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2013年7月

2013年7月26日 (金)

愛知県の高齢者居住安定確保政策の現状

 都市住宅学会中部支部公共住宅部会で愛知県の高齢者居住安定確保政策の現状について聴く機会があった。愛知県では平成24年3月に愛知県高齢者居住安定確保計画を策定しているが、その内容の説明とともに、計画策定とほぼ同時に開始されたサービス付き高齢者向け住宅の登録状況等について担当者から話を伺った。
 高齢者居住安定確保計画の根拠となる「高齢者の居住の安定確保に関する法律」いわゆる「高齢者住まい法」は平成13年に制定され、当初は高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)、高齢者円滑入居賃貸住宅(高円賃)、高齢者専用賃貸住宅(高専賃)を制度化するとともに、終身建物賃貸借制度などを定めていた。その後、平成21年に法が改正され、各都道府県は高齢者居住安定確保計画を定めることができるようになった。法改正直後は計画を策定する都道府県は少なかったが、平成23年にサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が制度化されるとともに、各県で計画が策定されている。なお、平成23年の法改正で、高優賃、高円賃、高専賃はサービス付き(サ高住)に統合された。
 説明の前半では、愛知県の高齢者世帯の動向等の話があり、特に高齢単身世帯の持家率が低いことが指摘された。ただし、その要因はわからない。高齢夫婦世帯は85%が持家に居住する中で、単身世帯になると60%を下回るのは、生涯未婚者の割合だけでは説明がつかない。
 住宅のバリアフリー化の状況、虚弱化した時の住宅選択、市町村別の高齢化率と借家率などのデータを提示した後、5つの課題を挙げられた。(1)既存住宅のバリアフリー化の必要、(2)高齢者向け賃貸住宅の供給、(3)高齢者の入居を拒否しない賃貸住宅の増加、(4)高齢者の暮らしを支える社会システム、(5)地域の特性・事情に応じた対応の5点だ。その上で、計画の基本目標を「高齢者の望む暮らしにあった住まいを実現する」とし、高齢者向け賃貸住宅等の供給目標を掲げている。平成24年度から32年度までの9年間で、高齢者向け賃貸住宅(生活支援サービス付き)を約1万1千戸、老人ホーム等は「愛知県高齢者健康福祉計画により、要介護・要支援者の増加に対応した施設の増加をめざす」という内容だ。ちなみに、高齢者向け賃貸住宅等の供給目標量の推計方法は、平成32年度の高齢者数のうち、要介護・要支援・二次予防事業対象者を推計し、そこから借家に居住する単身・夫婦のみ世帯数を推計し算出している。
 また、計画の基本方針は、(1)既存住宅のバリアフリー化、(2)バリアフリー対応住宅の新規供給(①高齢者向け賃貸住宅(生活支援サービス付き)の供給、②新設住宅のバリアフリー化(持家・借家))、(3)安心できる入居・居住に対する支援(愛知県あんしん賃貸支援事業など)、(4)公的賃貸住宅での高齢者対応、(5)人にやさしい街づくりの推進、となっている。なお、愛知県あんしん賃貸支援事業は、高齢者等の入居を拒否しない住宅の登録と協力店、支援団体を登録する愛知県独自の制度だが、登録戸数はあまり伸びていないということだった。
 愛知県における「サ高住」の基準は、床面積が原則25m2以上(共用部分があれば18m2以上)としている他、安否確認及び生活相談サービスの提供など、国の基準と何ら変えていない。平成24年1月に本格的に登録を開始してから、平成25年5月末までの1年半弱で約128件4,264戸の登録がある。このうち名古屋市で52件1,644戸。その他は西尾市(人口約17万人)で熱心な不動産業者があり、18件562戸の登録があるが、その他の市ではあまり伸びていない。豊橋市・豊田市といった人口が多い都市よりも名古屋市近郊の市で登録数が多い傾向がある。熱心な事業者の有無が登録数に影響しているようだ。また、全国資本の業者は名古屋市内での登録が多く、市外では地元事業者の登録が多い。医療法人や社会福祉法人等が事業者になる割合は少ないとのことでやや意外である。
 住宅の規模は20戸から44戸までが約7割、3階建てが全体の過半を占める。また居室面積も25m2未満のものが多く、最低居室面積が25m2未満のものが約75%となっている。また最低家賃は約7割が6万円未満、最高家賃では15万円を超えるものもあるが、6万円未満が約5割となっている。
 提供しているサービスは義務化されている「安否確認・生活相談」以外に、全ての登録住宅で「食事の提供」を行っている他、入浴介護や調理等の家事支援も7割近い住宅で提供されている。また、住宅に介護事務所等を併設するものが8割以上あり、複数以上の施設を併設しているものも多い。
 入居状況は必ずしも良いとは言えない。遊休地を活用し、従来の若年世帯向け賃貸住宅の代わりに建設するケースも多いようだが、事業的にどこまでペイしているかはわからない。「安否確認・生活相談」以外のサービス提供は老人ホームに該当するため、現時点ではすべてのサ高住が老人ホームということになる。いわゆる「みなし老人ホーム」。従来、老人ホームの建設には、県等の設置基準があり、厳しい指導が行われていたが、「サ高住」の登録を行うことで老人ホームの指導基準を逃れることができる。「質の低い老人施設が大量供給されている」という参加者の意見もあながち間違いではない。一方で、市場原理が働いていることも事実で、入居が必ずしも順調に増えていないという現状は、これまで愛知県内では一定規模の持家で生活してきた高齢者が相当数あることが影響していると思われる。
 厚労省にとっては、老人ホーム等の施設整備に対する補助を国交省でみなし老人ホームの整備支援をしてもらうことで軽減でき、本来の福祉サービスに重点化できるメリットがあっただろう。だが、国交省サイドの施策として「住宅と言う名の施設」を整備することはどうか。参加者から「行政で適正な規模・内容のモデルプランを作成・提示すべきではないか」という意見があったが、わからないでもない。ただし、既に動き始めてしまった後で、どれだけ効果があるだろうか。市場で低質な「サ高住」を駆逐できるよう、十分かつ的確な情報提供に努めるというのが必要な施策だろうか。もちろん、定期的な指導・監察も必要となろう。
 現在も全国で次々と建設が進められる「サ高住」だが、高齢者向け住宅施策はこれに尽きるわけではないし、今後は「サ高住」に係る問題も色々と発生しそうだ。高齢者居住安定確保計画も住生活基本計画と同様、5年後に改正するのだろうか。それまでに「サ高住」を始めとする高齢者向け住宅や施設の整備状況や高齢者の居住状況等を十分観察・分析し、施策の再検討を行う必要があるだろう。

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2013年7月 6日 (土)

風景という知

 久し振りにオギュスタン・ベルクの名前を見て思わず注文してしまった。一昨年に発行された本。わずか119ページと短いながら、中身は難解。かなり苦戦してしまった。オギュスタン・ベルクってこんなに難解だったっけ。それでも父親の紹介や母親のスケッチ、妻の写真が使われるなどアットホームで回顧的な論文でもある。
 合理的・二元論的な近代的パラダイムにより「風景についての知」は膨大に溢れかえっているが、「風景の知」はかえって衰弱し、その結果、多くの風景が無残に壊されていっていると嘆く。中国の「山水」を巡る漢詩を引き、和辻哲郎の「風土論」に依って、風景の本質に迫る。さらに、光の物理的性質と文化的認識の差異や中国の風水思想などを示して、風景がいかに立ち現われるか、例示として語る。風景とは物質的で、かつ精神的である。両者に通態化していることを説明する。確かに、我々は風景を感じ、しかし同時に物質的にある。そのことは理解できる。
 1942年生まれ、71歳とまだまだ若い。本書の至るところに日本への愛情や親しみの念がにじみ出ている。80年代末から90年代にかけてオギュスタン・ベルクの風景論を次々と読んだ。もう一度振り返ってみようか。読み直すにはやや辛い気もするが。

●私たちの祖先は、風景に心を向けたわけではないのに、驚くべき風景知を演じている。いっぽう私たちは、風景についての知で溢れかえりながら、風景知があからさまに欠如している。どうしてそういうことが生じるのだろうか。(P8)

●風景は人間の視線のうちにあるものではない、それは事物の現実のうちに、つまり私たちと環境との関係のうちにある。(P49)

●風景は見えるものに従い、しかも見えないものに従う。物質的なもの、しかも精神的なものに、である。風景の本質、風景の現実とは、このような両義性なのだ。(P76)

●<近パラ(西洋近代の古典的パラダイム)>が根本的にその原理において客体としての宇宙=普遍、幾何学的で機械的、純粋に量的で完全に中立的な宇宙、しか認識しないからである。・・・逆に風景は、私たちの感覚に、つねに特殊で中心的・異質的・方位的な空間、地平・・・によって限定された空間を差し出す。(P83)

●風景・・・の実体は、必然的に二つの段階における通態化に従う。その一つは、生命圏という存在論的水準で行われる通態化であり、もう一つは、風土という存在論的水準における通態化である。私たちのこの二つの存在次元の具体的関係こそ、まさしく通態化の本質である。私たちの動物身体と風土身体、私たちの精神と私たちを取り巻く事物……のこうした行き来―そこから現実が生まれる。そこから風景が生まれる。なぜなら、私たちにとっては、今日それが現実だからだ。(P114)

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2013年7月 4日 (木)

伊勢の式年遷宮と伝統技術の継承

 今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年である。伊勢市にある皇學館大學文学部の岡田教授から伊勢神宮の式年遷宮に係る話題についてお話を伺った。
 そもそも伊勢神宮とは、という話題から入るが、創紀は内宮の皇大神宮が297年、外宮の豊受大神宮が478年。皇大神宮の祭神、天照大神は、10代崇神天皇の代までは宮中に祀られていたが、天候不順が続くなどしたため、崇神天皇6年に一旦は笠縫邑(奈良県桜井市付近)に祀り、その後、11代垂仁天皇の代になって、祀るべき場所を求めて近江や美濃などを巡った末、垂仁天皇26(西暦297)年、伊勢の宇治に至り、五十鈴川上流の現在地に祀られた。
 天照大神は日の神で、東の海から太陽が上がる伊勢の土地は天照大神にふさわしい。ちなみに「海」とは「うみ」「生み」「産み」であり、生産に通じるというトリビアは文学部の先生らしく面白い。
 一方、豊受大神宮は第21代雄略天皇の時代、天皇の夢に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできない」と言われ、丹波国から豊受大神を遷し祀ったものという。雄略天皇22(西暦478)年のことである。豊受大神は食の神で、今でも朝夕、神事が行われている。ちなみに、「稲」(いね)は「命」「根」で、まさに生命の源の意だと言う。
 皇大神宮、豊受大神宮はそれぞれ正宮の他、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社の計125社が存し、社殿のない神様も数えると、141座をお祀りしている。
 式年遷宮は20年ごとに殿社を建替えるもので、併せて神宝・装束も新調する。遷宮の制は壬申の乱の主役の一人、大海人皇子こと天武天皇が定め、死後、妻であった持統天皇の代4(西暦690)年から内宮で、さらに2年後の持統天皇6年から外宮の遷宮が始められた。ちなみに、持統天皇4年の干支は「庚寅」。「庚」は「更」で「更にする」の意、また「寅」は勢いをもって始めたということか。
 別宮14社のうち、荒祭・月読・伊雑・瀧原・高の5別宮は天平19(西暦747)年に遷宮が始められ、現在は14別宮と8摂社で20年遷宮が、摂末社以下の86社で20年ごとの修造、40年ごとの遷宮が行われている。
こうして始められた遷宮だったが、都合2回中断期間があった。一度目は応仁の乱の時で、外宮は永享6(西暦1434)年第39回の後、内宮は寛正3(西暦1462)年第40回の後、約130年弱中断され、再開されるのは外宮が永禄6(西暦1563)年、内宮が天正13(西暦1585)年。ちなみにこの年に外宮も2年遅れで遷宮が行われ、ここから内宮・外宮の同時遷宮が始まり、遷宮の回数も内宮・外宮で同じとなった。
 江戸時代に入って13回の遷宮費用はいずれも幕府が負担。明治以降も戦前までは国が全額負担してきたが、太平洋戦争後、本来であれば昭和24(1949)年が式年の年であったが、進駐軍から認められず、この年は宇治橋のみの架け替えにとどめ、正式に遷宮が認められ行われたのは昭和28(1953)年である。以降、宇治橋の架け替えは式年遷宮の4年前に行われている。その後は天皇家の御内帑金と神宮奉賛会からの浄財で遷宮が実施され、ちなみに今回の費用は約550億円と言われている。
 御用材は樹齢200年ほどのヒノキが長野県木曽谷国有林、岐阜県裏木曽国有林及び五十鈴川上流の神路・島路山に確保されており、今年の式年遷宮には約2割ほどが利用されるという。こうした山林は御杣山と呼ばれ、近傍各地の山が指定されてきたが、1809年以降は木曽山が御杣山とされている。また、萱も三重県度会町の五里山が御萱山として指定され、毎回32宮社25000束(1束:約25kg)が揃えられる。なお、建替えられた後の旧材は、1/3が全国の神社へ撤下、1/3が摂末社の修理材に利用されるリサイクルの仕組みができあがっている。
 式年遷宮と同時に作成される神宝・装束は714種1576点。これらも毎回同じものが作成され奉納されるが、技術の伝承が非常に難しくなっている。神宝・装束は20年ごとに焼き捨てられ、土中埋納されてきたため、それ自体は国宝になりえないが、それを作成する職人は人間国宝であり、文化勲章受章者であり、伝統工芸技能者である。また、明治以降は神宝・装束も神宮徴古館に収められ保存されている。
 20年に1度建替える意味は様々言われる。先生からは6説ほど、最大数説(手足の指の数)、尊厳保持説(白木造りの建物の耐用年数)、世代技術伝承説、原点回帰説(陰暦11月1日に冬至が来るのは19年7ヶ月毎)、糠保存説(遷宮は大神嘗祭であり、倉庫令で糠の保存を20年と定めたため)などが紹介されたが、どれが正解というわけでもない。だが、建築的には世代技術伝承説が重要だ。
 講演後、「出雲大社はなぜ遷宮をしないのか」という質問があったが、「出雲大社はかつては今の数倍の大きさだったため、とても十数年ごとに建替えることは材料の確保等の点で不可能だった」と答えられた。実に20年に1度というのは絶妙だ。今なら二つの殿社が並んでいる姿が見られるという。あいにく当面見に行く予定はないが、昨年オープンした「せんぐう館」は一度見学に行きたいと思っている。

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