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2013年3月

2013年3月29日 (金)

小さな建築

 隈研吾といえば竹や木など、自然素材を使った建築物を多く作ってきている印象がある。それはたぶん、人間の身体性に近いところで設計をしていきたいという意図があったのだろうと思うが、「小さな建築」というのは「身体性」に近い位置にある。
 「はじめに」では東日本大震災を経験して、「強く合理的で大きな」建築の無力さを実感した。電気やガスなどの「インフラに・・・頼らず、直接的に自然とやりとりをして、自然エネルギーに直接依存する、自立的な『小さな建築』に興味が移っていった」(P19)と書いている。
 そこでまず思い付いたのが「水のレンガ」である。ウォーターブロックを積み上げて作られた建築物は、いつでも容易に構築でき、解体でき、修正ができる。そしてその発展形としてのウォーターブランチ。ここではブロックのなかを水などが流れ環境を守り、変化を及ぼす。細胞のイメージだ。
 「積む」ブロックの次は、「もたれかかる」である。木の板やアルミの板を使って、カードキャッスルの要領でもたれかかり、積み重ねたインスタレーションなどが紹介される。
 次に、「千鳥」組みした木のフレームで作り上げたGCミュージアム。タイルを織り上げたセラミック・クラウド。三軸織りの布を用いた店舗。そして傘を組み合わせたカサ・アンブレラ。「織る」だ。最後の「ふくらます」では、二重の膜構造で作った茶室が紹介されている。
 それぞれはそれなりに面白い。身体性と自立性をキーワードに、様々な素材と工法で「小さな建築」を作り上げていく。それは理解できるが、同時に建築家特有のこねくり回した理論と作品紹介にとどまっているような気がしなくもない。面白い。けど現実的ではない。
 それで結局「小さな建築」は一般に受け入れられるのか。先日読んだ伊東豊雄の「あの日からの建築」の方が東日本大震災を受けて素直に自らの建築活動を振り返り、反省し、次の一歩に歩みだしている。それに比べれば本書は結局、いつもの建築論にすぎないように思われる。

●労働者階級に住宅を私有させる政策は、彼らをかつての農奴以下の地位に転落させ、固定させるためのまやかしでしかないと、エンゲルスは指摘した。なぜなら労働者が住宅を私有したとしても、その住宅は資本としてお金を生み出すことはなく、やがて老朽化してゴミくずとなる。そのゴミくずとなる住宅のために、重いローンを払い続けなければならない労働者は、土地に縛りつけられていた農奴以上に悲劇的な存在だというわけである。(P46)

●人間の実際の生活というものが、このような機械論的理解をはるかに超えた、複雑に絡み合った流動的なものであることを誰もが知っている。しかし建築論はいまだにモダニズム建築の機械論、臓器論から抜け出せない。伝統的な日本建築の方がモダニズムよりはるかに、生き物としての人間の現実に対する深い理解に根ざしていて、現代的である。・・・日本建築は、20世紀のモダニズム建築とは比較にならないほど生物に近く、やさしく、しなやかだったのである。(P58)

●単に小さいだけでは「小さな建築」とはいえない。「小さな建築」の理想型は、自立した建築である。生物の個体が、自然の恵みを巧みに利用して、オカミに頼ることなく、自立しているように、小さな建築も、小さいからこそ自立できる。小さいからこそ、オカミに依存せずに勝手に生きていける。そこで蓄積された「小さな」知恵を、少しずつ大きな建築にも応用していけばいいのである。(P64)

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2013年3月19日 (火)

江戸の都市プランナー

 「都市プランナー」というタイトルに騙された。歴史学者からすると、自治活動のリーダーは「都市プランナー」なのだろうか。出版社の戦略かもしれないが、せめて「江戸の都市行政家」位にしてほしかった。
 本書は江戸末期の文化6年(1809)から安政5年(1858)まで、江戸深川と後年は堀江町その近隣の町々を支配する名主であった熊井理左衛門の仕事について描いたものである。天保改革が実施され、名主制度が大きく揺すぶられる中、疲弊する幕府から市政全般が名主制度に委ねられ、名主の側もよりやりやすく効率的な自治システムに改めていく。その中心となったのが、熊井理左衛門であった。
 本書で都市づくりの分野で理左衛門が行ったとして紹介されるのは、江戸の町に縦横に入る水路の川浚いである。拍子木の合図で一斉に水深を測り、杭に基準高さの墨を引くところが唯一工学的な描写。後はいかに町管理のためのシステムを作り上げていったかということを、町奉行の政策に対する対応が書かれた古文書を元に描いていく。
 ただし、理左衛門は町奉行の変遷の中で最後は捕縛され、流罪となる。本書の書き出しは延々と小伝馬町の牢獄の話が続く。歴史物としてはそれも面白いが、都市政策を知りたい側にとっては、いったい何のためにとイライラする。そして永代橋の落橋事故と江戸時代の橋梁の維持管理について。名主制度の変遷について。そして最後に理左衛門逮捕の顛末とその後が語られる。
 歴史物として読む分にはそれなりに面白いとは言える。都市計画的には・・・江戸時代の住民自治制度とも言える名主制度の実態がよくわかるということで、都市計画史に興味がある人には面白いかもしれない。

●江戸時代の幕府や藩による人身支配は、・・・人々が所属する集団を基本単位として組み立てられた支配であった。・・・理左衛門たち名主は町のリーダーであった。・・・彼ら名主が、町や村といった集団を統轄していたのである。町や村のほかには、商人や職人などが結成する組合もあった。それら各集団の自律や自治を前提にして、初めて幕藩権力の支配は成り立つものであった。(P039)

●天保改革推進を目的として生み出された強力な名主組織、それ自体が、江戸の天保改革における正の遺産の最たるものといえるのではないか。そして、この組織を構成する名主たちは、天保改革以前から、江戸の社会が抱える問題と直接向き合ってきた人々であった。その問題解決のための政策を、彼らは改革政策の一環に組み込み、自らその政策の実施に奮闘したのである。(P186)

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2013年3月 7日 (木)

あの日からの建築

 伊東豊雄という建築家はもちろん昔から知っていたけれど、やはり「せんだいメディアテーク」でガラッと変わったというイメージがある。本書は鈴木布美子というインタビュアーに対して話したことをまとめ、加筆・修正してできた、伊東豊雄の半生を振り返り、建築の未来を語る本である。本の成り立ちもあって非常にソフトで読みやすい。これまで伊東豊雄を知らなかった一般の人にも十分によくわかる内容となっている。
 前半では、東日本大震災当日の行動や思いから始まって「みんなの家」、そして被災後に始めた「伊東建築塾」までを語る。宮城野区の「みんなの家」は先日、私も見学したきたところだ。かつての伊東作品とは違い、住民に寄り添い、実に心強く暖かい空間となっている。かつての伊東豊雄は建築界をひとり飛翔し、軽やかに浮遊していたが、それは同時に社会から浮いていたことの証でもある。それが「社会」とのつながりを語り、現代建築を批判する。
 「せんだいメディアテーク」は、構造家・佐々木睦郎との出会いによって生まれた。地面から生え出る力強さは実は佐々木睦郎により与えられたものだった。そして自然とつながり、自然に溶け込む建築をめざす現在の伊東豊雄が現れる。
 後半は、「第5章 私の歩んできた道」でこれまでの半生を振り返り、第6章で「これからの建築を考える」。その展望と方向には激しく同意するし、大いに期待もする。伊東豊雄は現在、私がもっとも期待する建築家の一人である。

●数万年という人類の歴史的視野に立って眺めれば、近代なんてほんの一瞬の出来事なのだ。近代の先には再び夢に満ちた広大な新しい自然の世界が拡がっているに違いない。/そのような未来の自然を発見したいという思いを巡らせながら被災地に向かった・・・これは私にとって、建築を探る旅の出発点なのである。(P6)

●私たちは東京のような都市のなかですべて近代のシステムによってコントロールされています。・・・震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅こそ、三陸に突如持ち込まれた近代ではないでしょうか。・・・あれほど個人の分化を可視化したものはないでしょう。・・・すべてを失った被災地でなら、近代のシステムに因らない生な自然に溶け込む建築や街を実現することができる。それは唯一無二の社会なのです。(P59)

●建築のコンセプトのなかで使われる「社会」や「コミュニティ」といった概念は、現実の世の中と直結したものではありません。現実の社会を建築家によって扱いやすいように抽象化したのが「社会」であり、その・・・なかで、「コミュニティ」という、さらにまた抽象化された概念を弄んでいるわけです。そこで自分は建築を通じてコミュニティを表現するんだと言っているわけですから、その表現そのものが完全に現実から遊離しています。(P104)

●正直なところ佐々木さんから提案されたチューブは私がイメージしていたメッシュ状のものよりも粗々しいもので、疑問がないわけではありませんでした。しかし工事現場でそのチューブが現実に立ち上がってくると、私の当初のイメージとは違う力強さがあることに驚きました。その瞬間に、私がそれまでイメージしていた繊細で重力を感じさせない抽象的な構造体は消えて、新しい建築の姿が現れてきました。こうして「せんだいメディアテーク」は・・・新しいステップに向かう出発点となったのです。(P135)

●10年、20年たっても、「この建築はいいね」と言われるためには、時代を突き抜ける、何か社会が共有しうる原理を持たないといけない。・・・あくまで個の力によって近代建築を突き抜けていくけれども、その結果が皆で共有できる原理にならなければいけないのです。/実は「個によって個を超える」ことはとても難しい。(P182)

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2013年3月 5日 (火)

地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン

 中部地方整備局で「地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン」の策定が進められている。先月18日に第6回検討委員会が開催され、中間とりまとめ(案)が提示された。先日、中部地方整備局の職員の方から内容について聞かせていただく機会があり、ある意味、大胆な割り切りとまとめ方が興味を引いたのでここに紹介しておく。なお、委員会での資料等は「地震・津波災害に強いまちづくり検討委員会」のHPに掲載されている。
 まずこの「地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン」は、地方公共団体が計画立案や整備を進めるためのガイドラインという位置づけである。そのために地方公共団体では、現状把握、課題分析、基本的な考え方の整理、短期及び長期の施策の検討等を行った上で、「地震・津波災害に強いまちづくり基本方針」を策定し、具体の施設整備や事業実施を行うと想定したうえで、そのために必要な検討内容や基本的な考え方等を示している。
 その中で興味深いのは、一つは、海岸平野部・内湾低平地部、半島・島しょ部の3地域においてモデル的方針のケーススタディを行っていることであり、2つ目に、いつ来るかもしれない災害に備えた短期的な取組と、地区の将来像(グランドデザイン)を共有して進める長期的な取組の両面を検討することとしている点である。
 また、避難計画や将来土地利用計画を立案するにあたって、浸水深さを重視している点も興味深い。これは岩手県が被災市町村における復興に向けた土地利用にあたり示した考え方を参考にしたもので、例えば、避難所や災害弱者関連施設は浸水しない区域を基本とするが、その他の公共施設については想定浸水深さが2m(学校・医療提供施設は1m)までは許容するという内容になっている。これは浸水深さが2mを超えるとほとんどの木造家屋が流出等により全面破壊となるが、鉄筋コンクリート造であれば浸水深さ5mまで持ちこたえるとされていること等を根拠としている。ちなみに浸水深さとは津波高さから地盤高さを差し引いた深さとして想定できる。
 この考え方を適用し、海岸平野部のモデル地区の短期施策として、浸水深さ2m以上の海岸部には津波避難ビルや避難施設(タワー)を配置するとともに、重要公共施設は浸水深さ0.3m未満の地区に移転又は土盛り等を検討することとしている。もちろん、建築物の耐震化や家具固定の促進、ハザードマップ等による啓発や防災教育、人材育成、自治会・企業との連携強化なども実施施策として取り上げられている。短期施策は命を確保することが第一目標である。
 また、長期施策(グランドデザイン)の検討では、概ね50年先の姿を描くことを提案している。50年というのは、現存する建物やインフラの更新が概ね行われるとともに、これから生まれてくる人たちが現役世代となる時代である。いろいろな意味で既得権益やしがらみから離れて、かつ実現可能な時期として設定している。
 ここでは大胆な土地利用計画を想定している。2mを越える津波浸水想定エリアには、耐浪性への配慮と十分な避難施設等を確保しつつ、産業・農業・緑地等を集積することとし、浸水深さ1~2mのエリアは土地の嵩上げやピロティ化等を行いつつ市街地を維持することとしている。なお、嵩上げ等は建替え時の自助とし、地震保険等への加入を促すという考えだ。そして重要公共施設や災害弱者施設等は津波浸水想定区域外へ配置することとしている。
 このモデル地区ではこうした原則に沿ったグランドデザインがきれいに実現できるかのように描かれているが、現実の地域では必ずしも原則どおりにはならないだろう。だが、50年先を設定することで、ある程度現状から離れた理想的な将来像を描くことができるし、それを事前に住民・自治体で共有しておくという考え方はわかりやすい。
 ちなみに避難行動がとれるのは浸水深さ0.3mまでである。また、避難には津波到達時間も大きく影響する。これらも考慮して各自治体で現実的な短期計画と理想的な将来計画を策定しておくことが望まれる。
 今年度は中間とりまとめで、来年度、さらに学識者等の意見を聞きつつ、バージョンアップし、自治体向けに説明会等により公表・啓発していく予定だ。「浸水深さ」と「50年先のグランドデザイン」という二つのツールは非常にわかりやすいし、ある程度説得力もある。多くの自治体で「地震・津波災害に強いまちづくり計画」が策定されることを期待する。

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