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2013年6月

2013年6月27日 (木)

3.11後の建築と社会デザイン

 東日本大震災が発生して概ね4ヶ月後の2011年7月16日に行われたシンポジウムの記録である。消費社会研究家の三浦展氏と建築家の藤村龍至氏が司会をして、多くの豪華なメンバーがパネラーとして参加し、2部に亘って開催された。第1部では、建築家の山本理顕氏、リクルートの島原万丈氏、建築家の大月敏雄氏、NPO論の中村陽一氏、福祉社会学の藤村正之氏、経済学者の松原隆一郎氏が参加。また第2部では、建築家の家成俊勝氏、松隈章氏、永山祐子氏、大野秀敏氏、福祉社会学の広井良典氏、コミュニティデザイナーの山崎亮氏、それに第1部から山本理顕氏も参加している。
 一般的にシンポジウムでは、パネラーの方がそれぞれ独自の意見を披露し、意見交換で多少噛み合ったり、合意し合ったりしてお茶を濁して終了するというパターンが多い。本書でもそうした傾向があるが、登場するメンバーが豪華なだけに視点が多様で面白い。
 とは言っても、山本氏の「一家族」=「一住宅」という前提を改めなければならないとか、これからの時代、コミュニティが大事だよねとか、シェア社会の到来とか、最近よく言われる事柄から大きく違う視点が示されているわけではない。それはある意味、建築家も社会の中で活動をしているということに他ならない。
 興味を引いたのは、大月氏、大野氏の言動と三浦展の終わりの論文。逆に中村陽一氏のNPO論は抽象論の域を出ず、つまらなかった。たぶん東日本大震災後のボランティア論を語るには、まだ早すぎたのだろう。今となっては当たり前の言葉だが、遡って読み返すのも悪くはない。忘れていた思いや議論を思い出す。


●「消費者」という言葉を誰が発明したか知りませんが、その言葉が生産と消費の関係をよく表しているようにも思います。つまり、私たちが「消費者」として扱われてきたという点です。・・・でもはたして「消費者」と呼んでいいのか。私たちの日常が消費者としてあるかというと、私はちょっと違うような気がしています。「消費者」ではなくて「生活者」だと思うんです。必ずしも常に消費と結びついていない、そういう視点が欠けていたような気がするんですね。(P82)

●はたして、われわれの身の周りに肉体的にも経済的にも自立した人がそんなにもいるのかというと、疑問ですよね。多くの人は、子供がいたり爺ちゃん婆ちゃんがいたりと、自立できない人とともに暮らしている。むしろ自立できない人ばかりが社会を構成するようになっている。つまり地域で地縁にもとづいて暮らしていかざるをえない人がたくさんいるわけです。そうなると、コミュニティベースの建築を提案しはじめなくてはならない。新たなフェイズが訪れているのではないかと思うんです。(P121)

●日常的な空間とは、生活している人があらかじめ用意された図式を乗り越えて違った使い方を実践し、より自分やまわりの人にとって使いやすく改変していく空間だと思います。関係性を構築しながら他者と協働していく行為は、常に予見不可能性や不確実性につながっています。それは、その改変行為自体が開かれていることを意味しています。風景に関してもスクラップ・アンド・ビルドはダメだと思いますが、すべてがずっと固定されて止まっている状態もよいとは思いません。工夫しながら守るものと、生活に寄り添うように使用者自身が改変していくものが共存する状況が風景やコンテクストをつくっていくのではないかと思います。(P163)

●アイデンティティというのは自立した自己ということと絡んでくる話で、自分自身のなかに固有性があると考えられていたわけですね。でも、アイデンティティというのは他者との関係のなかにあると思うんです。・・・それは地域に関しても同じで、ある地域の固有性というのは他の地域との関係のなかから出てくるものだと思うんです。・・・人がたったひとりで生きていくことができないように、地域もその内側だけで生きられるはずがない。そのような関係としてアイデンティティを考えていくとわかりやすいのではないかなと思います。(P212)

●若い世代が一人で高齢者を三人支えなければならないと言われる。しかし発想を逆転して、高齢者が三人で若者一人を支える社会と考えることはできないだろうか。高齢者が自分の資産を活用して若者を支援する、たとえば空いた家や部屋を非常に安く貸すとか、自分の知識や経験や人脈を若い世代に提供していくということも今後は望まれるだろう。(P243)

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2013年6月12日 (水)

住宅の歴史社会学

●住居が固定された物質ではなく社会的な過程であるならば、その再編成もまた、社会的なものとして構想されねばならない。性急な解決を求める前に必要なのは、近代住居空間の社会的な構成を読みとき、分析することだ。歴史社会学は、そのための距離と自由を確保する方法に他ならない。(P262)
 歴史社会学という学問はどういう手法で何を読み解く学問か? それを<住宅>の適用した時に何がわかるのか? 正直、本書を読み終えた何がわかったと言えるだけの読解力も知識もない。それでも、建築学側からアプローチする<住宅>と、社会学側からアプローチする<住宅>では重なりつつも若干のずれが見える。  <住宅>を物質的に捉えざるを得ない建築学の視線に対して、社会学では社会の中に<住宅>(時に住居、または居住)をおいてその総体を捉えようとする。本書の立場である歴史社会学では、さらにそれを歴史の中に置いて、政府・建築家・居住者それぞれの側からの住居(文化・経済・形態)の成り立ちを追っていく。<住宅>は人間にとって外界から身体と精神、家族を守る基盤であると同時に、国や国民を作っていく装置であり、仕組みでもある。  第1章で住居を社会学的にどう捉えるかについて言及した後に、第2章「啓蒙」、第3章「動員」、第4章「産業化」で、明治以降から概ね戦前にかけて、住宅がいかに捉えられ、作られていったかを豊富な歴史資料によって確認する。  終章「日常生活批判に向けて」では改めて日本社会が住宅をどう捉えているか、いかに捉えるべきかの持論が述べられる。そこでは「複製技術」「交通・コミュニケーション」「時間・空間の商品化」の視点から住宅を見通す。このうち最も要となるのは「交通・コミュニケーション」だと言う。住居は社会学の立場からは物的な空間であると同時に、あくまでも身振りや制度が作りだす空間である。そのことに異議はない。小難しい資料や論が続くが、建築の側から見るとそれもまた面白い。

●幼児にとってみれば、住宅とはルールでがんじがらめの空間である。社会の側から見れば、さまざまな行動の規範が埋めこまれた場所である。しつけは、幼児という他者を文字通り「飼いならす」実践のことである。・・・飼いならされる側はさまざまな抵抗を示すことであろう。場所によってはそれが住居の解体をもたらすかもしれない。しかしたいていの場合、ルールとしての住居のなかで時を過ごすことを通じて、人々は身体に内在する快―不快の感覚を自ら調整するようになる。(P21)

●住居をめぐって交渉するのは・・・国家と家族だけではない。階層と階層、資本と消費者、男性と女性といったさまざまな集団や身体の関係が、ときには闘争や妥協、あるいは統制や支配といったかたちをとりながら展開する。住居とは、そうした目に見えない闘争の現場でもある。(P42)

●「啓蒙」「動員」「産業化」は住宅の開発に向かう社会的な力である。それらは・・・互いに重複し、相互浸透しながら展開している。住宅は、家庭という聖化された場所を基盤とするデモクラシー思想の浸透、労働力の再生産を有力な根拠とする公的な介入と計画化、ディスプレイやデザインといった消費に関わる技術の開発、という三つどもえの社会変動のなかで形成されてきた。(P52)

●近代家族には、形態的・機能的・心理的な特徴だけでなく、技術的な特徴―貨幣を媒介とした生活の把握と計画化―がある。長期にわたる家庭の再帰的運営とコスト感覚を練磨するうえで、重要な戦略目標となるのは養育費と住居費である。そう考えると、1950年代以降、出生率が急激に低下し、持ち家取得に関わる設備投資が活発に行われたのは偶然の符号ではない。住宅と近代家族は、たがいにもう一方を前提とする関係にある。(P250)

●住居が固定された物質ではなく社会的な過程であるならば、その再編成もまた、社会的なものとして構想されねばならない。性急な解決を求める前に必要なのは、近代住居空間の社会的な構成を読みとき、分析することだ。歴史社会学は、そのための距離と自由を確保する方法に他ならない。(P262)

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2013年6月 1日 (土)

東北発の震災論

 「限界集落の真実」で一躍注目を浴びた山下祐介氏だが、東日本大震災の直後、2011年4月から弘前大学を出て、首都大学東京に異動した。しかしけっして東北を捨てたわけではない。以前のようにどっぷり浸かることは難しくなったかもしれないが、これまでの関係を足懸かりに独自のルートで何度も東北を訪ね、また社会学調査に参加し、被災者、避難者、支援者、その他関係者に取材し、調査を行ってきている。震災以降、開沼博や古市憲寿など20代の社会学者が多く現われ活躍をしている。山下祐介氏は彼らよりも一世代高い40代前半の年代だが、それ故にこそ、より広い視野と経験から日本社会を見つめている。
 山下祐介氏が本書で展開するのは、日本の社会システム論だ。日本社会は90年代以降、巨大で広域なシステムに覆われ、我々はそれを当たり前のものとして生きている。東日本大震災、中でも原発事故は、この広域システムが一部崩壊する経験であり、かつ誰もが信頼を寄せていたそのシステムの中心には、システム全体を見通す主体はおらず、たまたま中心に位置する者もその一部の専門、一部の分野のみを見て判断をしているという実態を明らかにした。
 しかも周辺からは中心がある程度見えるにもかかわらず、中心からは周辺が見えていないかのようだ。多分、遠すぎるのだろう。だが、周辺にはシステムを動かす術がない。こうして広域システムの持つ「中心/周辺」の問題、さらに主体性がどこにもないという問題が明らかになる。
 ところが機能不全に陥ったシステムは新しいシステムに置き換えられようとしているかと言えば、どうやら元のシステムに戻ろうとしているのだ。しかも事故や震災などなかったかのように、忘れることでまた元のシステムを動かそうとしている、かのように見える。
 こうした「システム/主体」論を形而上的な社会学的問題として解こうとしているのではない。これらの考察が導かれるのは最終章「システム、くに、ひと」に至ってだ。第1章「広域システム災害」で問題意識を掲げた後は、次章から震災と事故がもたらした現実を冷静に検証していく。第2章「平成三陸大津波」では津波がもたらした被害を、「物理的被害」「心理的被害」「社会的被害」に分け、中でも「社会的被害」について、(1)家と親族の破壊、(2)コミュニティの崩壊、(3)地域産業・経済の損失、(4)地方自治体のダメージ、の4つに分けて分析する。こうすることで、逆にそれぞれの回復があって初めて社会全体が回復することが理解できる。かつこれらがいずれも大きなシステムに寄りかかって存在していたことも。
 第3章「東北という場」では、「東北」という名称からして他者が指して付けられた呼称であることを指摘し、その周辺性を説く。それは古代に留まらず、現代にも続き、かつ広域システムに包摂される中でさらに主体性を失っていく。
 第4章「原発避難」は、原発事故による被害の実態。しかもまだ確定せず、当分確定しないまま、広がり、継続し続けていくことを指摘するとともに、避難指示がそもそも中央でしか対応できなかったことを指摘する。事故収束への対応も中央でしかできない性格のものであり、しかもそれが従前のシステムを稼働することで対応されている実態を示す。システムはさらに強化されようとしているし、それしか解決の方法が見出せないのが現実だ。同時に、社会的に分断される避難者たちの実態も描いていく。
 第5章「復興と支援」では、原発避難地の大熊町や富岡町での「仮の町」を巡る取材、広域合併した石巻市での高台移転を巡る行政と被災者との相克を取材し、真の復興とは何かを問う。被災地の主体性は復興を急ぐ中央の意向の前で、うまく機能していない。そしてボランティア活動でさえ広域システムの一つとして機能している実態。
 こうして広範囲に目を向けて分析する丁寧な取材と調査の末に、最初の問いに戻る。果たして我々はこの毀損した広域システムを前にいかに生きていけばいいのか。その答えは明確には示されていない。西欧のキリスト教を母体とした個人を主体とした社会ではなく、日本では「関係」「共同体」を主体とした社会づくりがあるのではないか。それはまだ山下氏の仮説に過ぎないし、あとがきにもそのように書かれている。
 震災直後、東日本大震災は時代を変える大きなエポックになる、という言葉をよく聞いたし、私自身もそう話したことがある。だが、安倍内閣の登場は逆に時代を大きく元の場所、震災も原発もなかった時代に戻そうとしているようだ。しかしきっと違う。本書の中で「この震災を『第二の戦後』と評した人もいた。しかしむしろこれは、太平洋戦争の開戦直前の日本により近いようだ。」(P219)という一節がある。筆者は、このまま従前のシステムが元に戻ろうとする動きを見放していると、時代は太平洋戦争に突入してしまうと警告しているようだ。政治的に動けということではないが、新しい仕組みは自分たちで主体性を持って作らねばならない。被災地を見続けることがその一つの力となる。

●日本社会はいまや、広域にわたって形成された一つの巨大システムをなしている。今回の震災では、この「広域システム」の存続を脅かす事態が生じた。/広域システムには「中心と周辺」がある。震災は、東北という日本の周辺に生じ、そして被災地という新しい周辺が東北のうちに広く現われて、多くの人が周辺の中の周辺へと押し込められていった。/周辺の中の周辺が今後とも存続し続けるためには、どんなに周辺化してもなお、その「主体性」を確保する必要がある。しかしこの震災では、主体性の危機は被災地=周辺だけの問題ではなかった。周辺どころか、中心にすら主体が見えない状態が生まれていた。・・・あらゆるものが周辺化する広域システムの中で、当のシステムだけがその存続を果たしていく。そしてその存続も、何かが主体的に目指されているのではなく、ただ結果としてそうなっているだけであって、ここでは人間は客体として存在するのみだ。(P10)

●原発事故をめぐる情報の流れを見ても、あるいは避難誘導をめぐる責任のあり方においても、それ以前の<中心―周辺>の枠組みは、依然として生きつづけてきた。・・・システム崩壊後に観察されるのは、失敗したシステムのあり方を変えようとする力であるよりはむしろ、元の状態へと戻ろうとする強い回復力である。・・・ここで筆者は「脱原発すべきだ」といっているのではない。・・・脱原発の運動もまた大きなシステムに関わる過程の中にあり、システムの中心側で動いているものに他ならないからだ。・・・もし根源からこの問題を解決するならば、それは脱原発ではなく、脱システムでなければならない。(P163)

●支援者も、被支援者も、すでのシステムの中にある。この中にいる限りは、このシステムがもたらす問題は解けない。・・・システムの中にとどまりつづけながらも、ただ一つ可能性があるとすれば、それは、システム自身が、システムの抱える問題点に気づき、これをあきらめずにたえず疑問視し、これを解いていくことができる、そんな仕掛けができるかどうかだろう。・・・問う力、問題を設定していく力がまずは必要だ。そしてその問いを、さらにしつこく、しつこく追い回して、いったい何がどうなっているのか、主体的に解きつづけることが大切だ。(P246)

●システムが大きすぎるのだ。大きすぎる中で、中間項がなく、政治がすべての国民を大事にし、そのための決定を行おうとすることに問題があるのだ。そして政治のみでは無理だから、科学が、マスコミが、大きな経済が介入する。だがこうした大きなものによる作用の中では、一人一人の声は断片でしかなくなる。しばしば人は数字となり、モノとなる。人間の生きることの意味は逆立ちしてしまい、人が人でなくなる。生きることは、真の生ではなくなる。復興も同様に、真の復興ではなくなる。/こうした状態がもつ問題性こそ、今回の震災を通じて問われねばならないものだ。だが誰がそれを問うのか。このシステムにどっぷりとつかりながら。(P270)

●どんな社会においても、その社会を認識し、社会を実践し、また変える主体が存在する。では、日本社会の中の主体性とは何か。・・・それはやはり小さな共同体の意志であり、身近で、無自覚で、当たり前の日常のつながりのようだ。日本社会の歴史を顧みれば、こうした小さな共同体が重なり合い、つながりあって全体が作り上げられており、また全体に変化が起きる時は必ず、どこかの共同体から始まるものであったということができる。(P273)

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