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2012年8月

2012年8月29日 (水)

焦土からの再生

●日本の各都市は戦災による無惨な状態から見事に再生した。本書の拙い文でその事実がどこまで伝えられたか自信はないが、戦災復興をなし遂げた不屈の歴史が東日本大震災の被災地を勇気づけることにつながれば幸いである。(`327)

 あとがき文末の文章である。関東大震災で東京が、そして太平洋戦争では日本全土で徹底的な都市破壊が行われた。そこからの戦災復興に向けた血がにじむような努力の結果として、現在の都市の姿がある。これをいかに成し遂げたか。若しくは何ができなかったか。それを知れば、震災からの復興の過程にある東北の諸都市にとって大きな参考になり励ましになる。まさにそういう意図を持って連載され、執筆された本である。
 本書で取り上げられる戦災復興都市は、仙台市、名古屋市、広島市、そして東京都の4つ。その前段に国としての復興の取り組みとして戦災復興院の物語があり、終章ではこれらに加えて、大阪市、神戸市、横浜市、富山市、鹿児島市、釜石市、沖縄県。そして復興を財政面で支えた公営ギャンブルと宝くじの紹介。最後は旧東ドイツ、西ドイツ、ポーランド、イギリスのヨーロッパの戦災復興までも紹介されている。
 それぞれの都市に物語があり、英雄がいる。仙台市ではケヤキ並木を作った八巻芳夫、名古屋市では“名古屋の父”と呼ばれた田淵寿郎、広島市では平和記念公園や原発ドームなどの記念施設整備への礎を作った竹重貞蔵、そして東京都では後藤新平に劣らぬ大風呂敷を広げた石川栄耀である。彼らの都市復興に向けた行動を膨大な資料を駆使して追いながら、都市計画とは何か、戦災復興はいかにして成し遂げられたかを再現する。
 彼らはいずれも内務省官僚である。今で言えば国交省の土木官僚だ。都市計画は国家高権と言われる中央集権的な権力の下、強引に理想の都市づくりを進めていったことで批判されることもある。1990年以降の住民参加論の台頭により、都市マスタープランや地区計画など、都市計画の民主化が進められていったが、戦災復興はそれ以前の国家高権の下で行われた。そこには当然庶民の生活との軋轢が発生する。
 第1章の「官僚たちの百年計画」では、理想の復興計画を描いた都市官僚と彼らの上に立って壁となった総裁・小林一三との相克が描かれている。第5章「首都計画のロマンと挫折」では、石田頼房東京都立大名誉教授の批評を批判的に取り上げており、各都市の主人公たる都市計画家に寄った立ち位置で復興の物語が描かれている面もあるが、同時に都市計画の実現には、理想の都市像と現実の生活との妥協が不可欠だということは筆者自身もよく理解しており、バランスの取れた記述ぶりとなっている。
 しかし都市は復興されれば終わりではない。住民、生活、世情、技術、経済。都市を支える社会の様々な断章はけっして終わることなく常に変化しているし、それに応じて都市の姿もまた日々新しく改まっていく。東北の各被災地も今後さらにその取り巻く状況は変化していくだろう。それは東北の復興だけでなく、今現在、我々が暮らす街自体がそうである。まさに都市づくりに終わりはないのだ。
 本書では際だった4人の英雄譚が描かれているが、我々の日々の活動が都市を変えていることも自覚すべきだろう。たとえ「政治」という回路を経ずとも、言い訳のできない自覚の中にあるべきだと感じる。行政マンとしていかに生きるべきかを考えさせる一冊でもある。

●道路や公園どころではなかった。欧米並みの近代的な都市を実現する何百年に一度のチャンスと意気込む復興院の技術官僚と、今日を生きるのが精一杯の国民との意識の差はどうしようもなく大きかった。/小林(一三)が官僚たちの理想論に待ったをかけ、現実的な対応を求めたのは、国民生活の実情に敏感に反応したためではなかったか。・・・/官僚らが唱えた美しい街路樹と公園、コンパクトシティの発想は同じであるが、小林の構想はより市民の目線に近く、温かみを感じるものだった。(P49)

●天皇を頂点として、下へ下へと抑圧の高まる明治憲法国家では、多様性は否定され一律の考え方が強要された。異議を申し立てる個はつぶされた。自由にものがいえない国民の自己防衛策は「面従腹背」であり、それが習い性になった。「公益」や「将来への責任」は支配層が考えることであり、庶民はそれに従えばいいのだった。/そのような国家、国民をつくっておいて、「次世代のために現在を我慢する」高い志と倫理観を期待するのは無理だろう。終戦で抑圧から解放され、たがが外れた国民にモラルハザードが生じるのは仕方のないことだった。/一方で抑圧からの解放は復興の原動力となった。(P75)

●日本側の都市計画担当者たちは、制度や計画論は戦前のまま温存したいと考え、戦災で都市が消失したことだけを都市計画の千載一隅の機会と考えたふしがある。戦後の民主化を都市計画の立場からどうとらえるのかを考え、新しい都市計画行政のあり方をもっと真剣に検討しなければいけなかったのではないだろうか。(石田頼房編『未完の東京計画』)(P258)

●一方から見れば「人々の日常生活を無視した無謀な空想」であり、他方からは「眼前の出来事の処理に汲々として百年の大計を考えない現実への屈服」と映る。/どちらが正しいのか白黒つけることはできないだろう。都市計画に限らず、このような難問はどの世界でもある。そこで、できる限りの努力を払って妥協点を見出していくのが人間の知恵であろう。/この遅々として進まず、苦しい作業を通常「政治」と呼ぶ。/戦災復興を含む日本の都市計画における挫折の歴史の根本原因は、政治の不在だったのではないだろうか。(P321)

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2012年8月 8日 (水)

商店街はなぜ滅びるのか

 光文社新書はよくこういった煽り型のタイトルを付ける。それでかなり損をしている気がするが、内容は、商店街の衰退の原因を説明するものでも、再生方策の提案をするものでもない。真面目に近代的な商店街の誕生から現在までの歴史をなぞる好著である。
 商店街は平安時代の市場から発展したものではなく、20世紀に入る頃、離農者が多く都会へ移動し、零細小売業者として都市で働き始めた時代に、これらの都市自営業者の生活の安定を図り、かつ百貨店や協同組合、公設市場といった消費者政策を取り込み、地域の安定を図るため発明されたものである。また、こうして全国で形成された商店街は、「雇用の安定」と並ぶ「自営業の安定」という「両翼の安定」を担う組織として、日本の高度成長期を支えてきた。
 しかし、オイルショックを契機に日本型福祉社会の形成が進み、核家族を中心とする近代的家族化が進行する中、スーパーマーケットの隆盛に対して政権党と結託した既得権益層として批判の対象となり、さらに日米構造問題協議による酒・たばこ・米の販売に対する規制緩和とコンビニエンスストア戦略の前に、零細小売商店主が雪崩を打って自らコンビニエンス化を進め、商店街はその内部から崩壊していった。
 こうした過程を、第2章「商店街の胎動期(1920~1945)-「商店街」という理念の成立」、第3章「商店街の安定期(1946~1973)-「両翼の安定」の成立」、第4章「商店街の崩壊期(1974~)-「両翼の安定」の奈落」でていねいに歴史を追って分析する。
 第5章「「両翼の安定」を超えて」では、今後の商店街再生の方策を、「規制と給付のバランス」という視点から提言するが、この章についてはまだ中途半端で明確な方策が提言できているわけではない。それよりも、北九州の酒屋の息子に生まれ、上京後、実家はコンビニエンスストアに転換し、今も経営を続けている両親に対する思いが綿々と綴られ、心を打つ。
 共著で参加した「大震災後の社会学」では、第5章「災害ボランティア活動の「成熟」とは何か」の執筆を担当していたが、正直ほとんど印象に残っていない。本書の冒頭で石巻の商店街の復興とボランティア活動が取り上げられている。大震災を踏まえて、新たな商店街のあり方が構想できればと思う。ちなみにそれは規制や給付などの支援があって初めて成り立つようなものではなく、自立して消費者や地域住民に支持されるものであってほしい。

●石巻の商店街には、外部の人を引き寄せる「余地」がある。商店街はたんなる商業集積地区ではない。津波の後も、商店街に住みつづける人たちがいて、家が流されてもそこに戻ろうとする人たちがいて、商売の再開を願っている人たちがいる。商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である。(P8)

●戦後日本社会の政治的・経済的安定は「雇用の安定」だけで実現したわけではなかった。戦後日本は、商店街の経営主をはじめとした、豊かな自営業者によっても支えられていた。つまり、「自営業の安定」という、「雇用の安定」とは別の安定がしっかりと存在していたのである。(P18)

●①離農者を中間層化しようとする試みのなかで「商店街」という理念が形成された。/②だが、商店街の担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があった。/つまり、日本の商店街は、地域のシンボルなどと喧伝される割には、家族という閉じたなかで事業がおこなわれ、その結果、わずか1・2世代しか存続できないような代物だったのである。(P30)

●大量に発生した小売商をいかに救済し、更正するかという・・・問題を克服するために「商店街」という理念がつくられる。・・・ただ、それは、たんなる零細小売商の救済ではなかった。「商店街」という理念は、零細小売商が対立していた協同組合(協同主義)、公設市場(小売の公共性)、百貨店(近代的な消費空間と娯楽性)の長所を貪欲に取り入れつつ形成された。(P68)

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2012年8月 2日 (木)

地域の豊かさの意味と公共政策

 「住民の幸福とは-地域の豊かさの意味と公共政策」と題する講演会に参加した。講師は前半が千葉大法経学部の広井良典教授。後半は公益財団法人荒川区自治総合研究所の二神所長。
 まず、広井先生からは「地域の豊かさの意味と公共政策-ポスト成長時代の社会構想-」と題して「コミュニティを問いなおす」などの著書でも主張しているグローバル定常型社会の構想について講演いただいた。冒頭、名古屋発祥の喫茶店コメダの隆盛から話を始められる。これは地域密着人口である高齢者の増加に呼応した現象という見立てからだが、先生のコミュニティ経済・地域循環経済という主張にもつながっていく。
 序論は「人口減少社会という希望-真の『豊かさ』に向けて」。幸福とはなんだろうかという提議から、リチャード・フロリダの「クリエイティブ資本論」を紹介する。これは著書でも紹介されていた。
 続いて、「資本主義の進化とこれからの社会保障」。先進諸国での若年層の失業が構造的な生産過剰から生まれていることを指摘。その解決のためには、(1)過剰の抑制(労働時間・環境政策)、(2)再分配(福祉・社会保障)に加えて、(3)地域で循環するコミュニティ経済の構築が必要と主張する。確か著書にも書かれていたと思うが、(A)生活保護、(B)社会保険、(C)雇用、という3段重ねのセーフティネットのさらに上に、新たなセーフティネット、市場経済を越えた領域(コミュニティなど)を含むセーフティネットが必要だという指摘だ。
 これを踏まえ、これからの社会保障の方向として、(1)人生前半の社会保障、(2)心理社会的ケアに関する社会保障、(3)ストックに関する社会保障、(4)都市政策・まちづくり・環境政策との統合の4点を指摘する。中でも、「福祉政策とまちづくり・都市政策との総合化」である。
 講演終了後の質疑応答の中で、なぜこれを主張するのかと質問させてもらった。私としては、住宅・都市政策の側は近年、積極的に福祉や環境を視野に入れた政策を進めていると考えている。なぜ今それを言われるのかという質問である。合わせて、福祉は政策目的、住宅・都市政策は政策手段ではないのかという質問もさせてもらった。答えは、「福祉政策側に住宅・都市政策との連携の視点が乏しいから」ということと、「統合すべきとしている福祉施策は、社会保障等の手段としての福祉を考えている」というものであった。
 後半は「コミュニティ経済」についてである。ヒト・カネ・モノが地域内で循環する「経済の地域内循環」はグローバル化に対しても強く、高度成長期以降分離していた「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」の再融合につながり、経済が本来持っていたコミュニティ的(相互扶助的)性格を有する。
 生産過剰の時代にあっては、労働生産性から環境効率性が高い経済へ移行すべきであり、すなわち、人をたくさん使い資源を節約する労働集約的な分野(福祉や教育など)が重要になってくる。
 また、グローバル化社会の先には、ローカル化が重要な時代がやってくる。若い世代では既にローカル志向が顕著に見られるが、定常化の時代には地域のローカルな個性や多様性が前面に表れる時代、成長による解決から空間的解決へ、地域への着陸が求められる時代がやってくると指摘する。
 後半は時間切れで尻切れトンボの感があったが、誠実な話しぶりには大いに好感を持つとともに、ローカルな時代、コミュニティ経済の時代への期待と心構えを再度心に刻みつけた。
 二神所長からは荒川区で取り組み注目を浴びている「荒川区民総幸福度(GAH)」について講演をいただいた。荒川区では現区長の西川氏が区長になった平成16年に、「区政は区民を幸せにするシステムである」という言葉をドメイン(事業領域)として設定し、以来、荒川区民総幸福度指標の設定に取り組んできた(ちなみに「ドメイン」といった術語はわかりにくいですね)。
 平成19年に発表した「荒川区基本構想」では、「幸福実感都市あらかわ」の将来像と、(1)生涯健康都市、(2)子育て教育都市、(3)産業革新都市、(4)環境先進都市、(5)文化創造都市、(6)安全安心都市の6つの都市像を掲げた。この将来像実現のための指標となるのが荒川区民総幸福度(GAH)指標だ。
 このため、平成18年にはブータンへ職員を派遣。平成21年には一般財団法人荒川区自治総合研究所(その後、平成23年に公益財団法人に移行)を設立して荒川区民総幸福度研究プロジェクトをスタートさせた。着目すべきは区でシンクタンクを設立したという点だ。実質は、区役所からの出向職員と外部の学識者が一緒になって共同研究と政策提言を行っており、職員の政策能力の養成も期待している。
 幸福度指標については世界的にも多くの指標提案がされているが、荒川区の場合は基本構想の6つの将来像に基づき、指標設定を行うこととしている。同時に、区政世論調査の中で幸福度に関する調査を行っているが、「幸福な生活に必要なこと」として、「健康」「家族関係」「住まい」「経済的余裕」の4つが挙げられたという。先の広井先生の話と合わせて考えると、なるほどなと興味深い。
 さて、具体の幸福度指標については、昨年8月に中間報告が行われ、まもなく中間報告(第2次)が予定されている。そこには6つの将来像に応じた指標が提示される見込みだが、先日は「健康指標」と「子育て・保育指標」について、(案)が示された。幸福度は主観的な要素と客観的な事項の両要素があって実感されると思われるが、例示された各指標についても多くの項目が並び、しかもその適切性をどう評価すべきかが課題となる。また、行政としては指標をどう施策に活かすかが最大の課題だ。
 各指標とその向上・改善を図るためにどういう施策を講じるかは、行政として考えるべき課題だが、ではどの指標が区民幸福度に最も影響するのかは施策の優先度や予算配分を決める上で配慮すべき重要な事項である。例えば、指標と施策をつなげる方策として、各指標項目と主観的幸福度調査との関係を重み付けすることが考えられる。今回の講演ではそこまでの意見はなかったが、聞きながらそんなことを考えた。
 広井先生の話は、幸福感が成長時代の終焉とともに変化し、新しい社会づくり(地域循環経済など)と施策展開(環境効率性の重視など)が求められているという指摘と構想の提示。一方、二神先生の話は、その幸福度をいかに測定し施策に反映させるかという話で、時代の転換点において新たな幸福感・豊かさの達成を異なるアプローチで研究し追い求めているものと言える。荒川区の取り組みの成果にも興味があるが、私としては今後も広井先生の予見性に注目していきたい。

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