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2012年7月

2012年7月31日 (火)

東日本大震災への住宅行政の対応と平時の備え ~ 仮設住宅中心を改め、仮設避難施設を供給し恒久住宅対策に重点を移すべき

 先日開催された公共住宅部会は意見交換の後半で刺激的な提案が飛び出し、活気と興奮に満ちた研究会となった。基調報告は中部地方整備局の宮森住宅整備課長。ブログ記事と同じタイトルで1時間以上にわたり、東日本大震災への住宅行政の対応と自ら岩手県で応急仮設住宅建設の派遣支援に行った際の経験、そして現在進めている、来る広域巨大災害に備えた中部地方整備局等での数々の取組について、熱心かつ詳細に報告をいただいた。
 東日本大震災の発生に伴い、発災からわずか15分後には国交省住宅生産課からプレハブ建築協会へ生産・準備開始の要請を行っている。その後、プレ協を中心に5万3千戸余りの応急仮設住宅が建設されたことは周知のとおりである。また公営住宅等の提供や民間賃貸住宅を活用したみなし仮設住宅の借り上げも行われ、現在12万世帯以上の方がこれらの住宅に入居されている。ちなみに被災者向けに住宅情報を提供するコールセンターが名古屋市内に設けられ、中部地方整備局からも1名が常駐し支援したとのことである。
 応急仮設住宅の建設については、当初供給が遅れたのは供給体制の問題と用地確保が困難だったことが大きい。供給については、現在ほとんどの都道府県でプレハブ建築協会と協定を結んでいるが、量的に足らず、また被災地の住宅事業者活用の要望もあって、被災各県では、地元住宅事業者を公募・選定し、建設を行った。居住性の面では木造仮設住宅やプレ協の中でも住宅部会(ハウスメーカー、通常は規格部会:現場事務所等)の住宅の方が優れているが、供給力・対応力(窓口も一元化)ではプレ協規格部会の方が圧倒的に優れており、うまく組み合わせることの必要性を述べていた。
 また、一部では3階建てや輸入資材を活用した住宅もあった。輸入資材については、各国から申し出はあったが、各県ではそこまで対応できる状況になく、国交省対応としたが結局うまくマッチングできなかった。
 最大の課題は用地の確保で、被災各県も事前に仮設住宅建設候補地のリスト化はされていたが、実際には使用できなくなった土地や他の利用に回された土地などもあり、また造成が必要な土地も多いなど、課題が多かった。用地確保が困難な市町村で他市町村に建設を要請せざるを得ない状況も多くあったが、人口流出につながるため、市町村外への仮設住宅建設は避けたい意向がある。そもそも用地の借上げや入居募集・管理を誰がやるのかも明確になっていない。みなし仮設住宅の県外移住についても同様で、今後こうした県域・市町村域を越える供給にいかに対応するかは大きな課題の一つだ。
 現在、現地では災害公営住宅の建設が佳境に入っているが、国では災害公営の入居資格要件の緩和(被災後3年→10年)や譲渡処分要件の緩和(1/4→1/6)などの特例措置を講じている。岩手県で5300戸、宮城県で15000戸の供給計画が公表されているが(福島県は未定)、まだまだこれからの課題も多い。特にどれだけの戸数をどの事業主体が供給すべきかについては、今後の人口減少等を考えると、将来の大量の空家発生にもつながりかねず、各県相当に苦労している状況があるようだ。
  国交省では被災直後から約4ヶ月間、各県へ技術支援要員の派遣を行った。中部地方整備局では宮森課長自身が5月中旬から1週間強、岩手県庁へ派遣され支援業務に携わっている。当時は「お盆までに全員入居」という首相表明が発せられた頃だが、用地確保がままならず発注ができないという状況の中で、建設状況の把握と国への報告、プレ協岩手県本部との情報交換、その他各種問い合わせ対応や情報提供を行った。例えば、国では仮設住宅の建設実績や見通しが重要な情報だが、各県にとっては現場対応で戸数計上などは後回しになりがち。また他県の対応状況を国交省職員相互で連絡を取り合い情報提供したことも各県の対応に大きな支援となったようだ。
 応急仮設住宅については災害救助法に基づく救助として厚労省所管であり、厚労省からガイドラインが示されているが、今回の経験を元に国交省でも都道府県向けの応急仮設住宅建設必携(中間とりまとめ)が作成され公表された。
 中部地方整備局でも、「地震・津波災害に強いまちづくり検討委員会」の設置や「中部ブロック災害時住宅支援に係る連絡調整会議」の開催、「広域巨大災害に備えた仮設期の住まいづくり検討調査」などの取組が進められている。特に「仮設期の住まいづくり検討調査」は市町村向けの「仮設期の住まいづくりガイドライン(仮称)」を作成しようとするもので、仮設住宅の建設は県が担当するとされている中で、市町村の役割を明確にし、市町村の平時からの取組を促す重要なガイドラインとなると思われる。今後に期待したい。
 以上の報告を受けた後、自由に質疑応答や意見交換を行った。まず、愛知県の状況はどうなっているかということで、同席した県職員から仮設住宅建設マニュアルの見直しや全国木造建設事業協会などとの新たな協定締結等の報告をいただいた。
 木造仮設住宅の建設についての関心も高かったが、プレハブ住宅の長所・短所などそれぞれの特徴を生かした対応が必要なことについては、参加者も理解したのではないか。プレハブ業者からは、「断熱材等の規格は遜色なく、外観イメージから居住性が心理的にマイナス評価を受けている傾向がある」という声も聞かれたという報告もあった。
 復興まちづくりについての意見もあったが、これは現在進みつつある問題であり、これから検証が行われるものと思われる。復興に関しては、現在、各県で災害公営住宅の建設が急ピッチで進められている。しかし、用地の確保の問題、県・市町村のどちらが主体となるか、買取や借上方式の活用、そもそもどれだけ建設すべきかなど課題が多い。さらに政治的な思惑も絡んで、なかなか簡単には整理できないし、何が正解かもわからない。
 私などは新たに災害公営住宅を建設するのではなく、みなし仮設として借り上げている民間賃貸住宅を借上公営住宅にすればと単純に考えるが、地域外のみなし仮設へ避難している人も多く、市町村の復興という観点からまちの将来像をいかに描くかで災害公営住宅の位置付けも変わってくる。
 みなし公営住宅については、2年後の対応をどうするのか(家賃補助の停止等)、今回は民賃避難者を後追いで追認し借上げ対象としていったが今後も同様の対応をするのか、それとも今後は借り上げ後に公募する形を取るのかなど依然未定のままだ。静岡市などではみなし公営の事前登録制度を立ち上げ募集しているが、実際の被災時に有効なのかどうかも定かでない。
 避難所での高齢者等の災害弱者の生活環境の問題や、仮設住宅移行後の生活支援の問題を指摘する意見もあった。また、旅館等の施設をもっと積極的に利用すべきだという意見も出た。しかしこれらは厚労省所管ということもあり、住宅行政側の対応は難しい面が多い。コミュニティ入居(グループ募集)の事例もあるが、応募は少なかった。むしろ入居者の地域を限定した宮古市の事例の方が効果的だったようだ。
 仮設住宅は厚労省規則では戸当たり240万円程度が基準となっているが、実際には500万円程度の費用がかかっている。居住性も相当程度確保されており、恒久住宅として使用できるよう二戸一改善が容易な仕様にするなどの動きもある。一方で恒久化が困難な敷地に建設された住宅も多く、どの程度の仕様にすべきかも大きな問題の一つだ。実際に仮設住宅を建設する都道府県の担当者からは品質・性能が高すぎるのではないかという意見も多い。
 私も日頃から仮設住宅はもっと簡易なものとし、恒久住宅対策に力を入れるべきと考えているが、先日の研究会でそれを口にしたところ、「いっそのこと、仮設“住宅”ではなく、仮設“避難施設”にすべきだ」という意見が出た。設備は共同炊事場・共同便所等とし、部屋も1室程度の尞・寄宿舎のような避難施設を早期に供給することで、劣悪な環境の避難所生活からの早期脱出を可能とする。共同生活型の施設にすることで高齢者等の生活弱者の問題やコミュニティ問題へも対応が可能になるし、用地も仮設住宅に比べれば少なくて済む。そして早期に復興住宅の建設やまちづくりの始動を促す効果が期待できる。また、仮設住宅に過大な費用がかかっていることを思えば、恒久住宅対策を住宅支援一時金等とすることで、費用的にも節約できるはずだ、という提案だ。
 被災後の住まい復興のプロセスが、現在は「避難所」「仮設住宅」「災害復興公営住宅・自力恒久住宅」という筋道で考えられているが、「仮設住宅」を「避難施設」と置き換えることで、また違う住まい復興のプロセスが見えてくる。来る東海・東南海・南海地震の際には東日本大震災以上に大きな住宅被害が予想される。100万戸規模の被災に対して現在のシステムで対応できるのかという意見も聞かれた。たぶん相当に混乱した末に、現在想定しているのとは違う対応がなされ、また新たな方式が生まれるのだろうが、事前に準備できればそれに越したことはない。より合理的かつ的確な住まい復興プロセスを考えておく必要がある。

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2012年7月27日 (金)

開発空間の暴力

 大津市のいじめ自殺事件が連日報道されている。「いじめ自殺を生む風景」という副題のとおり、本書では1980年から2006年に至るまでのいじめ自殺事件が発生した地域の特徴について調べ、地域開発と風景がいかにいじめ自殺に影響しているかを考察する。
 いじめ自殺事件が発生した地域には多くの共通点があると言う。多くの地域にはかつて軍事施設があり、戦後、その土地が払い下げられ、さらに周辺が開発され、中心から取り残された地域である。こうした地域では、化学化された合成素材でできた住宅や建物が並び、従来からの自然素材による建物と併存している。その結果、「場所のセンス」を欠き、個人のアイデンティティが揺らいでいる。
 筆者はこのことをそれぞれの現地に足を運び、時に自転車を使って地域を回ったと言う。かつて海軍基地や予科練のあった茨城県阿見町。陸軍演習場があった千葉県習志野市。御料牧場が払い下げられ、過酷な開拓生活の末に、成田空港建設予定地となった成田市三里塚。さらに新潟県上越市、福岡県高石市、千葉県富津市、茨城県結城市、埼玉県行田市、福岡県行橋市、福島県いわき市。これらの多くは数次に渡った全国総合開発計画に基づく開発地域でもある。
 愛知県西尾市は軍事施設はないが、農村地帯にアイシンやデンソーが進出し、つくし台住宅団地が開発された典型的な「脱中心化する風景」だ。
 「風景の化学化」など筆者独特の表現があり、建築系の人間にはやや違和感を感じるし、軍事施設の払い下げも土地の商品化による消費社会化の進展を理由に挙げるが、それは日本全体に進行しつつある社会状況である。第5章では、ハワードの田園都市論を取り上げ、レッチワースでは最近、暴力事件が多発していることを指摘する。
 確かに郊外住宅地や新開発地でいじめ自殺が多いことは、三浦展氏も「ファスト風土化する日本」でも指摘していたことだ。本書はそれを社会学的に調査し考察したものと言うことができる。だからと言って、「開発は全て悪」論を述べられても困る。いかに人間にとってよい環境を作るかは、都市工学分野においても常に研究され追究されているテーマだ。一方で開発だけがいじめ自殺を誘発しているわけではない。結局、現代社会が作り、生み出してきたもの。それが今の日本社会の結果なのだから。

●現代の都市が構築するのは、充足性、無臭性、安全性を兼ね備えた<透明な空間>である。・・・中心を欠き、歴史性の欠如した脱中心化する風景は、何を生み出すのか。それは、暴力の噴出である。いじめ自殺が起こるのは、脱中心化する風景がある場所なのである。この意味で、脱中心化する風景は<暴力の風景>である。(P22)

●土地の商品化が進む一方で、開発計画の名の下に、土地の買収が行われる。・・・その結果、風景が大きく変容する。しかし、計画が完全に実現されるとは限らない。その結果、計画が実現した空間と、実現できなかったか、そもそも計画から外された空間が、一つの中学校区のなかに存在する地域が生まれる。それが、投資によって作られた科学化された風景と、それ以前の風景が調和されることなく混じる、脱中心化する風景である。(P67)

●現象学的地理学の領域では、「場所のセンス」ということばが使われる。それは、「個人および共同社会の一員として内側にいて自分自身の場所に所属すること、そしてこのことを特に考えることなしに知っているという感覚」である。場所のセンスを欠くと、個人の「アイデンティティ」は揺らいでしまう、と現象学的地理学は主張する。いじめを生み出す集団の成員は、こうしたアイデンティティの揺らぎを体感している。(P139)

●プラスチック製品、プラスチックを用いた建築物、合成素材から成る住宅街とその開発システムは、すべて同一の原理によって律されている。それが未来を現在のなかに取り込む時間原則である。つくし野の住宅街は、まさにこの原則によって開発されており、つくし野に持ち家があるとは、来るべき未来の幸福を現在に実現することである。(P159)

●開発は風景を変容させ、こどもに大きな影響を及ぼす。それも開発時ではなく、開発開始時に生まれたこどもが、中学生になる頃に現われるのである。つまり、開発という社会に大きな変化をもたらすできごとがどのような影響を及ぼすのかについて、一定期間(少なくとも20年程度)観察を続けるべきなのである。(P218)

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2012年7月22日 (日)

東京丸の内近辺散策

 東京での仕事帰りに東京駅まで戻ってから、せっかく来たのでと丸の内近辺を散策した。地下鉄「丸の内」駅から新丸ビルの地下に移動。エスカレーターで地上階に上がる。「新丸ビルも1階基壇部分に少しは昔のイメージを出そうとしているみたいですが」と 後述する初老の男性に水を向けると、「全く違う」とにべもない。屋内デザインには大正・昭和レトロの雰囲気を出そうとしているが、外観デザインはかなりごつい。
Nec_0011 屋外に出ると正面に東京駅。3階部分を増築し、創建当時の外観に戻す保存・復原工事が進められているが、先ごろ一部仮囲いが撤去され、その外観が姿を現した。工事前に比べればかなり堂々とした感じで、一回り大きく見える。後方にガラス張りの超高層ビルが聳えているのが目につく。不思議な景観だ。
 東京駅正面から皇居に向かって伸びる行幸通りも2010年に再整備された。イチョウ並木が復活し、保水性タイルで舗装。街灯もポツポツと並んでいるが、中央の空間が広過ぎて空虚な感じ。反原発デモもどうせ首相の耳には届かないのだから、この広場でやればいいのに、なんて思った。帰りに道路下の行幸地下ギャラリーを歩いたが、やはり閑散として寂しい。
Nec_0010 東京駅の右側に白いタイル張りに大きな壁時計のビルが目立つ。東京中央郵便局だ。かつての局舎がファサード保存され、上部にガラス張りのJPタワーが聳えている。タワーの外面は折り鶴を模したと言われる微妙な屈折があり、やさしい印象を与える。
 実はオープン間もないとは露知らず、引き寄せられるままに局内に入っていった。ダークオークの柱型など内観を眺めていたら、案内の男性が「何か御用ですか」と話しかけてきて、オープン3日目と知った次第。東側に東京駅を見ながら回り込むと、屋外階段が突き出した外観が面白い。
 そのままJRの高架線路沿いに有楽町駅に向けて歩く。ガード下店舗の猥雑な感じがいい。右側は東京ビルTOKIA。2005年に竣工。三菱電機やJPモルガン等が入居している。正面に見えるのが東京国際フォーラム。旧東京都庁跡に1997年に建築されたが、竣工当時に訪れたことがあるが、その後は新幹線から眺めるだけで施設内を歩くのは久し振り。久し振りに歩いてみると、中庭の緑がしっかり育って気持ちのいい緑陰空間になっている。線路沿いのガラス棟が印象的だが、反対側のスクエアな4つのホールも美しい。大小さまざまな大きさの違いと抜けた通路が面白い空間を作っている。ラファエル・ヴィニオリ設計。今回最も気に入った場所の一つだ。
Nec_0018 有楽町駅まで歩いて、そこから引き返すことにする。DNタワー21の下部、農林中金有楽町ビルの再現ファサードを観賞。ただしこれはイメージ再現で昔のままではない。丸の内仲通りを通って東京駅方面に向かう。両側に国際ビル(1966年竣工)、新国際ビル(1965年)、富士ビル(1962年)、新東京ビル(1963年)。新国際ビルと新東京ビルの間から東京フォーラムの四角いガラス面が覗く。国際ビルヂングという箱文字が三菱地所所有であることを示している。いずれも旧耐震の時代の建物だが、耐震性はどうなっているのだろうか。通りに面して超高級ブランドのテナントが多く並んでいる。
 都道406号馬場先通りの大きな交差点に出ると、右に丸の内パークビル・三菱一号館。左に丸の内マイプラザ・明治生命館。通りを渡ってまず左の明治生命館へ。通り側の入口を入って守衛さんに「一般公開しているところはどこですか」と聞いたら、第一生命館のマッカーサー記念室の期間限定一般公開を紹介された。時間がないというので急いでまたDNタワー21まで戻ったが、整理券は既に13時前に配布が終わり、見られなかったという顛末もあったが、第一生命館の内部を楽しめたのはよかった。
Nec_0026 それでも再び丸の内仲通りを歩かされるという破目になって、馬場先通りの交差点を今度は右側、丸の内パークビル・三菱一号館へ向かう。 三菱一号館は1894(明治27)年ジョサイア・コンドル設計の赤レンガの建物で1968年に解体工事が強行されたが、三菱地所の丸の内再構築の一環として、2010年に丸の内パークビルが建設され、その一角に三菱一号館美術館としてレプリカ再建された。交差点に面して特徴的な丸屋根のアネックス棟のゲートをくぐると、一号館広場に入る。赤レンガの外壁を眺めながら、緑の多い憩い空間で多くの人がベンチに座っていたが、やや狭い感じ。
 この再開発により1928(昭和3)年竣工の八重洲ビルヂングが解体され、東側外壁に飴色の小松石が粗積みされた基壇部が再現されているが、これもレプリカ(一部再利用)である。
Nec_0027 丸の内パークビルのオフィスフロアを北に抜けて、丸の内マイプラザを北側から入る。丸の内マイプラザは1934(昭和9)年の建設された明治生命館(設計:岡田信一郎)を取り込む形で2004年に建設された複合商業ビル。入口を抜けると屋内に明治生命館の外観が見えるアトリウムがあり、そのまま明治生命館のラウンジに入っていく。重厚なホールに応接ソファが並べられ、静謐で快適な空間。一号館広場の明るさと自然もいいが、この内省的な静けさもお気に入りだ。いつまでもソファに抱かれていたい気になる。あいにく平日は資料・展示室は一般公開されていない。しばしのんびりしてからまた東京駅へ向かう。
 丸の内仲通りは緑が多く、夏でも涼しく気持ちいい。丸ビルまで戻ってもう一度東京中央郵便局前の交差点に向かうと、オープンしたばかりの建物を感慨深げに眺める初老の男性がいる。「昔からこんなに白かったんですか?」と声をかけると、「いや、前はもっとくすんだ感じだった」と応じてくれた。かつて八重洲ビルヂング内にあった金融機関で働き、毎日東京駅からこの建物の前を歩いて通ったと言う。「だいぶ雰囲気が変わってしまった」と言うが、東京駅の復原と東京中央郵便局の再生はうれしそうだった。
 多くの人が働き、また上京する者たちを迎えてきた東京駅と丸の内地区。ファサード保存とレプリカ保存を行うことで、ある程度景観に配慮した街区整備が進められてきた。そして東京駅の復原工事で一つの区切りが付く。日本経済がまだ命脈を保っている間にある程度の完成を見ることになったことは喜ぶべきことかもしれない。

●フォトアルバム「東京丸の内近辺散策」


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2012年7月20日 (金)

茅野市の藤森作品と茅野市民館

 このところ夏には避暑に車山高原によく行く。茅野市神長官守矢史料館へは2005年に訪れたが、その時には完成していたはずの高過庵には寄らなかった。茅野市民館は2007年に行ったが、その時も娘はいなかった。一昨年、娘と一緒に車山高原に行った時は、安藤忠雄の小海高原美術館美術館に寄ったので、今年は茅野市内の藤森作品と茅野市民館に寄ることにした。
Dsc01920 朝9時過ぎに家を出て、11時半位に 茅野市神長官守矢史料館に到着。受付の担当者が親切に解説してくれる。建物はRC造2階建てで、屋根はフランス産の天然スレート、地元産の鉄平石とサワラ板葺。内壁の土壁はRC造にモルタル塗の上に藁を混ぜた土壁を塗ったもの。2階へ通じる可動式梯子も操作してくれた。階段手摺は特製鋳物。正面に伸びる2本のイチイの柱に打ちつけられている鳥を模した装飾は「薙鎌(なぎかま)」と呼ばれる古代の武器。夜間は装飾の明りが洩れる照明も面白い。
 ロビーには御頭祭の様子を展示。鹿の頭が多く並び、生贄の御柱、お供えの供物は鹿肉の脳味噌あえ。げっ! 今も諏訪神社上社で毎春執り行われるが、その際には75頭の鹿が集められる。と必ず1頭は耳に切れ込みがある。ってホンマかいな。 なんてことを説明してくれる。親切で楽しい。
Dsc01936 史料館を左手に進み。墓地を抜けて農道に出ると、その先に異様な浮遊物体が。これが「空飛ぶ泥船」。これは2010年、茅野市美術館の藤森照信氏の展覧会が行われた際に、一般市民とともにワークショップで作成されたもの。昨年、この場所に移設された。両側2本ずつの柱から吊り下げられ土で塗り固められた物体は茶室。まるで「ハウルの動く城」。どんぐりが空を飛んでいる。ちゃんと中に入れるようにじり口のような入口があり、地上脇には梯子も添えられている。ただし厳重に鍵で固定されている。あの中空から、揺られながら茅野の街と車山高原の山々を眺めるのは気持ちいいだろうなあ。とても楽しい建物である。
Dsc01940_2 そのさらに奥に聳えるのは「高過庵」。こちらは「借りぐらしのアリエッティ」と娘が言うが、観たことがないのでよくわからない。おじさん的にはスターウォーズの帝国軍の二足歩行兵器(「AT-ST」というらしい)のように見える。自然のクリの木の上に作られたツリーハウスで、床下からにじり入る茶室。これも室内に入ると気持ちよさそう。
 藤森作品を満喫して、次は茅野市民館へ。娘は着くなりカメラ片手に飛び出していった。設計は古谷誠章。市民との共同ワークショップを重ねて設計した。茅野駅から連続して小さな図書館とホール、美術館等から成る。ひと巡りした後にレストランカフェ・アンダンテで食事。中庭に面し、気持ちのいい席で美味しい昼食。食事後ももう一度歩き回って建物を観賞。現代的で素直なデザイン。奇を衒わず、センスあふれる上質の建物だ。
 しばしのんびりしてから、その後、車山高原へ。山頂は涼しく気持ちよかった。建物も楽しく嬉しい1日だった。

Dsc01966●フォトアルバム「茅野市の藤森作品と茅野市民館」

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2012年7月13日 (金)

UR鳴子団地の再生と高齢者支援

Dsc01892 UR(都市再生機構)では平成19年末に「UR賃貸住宅ストック再生・再編方針」を決定し、全国に約76万戸あるUR賃貸住宅の再生・再編を進めることとしている。中部支社管内にも約6万戸弱のUR賃貸住宅があるが、このうち約1万戸については団地再生や用途転換、土地所有者等への譲渡等を行うこととしている。今回訪問した鳴子団地は、UR中部支社が再生事業を進める団地の一つだ。
 UR鳴子団地は昭和37~39年度に開発された管理戸数2,196戸の大団地。そのほとんどはRC造4・5階建てのエレベータのない住宅で、入居者も60歳以上の高齢者が多く住む高齢団地となっている。
Dsc01897 URでは平成18年から全体4期に分けて、再生事業に取り組んでおり、現在最終第4期区域に着手したところだ。とは言っても、URの事業着手とは入居者説明会を開催したことを指すから、ハード的な整備状況としては、第1期区域の先工区で建替えが完了し、後工区でちょうど入居者募集をしているところだった。また第1期区域の一部は民間ディベロッパーに売却され、分譲マンションが完成間近という状況である。
 第2期区域は、今回完成した第1期後工区の賃貸住宅に入居予定の方たちが今まさに入居を待っている状況。木造サッシュが珍しい。移転後は解体され新しいUR賃貸住宅が建設される予定だ。また第3期区域の一部は商業施設用地として、今春に事業者が決まった。さらに第4期(民間事業者へ譲渡予定)へと着々と団地整備が進められていく。
Dsc01891 また、団地西側の区域はUR賃貸住宅活用エリアとして、現状の階段室型5階建てのまま、継続管理していくこととしている。この区域が721戸。第1期・第2期でUR賃貸住宅として建て替えるのが448戸。残りは民間事業者へ譲渡する計画だ。
 今回はまずUR中部支社住宅経営部の方にこうした団地再生計画について説明いただき、また合わせてUR全体のウェルフェア事業の取組方向や事例を説明していただいた。
 現在2,196戸から1,169戸へとかなり大胆に縮小していくのは、URの置かれた立場からすれば既定の路線か。このうち721戸は現状のままだから、建替え住宅に限れば、1,475戸を448戸へと約3割まで縮小する。もちろんその代わりに民間分譲マンション等が導入されるわけで団地としては入居者バランスの観点からも適正化の方向だろうし、団地周辺も戸建て住宅が多い郊外住宅地で、昨年春には地下鉄・鳴子北駅が開設され、今後はさらに発展が見込まれる。
Dsc01906 こうした地の利がある団地で、団地再生のテーマは「多様な世代が暮らし続けられる地域拠点の再生整備」。もっとも団地内に鳴子小学校と鳴子中央公園を抱え、既存の幼稚園もあることから、子育て支援施設整備は既に名古屋市の手で整備済み。
 高齢者支援について、今回、団地内に事務所を設置し、施設整備を進めているNPO法人・たすけあい名古屋の渡部理事長に話を伺った。ちなみに現状のまま継続管理するエリアは、URの団地将来像イメージでは、「緑豊かで閑静な環境を享受する住宅ブロック=高齢者支援サービスを享受する高齢者をメインターゲット/上層階には鳴子の住環境を評価する若年世帯」と謳われている。ゆったり配置された住棟が豊かな緑の中に立地しているのは、確かにすばらしい。ただし、階段室型5階建て住棟の上層部を「鳴子の住環境を評価する若年世帯」と謳うのは、わからないでもないが、実際の入居者はどうなのだろうと心配になる。
Dsc01911 「NPO法人・たすけあい名古屋」の事務所はUR賃貸住棟の1階、かつてはショッピングセンターが入っていた区画を借りている。NPO創設は平成9年。当時は代表理事の自宅を事務所にしたが、9年ほど前に鳴子団地内の空き店舗を借り、さらに団地中心部の空き店舗も借りて拡張した。業務は介護保険事業と生活支援サービス活動。典型的な介護福祉NPOだが、鳴子団地を中心とした鳴子町周辺を活動領域に、地に足のついた活動を展開している。
 平成22年度に愛知県医師会総合政策研究機構の調査に協力して、鳴子団地の高齢者生活実態調査を実施。鳴子団地の高齢化率は39%、団地に住んで30年以上の世帯が64%などのデータを得ている。介護保険利用者は6%で要介護認定が3%というのは思ったより低い印象だが、今後急速に増加することが見込まれる。
Dsc01913 代表理事は特に独居・認知症高齢者の増加を懸念されていた。そこで、介護保険を利用されていない94%の方の見守りについてどう考えるか質問したが、「それは政治的課題だ」として答えてもらえなかった。認知症高齢者の増加というのは、介護業務の増大に伴う十分な介護予算確保の必要性を主張したかったのかもしれない。私としては介護保険にたどり着く前に一人で死亡する独居高齢者の孤独死問題への対応を聞きたかったのだが、質問の意図を理解してもらえなかったのかもしれない。団地に根づいたNPO等が独居高齢者の見守りに積極的に取り組んでもらえるといいと思うが、何らかの支出支援を受けなければ、NPO経営上は難しいということか。
 NPOでは事務所の隣の区画を借り上げ、定員25名の小規模多機能施設「鳴子のおひさま」を昨年10月にオープンした。質疑応答後、この施設を見学。ただし居住部分は支障があるため、食堂を通り過ぎただけ。裏側に鉄製階段を設置し、緑豊かな団地内公園に面している。将来的には喫茶店等の営業も模索しているとのこと。また隣は団地集会所になっており、地域の高齢者を集めた健康体操の会なども開催しているそうだ。
Dsc01907 帰りに、第1期後工区のUR賃貸住宅のモデルルームを見学した。2棟106戸のうち、従前団地入居者向けを除く22戸を一般募集中。2DK(55m2)7万円台、3DK(68m2)9万円前後というのは立地と仕様からすればけっして高くない。私たちが訪問したときにも残り戸数は少なくなっていたが、今HPで確認すると全戸申し込みがあったようだ。
 豊かな住環境と地下鉄開通で利便性が飛躍的に向上した鳴子団地は、URの再生事業の中でもモデル的な取組ができた団地の一つだと思われる。そして意欲的なNPOの存在。その中で思い切って継続管理エリアを設けて緑を保存し活用する姿勢は評価できる。また、共益費を団地全体で融通する中で、公営住宅に比較すると既設住棟の美観も十分保たれている。課題は今後、継続管理エリアの入居者のさらなる高齢化が予測される中で、どういう環境になっていくかという点。URが謳うような「上層階には鳴子の住環境を評価する若年世帯」がそれほどいるとは思えない。たすけあい名古屋の代表理事の言うとおり、独居高齢世帯の問題に対して、対応策を考えるのは名古屋市の福祉部局ということになるのかもしれないが、この点に対するURの積極的な関わりについてはあまり聞かれなかったことが残念だ。

●マイフォト 「UR鳴子団地の再生」


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2012年7月 7日 (土)

まちの幸福論

 コミュニティデザイナー・山崎亮が最近注目を集めている。いくつか著書がある中で、「まちの幸福論」というタイトルに惹かれて、まずは本書を手に取ってみた。
 第1章・第2章で筆者がコミュニティデザイナーの道を歩むまでの経緯や経験を語り、第3章でNHK「東北発☆未来塾」での学生たちによるワークショップの様子が紹介される。
 参加者を束ねる力、深めるノウハウや知識が豊富なことはよくわかった。だが、何のためのワークショップだったのか、よくわからない。NHKの番組のためにワークショップを実施してみせた、のだろうか。
 第4章以降は、コミュニティデザインとは何か、地域は住民が主体的に取り組んでこそ変わるし、それしか本当の再生や活性化はない、といった地域づくりの基本を述べる。そのことは今さら言われなくても自明。だとすると、本書はやはりコミュニティデザインの意味や筆者の力量を紹介するのが目的なのだろうか。
 興味深い文言も多くあるけれど、当たり前という気がしないでもない。少なくともこれまで住民主体のまちづくりに多少とも関わってきた人間であれば。ある意味、想像どおりの内容で、正直、今更読む必要もなかったかなと思った。
 これからブレイクするだろう山崎亮という人間の人となりを知るという目的であればそれなりに有益ではあったが、それ以上でも、それ以下でもない。うんちくもどこかで聞いたことのあるようなことばかりだ。

●新しいデザインは、いまも次から次へと生み出されている。携帯電話。車。住宅。最先端のデザインを手に入れた人は確かにそのときは幸せになれるかもしれない。しかし・・・常に新しいデザインが登場するため、消費者はいつまで経っても満足することができないでいる。そんなサイクルを考えたとき、新しいモノをデザインする力は、人の幸せのために寄与しているとは言えなくなっているのではないかと思うようになっていた。(P28)

●「みんな感じたと思うけれど、自分の意見を肯定してもらえたら、話題やアイデアはどんどん出てくる。そして、自分も相手を肯定していると、負けずにもっとアイデアを出そうと考えるようになります。この”Yes,and”の話し方が、ブレーンストーミングを進めるときの前提になると思ってください」(P68)

●若者たちが何の努力もしていないわけではない。ソーシャルメディアをツールとするには、ツィッターやフェイスブックで友人を増やす努力は欠かせない。・・・僕たちから上の世代とは努力の仕向け方が違っているわけで、普段から人とのつながりを耕し続けることが、ソーシャルネイティブ世代にとっての努力であると言えよう。(P114)

●まちづくりに限らず、閉塞した状況を乗り越えて新たなステージへと向かうとき、チームにとってリーダーが欠かせない存在であることは昔もいまも変わらない。だが、先頭に立つリーダーは主役ではない。前に進むためのエンジンは後ろについている。課題を乗り越える原動力となるのは、主体となったメンバー全員がまとまる力であると言えよう。(P127)

●他所のまちに行ってしまった住民が戻ってきてくれるように、いつでも人を迎え入れられることが、故郷としてのまちのあるべき姿ではないだろうか。まちの幸せは主体としての住民がつくり上げるものであって、他所から来るお客さんをあてにしていてはいけない。(P171)

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2012年7月 3日 (火)

空き家急増の真実

 日本の人口減少が始まるにつれて、過疎地や地方都市において空き家の増加が問題となりつつある。いや都市部でもニュータウンの空き家増加は大きな話題になっている。空き家問題については、老朽化して放置された危険な空き家の撤去をいかに進めるかという問題と、空き家の再活用をいかに進めるかの二つの課題がある。
 本書では、住宅・土地統計調査から見る空き家の実態と、首都圏や地方都市・過疎地・ニュータウンなどそれぞれの地域で行われた実態調査から見る課題を紹介した後に、2050年までの空き家の将来予測と地域別の展望を述べ、空き家対策の事例紹介と空き家活用等の施策提言がされている。
 今後、空き家問題が全国的な課題となってくることが予測される中で、現時点における一般読者向けの網羅的な解説書となっている。もちろん行政や不動産関係等の専門家にとってもわかりやすく大いにヒントになる。
 しかし今後、人口・世帯が減少していく中では、住宅が今以上に余ってくることは明らかである。そういう点からは、空き家問題はいかに空き家を撤去していくかが最大の課題であり、いかに地域縮小していくかという課題と同質である。本書でも述べられているが、ある意味、無居住地域になってしまえば、どれだけ空き家があろうとそれが問題となることは少ないとも言える。そういう意味ではいかに地域撤退していくかという課題も同時に検討していく必要がある。また、その前段階として、無用な新規建設を抑え、質のいい既存住宅の賃貸活用を促進する政策は大いに意味がある。
 本書では具体的に空き家撤去のための施策事例を紹介するとともに、中古住宅活用のための諸方策について提案しており興味深い。また、老朽分譲マンション対策としてREIT利用の賃貸マンション化についても提案している。老朽マンション対策としてはこれまで、建て替え促進が主要な施策であったが、これで解決できる既存マンションは数少ない。区分所有形態から欧米のコープ方式への展開が解決のために最も有効な方策の一つだと思われるが、なるほどこういう方法があるかと感心した。
 1点、疑問に感じたのは、公共賃貸住宅の空き家問題を論じている点。少なくとも応能応益家賃方式への転換で公営住宅の空き家は少ないし、仮にあるとすれば、立地や家賃設定の問題なので、必ずしも性急に家賃補助制度への転換を進める必要はないのではないか。もちろん住宅のセーフティネットとしての家賃補助制度への転換は理解できるが、空き家対策として提案されることには違和感を感じた。
 その他にも、持ち家取得促進税制の廃止など大胆な提案が多く書かれている。空き家率の上昇は、住宅政策を根本的に改めていく必要があることを示す強いメッセージだという筆者の指摘はまさにそのとおりだと思う。

●空き家が解体されず放置されている要因として、この調査では、解体にお金がかかること、住宅の建っている土地とそうでない土地で固定資産税に違いがあること、相続者が不在であることなどを指摘している。(P75)

●奥山と都市の中間に位置する里地里山については、2005年時点で人が居住している地域の4割(国土の1割)が、2050年には無居住または低密度居住地域になると予測されている。/相続人不在の場合の財産管理人選任事件の件数は、ここ10年の死亡者当たりの事件件数の割合増加が続くと仮定すると、2050年には2008年時点の4倍まで増加し、所有者不明の土地が増加する。(P112)

●今後の空き家問題を考えていく上で重要なのは、無居住地域が大幅に増加するという点である。無居住化した場合、建物は朽ち果て、やがて廃墟と化していく。

●富山県滑川市の危険老朽空き家対策事業(2008年)は、建物と土地を市に寄付することを条件に撤去を行い、撤去後の土地の維持管理については地域住民に委託される。撤去費用を全額公費で負担するという点で長崎市の仕組みと異なっている。・・・これらの仕組みは、空き家を撤去して地域のオープンスペースとして活用していく試みとして、興味深い事例である。(P131)

●賃貸物件に住み続けるという選択をしやすくするために、一定の条件を満たす賃貸住宅に住む場合には、家賃の所得控除を認める仕組みを設けることも考えられる。これは形を変えた家賃補助的な意味合いを持つ。(P208)

●今後の老朽分譲マンションの再生手法として提案したいのが、ファンド主導(証券化手法)での賃貸化である。すなわち、ファンドがすべての区分所有者から物件を買い取り、分譲マンション全体をリノベーションした上で、賃貸マンションとして再生するというものである。(P211)

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