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2013年1月

2013年1月23日 (水)

公営住宅を転用した高齢者シェア居住の試み

 名古屋市では平成23年度末から3DK程度の空き室を改修して、高齢者が2人又は3人で共同で暮らすシェア住宅「ナゴヤ家ホーム」高齢者共同居住事業に取り組んでいる。先日は都市住宅学会中部支部の見学会で、名古屋市の職員の方の案内で今年度改修した市営上飯田荘を見せてもらうとともに、昨年からこの住宅を対象に研究をしている名古屋大学の小松先生及び上飯田荘自治会の鈴木会長に同席いただき、現状について聞かせていただいた。
Dsc02592 名古屋市営住宅の最近の応募倍率は20倍を超え、中でも単身高齢者向け住宅については40倍を超える状況になっている。また、既入居者の高齢化もかなり進んでおり、今回見学させていただいた上飯田荘に限れば、高齢者のみ世帯が4割近い状況にある。かつては単身者については29m2以下に限って入居を認めていたが、建替え事業の進捗等によりこうした小規模住戸が減少し、最近は55m2以下の住戸まで認めているが、単身で住むにはやや広すぎるという意見もある。
 こうしたことから3DK・55m2程度の住戸を2部屋又は3部屋の個室と共同スペース(エアコン・テレビ・冷蔵庫等は市が設置)からなるシェア住宅に改修し入居者を募集する高齢者共同居住事業を平成23年度から開始した。事業実施にあたっては、公営住宅法の規制もあり、目的外使用許可を得て、入居者に対して見守りサービス等を提供するNPO法人等に貸し出し、この事業者が入居者と入居契約を交わすという仕組みを取っている。事業者への貸し出しは所得月額104,000円の入居者相当の家賃(戸当たり概ね3万円)とし、事業者は見守りサービスに係る費用(一人当たり上限19,200円以内で事業者が決定。現在はすべて上限額を徴収。)を上乗せして入居者から徴収する。3人で居住した場合には約3万円÷3人+19,200円=約3万円となる。
Dsc02589 入居資格は60歳以上の自立して生活できる単身者で所得が月額104,000円以下としており、市がまとめて募集し、入居決定者については入居前ミーティングを行い、部屋割り等を決めることとしている。また今年度からグループ申込も受け付けている。今年度は12月中旬に26人募集をしたが、申し込みは15人に留まり、現在先着募集中である。ちなみに、他の住宅では満室になった住宅もあったが、見学をした上飯田荘は男性専用2戸6人を募集したが、応募がなかったとのことである。
 住宅の改修であるが、見学をしたのは南面2室を3部屋に仕切り直し、北面の1室を取り込んで広めのLDKに改修をした住戸である。個室は8畳和室と6畳に60cm幅の板間の付いた和室を、4畳に45~60cmの板間が付いた3室に改造し、バルコニー側半間は引き戸で仕切って縁側と物入れになっている。また共用スペースであるLDKは流し台や浴槽なども新品に交換され、広めの気持ちのいい部屋になっていた。改修費用は約450万円かかっているとのことである。
 なお、上飯田荘では他に、南面2室、北面1室をそのまま利用する3室タイプも昨年度募集したが、北面部屋の入居者に洗濯物を干す場所がないことから人気がなく、今年度からは北面居室タイプはやめて、南面に2室又は3室の2タイプの改修を行っている。ただし2室タイプはサービス料も含めた家賃が約3万5千円と割高になる。
 名古屋市ではこの事業の実施にあたり、昨年4月に市営住宅に応募した単身高齢者を対象にアンケート調査を実施した。また、小松研究室では上飯田荘で運営事業を受託しているNPO法人代表者及び自治会長へのヒアリングを実施するとともに、名古屋市の担当部局に対するヒアリングと情報収集を行っている。
Dsc02588 アンケートでは、「住まいを選ぶ際に重視する点」として「家賃」を選択する回答が最も多く、共同居住に対して「住みたい」は16%で、約半数が「住みたくない」と答えている。「住んでみたい」理由も「一般募集ではなかなか当たらないから」が最も多く、「住みたくない」理由では「他人との生活は不安」「風呂・トイレの共同使用はイヤ」などが挙げられている。「自立して生活できる」というのが市営住宅入居の条件だからか、NPO等によるサービスに対する関心は低い。
 昨年からの入居者の状況と生活実態についてのNPO代表者に対するヒアリングが非常に興味深い。入居者は全員女性(昨年は女性しか募集していない)で平均70歳前後、全員が清掃員などの仕事を持っている。NPO法人が行うサービスは見守りまでで介護や介助などは行っていない。共同生活を行うためのルール作り等の調整はNPOが関わっているが、その後はほぼ毎日巡回して様子を見る程度である。
Dsc02585_2 入居開始直後はゴミ出しや自治会掃除日の当番制などのルールを決め、これは今も守られている。またテレビの前にコタツを置き、仲良くテレビを見たり、夕食も当番制にして時々に一緒に晩酌をやることもあったそうだが、入居後7ヶ月を経過すると、コタツは片付けられ、テレビを一緒に見ることもなくなり、食事も各個室で取るようになっている。トイレットペーパーなどの消耗品は割り勘としているが、1回の使用長さを決めるなど、かなり世知辛い状況になっている。また浴槽の湯も一人入るたびに入れ替えるようになり、光熱費がかなりかかるようになっているようだ。
 しかしお互い直接ケンカするというわけではなく、不満や苦情はNPO担当者に伝えられ、必要なら仲裁やそれとなく指摘するなどが現時点でのNPO担当者の主な業務となっているそうだ。また自治会長によれば、自治会とNPOとの相互の連絡はなく、自治会活動については直接各入居者に伝えられ、当番制等により参加をされている。他の団地住民との関係は良好であり、周辺入居者からも特に苦情などは出ていないとのことだった。
 その後、しばし質疑応答と意見交換をしたが、思った以上に共同生活がうまく営まれていないことはショックだった。募集に対して人気がないことに対してNPOのサービス料金がサービス内容に対して高すぎるのではないかといった意見も出されたが、市としては上限料金を示して事業者が決定していること、入居者間の仲裁などで役割を果たしていること、将来的な身体状況の変化への対応を期待していることなどを説明されていた。また、現時点ではまだ入居希望者が少ないとは言え、一般住戸として募集することには、本来目的である単身高齢者募集の拡大に反することから、市としてはこれからもしばらく試行錯誤を重ねていきたい旨の意向を述べられていた。
Dsc02590 名古屋市の高齢者共同居住事業は全国的にも類を見ない実験的取り組みとして大いに評価したい。しかし一方で、高齢者のシェア居住が想定したほどにはうまく共同生活が行われていない状況も見えてきた。もちろん上飯田荘だけの事例研究であり、他の住宅では理想的な共同居住が営まれているのかもしれない。NPOからは、年齢条件をもう少し引き上げたほうがいいのではないか、同居人数が多い方が共同生活のトラブルが少なくなるといった提案もあるようだ。一方で参加者からは、北欧ではシェア居住は家賃対策として若者が行っていたが、近年は政府の若年住宅対策の強化で減少しているという話もあった。
 最近は日本でもシェア居住する若者が増えている。私の部下にも一人、シェア居住をしている若者がいたので、見学会の後、さっそく彼に話を聞いてみた。まず動機は「おもしろそうだったから」ということで、建築学科卒業者としてはその心意気やよし。住んでいる住宅はかつてマンションのオーナー世帯が住んでいた住宅で、スキップフロアの2階建て。リフォームをして8人で暮らしている。光熱費も込みで支払っているが、近傍住宅に比べ格別に家賃が安いわけではない。
 入居者全員が社会人で外国人もいる。時間帯もそれぞれ違うため、お互いあまり干渉はしないが、LDKはけっこう使われており、テレビを見る者、テーブルで仕事をやる者など色々のようだ。キッチンも順次使われているが、食事当番などはなく、基本的には自分の分だけを作る。時々、余分に作ってくれたものを分けてくれたり、「俺の分も作ってくれ」と言われることもあるようだが、お互いほとんど気にしない。ちなみにトイレットペーパーも気が付いた人が買い足し、掃除も気が向いた人が行っているそうだ。
 入居にあたっては管理会社の面接があった。また、家主が特に外国人の入居を希望しており、現在は外国人用に1室空けている状況だそうだ。ちなみに管理会社は1住宅当たりの入居者数が多い方が空き家リスクの観点から望ましいと言っていたとのこと。生活トラブルを勘案してということではない点が興味深い。ちなみに外国人入居者は日本人と共同生活することで日本文化や言葉を早く吸収できるなどメリットを感じている。彼もそんな交流を期待しているが、彼が外国語を覚えるよりもずっと早く彼らが日本語に達者になっていくと笑っていた。
 若者の場合は共同生活がうまくいかなければ引越せばいいという気楽さがあるし、民間であれば生活トラブルを起こしそうな人を拒否したり、退去勧告も行政に比べればやりやすそうだ。若者のシェア居住の場合は、共同生活に伴う交流に魅力を感じている。しかし、コレクティブ住宅で期待されるような家事の低減は考えてもいない。
 高齢者の場合は共同生活による交流を期待する人は若者に比べはるかに少ないのではないか。また、うまく行かなかったらハイ移転!というわけにはいかず、永住の場として我慢して生活をする意識が強い。共同炊事などコレクティブ型の生活をしようとしても、これまでの生活習慣からなかなか抜け出せず、柔軟性に欠けるため、なかなかうまく行かない。これは神戸のコレクティブ住宅などでもみられる傾向である。
 こう考えると、高齢者のシェア居住というのは、入居者の介護依存度が高いなどグループホームに近い形でないと難しいのではないかと思わざるを得ない。一方で名古屋市の単身高齢者の入居希望に少しでも多く応えていきたいという意向もよくわかる。他住宅の事例なども調査して、高齢者シェア居住の成功の可能性と条件などをさらに研究していく必要がある。興味深いテーマだと思うし、名古屋市のチャレンジを大いに評価したい。

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2013年1月 6日 (日)

発展する地域 衰退する地域

 先に読み終えた「都市は人類最高の発明である」と同時並行に読んでいたので、内容が頭の中で一緒くたになっている。前著は都市が人類にとって発展という意味でも環境的にも最高の方法であると絶賛するものだったが、1984年に発行された本書も都市が経済発展のベースであることを説いている。だが単なる都市賛歌ではなく、衰退する地域とその原因を研究し、自立的な輸入置換と同等程度の都市相互の交流が地域発展のカギとなることを指摘する。
 まず第1章「愚者の楽園」では、経済を国家単位で測ることの愚なことを指摘し、第2章「現実にたちもどって」で都市の単位で経済を見ることの必要性を指摘する。第3章以降は具体の発展都市と衰退都市の分析である。東京近郊の農村から発展を遂げた仮名村落「シノハタ」、供給国家として衰退を始めたウルグアイ、近郊都市に住民が移住し衰退する農村集落。そして農村が技術を取り入れることで省力化し住民を排除する実態。それらは資源を輸出して得た財を輸入品の購入で散在し、自ら代替材を生産する輸入置換都市になることができなかった。工場を誘致した移植工場地域も同様である。こうした地域は進出企業の浮沈に左右され、自前の経済を持たず、工場の移転とともに衰退を始める。さらに第8章「都市のない地域に向けられた資本」、第9章「取り残された地域」でも同様の衰退地域の事例が取り上げられる。
 都市はお互いに交流し合う都市が必要である。第10章「なぜ後進都市は互いを必要とし合うのか」では適度に同程度の交流都市の存在が必要であることを説く。そして第11章以降で、都市の発展を妨げる政策について批判していく。
 まず評価されるのは通貨価値の変動である。通貨価値の変動は経済の適切なフィードバック・コントロールの役割を果たしている。しかしあくまで国家単位でしか通貨が設定されないとすれば、フィードバック情報を適切に生かすことができる都市がある一方で、その犠牲になる地域が存在する。
 それらの地域を救うため関税がかけられる。適切な関税は輸入置換へのアシストとなるが、多くの場合、流動的都市間交易の障害となる。最悪なのは衰退地域を救うために実施される補助金や交付金である。ジェイコブズはこれを「衰退の取引」と言って糾弾するのだ。しかし多くの政府や政治家はいったん始めた補助金を中止することができない。
 ジェイコブズが提案する解決策は過激である。すなわち国家の分割である。分割による主権の複数化によって、都市ごとに異なる通貨を持つことができれば、通貨価値の変動効果が生まれ、衰退地域も経済状況に見合った発展への道を辿ることができると主張するのだ。ジェイコブズによればこれはけっして夢物語ではなく、ノルウェイのスウェーデンからの独立はまさにそうした事例だったと言うが、解説を書いた元鳥取県知事・片山善博によれば、これがすなわち地方分権であり、地域通貨がこれに通じると指摘する。なるほどとも思うし、そうなのかとも思う。
 いずれにせよ、ジェイコブズが本書を書いたのは今から30年も前のことである。当時衰退に向かうとされたニューヨークは金融都市として復活・発展を遂げているし、絶賛された日本も今や衰退の局面に入っている。しかし、国よりも都市、都市のイノベーション・インプロビゼーションによる自立的発展といった地域主体の経済運営と発展のセオリーは変わらないように思える。
 「アメリカ大都市の死と生」で一躍注目を集めたジェイン・ジェイコブズだが、「ジェイコブズ対モーゼス」で見る市民活動家としての側面だけでなく、「市場の倫理 統治の倫理」では社会的道徳について論じた。そしてこれらを結ぶ結節点として経済への思索があった。ジェイコブズの都市経済論はけっして古びることなく、ようやく時代が追いつきつつあるとさえ言える。現在においてなお、いや今こそ、人類の幸福と発展に向けて重要な視点を提起しているように思う。

●国民経済とよばれる集合体と都市経済とを区別することは、・・・経済活動を再形成しようとする実践的な試みにおいて、決定的に重要である。(P059)

●経済活動はイノベーションによって発展する。つまり、輸入置換によって拡大する。・・・さらに輸入置換がうまくいく場合には、生産計画、原材料、生産方法の適応を伴うことが多く、このことは、とりわけ生産財とサービスのイノベーション、および臨機応変の改良を意味する「インプロビゼーション」を必要とする。(P066)

●発展とは、自前でやる過程である。いかなる経済も、自前でやるか、さもなければ発展しないかのどちらかである。・・・シャーとピュートル大帝そして彼らの顧問たちは、・・・すでに発展し終えた方式と製品とによりかかって、てっとり早く自生的な試行錯誤やインプロビゼーションの手間をはぶこうとした。しかし、それはまったくの的はずれであった。(P221)

●発展とは、日常の経済活動の中にインプロビゼーションを取り入れることができるような状況のもとで、絶えず創意を加えて改良する過程である。こういう状況が生み出せるのは相互に流動的な交易を行っている都市だけであり、それゆえ、後進諸都市はお互いを必要としているのである。(P244)

●成功につながる経済発展は、その本性から言って、目的志向型であるよりは修正自由型にならざるをえず、発展過程の中で、そのときの都合や経験に応じて変わっていかざるをえない。・・・発展とは、インプロビゼーションを伴う前例のない仕事への「漂流」であるということができよう。(P343)

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2013年1月 3日 (木)

都市は人類最高の発明である

 アメリカの都市経済学者による都市論である。タイトルのとおり、都市を絶賛する。「ジェイン・ジェイコブズに強く影響を受けている」と自ら語るが、経済学的視点で見ることでジェイコブズも否定した摩天楼を評価する。経済学者の常で、都市規制を否定し、交通課税等の経済政策を評価する。都市の成長管理政策が他都市や郊外の拡大開発を引き起こし、結果的に環境負荷を増大させていると批判する。スラムでさえ、都市の可能性があるからこそ貧困者が集まってくるのであって、地方にいたのでは彼らはもっと悲惨な貧窮の中に身を置かねばならないと都市が果たしている役割を評価する。そして「都市は建物ではない、都市は人だ」と言い、建物や公共施設建設から始まる都市政策を批判する。
 それらの指摘は一面的だが、事実でもある。だが同時に、都市への無批判な絶賛さは都市に起因するいくつかの問題点に対してあまりに楽観的ではないかとも思う。訳者の山形浩生氏も「訳者あとがき」で同様な感想を書くが、同時に日本の建築・都市研究者に対して、2011年1月の建築雑誌「未来のスラム」を取り上げて、「金持ちアームチェア学者たちの賢しらな哲学談義」と批判をする。確かに建築・都市サイドから語られる都市論はあまりに既存の都市計画論に寄りかかり過ぎているのかもしれない。
 それにしても、あまりに楽観的で一面的だとも思う。アメリカに身を置き、世界の成長を前提にしているからこその見識であって、現在の日本のように急速に人口が減少しようとしている国には適用できないのではないか。いや、クレーザーであれば、移民政策を提言するのかもしれないが、それも禁じられた都市は衰退するしかないのか。デトロイトやライプニッツの現在を紹介しつつ、衰退の事実に対応した縮小施策を評価する部分もある。
 だがやはり、筆者の眼は成長都市に向かっているし、それを賛美する。そして一概に否定できない部分が多くあるのも事実だ。我々はこの都市経済学者の指摘に耳を傾けつつ、なおかつ日本の都市の未来を考えていくしかない。都市は素晴らしい。それも事実だ。その成長力を生かしつつ、かつ継続していく道を。

●公共政策は貧しい人を助けるべきであって、貧しい場所を助けるものではいけない。ぴかぴかの新しい不動産開発は、衰退都市を飾り立ててはくれるが、その根底にある問題は解決しない。衰退都市の典型的な症例は、経済の強さに対して住宅やインフラがありすぎる、ということだ。構造物の供給があまりに多く、需要があまりに少ないのに、そこに公共のお金でもっと供給を増やす意味はない。建築主導の都市刷新の愚行を見れば、都市というのは建物ではないことがわかる。都市とはその人々なのだ。(P11)

●フォードはあまり知識がなくてもきわめて生産性を高められるようにした。でも人々があまり知識を必要としないなら、知識を広める都市の必要性も下がる。都市が強力な知識破壊アイデアを作り出すと、その都市は自爆に向かう。(P63)

●都市が成功していれば、新規住民を収容するだけの住宅を急速に建設できる限りは急成長する。都市が衰退するときには、それはきわめてゆっくり衰退する。人々は住宅ほど価値のあるものを放棄したがらないからだ。ある意味で、住宅の耐久性はありがたいことで、あまりリソースのない人々に安い空間を提供してくれる。安い住宅のおかげで延命している都市の悪いところは、それが圧倒的に貧乏人をひきつけ、きわめて恵まれない中心を作り出して、それが社会正義を求めて声を上げるということだ。(P85)

●都市が貧困者だらけなのは、別に都市が人々を貧困にするからではなく、都市が生活向上の見通しによって貧困者を引きつけるからだ。(P93)

●アメリカには作物育成に向いた湿潤な地域はいくらでもある。水を農地から都市に向ければ、カリフォルニアはすぐに、ずっと高い人口密度を維持できるだけの水を供給できるし、それでアメリカの炭素排出も減少する。/カリフォルニアの成長制限は、州をエコに見せかけることはできるが、結果としてアメリカ全体ではかえって環境を破壊し、世界的な炭素排出を増やすことになっている。(P278)

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