中で暮らした作家の手紙から建物の美しさを称えたエッセイ。阪神淡路大震災後に書かれたもの、ネパールからの紀行文、湾岸戦争後の原油除去活動の顛末など、多様な小文が収められている。
 中でも、建物や都市が壊れること、壊れた後の世界、長い時間の流れの中に建物や都市を置いてその存在を見つめる考察や感性が優れて心を打つ。タイトルの「やわらかく、壊れる」は阪神淡路大震災後の街を歩いてのエッセイから付けられている。もちろん、「いかに壊れるか」は建築側にとっては当然考えているテーマではあるが、詩人の感性から書かれるとまた説得力がある。
 東日本大震災により我々は再び、建物や町がなくなることを経験した。今、改めて本書を読むとき、これからの都市づくり、まちづくりへの重要な示唆を提示しているように思う。「やわらかく、壊れる」。我々はこれから、やわらかく生きていかねばならない。

●人間の寝静まった深夜、どの都市でもひそかに、植物が都市を占領しようと触手を伸ばしている。わたしたちの都市は、いつでも森になろうとしているのだ。アンコールの移籍は、遠い国の物語ではない。わたしたちの都市の夜の姿なのである。(P6)

●わたしはここ(東京湾岸の埋め立て地)へ行くたびに思う。この町が完成したあと、何かが起こって滅びることがあったなら、もう一度今あるような風景に戻るのだ、と。つまり、ここで今見ることができるのは、未来の都市の廃墟なのだ。(P59)

●東京大空襲で焼けるまで、初代の国技館は両国橋の東詰にある回向院の境内にあった。回向院は江戸時代の明暦の大火の後、無縁仏を祀る寺として創建されたが、相撲はそれらの霊をなぐさめる儀礼の一つとして、この寺の境内で行われてきたのである。両国の花火大会も、死者を供養するために始められた。(P72)

●人間は40秒という「長い」恐怖の時間の持続には、耐えられない。耐えられなくなった一瞬、それは人間の力を越えた自然の運動であるとわかっていても、その運動に「人格」を与えようとする。・・・地球の表面にしがみついて生きている人間という、ちっぽけな動物。だれもがその存在に、気づいたとき、圧倒的に巨大な自然はあくまで「人」の形をとったものとして、あるいは「人」によく似た形をとったものとして、理解されようとするのだ。原始人の感覚である。(P175)

●どんな都市でも、いつかは必ず壊れる。人間の造ったものは、自然の巨大な力を前にすれば、いかにもろいものか。どんなふうに頑丈な建物や都市を造るかということよりも、どんなふうに壊れるべきかを、設計思想の中心にするべきではないか。/いけに、やわらかく壊れるか。建物の内部にいる人間の被害を最小限にとどめ、建物の外部に及ぼす被害も最小限に。そのようにして、やわらかく崩壊することが可能な建物と都市のイメージを築き上げること。それは人間の滅び方を考えることと似ている。(P188)

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2012年6月 2日 (土)

社会学と都市計画の違い

 先日読んだ「限界集落の真実」は面白かった。筆者の山下氏は青森県等で集落調査をすると同時に、集落の再生活性化について住民と一緒になって考えた。先進県視察に同行し、集落の人々の「うちの女の人たちなら、もっといい味出すな」という言葉がきっかけとなり、モニターツアーを実施する。だが、そこから本ツアーにはなかなか進めない。いろいろと理由はあるが、無理に押したり、代替案を提示したりはしない。
 筆者が住民の気付きと立ち上がりを促す手法として絶賛するのが「T型集落点検」だ。これは熊本大学の徳野貞雄教授が考案した手法で、集落の住民に最初は居住者、ついで家族とその所在地を地図に書き入れてもらう。すると最初は単身高齢者ばかりと思っていた集落に、意外に広い外部とのつながりがあることがわかり、彼らを引き込むことで、集落の再生活性化への道を探る糸口が見えてくる。そこから住民自らの主体的な活動を促していくものだ。
 そこには、何をすればいいのか、どうすればいいのかというアイデアや手法はない。それは集落の住民やその家族らが考えていく。だから途中で止まることもあるし、一気に成果が見えないことも多い。だが、家族のつながりが根っこにある活動は、金儲けを目的とした活動とは違って、簡単に消えることはない。それを掘り起こすのが「T型集落点検」だ。
 実はこの本を読み終わった後で、昨年、法政大学の稲葉先生に「公営・URにおける外国人居住問題」についてお話を伺った後の懇親会で、先生から聞いた言葉がよみがえってきた。要約すると「一緒に地域調査をしても、社会学の研究者は社会状況が発生する要因や関係等を明らかにすることが目的となるのに対して、都市計画の研究者は解決方法を提示することが目的となる」といった趣旨の言葉だ。
 「限界集落の真実」の中で山下氏は、「集落再生プロジェクトは、都市のコンサルタントや研究者により提供されたプログラムではなく、地域住民によって主体的に取り組まれる取組だ」といった趣旨のことを書いているが、これはそのまま都市計画コンサルタントや研究者に対する批判となっている。
 工学を専攻した専門家は得てして、研究は課題に対する解決を提示するものという思いがある。それに対して、社会学の研究者は、社会関係や成り立ちを明らかにすることが研究の目的となる。そしてその溝は相当に深い。
 意識の問題は別にして、真に住民の幸福につながるのはどちらだろう。真の集落再生を実現するのはどちらのアプローチだろうか。
 もちろん都市計画の専門家も住民主体による取組を最優先にするが、ひょっとして住民主体をアリバイにして、専門家の権威により提案を地域に押し付けていることはないだろうか。これは、東北地方大震災の被災地支援を行っている建築家や都市計画家に対してもぶつけてみたい疑問でもある。
 行政は概して課題解決の成果を早く欲しがるし、行政からの委託を受けて地域に入るコンサルタントとしては、成果を求めざるを得ない。また住民も専門家に依存しがちだ。研究者としても成果が見えない取組では研究成果にならない。
 それに対して、成果が出ない理由を社会構造等の社会要因に求めることが研究成果となる社会学者はその点、気楽かもしれない。そして目的が住民の幸福であれば、集落の再生は実は本当の目的ではないのかもしれない。
 「消滅した限界集落はない」と書く一方で、「挙家離村した集落はあるが」と当たり前のように続けるのは、そのことを示している。都市計画の専門家には大きく違和感を持つところだ。集落の消滅が問題ではなく、住民の幸福が問題だと言われれば確かにそのとおりなのだが。
 どちらのアプローチが正解ということではないのかもしれない。ただ都市計画家は、住民主体と言いつつ、実はアリバイとして使っていることはないか、という反省はいつも持っていてもいいのではないか。自分自身に振り返っても全く自信はないが、「限界集落の真実」を読んで、そんなことを思った。住民主体は難しい。

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