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2012年8月 8日 (水)

商店街はなぜ滅びるのか

 光文社新書はよくこういった煽り型のタイトルを付ける。それでかなり損をしている気がするが、内容は、商店街の衰退の原因を説明するものでも、再生方策の提案をするものでもない。真面目に近代的な商店街の誕生から現在までの歴史をなぞる好著である。
 商店街は平安時代の市場から発展したものではなく、20世紀に入る頃、離農者が多く都会へ移動し、零細小売業者として都市で働き始めた時代に、これらの都市自営業者の生活の安定を図り、かつ百貨店や協同組合、公設市場といった消費者政策を取り込み、地域の安定を図るため発明されたものである。また、こうして全国で形成された商店街は、「雇用の安定」と並ぶ「自営業の安定」という「両翼の安定」を担う組織として、日本の高度成長期を支えてきた。
 しかし、オイルショックを契機に日本型福祉社会の形成が進み、核家族を中心とする近代的家族化が進行する中、スーパーマーケットの隆盛に対して政権党と結託した既得権益層として批判の対象となり、さらに日米構造問題協議による酒・たばこ・米の販売に対する規制緩和とコンビニエンスストア戦略の前に、零細小売商店主が雪崩を打って自らコンビニエンス化を進め、商店街はその内部から崩壊していった。
 こうした過程を、第2章「商店街の胎動期(1920~1945)-「商店街」という理念の成立」、第3章「商店街の安定期(1946~1973)-「両翼の安定」の成立」、第4章「商店街の崩壊期(1974~)-「両翼の安定」の奈落」でていねいに歴史を追って分析する。
 第5章「「両翼の安定」を超えて」では、今後の商店街再生の方策を、「規制と給付のバランス」という視点から提言するが、この章についてはまだ中途半端で明確な方策が提言できているわけではない。それよりも、北九州の酒屋の息子に生まれ、上京後、実家はコンビニエンスストアに転換し、今も経営を続けている両親に対する思いが綿々と綴られ、心を打つ。
 共著で参加した「大震災後の社会学」では、第5章「災害ボランティア活動の「成熟」とは何か」の執筆を担当していたが、正直ほとんど印象に残っていない。本書の冒頭で石巻の商店街の復興とボランティア活動が取り上げられている。大震災を踏まえて、新たな商店街のあり方が構想できればと思う。ちなみにそれは規制や給付などの支援があって初めて成り立つようなものではなく、自立して消費者や地域住民に支持されるものであってほしい。

●石巻の商店街には、外部の人を引き寄せる「余地」がある。商店街はたんなる商業集積地区ではない。津波の後も、商店街に住みつづける人たちがいて、家が流されてもそこに戻ろうとする人たちがいて、商売の再開を願っている人たちがいる。商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である。(P8)

●戦後日本社会の政治的・経済的安定は「雇用の安定」だけで実現したわけではなかった。戦後日本は、商店街の経営主をはじめとした、豊かな自営業者によっても支えられていた。つまり、「自営業の安定」という、「雇用の安定」とは別の安定がしっかりと存在していたのである。(P18)

●①離農者を中間層化しようとする試みのなかで「商店街」という理念が形成された。/②だが、商店街の担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があった。/つまり、日本の商店街は、地域のシンボルなどと喧伝される割には、家族という閉じたなかで事業がおこなわれ、その結果、わずか1・2世代しか存続できないような代物だったのである。(P30)

●大量に発生した小売商をいかに救済し、更正するかという・・・問題を克服するために「商店街」という理念がつくられる。・・・ただ、それは、たんなる零細小売商の救済ではなかった。「商店街」という理念は、零細小売商が対立していた協同組合(協同主義)、公設市場(小売の公共性)、百貨店(近代的な消費空間と娯楽性)の長所を貪欲に取り入れつつ形成された。(P68)

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