まちなみ・あれこれ

2009年9月17日 (木)

内子・大洲 - 伊予を巡る

6055 内子町は江戸末期から明治時代にかけて、木蝋の生産で賑わった山あいの町である。人口は2万人弱。果樹や椎茸など農業生産が主体で高齢化も進行している。昭和57年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され、平成11年度から17年度にかけて街なみ環境整備事業により住宅等の修景整備や通路、ポケットパーク等の整備を行った。この結果、今では年間50万人もの人々が訪れる観光地となり、私が訪れた日も多くの観光客が町並を歩いていた。
 最北の町並駐車場でバスを降り、無電柱化・カラー舗装された通りを南に下っていく。まず右手に八日市・護国町並保存センターがある。白壁に格子、2階の丸い縁取りの虫籠窓、腰のなまこ壁が美しい。階段を上がった2階に街なみ環境整備事業の経緯や修景整備された住宅の従前・従後と建築主のコメントなどが展示されている。今では美しい内子の町並だが、多くの建物が修景されて現在の景観がつくられていることに驚いた。
6037 いくつかの民家は店先に地場産品等を並べ店舗になっている。2階を見上げると白壁に黒い縁取りの格子まで塗り込めた虫籠窓。その間に鬼が笑っているような鏝絵が飾られている。
 街なみ環境整備事業で整備した木橋を渡ると、右手にポケットパークがあり休憩所が整備されている。そのすぐ南の路地の先、瓦の乗った土塀の裏には内子中学校のグラウンドが広がっている。木造校舎も傾斜屋根で景観に配慮されている。
 重要文化財の上芳我邸は修理工事中で、裏手に大きく廻った先に木蝋資料館の入口がある。展示棟は新しい建物だが、蔵風の造りで展示も見やすい。ちなみにクイズ全問正解で絵葉書をもらった。黒漆喰の上に「勢」に似た字が躍る白壁格子の民家の隣が中芳我邸だが、有料なため入らなかった。
5963_2 しばらく行くと、鶴の文様の色鏝絵が妻面を飾る本芳我家が現れる。こちらも重要文化財。破風下のこの飾りを懸魚と言う。通りに面した平側の2階壁下には、鶴や亀が波や風に遊ぶ鏝絵が並べられ、2階のなまこ壁の平瓦は六角形のものが用いられている。また隣に並ぶ砂ずり壁の妻入りの蔵も見事。朝日をバックにした鶴鏝絵の懸魚が艶めかしい。
 その隣にあるのが大村家。同じく重要文化財でこの通りで一番古い建物ということだが、まだ整備前で言われなければ見落としてしまいかねない。町役場からは「上芳我邸の修理工事が終わった後、来年度から修景整備に入る予定です。」という話を聞いた。街なみ環境整備事業による修景整備は、補助率2/3で補助限度額が500万円。重要伝統的建造物群保存地区の文化庁補助の場合は、補助率80%で限度額も無制限になるという。重伝建補助は文化庁予算が少なくそれほど多くは採択されないと聞いたが、それでも毎年2~3棟は整備をしてきているとのこと。また、地区内で建物の整備等を行うためには町の許可が必要で、許可証を掲示して工事をされている住宅も見られた。
6023 さらに足を進める。各住宅を見ると、ベージュ色の壁のもの、防火壁が飛び出たもの、側壁の下部が滑らかにカーブを描くもの、虫籠窓の間に文様の入ったもの、窓下に床几が広げられ商品が並べられている家などそれぞれ工夫を凝らした意匠が取り入れられ、その多様さに驚く。寺社に至る路地は石畳舗装がされていた。これも街なみ環境整備事業によるもの。通りは緩やかにカーブを描き、一部クランクする箇所もあって、整備されたアイストップの建物が目に快い。
 少し下ると東側に旭館(映画館)の看板があった。路地を入ると確かにそれらしい建物が朽ち果てて残っていた。大森和ろうそく店は定休日で残念ながら見ることはできなかった。角の小川医院は景観に配慮して建てられた新建築。伊予銀行内子支店も頭部の飾りが雰囲気を出している。
 八日市・護国通りの南端の交差点を東に行くと、文化交流ヴィラ「高橋邸」。これはアサヒビール株式会社元会長・故高橋吉隆氏の遺族から寄贈された民家で、広い敷地に幾棟もの木造家屋が並び、往時の繁栄を偲ばせる。
6061 戻って交差点から西が六日市本通り。この通り沿いにも古い景観の建物がいくつも並んでいる。蕎麦の下芳我家の懸魚は真っ白い鶴の鏝絵。赤い目が通りを見下ろす。「商いと暮らし博物館」は内子町歴史民俗資料館で、薬商「佐野薬局」の商家を公開展示しているもの。薬棚が並ぶ正面のミセノマには2体の人形が往時の雰囲気さながらに並べられ雰囲気を醸しているが、館内にはそこかしこに人形が並べられ、それらが突然話し出すので少しびっくりする。主屋2階から町内の蔵の家並みを眺めて一時のんびりする。
 内子児童館は旧化育小学校として明治12年に建築され、現在まで利用され続けている洋風木造建築物。隣の内子町立図書館は昭和11年建築の旧内子警察署で、小振りだが上方へ伸びる窓頭頂部のアールが時代を感じさせる。
6083 通りを少しはずれた奥にあるのが、木造劇場の内子座。大正5年の建築で、昭和60年に修理が終わって再オープンした。現在も年間80日近くは劇場として利用されているそうで、歌舞伎の次回公演案内のポスターも掲示されていた。館内は2階席もある枡席で、舞台には回り舞台やせりあがり、花道などもあり、本格的な歌舞伎上演もできるようになっている。奈落も見学できるが、これらの設備は今回の改修整備で付け加えられたものらしい。

6103 さてこのあと食事をしてからJR内子線を大洲へ向かう。
 大洲は伊予の小京都と呼ばれ、肱川に面して落ち着いた町並が魅力。鵜飼いでも有名。あいにく大洲に着くと同時にすごい雨が降り出し、タクシーを使って「まちの駅 あさもや」に向かう。観光案内所でパンフレットを仕入れ、すぐ隣のおはなはん通りから歩き出す。昭和41年にNHK朝の連続テレビ小説で樫山文枝が演じて驚異的な視聴率を記録した「おはなはん」の舞台、ロケ地として今もきれいに整備保存されている。通りの片側を流れる水路には花が飾られ、白壁の家並みともども清楚な雰囲気を醸している。そのうちの1軒は休憩所として公開展示されている。
 突き当たりの通りは観光マップには「明治の家並」と記載されているが、狭い路地に小振りで瀟洒な家並みが続く静かな通りである。石張舗装の道を往復して、臥龍山荘への坂道を上っていく。
 臥龍山荘は明治の貿易商・河内寅次郎が桂離宮などを参考に、贅の限りを尽くして建築した数寄屋造りの山荘で、臥龍院、知止庵、不老庵の3つの建物が建っている。3間からなる臥龍院は主屋で、柱の1本、1枚の欄間や障子、金具や天井に至るまで、細やかで見事な装飾と工夫が施されている。また知止庵は茶室、不老庵は崖上の舞台造りで、穹窿状にカーブを描いた竹網代張りの天井は見事。また生きた槇の木を使った「捨て柱」が今も軒下に残っているのも面白い。
6149 雨がひどく早々に臥龍山荘を退散。無味乾燥な堤防内の肱川沿いを強い雨に打たれながら「おおず赤煉瓦館」まで歩く。明治34年に建築された元大洲商業銀行で、別棟の金庫棟などがある。裏手に昭和30年代を再現したと思われるポコペン横丁や思ひ出倉庫などがあるが、雨の中、閑散として閉じられていた。
 川に張り出し建築された大洲城は、平成16年に再建された新しいものだが、川に映って印象的な景観を見せている。帰りの車中で話した運転手さんによれば、大洲の町もこの古い町並から駅前周辺へ、さらに最近は国道沿いへと町の中心が移り、まちの様相が大きく変化しているという。駅に着いたら一転きれいに晴れ上がった。もう一度しっかり時間を取って出直せということだろうか。今度は宇和島にも足を伸ばしたい。いつになることか。

【参考】
マイフォト「内子・大洲 - 伊予を巡る」もごらんください。

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2009年9月 8日 (火)

信州 蔵のまち 須坂を巡る +松代

5710 数年前、小布施に行った帰りに、蔵造りの町並みを通り過ぎ、ここはどこかと思ったことがある。須坂と知って、一度じっくり訪れたいと思っていた。今回、志賀高原へ行った帰りに、今度は小布施を素通りして須坂を訪れた。
 前に通ったときは街道筋に並んでいたという印象だったが、実際に訪れてみると町なかに広く広がっていた。下調べをしてこなかったので、どこに行ったらいいのか皆目見当が付かず、町なかをウロウロと走り回る。
 最初に「須坂クラシック美術館」の看板が目に止まり、車を止めて入館する。明治初期に須坂藩御用達の呉服商・牧新七により建てられた屋敷で、その後、産業の盛衰とともに三代の資産家に譲り受けられ、現在に至っている。正面長屋門の右に2階建ての土蔵、門の左手に2階建ての上店、奥に同じく2階建ての主屋と3棟が並んでいる。特に主屋は立派で、奥座敷の凝りに凝った意匠は目を見張る。
5734 向かいの民家や斜め向かいの「蔵のまち観光交流センター」など、この界隈には立派な民家が軒を連ねている。しばらく歩くと右手に広場が開け、奥に3階建ての豪壮な蔵がそびえている。「須坂市ふれあい館 まゆぐら」で、近くの製糸工場にあった倉庫を移築して開館をした展示施設だ。
 須坂市は須坂藩の陣屋町として発展してきたが、明治以降、製糸の町として大いに栄え、その遺産が現在の蔵の町並として残っている。須坂市では昭和60年代頃から「歴史的町並み景観事業」に取り組み、平成7年度からは街なみ環境整備事業にも着手して、景観の整備・保全に努めている。その成果として、この界隈にもきれいに整備された民家が多く目に付く。その極めつけとも言うべき住宅群がしばらく歩いた先の交差点右手に立ち並んでいる。蔵造り風の新しい住宅群である。
5740 交差点の先にある蔵造り風の建物が傘鉾会館である。内部には2階吹き抜けで毎年7月の祇園祭に町内を巡行する傘鉾屋台が展示されている。この後、いったん車に戻って、中町・新町・常盤町界隈に移動した。
 本町通りと新町通りが交わる中町交差点の周辺は車通りも多く、商店が数多く立地するが、いずれも見事な白壁漆喰塗の商家で、蔵造りのものや3階望楼がそびえるものなど魅力的な建物が多い。本町通りから1本北を走る常盤町内には、大正6年に建てられた洋風建築の「旧上高井郡役所」があり、現在は市民センターとして利用されていた。新町通りを少し遡り、江戸時代から続く老舗「塩屋醸造」にも寄って味噌を買ってきた。
5748 再度、車に乗り込み、本町通りを南に移動する。観音通りと名前が変わった先にも、古い建物が散見される。左手に大きな富士通の工場があり、構内には迎賓館があるそうだが、外部からは全く窺うことができない。残念。
 続いて「豪商の館 田中本家博物館」に到着した。江戸中期から手広く商売を始めて須坂藩の御用達を勤め、その財力は須坂藩をも上回ると言われた豪商・田中家の屋敷である。展示は主に周囲を囲む蔵屋敷で行われ、これらを回って最後に立派な回遊式庭園を眺める。昭和年間まで当主が住んでいたという主屋はたいへん立派でただただ堪能するばかり。最後に抹茶をいただいて屋敷を後にした。

5814 須坂の帰りにもう一つ、かねがね訪問したいと思っていた松代に足を伸ばした。着いたのは夕方の5時前で、展示施設は閉館した後だった。観光案内所でおすすめの飲食店を教えてもらい、そこが開店する6時まで、車で外観だけでもと見て回った。松代と言えば真田藩。真田邸は整備工事中で土塀を見るだけだが、その南の立派な民家。文武学校と旧白井家の表門。旧横田家住宅を門塀越しに。矢沢家表門も相当な迫力。しかしこれらの施設は真田邸のある公園周辺に散立し、町並としての連続的な景観は形成していない。あとは入館料を払って史跡めぐりということなので、私の趣味としてはこれで十分かな、という感じ。夕食を食べた「食いしん坊 かじや」がとにかく美味で、松代一番の収穫だった。
 駆け足で廻った信州の二つの町は、それぞれ特徴もあり、興味深かった。

【参考】マイフォト 「信州 蔵のまち 須坂を巡る」もごらんください。

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2009年7月25日 (土)

美濃市 うだつのあがる町並み

5455 今やすっかり定着した夏休み最初の3連休。どこも行かずに過ぎ去ろうとした連休の最終日、3年前に訪れた美濃市がいいからと妻を誘って、「うだつのあがる町並み 美濃市」をめざした。美濃ICまで小1時間。昼食はさらに15分ほど山間に入った洞戸観光ヤナで楽しんだが、その様子は別のブログに書いたので、こちらでは美濃市の町並みを紹介する。
 1時半過ぎに美濃の町並み保存地区に入り、美濃和紙あかりアート館裏の駐車場に車を止める。あかりアート館は3年前も入ったが、アート展の作品を中心にさらに展示が充実した印象。しばし涼をとって旧今井家住宅美濃史料館へ向かう。目の字の通りは昔のとおり、古い町並が見事に保存されている。
5433 旧今井家の手前、「山根 和紙の店」で引っかかる。建物自体は新しいと思うけれど、美濃和紙を扱い、可愛らしいディスプレイで女性で賑わっていた。旧今井家住宅・美濃史料館は奥にいくつも蔵が続き、和紙問屋の盛時の様子を窺わせる。店の間の天井にある明かり取りが美しい。
 3年前と同様、町並みを東のはずれまで歩き、南側の通りを歩いて戻る。当時改装中だった小坂家(重文でない方)もきれいに整備されている。隣に並ぶ「紙遊」に入る。紙の倉庫として使われていたという木造の建物で小屋組も露に利用している。奥にカフェもあるが、ひとしきり見て次に進む。
5443 「百春蔵元 小坂酒造場」はむくり屋根の重文に指定された立派な造りだ。奥の蔵をギャラリーに開放しており、深井戸なども見ることができる。お酒は飲めなくて申し訳ないけど、建物は十分楽しませてもらった。
 さすがに疲れて喫茶店を探す。八百屋を改修したという「Abeille.S」は網状の大きな看板が掲げられ、室内にはレトロな照明看板とモダンなテーブル・ソファが並ぶカフェ・ケーキ屋さん。ケーキセットを楽しむとともに、お土産にパンを買って帰ったが、どれもおいしく楽しめた。
5445 3年前に閉店したスーパーだった店舗は、おしゃれなブティックに生まれ変わっていた。伝統的な造りではないけれど、きれいにリフォームされ、町並みのじゃまはしていない。
 町並みギャラリー山田家住宅は、江戸時代に建てられた町医者の家を改装したギャラリーで、当主は現在も東京で小児科を開業しているとのこと。玄関をくぐると小さな坪庭があり、奥にはミセノマ・ザシキノマが一続きになった広いスペースに和紙工芸が飾られていた。
 目の字の間の路地を通ってポケットパーク向かいの観光案内所に寄る。ここにも美濃和紙が売られており、きれいな格子柄の和紙を1枚300円で購入した。向かいの武藤家は蕎麦屋になり、その並びの妻入りの民家はあかりの専門店になっていた。このあたりのお店はどこも趣味がよく元気がある。
5465 目の字をぐるっと約2時間半。駐車場に戻って帰路につく。帰りに旧名鉄美濃駅に寄ってみた。赤・赤・緑と可愛い車両が3両並び、懐かしい鉄道グッズが売られている。駅舎も山型屋根のシンメトリーな造りで可愛かった。
 美濃の町並みは3年前に比べ、少しずつ整備され変化しているが、そんなに大きくは変わっていない。変に観光化もされず、昔どおりの気持ちのいい雰囲気がそのまま。まだ寄っていないカフェやお店もたくさんあるし、家から小1時間で着くこともわかったし、またいつでも気楽に訪れよう。そんな気になった美濃市再訪でした。

【参考】
うだつのあがる町並み 美濃市:まちづくり あれこれ
●マイフォト「美濃市 うだつのあがる町並み」もごらんください。

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2009年5月 9日 (土)

岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山

5010 翌日は富山市のみなと町・岩瀬を訪れた。コンパクトシティの優等生として青森と並んで名高い富山市だが、その象徴的公共交通である富山ライトレールの終点近く、東岩瀬駅から先の神通川沿いに岩瀬大町の家々が並んでいる。岩瀬は北前船の拠点として多くの回船問屋が並び、肥料や日用物資の運搬・交易でたいそう繁栄したという。
 見学をした北前船回船問屋「森家」も豪壮な木組みも露わに、能登材、屋久杉、朱壁塗りと剛胆・繊細な造形を見せている。2階表の使用人部屋に北山絞りの床柱、2回裏の女中部屋にも裁縫ができる明るい窓が設けられ、使用人を大事にしてしっかり働いてもらおうという商売人らしい簡素で合理的な造りとなっている。
5024 微に入り細に入る明るく楽しい解説の後、町並みを見学して歩く。隣家の馬場家は公開されていないが、森家以上に立派な造り。さらに現北陸銀行の邸宅にはさらにも立派な座敷があるとのこと。馬場家の正面にはポケットパークが整備され、公衆便所が設置されている。また、妻入りの田尻酒店や奥行き60mの土蔵蔵、さらに和菓子屋や蕎麦屋など多くの魅力的な商家がきれいに景観整備され並んでいる。ちなみに富山市は岩瀬民間建築物の修景整備に対して、500~150万円かつ補助率70%の修景事業補助を行っており、富山県も市町村負担の1/2を上限とする景観補助を実施している。
 この後、家族サービスで立山黒部アルペンルートの雪の大谷ウォークを楽しみ、夕刻に立山駅まで戻ってきた。帰りの東海北陸自動車道が渋滞していたため、富山県内でもう少しゆっくりしようと五箇山を見て帰ることにした。
5150 五箇山ICに着いたのは6時過ぎ。ICの眼下に見える菅沼集落は観光客も消え失せ、駐車場もひっそりとしていた。ウシガエルの声ばかりが鳴り響く静かな村里。白川郷よりは小振りな合掌造りの2階・3階の窓から明かりがこぼれ、それを頼りに田んぼを囲む集落を歩いて廻る。店じまいを急ぐ土産物屋が4軒ほど。いくらか土産を買って車に戻る。
 せっかくなので相倉集落まで車を走らせる。着いた頃にはすっかり暗闇。足下の外灯と合掌造りから漏れる明かりだけの幻想的な世界。生活の邪魔をしないようにと静寂を味わって集落を離れた。
 駆け足で廻った富山・高岡の町並み。豊かな風土に培われた人柄と景観を満喫。心と暮らしの豊かさを実感した旅でした。

【参考】
●前に富山を訪れた時の記録 富山<八尾・井波・五箇山>を巡る
●マイフォト「岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山」もごらんください。

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2009年5月 8日 (金)

高岡の町並み 山町筋・金屋町

 GW中の2日・3日と家族旅行で富山県の各地を廻ってきた。最初に訪れた「となみチューリップフェア」と3日に行った立山室堂の旅は別のブログに譲るとして、その間に家族にワガママを言って、高岡市山町筋と金屋町の町並み、さらに富山市岩瀬と五箇山にも寄ってきたので、その報告をしたい。
4938 高岡市は今年開町400年で、さまざまなイベントを実施している。その一つが土日祝日に実施している古城公園の水路をめぐる遊覧船の運航。家族サービスということもあり、まずはこのお濠めぐりの遊覧船に乗り込んだ。高岡城は加賀二代藩主前田利長の代に、高山右近の縄張りにより1609年に築城されたとされる。しかしわずか6年後の1615年、一国一城の令により廃城を余儀なくされ、武士団が引き上げた後の高岡を、三代藩主利常が町人の転出を禁じ、商工業の町へと転換させる政策を進めた結果、越中の米や綿の集散地として繁栄を続けたという。
 わずか6年間しか栄えなかったお城跡だが、鬱蒼とした林とお濠が今も残り、町の肺機能として、また市民の憩いの場として、いい雰囲気を醸している。この豊かな水がどこから湧き出ているのかは今も謎で、「封鎖された水面の汚れ対策が必要なんです」と観光ボランティアの女性がおっしゃっていたが、そうした努力も含めて、市民の精神的な求心装置として重要な役割を果たしていると言えそうだ。
 山町筋は古城公園からほど近く、国道156号線に平行して走る旧北陸道沿いの町並みだ。無料の観光駐車場が整備され、重要伝統的建造物群保存地区に指定される町並みには、土蔵造りのまち資料館と重要文化財菅野家住宅が有料公開されている。
4956 開町以来続く古い商業町だが、明治33年(1900年)に大火があり、その後防火に配慮した土蔵造りの町並みとして整備された。このためいずれも築100年前後の建物ではあるが、当時の繁栄を反映して、北山杉の長押や屋久杉の天井板など、贅を尽くした造りとなっている。
 旧室崎家である高岡市土蔵造りのまち資料館は、(株)蔵のまちスクエアが指定管理者として管理しており、観光ボランティアが丁寧な案内をしてくれる。通り土間やミセ・ナカノマ・ザシキの三間構成など商家らしい間取りで、黒壁塗込みの重厚な外観と紅殻の朱壁や細い桟割の障子などの繊細な内部意匠が対照的で面白い。また2階には前日開催された御車山祭り関係の展示がされている。1日違いで見られなかったのは何とも惜しいが、通りの各商家には昨日の祭りの飾り付けの名残が残っていた。
 (株)蔵のまちスクエアは、高岡ガスの菅野社長が全額出資して設立したまちづくり会社で、山町筋の活性化をめざしているという。2006年に設立されているのでもう3年が経過するが、ホームページが見当たらないので活動内容は今ひとつわからない。400年記念グッズの販売や喫茶店「山町茶屋」の出店等を行っているようなので、民間ベースでの観光活性化活動を行っているということなのだろう。
4944 その菅野社長の本家を公開しているのが重要文化財菅野家住宅である。鯱の乗った大きな箱棟や黒く塗り込められた2階壁に観音開きの分厚い窓扉、1階の細格子と両脇に立つ石柱、庇天井の鏝絵と庇を支えるアカンサス模様の入った鋳物支柱など、通りに面して圧倒的な存在感を示す立派な外観。内部も中国の伝承をテーマにした欄間彫刻、古風な鋳物製シャンデリア、屋久杉の天井板、朱壁の床の間など贅沢な造りになっている。さらに目を驚かすのが金の延べ板に浮き彫りをした仏壇。格天井など細かいところまで工作され、思わずみんなで覗き込む。ちなみにこの施設は管理事務を行う女性が案内をしてくれるが、明るく冗舌で忙しいと言いながら懇切丁寧に説明をしてくれる。今回、富山の各地を廻って何が一番うれしかったと言って、人の親切さ・純朴さがうれしかった。どこも本当に詳しく楽しく解説をしていただいた。
5004 次に向かったのが、金屋町。山筋から千保川を渡った北側に残るこの通りは、高岡開町以来、鋳物職人の町として発展してきた。当初は鍋釜や鋤鍬などの日用品の鉄鋳物の生産が主だったが、その後、釣鐘や仏具などの銅鋳物の産地として国内外に輸出・出荷をして今に至る。通りには「釜師○○」という看板が掲げられた家もいくつか見られ、今も元気に生産を続けている様子が垣間見られる。
 金屋緑地公園脇の無料駐車場(高岡市内はどこも無料駐車場が多いのがうれしい)に車を止め、まず高岡市鋳物資料館に入る。ここは旧若野家を改修して公開しているとのことだが、メインの展示室は奥にあって真新しい。ビデオで鋳物造りの現場を観賞し、古文書や鋳造・造形工具などを見せてもらう。通りに出ると、向かいに鋳物商。隣に鉄瓶を始め鋳物小物を売る鉄瓶屋。通りのところどころに鋳物製の若々しい像が展示されている。
4986 「千本格子の町並み」と称されているが、こちらは築150年から200年の江戸期の建物が多いようだ。表に町家が並び、細長い敷地の奥に吹場という共同作業場があり、それを土蔵で囲んで出火には細心の注意を払ってきたという。また、通りを歩くと、外壁を銅板で蔽った建物がいくつか見られ、鋳物の町という雰囲気を醸している。木造商家の屋根の上には明かり取りの吹き抜け天窓の壁が立ち上がっているのが見える。これは山筋にもあるようだが、造りが小さいためか、通りからよく見えうれしい。
 ひとしきり歩いた後、大野幸八郎商店と看板の立つ雑貨兼喫茶店に入った。畳にラグを敷き詰めた奥座敷で抹茶オーレを楽しむゆったりとしたひととき。月見障子に朱壁の床の間、築200年の民家は職人の家でもゆとりと繊細さが感じられる。
 町並みの東側にはキューポラと溶鉱炉があるというが、通りすがりに煉瓦煙突を見ただけでしっかりと見学する時間がなかった。翌日は富山市内に宿を取り、岩瀬の町並みを見て回ったが、長くなったので別のエントリーで報告する。

【参考】
●マイフォト「高岡の町並み 山町筋・金屋町」もごらんください。

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2008年8月 6日 (水)

松本市中町・蔵造り通

Photo このところ恒例となった車山高原避暑旅行は、少し趣向を変えて、中央道・諏訪ICを通り過ぎ、長坂ICから国道141号を北上。泉郷や清里、野辺山を通って松原湖から八ヶ岳に向かい、稲子湯からスタート。秘湯の一つに挙げられる温泉は、小さな内湯に石を積み上げた仕切りをはさんで夫婦二人きり。のんびり湯船に浸かり、家から持参した調理パンを食べる。
 麦草峠で時間をつぶし、夕方に車山高原に入る。暑かった名古屋を脱し、涼しさを満喫。「今年は例年よりも涼しく、7月始めまでストーブを使っていた」というオーナーの言葉がうらやましい。信じられない。地球温暖化はどこに行った!
Photo_2 翌朝、霧ヶ峰から八島湿原に向かい、涼風の中をしばし散策。ニッコウキスゲはもうほとんど終わり、ヤナギランのきれいな赤紫の花房が群生して緑の高原を彩っている。足下にはハクサンフウロやツリガネニンジン、ノアザミ、キンバイソウ。シシウドやチダケサシの白い花が目の前を遮り、ウグイスが鳴き交わす。
 美ヶ原高原美術館で食事を取り、須栗渓谷を通って、美ヶ原の西側まで回り、聳えるパラボラアンテナをながめる。2000mの高地はさすがに涼しい。いつまででもいたくなるが、そうもいかずそろそろ帰途へ。帰りに松本市へ寄る。
Photo_3 まずは開智学校。明治9年(1876年)築の擬洋風建築物は、唐破風に天使が舞い、水色のベランダ手すり壁に白い雲がまぶしい。この明るさが爽やかな気候によく似合う。続いてこの日お目当ての中町商店街に向かう。
 中町の中ほどにある中町・蔵シック館は、明治21年に建築された大禮酒造の建物を移築・復元したもので、通りに面して井戸のある広場と土蔵造りの喫茶室が整備され、母屋は広場を抱えて少し下がって整備されている。母屋の正面は黒壁に杉玉が下がり地味な雰囲気だが、妻面は白壁になまこ壁がめだつシックな外観。中に入ると豪壮な木組みが目を見張る。きれいに手入れされた中庭がよく見える喫茶室でまずは一服。
Photo_4 松本市は街なみ環境整備事業による地区整備に積極的に取り組んでおり、現在も3地区で事業実施中。中町地区は昭和63年から13年にかけて事業を実施し、既に完了している。中町・蔵シック館は地区のまちづくり拠点施設として整備されたもので、移築・復元等に国費が投入されている他、公衆トイレの整備や電線地中化、広場整備等も行われている。また、市のまちなみ修景事業による民間建築物のファサード改修補助(補助率2/3、300万円以内)も行われており、多くの建物で修景整備が行われ、特徴ある景観を形成している。
04 大橋通まで抜けた交差点には井戸のあるポケットパーク。そこから見返す景観もなかなか風情がある。ただし、ウィンドーショッピングを重ねた妻が言うには、なぜかアジアン小物の店や高価な古美術・民芸店などが多く、松本らしい土産物や食料品店などが少ないのが不満とのこと。元々は酒造業や呉服問屋などが多かったようだが、今は松本駅と松本城との間にあって、必ずしも観光客だけを相手にするのではない、個性的な店舗の並ぶ商店街をめざしているのだろうか。松本城などとの連携をねらい、市内循環バス・タウンスニーカーの運行や無料貸自転車・すいすいタウンを実施しているのも面白い。
Photo_5 妻の足がなかなか進まないので、一人でまちを歩き回ることにする。なまこ壁に挟まれた狭い路地を入っていくと、老朽化した小公園に面して中町神明宮。年季の入った鳥居が雰囲気を醸している。女鳥羽川沿いに戻り一ツ橋を渡ると、川向かいに立派な建物がそびえる。旧松本市役所跡に建設された市営上土住宅。1階は空き店舗になっていた。そのまま進むと、絵地図に「大正ロマンの街」と書かれた下町会館と東門の井戸がある。このあたりにも土蔵造りや雰囲気のある古い民家・商家がいくつもみられる。道を巡って戻ってくると、辰巳の庭公園。ここにも井戸が整備され、家族連れが涼を取っている。さらに道を進むと、なわて通り商店街にいたる。
Photo_6 松本城から下る大名町通りが女鳥羽川を渡る千歳橋(かつては大手橋と言っていた)から東の旧松本市役所にかけてのなわて通りは、大正期から戦前にかけて大層にぎわったようだが、女鳥羽川の氾濫等もあり次第に活気を失っていた。平成に入り女鳥羽川整備事業計画が策定され、再整備が政争の的になった時期もあったようだが、平成10年から整備事業が始まり13年に新店舗が完成。今のなわて通り商店街が再生する。「かえる大明神」を祀り、カエルをイメージキャラクターに新しい路地商店街としてがんばっている。妻と合流し、明治10年創業という蕎麦屋「弁天本店」で食事をし、サンドイッチを買って帰路につくことにした。
 今日も暑い。標高1500~2000mの車山高原の涼しさ、標高800mの松本の清々しさがなつかしい。そして松本の街は思った以上に元気だった。いいなあ。名古屋は今日もむちゃくちゃ暑くて元気も出ないんですけど・・・。
 マイフォトもごらんください。

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2008年2月 8日 (金)

常滑やきもの散歩道から足を伸ばして

Photo 今回のつばき展はINAXライブミュージアムも会場の一つとしたため、散歩道から足を伸ばしてINAXライブミュージアムまで歩いてみた。散歩道の東南「栄町七丁目」に交差点から常滑西小学校の東側をトコトコと南に向かう。

 と、黒壁の町家が並ぶ雰囲気のある通りに出る。陶彫のある商店街(とこなめ中央商店街)の東の端。紅白の台の上に展示された陶彫作品があちらこちらに設置されている。それらを見ながら東に歩くと、広い敷地の奥に洋館が建ち、門の左手に十二支の陶彫。右手に彫像。「伊奈」の表札。INAXの創業者・伊奈家。その立派な姿に感心しつつ、さらに足を伸ばしてINAXライブミュージアムにたどり着く。

Photo_2 INAX文化スクエアからライブミュージアムになっては初めての訪問。「世界タイル博物館」や「窯のある広場・資料館」、「陶楽工房」の各施設は変わらないが、「土・どろんこ館」と「ものづくり工房」が増設され、全体として伸び伸びしたいい空間をなしている。特に「土・どろんこ館」の版築壁はベージュ色のやさしい色合いに縄文時代を想像させるような力強さが感じられ圧倒される。その他にも見所は多く、体験型の施設もあって、家族連れでゆうに半日は過ごせる施設になっている。

Photo_3 と言いつつも、「陶楽工房」で展示されていた冨本泰二先生の「早春・椿一輪」を見せてもらい、そそくさと先を急ぐ。日祝日1時間1便運行のとことこバス12:47発に飛び乗る。乗車客は私を含めて2人。しかしバスも可愛いし、常滑駅からINAXライブミュージアムまで片道利用して、行きか帰りかどちらかを歩くのは、常滑を楽しむベストコースだと思う。

Photo_4 バスを神明社前で降りて、普段なら北へ上がるところを、並べられた陶彫に誘われて南に歩いてみた。噂には聞いていたが、その町並の面白さにドンドン引き込まれていった。下見板張、コールタール塗、格子窓などはどこにもある景観かもしれない。今や建替えられた家も多い。それでもかつて一番の繁華街だったとは思えないほどの狭く曲がりくねった道、道に面して表出される緑や陶作品等が独特の雰囲気を醸している。しばらく行くと本町大正館と銘打つRC造レンガ積風の古い建物が現れる。旧・中埜銀行常滑支店。大正6年築で今はギャラリー等に利用されている。

Photo_5 空地を隔てて南に行くと、白龍大神の社があり、さらに歩くと右手奥に古い2階建てRC造の事務所ビルが見える。1階1区画が通り抜けになっていて向こう側の倉庫が見える。壁に「常滑市役所」の嵌め込み石板とその下に「とこなめ中央商店街事務所」のプレート、ふくろうの陶彫。なんか不思議な気分。新四国64番札所・安全寺を過ぎると突然水辺に出る。出会橋。常滑港へ注ぐ大落川はここで二つの小川が合流し、橋が架かり、道が交差する。複雑な地形に木造3階建て、黒壁の家並み、陶彫が並ぶ川辺、からくり時計と招き猫の置かれたポケットパークなど、魅力的な空間が形作られている。

Photo_9 川に誘われ左折するも、塀の上に楽しい陶彫のおじいさんがこちらの路地も面白いぞ、と誘う。ふらふらと狭い路地を入り込み、ポッと出たのはINAXライブミュージアムの北の通り。ミュージアムとは反対側、西に向かって歩くとまたなかなかレトロな町並。狭い道の右側に土管ようかんが面白い鯉泉堂菓舖。ご主人の鯉江さんに声をかけ、昨年11月にオープンしたばかりの常磐蔵へ是非行くようにと教えてもらう。

Photo_6 からくり時計の広場の東のギャラリー常磐蔵はギャラリーと銘打つ割に何を展示しているのかわからず少し不安。思い切って入ってみると、障害者児童の作品に世間遺産の写真が展示されていた。世間遺産とは一昨年、2005年のあっちべたこっちべたフェスタに協賛して開催されたやきもの散歩道界隈の写真展。当時は共栄窯で展示をしていたが、今はこちらで展示がされているとは。それにしても「ここってどういうところ?」と留守番していた二人のおじさん、おばさんに思い切って聞いてみると、商店街が空家を活用して開設している無料休憩所とのこと。障害者支援団体「ねこの手」が管理をし、地元の小学生や老人会等の展示や授産所のクッキーなどを販売している。「さっきまで隣の広場でやっていたイベントの余り物の甘酒があるから飲みませんか?」と誘われ、それじゃとごちそうになった。甘酒とお茶をいただきながら、さまざまなお話を伺い、楽しかった。時が止まったようなこんな施設もいいですね。

Photo_8 さて、常磐蔵を出て、赤いポストの上の猫の郵便屋さんに見送られ、来た道をまた北に戻る。橋の手前には、レトロなモルタル塗りのレストラン「ときわ」。橋の北側、真っ白く塗られた建物はかつては何に使われていたんだろう。気になる。お茶の寿園、イチゴ大福の井桁屋、店先に懐かしい写真を飾った酒のトヨタヤ等々。お店を追っかけてもいずれもレトロで圧倒的に面白い。

 この後は、前に報告したとおり、旧渡辺邸でつばき展のお手伝いをして1日過ごして帰ったが、いつものやきもの散歩道に加えて、楽しい時間と空間を体感することができたなあと大満足でした。なお、やきもの散歩道界隈の景観も含めて、マイフォトに収録しました。併せてごらんください。

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2008年2月 4日 (月)

まちなみ・あれこれ

 日本各地には様々なまちなみがあります。これらのまちなみを見学することは楽しいですね。私が訪れたまちなみのいくつかをご紹介します。
 なお、これらの中には、主催者や建物所有者のご好意により敷地内・屋内へ入らせていただいたものもありますが、見学等される際には失礼のないよう十分ご注意ください。

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2007年11月24日 (土)

春日井・下街道・坂下宿

 高蔵寺ニュータウン自治会連絡協議会主催のニュータウン・ウォーキングがあったので参加した。高蔵寺NTの中心、東部市民センターに朝9時に集合、9時30分出発。参加者は60~70歳の高齢者を中心に50名ほど。同行し解説していただいた郷土史家の村中治彦先生を先頭に、キリッと冷え込む秋晴れの空の下、ニュータウン内を西に向かって歩き出す。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年10月27日 (土)

四間道・円頓寺 散歩

 10年ほど前、愛知建築士会の活動の一環として、名古屋市内に残る古い建物や町並みを訪問したことがあった。・・・しかし、名古屋駅の近くの四間道・円頓寺は昔から古い町並みが残るということで気にはなっていたけれど、きちんと歩いたことがなかった。今回名古屋駅まで歩く機会に、地図を片手に、機種変更で機能アップした携帯電話の機能確認も兼ねて歩いてみた。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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