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2013年8月

2013年8月24日 (土)

あいちトリエンナーレ2013 オープンアーキテクチャー「愛知産業大学言語・情報共育センター」

 あいちトリエンナーレ2013が8月10日から始まった。2回目となる今回は芸術監督に建築批評家の五十嵐太郎氏を迎え、アート作品としての建築物への注目度が高い。そんな意向を受けたイベントの一つとして、オープンアーキテクチャーが開催されている。先日、オープンアーキテクチャー・スペシャル企画として、「愛知産業大学言語・情報共育センター」の見学と設計者のstudio velocityや五十嵐氏らによる語る会などが開催されたので参加した。
Dsc03106 名鉄本線藤川駅からスクールバスで5分。バスは見学施設である「愛知産業大学言語・情報共育センター」の前に到着する。施設の一画はバス待合所になっている。東側に食堂等のあるコミュニティセンター、体育施設等から成る恒誠館が並び、西側には1号館から4号館までの校舎が囲む中央広場部分に「言語・情報共育センター」は立地している。
 元々、中央広場だった位置に、バス降車場と各校舎を結ぶように通路が設けられ、その間に、ITセンター、プレゼンテーションルーム、言語ラボなどが並ぶ。とは言っても部屋名は便宜的なもので、各スペースは開け放し可能な大型サッシュが嵌められ、開放すれば屋内外はまったく同一平面でつながれてしまう。屋根のある部分は床があるもののその他は芝生。
Dsc03057 最初にプレゼンテーションルームで名古屋音楽大学吹奏楽部のサクソフォン・アンサンブルがお出迎え。葉加瀬太郎の情熱大陸とエトピリカでいい気持ちにした後、おもむろにstudio velocityの二人、栗原健太郎氏と岩月美穂氏から作品の説明を受ける。
 岩月氏から「私たちは植物が生長するように建築することを心がけています」という設計方針が語られた後は、栗原氏から専ら構造の話。柱を直径60mmの中空でない鉄棒とし、梁は高さ125mmのH型鋼。そこにデッキプレートを置き、設備配線用の空間を取った上に断熱・防水を行っている。バス降車場から校舎棟まで東西に通路が走り、それに交差する形で4つの細長いスペースが突き刺さる。そして全体を開放的な渡り廊下が取り囲む。大きな四角形の大屋根の数ヶ所に穴が開いていると言った方がいいかもしれない。
Dsc03094 屋根は高低差4mの敷地に斜めに架かり、地面は微妙なアンジュレーションをつけて校舎棟に向けて上っていく。東西方向のサッシュは平行四辺形の特殊な形状をしている。地面と屋根をつなぐ柱は場所によって長さが違う。元々は高さ4mの擁壁で上下に分けられた敷地なので、微妙な起伏は彼らが作り出したもの。基礎もその起伏に沿ってうねうねと配置された。構造設計は藤尾篤。栗原氏からは、繊細さを表現するための構造計画の困難さを強調していたが、たかが鉄骨造平屋建てでどれだけ大変だったのかよくわからない。デッキプレートによる床剛性の確保について構造上の課題があったのかもしれない。
Dsc03087 その後、栗原氏、岩月氏に率いられ、施設を見学。「言語・情報共育センター」自体はそんなに大きな施設ではないが、校舎棟に移って4階、屋上階(7階相当)と西側の2階デッキから施設全体を俯瞰する。「緑芝に浮かぶ白い屋根 公園のような中庭回廊の建築」と見学用リーフレットに書かれていたとおり、芝生の上に白いスチレンボードで作った模型をそのまま置いたような建築物だ。造形的にはもう少し高さ方向のバリエーションがあった方が自然との一体感が生まれるのではないだろうか。半田市新美南吉記念館やモリコロパーク地球市民交流センターなど愛知県内でも地形と一体となった施設が増えてきたが、それらと比べると地形を受け止めつつ、あくまで施設自体は人工的なフラットさを保っている点が特徴的だ。
 道中で都市計画が専門の小川学長(愛知産業大学)に質問。「開学20周年記念事業の一つとして施設を建設することになった。設計事務所の決定は学長が理事長に進言して決定。当初、中央広場には図書館等の中高層棟を建設する構想もあったが、今後の施設拡幅予定もないことから、有機的なスペースとして本施設を構想した」などの話をしていただいた。
Dsc03103 小1時間見学した後、再び名古屋音楽大学のサクソフォン・アンサンブルの演奏を楽しむ。今度は5曲ほど。自己紹介・楽器紹介も交え、楽しくリラックスした時間を過ごす。言語ラボの中で、英語書籍が並べられたブックラックを背に演奏。僕らは屋根の下、芝生の上、思い思いの場所に緑陰を見つけて演奏を楽しんだ。
 その後、小川学長も参加して「語らう時間」という名のパネルディスカッション。五十嵐先生が「通常の4面だけでなく、上から見たファサードも楽しい」と言われた。まさに「模型の視点」。岩月氏から「私たちはとにかく模型をたくさん作って考えます」という言葉があり、小川学長からは「設計段階で模型を展示して学生らから意見を集めた」という話があった。また、小川学長から「まだこの建築は未完成だと思っています」と発言。「人・組織・社会、多くの壁に遮られている日々の生活の中で、この施設はすべての壁を取り払い、自由な利用を促している。空間がどう使われるかを求めている。施設名の「共育」にはそんな意図もこめている。10月の学園祭が楽しみだ。」 なるほど、ディスカッションを聞いている我々の間をさわやかな風が吹きすぎていった。風、日差し、匂い、暑さ・寒さ。すべてが開いてつながっている。
Dsc03090 次第に話はあいちトリエンナーレの話題に。五十嵐先生から「建築家のアート作品が既にまちに存在することに気付いてほしい。そんな思いで建築系の作品を多く紹介している」。その後は岡崎市内のショッピングセンター「シビコ」で展示されているstudio velocityの作品の話で盛り上がった。トリエンナーレ期間中に一度は見に行こうかな。
 こうして快い雰囲気の中で全プログラムが終わった。「愛知産業大学言語・情報共育センター」は確かにアートとして取り上げるにふさわしい作品だ。風も光も人も時間も、すべてがこの施設の中を通り過ぎていく。それがこの建物にどんな変化を及ぼすのか。可能性を秘めた施設でもある。

●フォトアルバム 「愛知産業大学」

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2013年8月21日 (水)

愛知県立芸術大学で新築なった音楽学部校舎を見学

 愛知県立芸術大学と言えば、吉村順三氏の設計で、数年前に大学が再整備計画を明らかにした時には 地元のマスコミ等でも建替えの是非について取り上げられた。これを機に、DOCOMOMO japanの一つに選定され、保存・活用に関する要望書も提出された。その後、大学当局では有識者等を集めてキャンパスマスタープランが検討され、改修を中心に再整備を進める方向性が示されている。私自身は30年近く前に一度訪れた記憶があるが、その後は長らく訪問していない。先日、音楽学部校舎が新築完成されたのを機に見学をする機会を得た。
Dsc03631 猛暑の中、リニモ「芸大通」駅から歩く。アプローチは街路樹の日陰となっているが、それでもけっこう遠い。ようやく近付くと、正面に管理棟。右手にアーチ状の屋根にカマボコ型の妻面が特徴的な講義棟の外観が見えてくる。芝生や植木はよく手入れをされている。二つの建物とも1階は十字形の柱が支えるピロティ形式で、上階にマッシブな箱が載っている。管理棟に入ると吹抜けロビーにモザイクタイルの壁画とブロンズ像。いかにも芸術大学らしい佇まい。サッシュの枠や天井などが細身の部材で構成された和風な雰囲気で、これが吉村順三好みかなあと思う。
 管理棟の奥、東側に音楽学部の新校舎が建設されている。奥に細長い音楽学部棟が訪問者をやさしく迎え入れるように軽く内側に折れ、左右に翼を伸ばしている。その手前にあるのが右に室内楽ホール、左に演奏棟。室内楽ホールは上部が狭まった縦長の台形で、昔ながらの細い杉板模様の型枠によるコンクリート打ち放しの外壁。1階ホワイエ部分の内壁も同じ仕上げで、しかも壁面の膨らみや補修痕もない。いい仕事をしている。
Dsc03637 室内楽ホールは200人ほどが収容できる小振りの部屋で高い天井が特徴的。左右の壁面にランダムに角材が張られ、音響に配慮している。安い材料を巧く使ったという印象。室内楽ホールには他に小演奏室が1室付属しているが、これも十分音響に配慮した造りになっていた。
 室内楽ホールに対峙して北側に演奏棟。こちらは一転、タイル張りの外装でコントラストをつけている。コンクリート打ちの上部を荒く研ぎ出した床仕上げとしており、これも面白い。ビニルシートなどの仕上げでは重い楽器の搬出入ですぐに傷んでしまうからだそうだ。内部は、オペラ・合唱室と大演奏室2部屋。室内楽ホール同様に音響第一の内装だ。
 この演奏棟からブリッジを渡り、音楽学部棟へ向かう。音楽学部棟は東垂れの斜面地に建っており、ブリッジから入るロビーは2階に当たる。右に練習室、そして左に教授陣の研究室が並ぶ。音響を第一にした小部屋だが、電子音楽、録音スタジオ、オルガンやハープ、コントラバス研究室など各種の楽器に応じた専門室や楽器庫もある。練習室はロビーから使用・非使用の表示を操作できるようになっている。研究室から窓の外を眺めると鬱蒼とした緑の海、その先に愛・地球博記念公園モリコロパークの観覧車が見える。絶好のロケーションだ。
Dsc03635 音楽学部棟を地階まで降りると、ピロティ形式の円柱が並ぶ屋外ステージになっている。ロビー部分を上部まで延びる円柱がきれいだ。ここから東側を見ると足元に調整池と工事中の雨水等を下流まで送る排水管が見える。敷地東側を流れる堀越川に生息する貴重種「カワモズク」を保護するための対策だ。また絶滅危惧種であるギフチョウが産卵するというスズカカンアオイの移植や域外から園芸種を持ち込まないなど、環境保護に最大限配慮を行ったそうだ。
 今回の音楽校舎棟は、これまで学長公舎があった斜面地に建設されたとのことだが、地形を生かし周囲に溶け込んだ配置としている。また、吉村順三設計のデザイン的特徴である部材の細分化とボリュームのコントラストを取り入れ、既存棟ともよく調和している。続いて、既存の講義棟を見学した。
Dsc03644 講義棟は3階部分の長大でマッシブな講義室が圧倒的なデザインをリードしている。長さは100mほどもあるだろうか、ロールケーキのような3階部分の妻面には壁画、平入りの側面は細いルーバーが並ぶ。ピロティ形式の1階の柱も十字形にして見え掛りを細くし、マッシブな形態と対照的に繊細な表現となっている。所々に打ち放しの階段を迎えてぶら下がる必要室がデザインに複雑さを加え、全体としてよくバランスが取れている。
 しかし、打ち放しの柱を見ると、コンクリートが剥がれ、鉄筋がむき出しになっている所も。建替え反対派のブログを見ると管理が不十分なためと糾弾しているが、そもそも当時の施工や設計に無理があったのではないか。最近、天井のコンクリート片が落ちたというデザイン棟のアトリエ内も見せてもらったが、PC部材の屋根材同士をつなぐ部材の端部が欠け落ちたもので、コンクリートが回りきらない端部は欠けても当然と言えるデザインだった。もちろんその後、寒冷紗張りの上補修されている。
Dsc03645 できればその他の建物も見学したかったが、今回のメインは音楽学部新校舎ということで後は歩きながら外観を眺めることしかできなかった。DOCOMOMO japanの要望書に付属した見解書を見ると、地形を生かした建物群、コンクリート打ち放しの外壁と情操教育面での貢献が挙げられている。だが、コンクリート打ち放しについては今回建設された新校舎の方がはるかにきれいな仕上がりになっているし、コンクリートの剥落など既存棟には問題も多く見られる。当時の記録としては意味があるかもしれないが、品質的に問題のある建物をそのまま利用することについてはどう考えるのだろうか。
 それよりは吉村順三の和風なデザインを評価してほしかった。地形を生かした配置や建物の形態は確かに評価に値する。しかし、音楽・美術教育という視点からは何が何でも既存建物を利用することに教育上効果があるわけではあるまい。音響効果の高い音楽学部校舎の新築は音楽教育関係者には大歓迎なことだろう。一方、美術教育という面ではどうだろう。絵画や彫刻などは建物の新旧に左右されるとは思えない。だが、耐震性や雨漏りなど作品を損傷する可能性は最大限排除する必要がある。
Dsc03634 今回、大学のキャンパスマスタープランを見ると、改修が中心となった提案となっている。たぶん県の厳しい財政状況を反映した内容なのだろうと思うが、個人的には講義棟など特徴的な建物棟は保存しつつ、配置とデザインを重視して、少しずつ建替えを進めていくことが適当ではないかと思った。建設当時の設計関係者を審査員に迎えて、設計コンペ方式で少しずつ置き換えていくということができれば、同種のまとまりある建物群を利用しつつ生かしていく先導的取り組みになるのではないか。サグラダ・ファミリアやイギリスのコミュニティ・アーキテクトのように、半永久的に改修と更新が続くイメージ。ある日突然発見される遺跡とは違い、一定のレベルで整備された街区や建築物群は、完成後も常に一つのコンセプトの下で、維持・改修と更新・整備を続けていく仕組みが求められるのではないか。その意味でも実質設計を担当したという奥村昭雄氏が再整備計画検討の途中で席を立ったということは非常に残念だった。どんな理由があったんだろうか。

●マイフォト 「愛知県立芸術大学」

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2013年8月15日 (木)

里山資本主義

 著者に「デフレの正体」の藻谷浩介氏の名前が挙がっている。「あとがき」でも藻谷氏自身が「デフレの正体」以来の執筆と書いているが、実は藻谷氏が書いているのは「中間総括」と「最終総括」の2章に「おわりに」だけで、いわば本論に当たる第1章から第5章までの各章と「はじめに」はNHK広島取材班の井上恭介氏と夜久恭裕氏が執筆している。2011年夏からNHK広島放送局で制作し、中国地方限定で放送されたドキュメンタリーを書籍化したもの。藻谷氏はコメンテーターとしてこれらの放送シリーズに参加していたらしい。
 「里山資本主義」というネーミングに惹き付けられたが、足助町で2年間過疎対策に関わった経験からすると「何を大げさな」という印象も持ちつつ読み始めた。最初はバイオマス発電の話。先日訪れた岐阜県白川町の取組の見学内容からしても「バイオマス発電だけでは成立しないだろ」と眉唾で読み進めた。だが話はそれだけにとどまらない。ペレット燃料の徹底的な活用。雑木数本で燃焼するエコストーブの高性能ぶり。「里山を食い物にしよう」というアピール。
 「お試しで里山利用を進めます」というレベルをはるかに超えて、本気で地域内エネルギー自給をめざす取組がそこにはあった。過疎を逆手にとって豊かな暮らしを見せびらかす取組。ここまで本人たちが真剣に楽しめば行政も変わる。地域も変わる。「世界経済の最先端」という第1章のタイトルがけっして大げさではないと感じた。
 そして第2章はオーストリアの話。日本と同じ急峻な山岳地帯を抱える国ながら、機械化された最先端の林業とペレット燃料を徹底利用したエネルギー政策に取り組む。中でも国境の町・ギュッシング市では1990年にエネルギーの脱化石化を宣言。木質バイオマスによる地域冷暖房やコジェネレーション発電によりエネルギー自立を実現させている。
 しかしバイオマス発電にしろ、ペレットにしろ、本体の木材利用があってこそ成り立つ。そこで紹介されるのがCLT(クロス・ラミネイティッド・ティンバー)だ。直角方向に張り合わせた集成材が無類の強度を発揮。オーストリアやイギリスではCLTを利用した9階建ての木造高層建築物まで登場しているという。本書では冷静に、セメントが唯一100%国産で入手できる日本の状況を踏まえ、既得権益との関係から木材の高層建築物への利用解禁が一気には進まない可能性も示唆しつつ、里山資本主義の実力を紹介している。
 第3章では地域循環型経済の取組をいくつか紹介する。山口県周防大島の地場産業の果樹農業を活かしたジャム園の経営。高知県大豊町の真庭モデル導入の試み。島根県の耕作放棄地を活用した放牧の取組。島根県邑南町の移住女性による「耕すシェフ」レストラン。そして鳥取県八頭町のホンモロコの養殖も耕作放棄地を活用した取組だ。
 第4章「”無縁社会”の克服」は、広島県庄原市の空家と高齢者と社会福祉施設をつなぐ取組の紹介。そして第5章では、「スマートシティ」のシステム構築を検討する最先端プロジェクトの取材と比較し、次世代産業の最先端と里山資本主義が目指すものは「驚くほど一致」していると紹介する。「マネー資本主義」から離れれば、我々が追い求めている新しい時代のあり方は、人間性をベースにした「人にやさしい」世界を求めている。真の幸福は人間性の回復の上にあり、「里山資本主義」はその有力な手段の一つだ。
 藻谷氏が書く「中間総括」では、「里山資本主義」をマネーが止まった時の安心安全を補填する「マネー資本主義」のサブシステムとして位置付けながら、マネー資本主義への3つのアンチテーゼ、「貨幣換算できない物々交換の復権」「規模の利益への抵抗」「分業の原理への異議申し立て」を示し、里山資本主義の可能性を示す。
 「最終総括」では「日本経済ダメダメ論」の否定を行っているが、これは本書を借りて最近の持論を披露したという感じだ。その後、「里山資本主義」について、安心を担保するサブシステム、また少子化・高齢化に対しても有効に働くと持ち上げる。そこまで楽観していいだろうか。たぶん藻谷氏こそNHKの取材に声をかけてもらい、大いに勉強し開眼したのだろう。
 本書を読んで私も、「里山資本主義」に対して約10年前 に足助で経験した以上の可能性を感じた。だが同時に、まだ多くの現代人には遠い世界の話でもある。一方で(これは藻谷氏の指摘だが)、里山資本主義は補助金等の後押しを得ずしても前進をする力強さがある。たぶん補助金制度では追いつかない先進性がある。その可能性と成果を追っていくのは楽しいし、正しい方向だろう。「里山資本主義」が当たり前となるはずの50年後が楽しみだ。いや、それを見られないのが残念だと言うべきか。

●真庭市では、銘建工業の木くずによる発電に加え、ペレットの熱利用に目を向けたことがエネルギー自給の割合を大きく高めることに貢献した。市の調査によると、全市で消費するエネルギーのうち実に11%を木のエネルギーでまかなっているという。・・・山の木を丸ごと使って、電気や石油など地域の外からのエネルギー供給に頼らなくても済む地域を目指す真庭市。しかしそれはつい最近まで日本人の誰もがやっていた営みを現代の技術で蘇らせようとしているにすぎない。(P38)

●CLTで壁を作り、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵する強度を出せることがわかったのである。それは、高層ビルは鉄とコンクリートで造らねばならない、という常識を覆した。そこからオーストリア政府の動きは早かった。木造では二階までしか建てられないとしていたオーストリアの法律が、2000年、改正されたのだ。今は9階建てまで、CLTで建設することが認められている。(P108)

●「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。(P121)

●インターネット・・・は、補助金を配ったから利用者が増えたのではない。参加することが面白いから、何かの満足を与えるから、多くの人が時間と労力を割くようになったのだ。・・・里山資本主義の普及も、ネット初期のような段階にまで達してきているのではないかと感じている。面白そうだから、実際にやってみて満足を感じるから。そうした実感を持つ個人が一定の数まで増えることで、社会の底の方から、静かに変革のうねりが上がってくると思っている。(P152)

●そもそも人口減少社会は、一人一人の価値が相対的に高くなる社会だ。・・・機械化・自動化が進み、生産力が維持される中での人口減少は、人間一人一人の生存と自己実現をより容易に、当たり前にしていく。増えすぎた人口をいったん減らした後に一定水準で安定させていくことこそ、地球という限られた入れ物から出られない人類が、自然と共生しつつ生き延びていくための、最も合理的で明るい道筋なのだ。(P301)

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