まちなみ・あれこれ

2009年5月 9日 (土)

岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山

5010 翌日は富山市のみなと町・岩瀬を訪れた。コンパクトシティの優等生として青森と並んで名高い富山市だが、その象徴的公共交通である富山ライトレールの終点近く、東岩瀬駅から先の神通川沿いに岩瀬大町の家々が並んでいる。岩瀬は北前船の拠点として多くの回船問屋が並び、肥料や日用物資の運搬・交易でたいそう繁栄したという。
 見学をした北前船回船問屋「森家」も豪壮な木組みも露わに、能登材、屋久杉、朱壁塗りと剛胆・繊細な造形を見せている。2階表の使用人部屋に北山絞りの床柱、2回裏の女中部屋にも裁縫ができる明るい窓が設けられ、使用人を大事にしてしっかり働いてもらおうという商売人らしい簡素で合理的な造りとなっている。
5024 微に入り細に入る明るく楽しい解説の後、町並みを見学して歩く。隣家の馬場家は公開されていないが、森家以上に立派な造り。さらに現北陸銀行の邸宅にはさらにも立派な座敷があるとのこと。馬場家の正面にはポケットパークが整備され、公衆便所が設置されている。また、妻入りの田尻酒店や奥行き60mの土蔵蔵、さらに和菓子屋や蕎麦屋など多くの魅力的な商家がきれいに景観整備され並んでいる。ちなみに富山市は岩瀬民間建築物の修景整備に対して、500~150万円かつ補助率70%の修景事業補助を行っており、富山県も市町村負担の1/2を上限とする景観補助を実施している。
 この後、家族サービスで立山黒部アルペンルートの雪の大谷ウォークを楽しみ、夕刻に立山駅まで戻ってきた。帰りの東海北陸自動車道が渋滞していたため、富山県内でもう少しゆっくりしようと五箇山を見て帰ることにした。
5150 五箇山ICに着いたのは6時過ぎ。ICの眼下に見える菅沼集落は観光客も消え失せ、駐車場もひっそりとしていた。ウシガエルの声ばかりが鳴り響く静かな村里。白川郷よりは小振りな合掌造りの2階・3階の窓から明かりがこぼれ、それを頼りに田んぼを囲む集落を歩いて廻る。店じまいを急ぐ土産物屋が4軒ほど。いくらか土産を買って車に戻る。
 せっかくなので相倉集落まで車を走らせる。着いた頃にはすっかり暗闇。足下の外灯と合掌造りから漏れる明かりだけの幻想的な世界。生活の邪魔をしないようにと静寂を味わって集落を離れた。
 駆け足で廻った富山・高岡の町並み。豊かな風土に培われた人柄と景観を満喫。心と暮らしの豊かさを実感した旅でした。

【参考】
●前に富山を訪れた時の記録 富山<八尾・井波・五箇山>を巡る
●マイフォト「岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山」もごらんください。

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2009年5月 8日 (金)

高岡の町並み 山町筋・金屋町

 GW中の2日・3日と家族旅行で富山県の各地を廻ってきた。最初に訪れた「となみチューリップフェア」と3日に行った立山室堂の旅は別のブログに譲るとして、その間に家族にワガママを言って、高岡市山町筋と金屋町の町並み、さらに富山市岩瀬と五箇山にも寄ってきたので、その報告をしたい。
4938 高岡市は今年開町400年で、さまざまなイベントを実施している。その一つが土日祝日に実施している古城公園の水路をめぐる遊覧船の運航。家族サービスということもあり、まずはこのお濠めぐりの遊覧船に乗り込んだ。高岡城は加賀二代藩主前田利長の代に、高山右近の縄張りにより1609年に築城されたとされる。しかしわずか6年後の1615年、一国一城の令により廃城を余儀なくされ、武士団が引き上げた後の高岡を、三代藩主利常が町人の転出を禁じ、商工業の町へと転換させる政策を進めた結果、越中の米や綿の集散地として繁栄を続けたという。
 わずか6年間しか栄えなかったお城跡だが、鬱蒼とした林とお濠が今も残り、町の肺機能として、また市民の憩いの場として、いい雰囲気を醸している。この豊かな水がどこから湧き出ているのかは今も謎で、「封鎖された水面の汚れ対策が必要なんです」と観光ボランティアの女性がおっしゃっていたが、そうした努力も含めて、市民の精神的な求心装置として重要な役割を果たしていると言えそうだ。
 山町筋は古城公園からほど近く、国道156号線に平行して走る旧北陸道沿いの町並みだ。無料の観光駐車場が整備され、重要伝統的建造物群保存地区に指定される町並みには、土蔵造りのまち資料館と重要文化財菅野家住宅が有料公開されている。
4956 開町以来続く古い商業町だが、明治33年(1900年)に大火があり、その後防火に配慮した土蔵造りの町並みとして整備された。このためいずれも築100年前後の建物ではあるが、当時の繁栄を反映して、北山杉の長押や屋久杉の天井板など、贅を尽くした造りとなっている。
 旧室崎家である高岡市土蔵造りのまち資料館は、(株)蔵のまちスクエアが指定管理者として管理しており、観光ボランティアが丁寧な案内をしてくれる。通り土間やミセ・ナカノマ・ザシキの三間構成など商家らしい間取りで、黒壁塗込みの重厚な外観と紅殻の朱壁や細い桟割の障子などの繊細な内部意匠が対照的で面白い。また2階には前日開催された御車山祭り関係の展示がされている。1日違いで見られなかったのは何とも惜しいが、通りの各商家には昨日の祭りの飾り付けの名残が残っていた。
 (株)蔵のまちスクエアは、高岡ガスの菅野社長が全額出資して設立したまちづくり会社で、山町筋の活性化をめざしているという。2006年に設立されているのでもう3年が経過するが、ホームページが見当たらないので活動内容は今ひとつわからない。400年記念グッズの販売や喫茶店「山町茶屋」の出店等を行っているようなので、民間ベースでの観光活性化活動を行っているということなのだろう。
4944 その菅野社長の本家を公開しているのが重要文化財菅野家住宅である。鯱の乗った大きな箱棟や黒く塗り込められた2階壁に観音開きの分厚い窓扉、1階の細格子と両脇に立つ石柱、庇天井の鏝絵と庇を支えるアカンサス模様の入った鋳物支柱など、通りに面して圧倒的な存在感を示す立派な外観。内部も中国の伝承をテーマにした欄間彫刻、古風な鋳物製シャンデリア、屋久杉の天井板、朱壁の床の間など贅沢な造りになっている。さらに目を驚かすのが金の延べ板に浮き彫りをした仏壇。格天井など細かいところまで工作され、思わずみんなで覗き込む。ちなみにこの施設は管理事務を行う女性が案内をしてくれるが、明るく冗舌で忙しいと言いながら懇切丁寧に説明をしてくれる。今回、富山の各地を廻って何が一番うれしかったと言って、人の親切さ・純朴さがうれしかった。どこも本当に詳しく楽しく解説をしていただいた。
5004 次に向かったのが、金屋町。山筋から千保川を渡った北側に残るこの通りは、高岡開町以来、鋳物職人の町として発展してきた。当初は鍋釜や鋤鍬などの日用品の鉄鋳物の生産が主だったが、その後、釣鐘や仏具などの銅鋳物の産地として国内外に輸出・出荷をして今に至る。通りには「釜師○○」という看板が掲げられた家もいくつか見られ、今も元気に生産を続けている様子が垣間見られる。
 金屋緑地公園脇の無料駐車場(高岡市内はどこも無料駐車場が多いのがうれしい)に車を止め、まず高岡市鋳物資料館に入る。ここは旧若野家を改修して公開しているとのことだが、メインの展示室は奥にあって真新しい。ビデオで鋳物造りの現場を観賞し、古文書や鋳造・造形工具などを見せてもらう。通りに出ると、向かいに鋳物商。隣に鉄瓶を始め鋳物小物を売る鉄瓶屋。通りのところどころに鋳物製の若々しい像が展示されている。
4986 「千本格子の町並み」と称されているが、こちらは築150年から200年の江戸期の建物が多いようだ。表に町家が並び、細長い敷地の奥に吹場という共同作業場があり、それを土蔵で囲んで出火には細心の注意を払ってきたという。また、通りを歩くと、外壁を銅板で蔽った建物がいくつか見られ、鋳物の町という雰囲気を醸している。木造商家の屋根の上には明かり取りの吹き抜け天窓の壁が立ち上がっているのが見える。これは山筋にもあるようだが、造りが小さいためか、通りからよく見えうれしい。
 ひとしきり歩いた後、大野幸八郎商店と看板の立つ雑貨兼喫茶店に入った。畳にラグを敷き詰めた奥座敷で抹茶オーレを楽しむゆったりとしたひととき。月見障子に朱壁の床の間、築200年の民家は職人の家でもゆとりと繊細さが感じられる。
 町並みの東側にはキューポラと溶鉱炉があるというが、通りすがりに煉瓦煙突を見ただけでしっかりと見学する時間がなかった。翌日は富山市内に宿を取り、岩瀬の町並みを見て回ったが、長くなったので別のエントリーで報告する。

【参考】
●マイフォト「高岡の町並み 山町筋・金屋町」もごらんください。

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2008年8月 6日 (水)

松本市中町・蔵造り通

Photo このところ恒例となった車山高原避暑旅行は、少し趣向を変えて、中央道・諏訪ICを通り過ぎ、長坂ICから国道141号を北上。泉郷や清里、野辺山を通って松原湖から八ヶ岳に向かい、稲子湯からスタート。秘湯の一つに挙げられる温泉は、小さな内湯に石を積み上げた仕切りをはさんで夫婦二人きり。のんびり湯船に浸かり、家から持参した調理パンを食べる。
 麦草峠で時間をつぶし、夕方に車山高原に入る。暑かった名古屋を脱し、涼しさを満喫。「今年は例年よりも涼しく、7月始めまでストーブを使っていた」というオーナーの言葉がうらやましい。信じられない。地球温暖化はどこに行った!
Photo_2 翌朝、霧ヶ峰から八島湿原に向かい、涼風の中をしばし散策。ニッコウキスゲはもうほとんど終わり、ヤナギランのきれいな赤紫の花房が群生して緑の高原を彩っている。足下にはハクサンフウロやツリガネニンジン、ノアザミ、キンバイソウ。シシウドやチダケサシの白い花が目の前を遮り、ウグイスが鳴き交わす。
 美ヶ原高原美術館で食事を取り、須栗渓谷を通って、美ヶ原の西側まで回り、聳えるパラボラアンテナをながめる。2000mの高地はさすがに涼しい。いつまででもいたくなるが、そうもいかずそろそろ帰途へ。帰りに松本市へ寄る。
Photo_3 まずは開智学校。明治9年(1876年)築の擬洋風建築物は、唐破風に天使が舞い、水色のベランダ手すり壁に白い雲がまぶしい。この明るさが爽やかな気候によく似合う。続いてこの日お目当ての中町商店街に向かう。
 中町の中ほどにある中町・蔵シック館は、明治21年に建築された大禮酒造の建物を移築・復元したもので、通りに面して井戸のある広場と土蔵造りの喫茶室が整備され、母屋は広場を抱えて少し下がって整備されている。母屋の正面は黒壁に杉玉が下がり地味な雰囲気だが、妻面は白壁になまこ壁がめだつシックな外観。中に入ると豪壮な木組みが目を見張る。きれいに手入れされた中庭がよく見える喫茶室でまずは一服。
Photo_4 松本市は街なみ環境整備事業による地区整備に積極的に取り組んでおり、現在も3地区で事業実施中。中町地区は昭和63年から13年にかけて事業を実施し、既に完了している。中町・蔵シック館は地区のまちづくり拠点施設として整備されたもので、移築・復元等に国費が投入されている他、公衆トイレの整備や電線地中化、広場整備等も行われている。また、市のまちなみ修景事業による民間建築物のファサード改修補助(補助率2/3、300万円以内)も行われており、多くの建物で修景整備が行われ、特徴ある景観を形成している。
04 大橋通まで抜けた交差点には井戸のあるポケットパーク。そこから見返す景観もなかなか風情がある。ただし、ウィンドーショッピングを重ねた妻が言うには、なぜかアジアン小物の店や高価な古美術・民芸店などが多く、松本らしい土産物や食料品店などが少ないのが不満とのこと。元々は酒造業や呉服問屋などが多かったようだが、今は松本駅と松本城との間にあって、必ずしも観光客だけを相手にするのではない、個性的な店舗の並ぶ商店街をめざしているのだろうか。松本城などとの連携をねらい、市内循環バス・タウンスニーカーの運行や無料貸自転車・すいすいタウンを実施しているのも面白い。
Photo_5 妻の足がなかなか進まないので、一人でまちを歩き回ることにする。なまこ壁に挟まれた狭い路地を入っていくと、老朽化した小公園に面して中町神明宮。年季の入った鳥居が雰囲気を醸している。女鳥羽川沿いに戻り一ツ橋を渡ると、川向かいに立派な建物がそびえる。旧松本市役所跡に建設された市営上土住宅。1階は空き店舗になっていた。そのまま進むと、絵地図に「大正ロマンの街」と書かれた下町会館と東門の井戸がある。このあたりにも土蔵造りや雰囲気のある古い民家・商家がいくつもみられる。道を巡って戻ってくると、辰巳の庭公園。ここにも井戸が整備され、家族連れが涼を取っている。さらに道を進むと、なわて通り商店街にいたる。
Photo_6 松本城から下る大名町通りが女鳥羽川を渡る千歳橋(かつては大手橋と言っていた)から東の旧松本市役所にかけてのなわて通りは、大正期から戦前にかけて大層にぎわったようだが、女鳥羽川の氾濫等もあり次第に活気を失っていた。平成に入り女鳥羽川整備事業計画が策定され、再整備が政争の的になった時期もあったようだが、平成10年から整備事業が始まり13年に新店舗が完成。今のなわて通り商店街が再生する。「かえる大明神」を祀り、カエルをイメージキャラクターに新しい路地商店街としてがんばっている。妻と合流し、明治10年創業という蕎麦屋「弁天本店」で食事をし、サンドイッチを買って帰路につくことにした。
 今日も暑い。標高1500~2000mの車山高原の涼しさ、標高800mの松本の清々しさがなつかしい。そして松本の街は思った以上に元気だった。いいなあ。名古屋は今日もむちゃくちゃ暑くて元気も出ないんですけど・・・。
 マイフォトもごらんください。

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2008年2月 8日 (金)

常滑やきもの散歩道から足を伸ばして

Photo 今回のつばき展はINAXライブミュージアムも会場の一つとしたため、散歩道から足を伸ばしてINAXライブミュージアムまで歩いてみた。散歩道の東南「栄町七丁目」に交差点から常滑西小学校の東側をトコトコと南に向かう。

 と、黒壁の町家が並ぶ雰囲気のある通りに出る。陶彫のある商店街(とこなめ中央商店街)の東の端。紅白の台の上に展示された陶彫作品があちらこちらに設置されている。それらを見ながら東に歩くと、広い敷地の奥に洋館が建ち、門の左手に十二支の陶彫。右手に彫像。「伊奈」の表札。INAXの創業者・伊奈家。その立派な姿に感心しつつ、さらに足を伸ばしてINAXライブミュージアムにたどり着く。

Photo_2 INAX文化スクエアからライブミュージアムになっては初めての訪問。「世界タイル博物館」や「窯のある広場・資料館」、「陶楽工房」の各施設は変わらないが、「土・どろんこ館」と「ものづくり工房」が増設され、全体として伸び伸びしたいい空間をなしている。特に「土・どろんこ館」の版築壁はベージュ色のやさしい色合いに縄文時代を想像させるような力強さが感じられ圧倒される。その他にも見所は多く、体験型の施設もあって、家族連れでゆうに半日は過ごせる施設になっている。

Photo_3 と言いつつも、「陶楽工房」で展示されていた冨本泰二先生の「早春・椿一輪」を見せてもらい、そそくさと先を急ぐ。日祝日1時間1便運行のとことこバス12:47発に飛び乗る。乗車客は私を含めて2人。しかしバスも可愛いし、常滑駅からINAXライブミュージアムまで片道利用して、行きか帰りかどちらかを歩くのは、常滑を楽しむベストコースだと思う。

Photo_4 バスを神明社前で降りて、普段なら北へ上がるところを、並べられた陶彫に誘われて南に歩いてみた。噂には聞いていたが、その町並の面白さにドンドン引き込まれていった。下見板張、コールタール塗、格子窓などはどこにもある景観かもしれない。今や建替えられた家も多い。それでもかつて一番の繁華街だったとは思えないほどの狭く曲がりくねった道、道に面して表出される緑や陶作品等が独特の雰囲気を醸している。しばらく行くと本町大正館と銘打つRC造レンガ積風の古い建物が現れる。旧・中埜銀行常滑支店。大正6年築で今はギャラリー等に利用されている。

Photo_5 空地を隔てて南に行くと、白龍大神の社があり、さらに歩くと右手奥に古い2階建てRC造の事務所ビルが見える。1階1区画が通り抜けになっていて向こう側の倉庫が見える。壁に「常滑市役所」の嵌め込み石板とその下に「とこなめ中央商店街事務所」のプレート、ふくろうの陶彫。なんか不思議な気分。新四国64番札所・安全寺を過ぎると突然水辺に出る。出会橋。常滑港へ注ぐ大落川はここで二つの小川が合流し、橋が架かり、道が交差する。複雑な地形に木造3階建て、黒壁の家並み、陶彫が並ぶ川辺、からくり時計と招き猫の置かれたポケットパークなど、魅力的な空間が形作られている。

Photo_9 川に誘われ左折するも、塀の上に楽しい陶彫のおじいさんがこちらの路地も面白いぞ、と誘う。ふらふらと狭い路地を入り込み、ポッと出たのはINAXライブミュージアムの北の通り。ミュージアムとは反対側、西に向かって歩くとまたなかなかレトロな町並。狭い道の右側に土管ようかんが面白い鯉泉堂菓舖。ご主人の鯉江さんに声をかけ、昨年11月にオープンしたばかりの常磐蔵へ是非行くようにと教えてもらう。

Photo_6 からくり時計の広場の東のギャラリー常磐蔵はギャラリーと銘打つ割に何を展示しているのかわからず少し不安。思い切って入ってみると、障害者児童の作品に世間遺産の写真が展示されていた。世間遺産とは一昨年、2005年のあっちべたこっちべたフェスタに協賛して開催されたやきもの散歩道界隈の写真展。当時は共栄窯で展示をしていたが、今はこちらで展示がされているとは。それにしても「ここってどういうところ?」と留守番していた二人のおじさん、おばさんに思い切って聞いてみると、商店街が空家を活用して開設している無料休憩所とのこと。障害者支援団体「ねこの手」が管理をし、地元の小学生や老人会等の展示や授産所のクッキーなどを販売している。「さっきまで隣の広場でやっていたイベントの余り物の甘酒があるから飲みませんか?」と誘われ、それじゃとごちそうになった。甘酒とお茶をいただきながら、さまざまなお話を伺い、楽しかった。時が止まったようなこんな施設もいいですね。

Photo_8 さて、常磐蔵を出て、赤いポストの上の猫の郵便屋さんに見送られ、来た道をまた北に戻る。橋の手前には、レトロなモルタル塗りのレストラン「ときわ」。橋の北側、真っ白く塗られた建物はかつては何に使われていたんだろう。気になる。お茶の寿園、イチゴ大福の井桁屋、店先に懐かしい写真を飾った酒のトヨタヤ等々。お店を追っかけてもいずれもレトロで圧倒的に面白い。

 この後は、前に報告したとおり、旧渡辺邸でつばき展のお手伝いをして1日過ごして帰ったが、いつものやきもの散歩道に加えて、楽しい時間と空間を体感することができたなあと大満足でした。なお、やきもの散歩道界隈の景観も含めて、マイフォトに収録しました。併せてごらんください。

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2008年2月 4日 (月)

まちなみ・あれこれ

 日本各地には様々なまちなみがあります。これらのまちなみを見学することは楽しいですね。私が訪れたまちなみのいくつかをご紹介します。
 なお、これらの中には、主催者や建物所有者のご好意により敷地内・屋内へ入らせていただいたものもありますが、見学等される際には失礼のないよう十分ご注意ください。

 2007年以前の記録はこちらへ    2001年以前の記録はこちらへ

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2007年11月24日 (土)

春日井・下街道・坂下宿

 高蔵寺ニュータウン自治会連絡協議会主催のニュータウン・ウォーキングがあったので参加した。高蔵寺NTの中心、東部市民センターに朝9時に集合、9時30分出発。参加者は60~70歳の高齢者を中心に50名ほど。同行し解説していただいた郷土史家の村中治彦先生を先頭に、キリッと冷え込む秋晴れの空の下、ニュータウン内を西に向かって歩き出す。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年10月27日 (土)

四間道・円頓寺 散歩

 10年ほど前、愛知建築士会の活動の一環として、名古屋市内に残る古い建物や町並みを訪問したことがあった。・・・しかし、名古屋駅の近くの四間道・円頓寺は昔から古い町並みが残るということで気にはなっていたけれど、きちんと歩いたことがなかった。今回名古屋駅まで歩く機会に、地図を片手に、機種変更で機能アップした携帯電話の機能確認も兼ねて歩いてみた。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年10月26日 (金)

神楽坂 再訪

 久し振りに神楽坂を歩いた。飯田橋で下車する仕事があったため、お昼前後の空き時間に大急ぎで歩いたもの。今改めて、前(1998年)に歩いたときの記録を読み返してみると、再訪する前によく読んでから歩けばよかったかなと思う。ほぼ10年、だいぶ変わった、というのが歩きながらの感想だったが、改めて読んでみると、変わっていない部分が多いことにも気づく。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年10月 8日 (月)

ならまちを歩く/ならまち再訪

 奈良女子大は近鉄奈良駅から北へ5分。通りの中に古い商家が散見される東向北商店街を抜けてすぐ。東側正門の右手に守衛室、正面に重要文化財の本館がやさしく来訪者を迎え入れてくれる。花形の文様と若草色のリズム感ある外観がやさしい。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年9月30日 (日)

路地・長屋 空堀商店街

 大阪へ行ったついでに、「路地からのまちづくり」で紹介されていた大阪市「谷町六丁目」駅南の空堀地区を訪れた。「路地からのまちづくり」によれば、地蔵と祠の多い木造密集市街地だが、近年、大阪市がHOPEゾーンに指定し、「空堀地区HOPEゾーン協議会」(愛称:からほり井戸端会)が設立され、街なみ環境整備事業による修景助成や公共施設整備に取り組んでいるという。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年9月29日 (土)

白壁と蔵屋敷 五個荘

 延藤先生のところへ伺った際に、23日に東近江市五個荘でイベントを行うのでぜひ来てくださいとお誘いを受けた。あいにく当日は所用で行けず、翌日足を伸ばした。平成10年に伝建地区に指定されたそうだが知らなかった。カーナビの示すまま車を走らせると、わが家からわずか1時間半ほどで現地に着いた。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年8月 3日 (金)

NAGOYA 文化のみち/愛知県庁舎大津橋分室

 友人を頼って愛知県庁舎大津橋分室を訪ねた。ここは昭和7年に建築竣工した旧愛知懸信用組合聯合会館。その後、愛知県農林会館として利用され、昭和32年に愛知県が寄贈を受け、庁舎として利用している。現在は、法務文書課県史編さん室。愛知県の原始・古代から現代に至る多くの貴重な資料を収集し、県内外の研究者の方々の協力を得て、愛知県史の刊行を進めている。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年6月 9日 (土)

東京漫歩・丸の内界隈

 久し振りの東京。お昼前に着いて、少し時間があったので、丸ビル、新丸ビルから始まるしばしの丸の内漫歩。/地下街から丸ビルに入り、新丸ビルの外観を眺める。/地下道を渡り、新丸ビルの地下で食事。地上階に出ると、雨だった。北隣の日本工業倶楽部会館をしばし眺める。正面頭部に乗った軒上の彫刻が美しい。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年5月23日 (水)

春日井・下街道

 新聞の地方面を見ていて偶然見つけた「下街道ウォークラリー」。春日井駅前の春日井大弘法から勝川駅の勝川大弘法までを歩くもので、毎月第3土曜日に実施している。春日井大弘法で用紙をもらい、中間地点、鳥居松公園付近から歩き始めた。


 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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2007年3月25日 (日)

東海道・関宿・土山宿

mixiに関宿ナガヲ薬局のトミジローさんの書込を見つけ、久し振りに関に行きたいと思った。よく晴れた春分の日、妻がどこかへ行こうかと言った。実はこのところ体調がすぐれなかったが、関なら行きたいと思った。10時頃家を出て、わずか1時間半。お昼前には関に着いた。今は合併して、亀山市関町。

 続きは、(遊)OZAKI組 まちなみ・あれこれからどうぞ。

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