内子・大洲 - 伊予を巡る
内子町は江戸末期から明治時代にかけて、木蝋の生産で賑わった山あいの町である。人口は2万人弱。果樹や椎茸など農業生産が主体で高齢化も進行している。昭和57年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され、平成11年度から17年度にかけて街なみ環境整備事業により住宅等の修景整備や通路、ポケットパーク等の整備を行った。この結果、今では年間50万人もの人々が訪れる観光地となり、私が訪れた日も多くの観光客が町並を歩いていた。
最北の町並駐車場でバスを降り、無電柱化・カラー舗装された通りを南に下っていく。まず右手に八日市・護国町並保存センターがある。白壁に格子、2階の丸い縁取りの虫籠窓、腰のなまこ壁が美しい。階段を上がった2階に街なみ環境整備事業の経緯や修景整備された住宅の従前・従後と建築主のコメントなどが展示されている。今では美しい内子の町並だが、多くの建物が修景されて現在の景観がつくられていることに驚いた。
いくつかの民家は店先に地場産品等を並べ店舗になっている。2階を見上げると白壁に黒い縁取りの格子まで塗り込めた虫籠窓。その間に鬼が笑っているような鏝絵が飾られている。
街なみ環境整備事業で整備した木橋を渡ると、右手にポケットパークがあり休憩所が整備されている。そのすぐ南の路地の先、瓦の乗った土塀の裏には内子中学校のグラウンドが広がっている。木造校舎も傾斜屋根で景観に配慮されている。
重要文化財の上芳我邸は修理工事中で、裏手に大きく廻った先に木蝋資料館の入口がある。展示棟は新しい建物だが、蔵風の造りで展示も見やすい。ちなみにクイズ全問正解で絵葉書をもらった。黒漆喰の上に「勢」に似た字が躍る白壁格子の民家の隣が中芳我邸だが、有料なため入らなかった。
しばらく行くと、鶴の文様の色鏝絵が妻面を飾る本芳我家が現れる。こちらも重要文化財。破風下のこの飾りを懸魚と言う。通りに面した平側の2階壁下には、鶴や亀が波や風に遊ぶ鏝絵が並べられ、2階のなまこ壁の平瓦は六角形のものが用いられている。また隣に並ぶ砂ずり壁の妻入りの蔵も見事。朝日をバックにした鶴鏝絵の懸魚が艶めかしい。
その隣にあるのが大村家。同じく重要文化財でこの通りで一番古い建物ということだが、まだ整備前で言われなければ見落としてしまいかねない。町役場からは「上芳我邸の修理工事が終わった後、来年度から修景整備に入る予定です。」という話を聞いた。街なみ環境整備事業による修景整備は、補助率2/3で補助限度額が500万円。重要伝統的建造物群保存地区の文化庁補助の場合は、補助率80%で限度額も無制限になるという。重伝建補助は文化庁予算が少なくそれほど多くは採択されないと聞いたが、それでも毎年2~3棟は整備をしてきているとのこと。また、地区内で建物の整備等を行うためには町の許可が必要で、許可証を掲示して工事をされている住宅も見られた。
さらに足を進める。各住宅を見ると、ベージュ色の壁のもの、防火壁が飛び出たもの、側壁の下部が滑らかにカーブを描くもの、虫籠窓の間に文様の入ったもの、窓下に床几が広げられ商品が並べられている家などそれぞれ工夫を凝らした意匠が取り入れられ、その多様さに驚く。寺社に至る路地は石畳舗装がされていた。これも街なみ環境整備事業によるもの。通りは緩やかにカーブを描き、一部クランクする箇所もあって、整備されたアイストップの建物が目に快い。
少し下ると東側に旭館(映画館)の看板があった。路地を入ると確かにそれらしい建物が朽ち果てて残っていた。大森和ろうそく店は定休日で残念ながら見ることはできなかった。角の小川医院は景観に配慮して建てられた新建築。伊予銀行内子支店も頭部の飾りが雰囲気を出している。
八日市・護国通りの南端の交差点を東に行くと、文化交流ヴィラ「高橋邸」。これはアサヒビール株式会社元会長・故高橋吉隆氏の遺族から寄贈された民家で、広い敷地に幾棟もの木造家屋が並び、往時の繁栄を偲ばせる。
戻って交差点から西が六日市本通り。この通り沿いにも古い景観の建物がいくつも並んでいる。蕎麦の下芳我家の懸魚は真っ白い鶴の鏝絵。赤い目が通りを見下ろす。「商いと暮らし博物館」は内子町歴史民俗資料館で、薬商「佐野薬局」の商家を公開展示しているもの。薬棚が並ぶ正面のミセノマには2体の人形が往時の雰囲気さながらに並べられ雰囲気を醸しているが、館内にはそこかしこに人形が並べられ、それらが突然話し出すので少しびっくりする。主屋2階から町内の蔵の家並みを眺めて一時のんびりする。
内子児童館は旧化育小学校として明治12年に建築され、現在まで利用され続けている洋風木造建築物。隣の内子町立図書館は昭和11年建築の旧内子警察署で、小振りだが上方へ伸びる窓頭頂部のアールが時代を感じさせる。
通りを少しはずれた奥にあるのが、木造劇場の内子座。大正5年の建築で、昭和60年に修理が終わって再オープンした。現在も年間80日近くは劇場として利用されているそうで、歌舞伎の次回公演案内のポスターも掲示されていた。館内は2階席もある枡席で、舞台には回り舞台やせりあがり、花道などもあり、本格的な歌舞伎上演もできるようになっている。奈落も見学できるが、これらの設備は今回の改修整備で付け加えられたものらしい。
さてこのあと食事をしてからJR内子線を大洲へ向かう。
大洲は伊予の小京都と呼ばれ、肱川に面して落ち着いた町並が魅力。鵜飼いでも有名。あいにく大洲に着くと同時にすごい雨が降り出し、タクシーを使って「まちの駅 あさもや」に向かう。観光案内所でパンフレットを仕入れ、すぐ隣のおはなはん通りから歩き出す。昭和41年にNHK朝の連続テレビ小説で樫山文枝が演じて驚異的な視聴率を記録した「おはなはん」の舞台、ロケ地として今もきれいに整備保存されている。通りの片側を流れる水路には花が飾られ、白壁の家並みともども清楚な雰囲気を醸している。そのうちの1軒は休憩所として公開展示されている。
突き当たりの通りは観光マップには「明治の家並」と記載されているが、狭い路地に小振りで瀟洒な家並みが続く静かな通りである。石張舗装の道を往復して、臥龍山荘への坂道を上っていく。
臥龍山荘は明治の貿易商・河内寅次郎が桂離宮などを参考に、贅の限りを尽くして建築した数寄屋造りの山荘で、臥龍院、知止庵、不老庵の3つの建物が建っている。3間からなる臥龍院は主屋で、柱の1本、1枚の欄間や障子、金具や天井に至るまで、細やかで見事な装飾と工夫が施されている。また知止庵は茶室、不老庵は崖上の舞台造りで、穹窿状にカーブを描いた竹網代張りの天井は見事。また生きた槇の木を使った「捨て柱」が今も軒下に残っているのも面白い。
雨がひどく早々に臥龍山荘を退散。無味乾燥な堤防内の肱川沿いを強い雨に打たれながら「おおず赤煉瓦館」まで歩く。明治34年に建築された元大洲商業銀行で、別棟の金庫棟などがある。裏手に昭和30年代を再現したと思われるポコペン横丁や思ひ出倉庫などがあるが、雨の中、閑散として閉じられていた。
川に張り出し建築された大洲城は、平成16年に再建された新しいものだが、川に映って印象的な景観を見せている。帰りの車中で話した運転手さんによれば、大洲の町もこの古い町並から駅前周辺へ、さらに最近は国道沿いへと町の中心が移り、まちの様相が大きく変化しているという。駅に着いたら一転きれいに晴れ上がった。もう一度しっかり時間を取って出直せということだろうか。今度は宇和島にも足を伸ばしたい。いつになることか。
【参考】
マイフォト「内子・大洲 - 伊予を巡る」もごらんください。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

数年前、小布施に行った帰りに、蔵造りの町並みを通り過ぎ、ここはどこかと思ったことがある。須坂と知って、一度じっくり訪れたいと思っていた。今回、志賀高原へ行った帰りに、今度は小布施を素通りして須坂を訪れた。
向かいの民家や斜め向かいの「蔵のまち観光交流センター」など、この界隈には立派な民家が軒を連ねている。しばらく歩くと右手に広場が開け、奥に3階建ての豪壮な蔵がそびえている。「須坂市ふれあい館 まゆぐら」で、近くの製糸工場にあった倉庫を移築して開館をした展示施設だ。
交差点の先にある蔵造り風の建物が傘鉾会館である。内部には2階吹き抜けで毎年7月の祇園祭に町内を巡行する傘鉾屋台が展示されている。この後、いったん車に戻って、中町・新町・常盤町界隈に移動した。
再度、車に乗り込み、本町通りを南に移動する。観音通りと名前が変わった先にも、古い建物が散見される。左手に大きな富士通の工場があり、構内には迎賓館があるそうだが、外部からは全く窺うことができない。残念。
須坂の帰りにもう一つ、かねがね訪問したいと思っていた松代に足を伸ばした。着いたのは夕方の5時前で、展示施設は閉館した後だった。観光案内所でおすすめの飲食店を教えてもらい、そこが開店する6時まで、車で外観だけでもと見て回った。松代と言えば真田藩。真田邸は整備工事中で土塀を見るだけだが、その南の立派な民家。文武学校と旧白井家の表門。旧横田家住宅を門塀越しに。矢沢家表門も相当な迫力。しかしこれらの施設は真田邸のある公園周辺に散立し、町並としての連続的な景観は形成していない。あとは入館料を払って史跡めぐりということなので、私の趣味としてはこれで十分かな、という感じ。夕食を食べた「食いしん坊 かじや」がとにかく美味で、松代一番の収穫だった。
今やすっかり定着した夏休み最初の3連休。どこも行かずに過ぎ去ろうとした連休の最終日、3年前に訪れた美濃市がいいからと妻を誘って、「うだつのあがる町並み 美濃市」をめざした。美濃ICまで小1時間。昼食はさらに15分ほど山間に入った洞戸観光ヤナで楽しんだが、その様子は別のブログに書いたので、こちらでは美濃市の町並みを紹介する。
旧今井家の手前、「山根 和紙の店」で引っかかる。建物自体は新しいと思うけれど、美濃和紙を扱い、可愛らしいディスプレイで女性で賑わっていた。旧今井家住宅・美濃史料館は奥にいくつも蔵が続き、和紙問屋の盛時の様子を窺わせる。店の間の天井にある明かり取りが美しい。
「百春蔵元 小坂酒造場」はむくり屋根の重文に指定された立派な造りだ。奥の蔵をギャラリーに開放しており、深井戸なども見ることができる。お酒は飲めなくて申し訳ないけど、建物は十分楽しませてもらった。
3年前に閉店したスーパーだった店舗は、おしゃれなブティックに生まれ変わっていた。伝統的な造りではないけれど、きれいにリフォームされ、町並みのじゃまはしていない。
目の字をぐるっと約2時間半。駐車場に戻って帰路につく。帰りに旧名鉄美濃駅に寄ってみた。赤・赤・緑と可愛い車両が3両並び、懐かしい鉄道グッズが売られている。駅舎も山型屋根のシンメトリーな造りで可愛かった。
翌日は富山市のみなと町・岩瀬を訪れた。コンパクトシティの優等生として青森と並んで名高い富山市だが、その象徴的公共交通である富山ライトレールの終点近く、東岩瀬駅から先の神通川沿いに岩瀬大町の家々が並んでいる。岩瀬は北前船の拠点として多くの回船問屋が並び、肥料や日用物資の運搬・交易でたいそう繁栄したという。
微に入り細に入る明るく楽しい解説の後、町並みを見学して歩く。隣家の馬場家は公開されていないが、森家以上に立派な造り。さらに現北陸銀行の邸宅にはさらにも立派な座敷があるとのこと。馬場家の正面にはポケットパークが整備され、公衆便所が設置されている。また、妻入りの田尻酒店や奥行き60mの土蔵蔵、さらに和菓子屋や蕎麦屋など多くの魅力的な商家がきれいに景観整備され並んでいる。ちなみに富山市は岩瀬民間建築物の修景整備に対して、500~150万円かつ補助率70%の修景事業補助を行っており、富山県も市町村負担の1/2を上限とする景観補助を実施している。
五箇山ICに着いたのは6時過ぎ。ICの眼下に見える菅沼集落は観光客も消え失せ、駐車場もひっそりとしていた。ウシガエルの声ばかりが鳴り響く静かな村里。白川郷よりは小振りな合掌造りの2階・3階の窓から明かりがこぼれ、それを頼りに田んぼを囲む集落を歩いて廻る。店じまいを急ぐ土産物屋が4軒ほど。いくらか土産を買って車に戻る。
高岡市は今年開町400年で、さまざまなイベントを実施している。その一つが土日祝日に実施している古城公園の水路をめぐる遊覧船の運航。家族サービスということもあり、まずはこのお濠めぐりの遊覧船に乗り込んだ。高岡城は加賀二代藩主前田利長の代に、高山右近の縄張りにより1609年に築城されたとされる。しかしわずか6年後の1615年、一国一城の令により廃城を余儀なくされ、武士団が引き上げた後の高岡を、三代藩主利常が町人の転出を禁じ、商工業の町へと転換させる政策を進めた結果、越中の米や綿の集散地として繁栄を続けたという。
開町以来続く古い商業町だが、明治33年(1900年)に大火があり、その後防火に配慮した土蔵造りの町並みとして整備された。このためいずれも築100年前後の建物ではあるが、当時の繁栄を反映して、北山杉の長押や屋久杉の天井板など、贅を尽くした造りとなっている。
その菅野社長の本家を公開しているのが重要文化財菅野家住宅である。鯱の乗った大きな箱棟や黒く塗り込められた2階壁に観音開きの分厚い窓扉、1階の細格子と両脇に立つ石柱、庇天井の鏝絵と庇を支えるアカンサス模様の入った鋳物支柱など、通りに面して圧倒的な存在感を示す立派な外観。内部も中国の伝承をテーマにした欄間彫刻、古風な鋳物製シャンデリア、屋久杉の天井板、朱壁の床の間など贅沢な造りになっている。さらに目を驚かすのが金の延べ板に浮き彫りをした仏壇。格天井など細かいところまで工作され、思わずみんなで覗き込む。ちなみにこの施設は管理事務を行う女性が案内をしてくれるが、明るく冗舌で忙しいと言いながら懇切丁寧に説明をしてくれる。今回、富山の各地を廻って何が一番うれしかったと言って、人の親切さ・純朴さがうれしかった。どこも本当に詳しく楽しく解説をしていただいた。
次に向かったのが、金屋町。山筋から千保川を渡った北側に残るこの通りは、高岡開町以来、鋳物職人の町として発展してきた。当初は鍋釜や鋤鍬などの日用品の鉄鋳物の生産が主だったが、その後、釣鐘や仏具などの銅鋳物の産地として国内外に輸出・出荷をして今に至る。通りには「釜師○○」という看板が掲げられた家もいくつか見られ、今も元気に生産を続けている様子が垣間見られる。
「千本格子の町並み」と称されているが、こちらは築150年から200年の江戸期の建物が多いようだ。表に町家が並び、細長い敷地の奥に吹場という共同作業場があり、それを土蔵で囲んで出火には細心の注意を払ってきたという。また、通りを歩くと、外壁を銅板で蔽った建物がいくつか見られ、鋳物の町という雰囲気を醸している。木造商家の屋根の上には明かり取りの吹き抜け天窓の壁が立ち上がっているのが見える。これは山筋にもあるようだが、造りが小さいためか、通りからよく見えうれしい。














