まちなみ・あれこれ

2012年9月25日 (火)

首都圏の防災学習施設と小江戸川越・蔵造りの町並み

 先々週の3連休、日曜日から月曜日にかけて、東京・埼玉へ1泊2日で旅行してきた。娘が4日かけて卒論のための施設調査に行くというので、じゃまにならないようについていったもの。
Dsc02362 娘の調査先は東京と埼玉県の防災学習施設。ということで、まずは有明の防災体験学習施設「そなエリア東京」へ向かう。事務室へ調査に向かう娘を尻目に、妻と私は体験学習ツアーに参加。ニンテンドーDSを首にかけてクイズを解きながら、被災後を再現したジオラマの中を巡る。けっこう面白い。ちなみに「そなエリア東京」を含む「東京臨海広域防災公園」は、大規模災害発生時に「災害現地対策本部」等が置かれ、広域支援部隊等のベースキャンプや支援基地となる防災拠点施設で、施設の周辺には広大な広場が広がっており、当日は訓練も行われていた。
 初日はここだけで終わる。池袋に宿を取り、翌日、娘は9時から池袋防災館へ。こちらは東京消防庁が開設する防災学習施設で、地震体験や煙体験、消火器体験などのコーナーがある他、都内の町内会等向けに図上訓練コーナーもあるのが特徴。
 東京都の消防組織は、市町村毎に消防を置く他の道府県と異なり、島嶼部と多摩地方の一部を除き、東京消防庁が都内全域の消防活動を行っている。防災体験施設は池袋の他に、本所と立川にあり、娘は翌日以降、これらの施設も訪問・調査をしていた。
Dsc02372 ヒアリングが終わった娘を拾って、次は目黒区の地震の学習館へ向かう。こちらは区立の防災体験学習施設で、やはり地震体験や煙体験、消火器体験などができるが、来訪者グループ毎に案内者が付いてレクチャーしてくれる。たまたま小学生を二人連れた家族連れと同じグループとなったが、来訪者は目黒区民がほとんどで、目黒区内の地図で避難場所の確認をするなど、地域に密着した施設だ。
 ただ、残念ながらこの施設は、区長の方針により、来年3月で閉館することが決まっている。案内をしてくれた元消防庁OBの方も残念がっていた。娘はこの後、北区の地震の科学館も訪問しているが、話を聞くと、区が事業主体の施設では、町内会への出前講座と連携した施設活用や耐震化補助など市町村施策との連携の面で意義のある活動・利用がされていたとのこと。東京都独自の問題かもしれないが、消防、防災、救助、建物や施設の耐震化・防災化など総合的な施策の実施に向けて、縦割りの解消(又は円滑な連携の確保)は大きな課題の一つだ。
 続いて、埼玉県防災学習センターに向かう。鴻巣市にあるが、初めて聞く地名。カーナビの示すままに走っていった。ちょうど連休中は防災イベントを開催しており、エレベーターの閉じ込め・救出シミュレーションを体験した。初めてで面白い。
 館内は地震体験など。さすがに3度目ともなるともう飽きた。できれば普段はどんな様子か見たかったが、この日はビンゴゲームや防災グッズ配布など職員がイベントで忙しく、娘ともども(要点は取材していたが)早々に退散。時間が余ったときにと思っていた川越へ向かう。
Dsc02381 川越へは20年近く前に一度訪れたことがある。当時、私は足助町や犬山市の景観行政に関わる仕事を担当しており、パソコン通信NiftyのFcityのオフ会で知り合った当時コンサルタント職員の山口邦雄さん(現・秋田県立大準教授)から「川越の町づくり規範」をいただき、その足で川越まで行った記憶がある。どうして川越まで足を伸ばすことになったのか、どうやって行ったのか、その後どこへ向かったのかはトンと覚えていないが、蔵造りの町並みの重厚さ、そしてなぜか菓子屋横町も歩いた覚えがある。
 今回はクルマなので一番街の中心、鍛治町広場北の駐車場に駐めて町を歩いた。まず、駐車場の正面にあった田中家住宅、現在はカフェ・エルバートという喫茶店になっている。大正4年建築の洋風な外観だが、構造は木造蔵造り。2階で芋プリンとコーヒーをいただいたが、がっしりした木組みや棟札、裏の蔵に続く重厚な土扉が見られ、心和む一時を味わう。
 交差点角には山崎家住宅(亀屋本店)。店蔵と袖蔵が並ぶ重厚な外観はさすが風情がある。明治27年建築。家業の和菓子屋は天明3年創業だ。向かいには松崎屋住宅。明治34年建築。巨大な鬼瓦に豪華な箱棟が豪壮。南西角にはまめ屋。屋号のとおりの豆専門店。
Dsc02385 通りを東に進むと仲町観光案内所。旧呉服店の笠間家住宅を修復利用している。その向かいに堂々と建つ洋風建築が川越商工会議所。昭和3年建築の元武州銀行川越支店。前田健二郎設計。RC造地上2階地下1階。国の有形文化財に指定されている。ドリス様式の列柱が並ぶ外観はまさにギリシャ神殿のよう。玄関上のメダリオンが面白い。
 そのまま東に歩くと通りの北側に豪壮な商家が見える。明治27年建築の原田家住宅だ。大きな鬼瓦に高い棟、2階の重厚な観音扉が質素な1階を圧して今にも押しつぶしそうだ。手前の路地を北に上がっていくと、川越には珍しいハーフティンバー様式の建物が見える。大正2年建築の中成堂歯科医院だ。ピンク色の下見板張りがかわいいが、2002年に改修して塗り替えたものらしい。
Dsc02390 突き当たりまで上がると時の鐘のある鐘つき通り。南東角から2軒目に小さく建っているのが福田家住宅。元々銀行として建てられたもので、妻入り寄せ棟造り。2階に一つだけ開けられた窓が質素だがかわいい。
 時の鐘は寛永年間に川越城主・酒井忠勝によって建てられたというが、現在のものは川越大火後の明治27年建築。実は以前来たときの記憶があまりない。今回もほおっと見上げて通り過ぎてしまった。当初建築通りの質実で飾りのない外観がそうさせてしまうのかも。しかし鐘の音という点で川越のシンボルなのは確か。もっとも今回もその音を聞きそびれてしまった。
 一番街に戻ると黒壁に重厚な屋根が乗る蔵造りの商家が軒を並べている。交差点の北東角に建っているのは滝嶋家住宅。ややくたびれた感のある質素な外観。こうした落ち着いた商家があってこそ派手な商家が目立つのかも。
Dsc02395 大勢の観光客で賑わう通りを北に上がると、東に大沢家住宅がある。寛政4(1792)年建築で川越大火を免れた川越最古の建築物。2階の窓格子と鼠色の漆喰壁が端正で美しい。また細い路地を挟んで右隣の金笛醤油の建物も小振りながらよく手入れされている。
 大沢家住宅の向かいに建つのが川越まつり会館。ただしこれは2003年に新築されたものらしい。地味に主張していないところが好ましい。大沢家住宅の北側には長島家住宅。右側が洋館風ファサードの2棟が連なった建て方となっている。
 川越まつり会館北の蘭山記念美術館の中を抜けてまつり会館駐車場から北の高津通りに出て、菓子屋横町に向かう。夕方5時近くになり、既に閉店の準備をしている店も多い。長い麩菓子や割れせんなど駄菓子がたくさん並べられている。石畳の路地を通り抜け、寺院横の路地を通って一番街へ戻った。
 一番街の西側にも見事な商家が続く。理容店と書店が入っている建物は平岩・水飼両家住宅。明治26年建築。両家の境はどうなっているんだろう。目立たないけど、この住宅の鬼瓦もかなり立派だ。さらに南隣には「フカゼン」の看板が目立つ小谷野家住宅。川越には珍しく2階の窓に瀟洒な桟模様が見える。鬼瓦もつつましいが、この建物の特徴は防火用の袖壁。名古屋なら「うだつ」と言うところだけど、川越ではそう呼ばないのだろうか。
Dsc02405 さらに南には、小谷野家住宅と対照的に大きな鬼瓦が見事な宮岡家住宅。「まちかん」という屋号の刃物店で明治30年建築。2階の黒壁は薄れて地の白漆喰が見えているが、これがまた町並みの中ではアクセントになっている。さらにその南、路地の角に建つのが原家住宅。大きな鬼瓦に加え、角に伸びる棟瓦が迫力のある景観を作っている。
 振り返るとそびえているのが、埼玉りそな銀行川越支店。大正7年に国立八十五銀行本店として建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て。しかし塔屋が高く掲げられ、実際以上に大きく見える。薄緑の銅板葺きに濃淡を付けた柱模様が美しい。その足下に佇むのが小林家住宅。大きな鬼瓦もさることながら、特徴的なのがその脇から微妙な曲線を描いて伸びる髭のような金物装飾。右側の鬼瓦の根本からすっくと雑草が伸びていたのも面白い。すわ藤森流の芝棟かと思ったが、そういうわけではない。
Dsc02406 小林家住宅の向かいは荻野銅鉄店。上品な造りの商家だ。そしてその左隣に建てられた3階建てRC造の洋館が旧山吉デパート。埼玉りそな銀行川越支店(旧国立八十五銀行本店)と同じ保岡勝也の設計で昭和11年に建築された。2階のイオニア式の飾り柱が面白い。
 次第に陽が傾く中、歩くこと1時間半。大急ぎで回った川越の町だったが、思った以上に濃密で面白い。じっくり回れば1日でも足りないだけの規模と内容が詰まっている。
 その後、娘を池袋のホテルまで送り、夜をかけて名古屋まで帰ってきた。疲れた。でも楽しかった。子供の卒論調査にこれほどつきまとう親もいないだろう。親バカ、または子離れができない、と言われるかもしれないが、娘のお陰で知見が広がるのは楽しい。これからも連れて行っておくれと書いておこう。

●参考
フォトアルバム「小江戸・川越・蔵造りの町並み」

カワゴエール「蔵造りの町並み」

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2012年6月 9日 (土)

天神橋筋商店街と大阪市立住まいのミュージアム

Dsc01855 久々に大阪へ行く機会があり、ついでに天神橋筋商店街を訪問した。ネットを検索すると日本一長い商店街と紹介されている。天神橋六丁目には大阪市立住まいの情報センターと住まいのミュージアムがある。これも一緒に見たいと思って、予定より早い新幹線に乗った。
 新大阪でJR東海道線に乗り換えて、大阪で環状線に乗り換え。天満駅で降りる。改札口を出たすぐ前に、ごみごみとした小さい木造家屋が小さい広場に面して並んでいる。看板に「天神橋筋四番街商店街振興組合 カルチャーセンター」の文字。
 マンション横の狭い道をたどるとアーケード街に出る。ここは天神橋筋四丁目。住まいのミュージアムは最後にして、まずは南に一丁目方向に向かう。四丁目あたりは通り幅も広く、所々空き店舗もあるものの、通りに商品が飛び出て、平日の午前中にしてはまあまあの活況を呈している。
Dsc01860 大きめの道路を横断すると、天神橋筋三丁目。通りの入り口に梅の花をデザインした大きなサインが上がる。振り返ると、四丁目商店街の入り口にも。「ギャルみこし」の垂れ幕と幟が並ぶ。三丁目商店街を少し歩くと左側に「楽歳天三/天満天神楽市楽座/関西大学リサーチアトリエ」の看板。白基調の明るいスペースの中には学生とおぼしき女性がパソコンに向かっていた。通りに突き出してパンフレットが置かれており、商店街の地図などをゲットした。
 通りに面する各商店は、1店舗ずつ鉄筋コンクリート造や鉄骨造で作られているものが多いが、中にはマンションの1階部分を貸店舗にしているものもある。2丁目のところで国道1号線を横断。アーケードの入口に立派な人形が南北4体ずつ飾られている。天神祭の御迎人形だそうだが、非常に躍動感がある。
Dsc01872 道路を渡ってしばらく行くと上部に「大阪天満宮参詣道」の大きな赤提灯。東側に広場が見える。足を進めると奥に「天満天神繁昌亭」。上方落語専門の定席寄席だ。右に折れると神社の入り口。中に入ると広い境内。大阪天満宮に北の裏口から入る。天神橋筋の名前の由来となる神社だ。もちろん祭神は菅原道真。境内の西には資料館もある。本殿は弘化2(1845)年に再建されたもの。表門も相当に立派だ。
 門を出て西へ商店街に戻る。ここから南が1丁目商店街だが、やや寂しい感じ。ここで引き返すことにする。国道を北に渡ると地下鉄南森駅の出口。そこに木製ベンチが並べられ、サラリーマンが数人休んでいる。「皆様のおかげで駐輪が無くなりました」と書かれた札がかけられている。関西大学リサーチアトリエが実施する社会実験だ。
Dsc01877 4丁目まで戻る。JR環状線の高架手前を西に出ると、大阪市北区役所。南に関西TVとキッズプラザ大阪が入る扇町キッズパークだ。外観だけ見てまた商店街に戻る。高架をくぐって5丁目に入ると、道はぐっと狭くなり、パチンコ屋などが多くなる。レンタルスペースと書かれた個店がいくつか見られる。貸店舗のことを大坂ではこう呼ぶのか?
 6丁目に入るとさらにコアに。狭い道で人出も多くなる。5丁目との境を左に行くと天五中崎通商店街。右に抜けると天満市場があったのだが、気が付かなかった。そこはもっとコアらしい。残念。両側から幟が差しかけられた中を抜けると突き当たりは広い道路に出る。道路の先にも商店街は続いているようだが、アーケード街はここまで。南東角に大阪市立住まい情報センター。この日のもう一つの目的地だ。
Dsc01882 大阪市立住まい情報センターはその名のとおり、住宅関係の情報提供をする住情報プラザと大阪市住まい公社、子育ていろいろ相談センター、さらに最上階に住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館が入っている。ちなみに3階には大阪ガスのショールーム「ディリパ大阪」、1階に三井住友銀行天六支店、そして地下は地下鉄につながっている。
 まずは住情報プラザへ。相談窓口と展示スペース、打合せスペースがあり、住まいのライブラリーも併設されている。新婚家賃補助の掲示がやけに大きい。ちょうど午後からは「民間住宅活用型セーフティネット整備推進事業」の説明会が予定されていた。
 続いて8階、「住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館」へ。入場料は600円。受付を通ってエスカレーターで10階へ。階下に 江戸時代の大坂の町並みが再現されている。9階へ降りていくと、ちょうど町家ツアーが始まるところ。せっかくなので参加した。ちなみに参加者は9名。今日は多いと言っていた。
Dsc01884 女性のガイドさんが大阪弁で1軒1軒ていねいに説明してくれる。春から夏にかけては祭りの飾り。通りには高張り提灯が上げられ、各町家の前に幔幕がかけられている。中には各店の商品を使った祭り飾りが並べられている。化粧道具や櫛等を扱う小間物屋の鶏、輸入雑貨を扱う唐物屋の獅子舞は見事。またはね上げ戸や釣り下げ戸、無双窓なども再現され、実際に開け閉めをしてみせる。時折、三択クイズも織り交ぜて、楽しく町家のくらしや仕掛けを説明してくれる。
 途中でスクリーンに花火も上がる。場内は約45分かけて明るくなり暗くなって1日を再現。それもまた面白い。裏長屋のくらしも垣間見て最後は銭湯へ。大阪は明治に入るまで混浴だったとのこと。色々な話を聞いたけど、覚えきれない。建築や住宅に関する知識もいっぱい。知らないことも多かった。
Dsc01886 あっという間の45分間。帰りは大阪の街の歴史をいくつものパノラマ模型で再現した展示を見る。バス住宅の団地やRC造の市営住宅団地も再現されており興味深い。でも時間がなくなってきたので駆け足で見学。
 昼食は天六商店街に戻って、激辛汁なし坦々麺の楊楊で麻拉麺のセットを食べる。山椒が効いて面白い。麺を食べたらご飯を足して坦々飯。スープを加えて坦々汁。どれも美味しい。
 日本一長い商店街は長いだけじゃなく面白い。町家ツアーにも巡り合えてラッキーだった。今度は秋冬の展示を見てみたい。その時には天満市場ものぞいてみよう。

●参考
フォトアルバム「天神橋筋商店街」

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2012年3月12日 (月)

碧南大浜てらまち散歩

 仕事で碧南へ行った帰り、同行のYさんが「少し町を歩いてから帰ります」と言う。デジカメを片手に歩く気満々。思わず「一緒に行く」と答えてしまった。
Nec_0013 碧南駅前は非常に閑散としている。名鉄三河線の終着駅のため仕方ないが、財政的には非常に裕福な市の中心駅とは思えない。午後からの仕事で駅前で昼食を取ろうと予定より少し早く駅に着いたが、食堂は駅前に「大正館食堂」があるきり。他にはコンビニも何もない。ここまで何もない駅前も少ない。
 仕事を終えて、3時に駅前に戻り、取り敢えず旧国道の大浜街道まで歩く。交差点角にある林泉寺は1457年創建の曹洞宗の寺。広々とした庭に立派な本堂では毎週早朝座禅が開かれているそうだ。街道沿いに南に進むと、左手に倉庫状の「大浜まちかどサロン」がある。ここで町歩きマップ「大浜てらまち散歩地図」を入手。以下、これを片手に町を歩いた。ちなみにこの「まちかどサロン」は、パチンコ店跡地だそうだ。
Nec_0014 その南側に全景真っ黒な外観の施設がある。藤井達吉現代美術館だ。藤井達吉は明治末期から昭和にかけて活躍した工芸作家だ。かつてこの建物は商工会議所として使用されており、当時、地元建築士会の方々と「大浜地区の歩いて暮らせる街づくり」について意見交換をしたことがある。その後、その建物が増改築され、このような立派な美術館として再生したと思うと感慨深いものがある。
 美術館の向かい側に立派な堂楼が聳えているのが西方寺だ。真宗大谷派の寺で本堂の妻面白壁のまるでギリシャ建築の柱のような鏝飾りが面白い。寺の北側、九重味淋(株)との間の路地を入っていく。路地はカラー舗装でしっかり整備されている。左手に清澤満之記念館。清澤満之は大谷大学初代学長の宗教哲学者。記念館は新しい建物だが、清澤満之が使用していた書院も見学できる。
Nec_0018 路地を突き抜け右回りに回ると、九重味淋の黒壁の倉庫群が一望できる。特にいくつもの窓が明いた大蔵がいい。1706年建設1787年移築改造したものだが、全く古さを感じさせない。登録文化財。
 いったん大浜街道に戻り、今度は西方寺南側の路地を入っていく。突き当たった辺りの町は、1mに満たないような路地が何本も走り、そこに木造住宅が密集している。これらの路地もそれぞれ整備されている点が興味深い。碧南市の「歩いて暮らせる街づくり」はここまでやったのか。だが、建築基準法的な対応は検討はされたけど、結局そのまま放棄されたはず。この環境を残すべきかどうか、けっこう悩ましい。
Nec_0031 この辺りは大浜漁港にすぐ近く、川に面した通りには蔵も残っている。また大浜漁港もけっこう多くの漁船とプレジャーボートが停泊し、思った以上に賑わっていた。港につながる堀川にかかる新水門の橋を渡り、川の南側へ。こちらの路地もなかなか雰囲気がある。特に下見板のコールタール塗りの黒壁がいい。
 細い路地をふらふらと歩きながら大浜東照宮まで歩く。北隣に東照山称名寺。徳川家康の幼名竹千代命名の寺。碧南大浜の寺はどこもたいへん立派だ。海で暮らす人々は信仰心が厚くなるのだろうか。もちろん醸造業や廻船問屋で賑わったという歴史もある。大浜街道を北に戻ると本伝寺、清浄院も立派だ。
Nec_0036 堀川まで戻ると、交差点の角に旧大浜警察署。ここもかつては老朽化が進み、その活用が検討されていたが、きれいに手が入って外観整備された。大正13年建築のRC造。ただし耐震性の問題もあり、館内は見学できない。裏手の広場としてきれいに整備され、子供の遊び場となっていた。
 裏側の路地を歩く。椿の赤い花びらがこぼれ落ちて雰囲気のある路地。天神会商店街の看板が架かる街灯。店舗がない。堀川沿いに禰宜田陶器店。昭和の香りが残るお店だ。後は橋を渡って碧南駅へ向かう。細い道路が走るが、農地も散在し、一般的な地方都市の古い街の雰囲気。大きなスーパーマーケットがある裏側辺りを廃線となった名鉄三河線の旧線路用地が残る。砂利混じりの細い土地がただ続く。振り返れば碧南駅。終着駅となった駅構内には赤い列車が何両も止まっていた。

●参考
マイフォト「碧南大浜てらまち散歩」・・・その他の画像はこちらにあります。

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2012年2月26日 (日)

伊勢河崎商人館に寄る

 久しぶりに家族そろって予定のない週末。娘が前から行きたいと言っていた牡蠣の食べ放題に行くことにした。予約時間が遅く、途中、時間調整に伊勢河崎の町に寄る。
 もう10年も前に一度行ったことがあるが、当時はまだ伊勢河崎商人館の整備中。それでも伊勢河崎独特の上部が少し迫り出した妻入りの商家に立派な注連縄が飾られていたことを思い出す。
 やや遠めの大駐車場に止めて勢田川沿いに歩くと、川に面して「河崎・川の駅」がある。川から石段越しに見上げる外観は鉄道駅のようで面白い。川向かいには黒塗り下見板の立派な蔵が並ぶ。この景観もなかなかのもの。
 しばらく歩くと、伊勢河崎商人館。斜めの道路に黒塗り3連の蔵が並び、その向かいに商人館の建物がある。中に入ると受付の男性が丁寧に建物や町並みの説明をしてくれる。元は造り酒屋、そして「違い鷹の羽」の家紋から取った×印にSの商標で売り出したエス・サイダーが好評だった。鬼瓦にも×印。
 中に入ると、まずは左手の洋館の応接間。庭を挟んで母屋には京都裏千家・咄々斎(とつとつさい)の写しの茶室もあって、伸び伸びとした印象。奥にも中庭があって内蔵につながっている。さらに靴を履いて最奥には蔵が3つ並ぶ。きれいに整備されている。10年前の整備中には雑然としていた覚えがある。
 ゆっくりと見ていたら時間がなくなったので、あわててクルマに戻り、町並をクルマでザッと通ってみる。妻入りの商家や蔵を利用したモダンな店舗などが並んでいる。昔を思い出す。今度、時間を作ってゆっくり歩いて回ろう。
 牡蠣食べ放題の鳥羽市浦村町まで伊勢からクルマで約30分。途中で二見浦旅館街を通る。ここも10年ほど前に歩いたことがある。この日はほとんど通り過ぎるだけだったが、意外に多くの人が歩いていたことに驚いた。こちらももう一度行かなくては。
 ということで、無事、牡蠣の食べ放題には間にあった。あまり町歩きはできなかったが、以下、撮影した写真を掲載しておく。

●河崎・川の駅(通り側)
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●河崎・川の駅(勢田川側)
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●勢田川沿いの蔵
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●伊勢河崎商人館
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●伊勢河崎商人館向かいの蔵
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2011年12月26日 (月)

水都・大垣と桑名・六華苑

 妻と二人の日帰り旅行で、大垣と桑名の六華苑に行ってきました。大垣・水門川の景観と、そして大垣城に寄りました。
 大垣水門川、船町港跡前の広場では、「奥の細道むすびの地記念館」の整備中でした。平成24年春開館予定だそうです。市街はクルマで回りましたが、旧美濃路にある和菓子店「つちや」の外観はなかなかのものでした。また、大垣城は昭和34年に復元されていますが、今年春に再度復元改修を行ったそうです。
 大垣をぐるりと回った後は、小一時間かけて南下。春に桑名に行った時にはもう閉館していた六華苑に行きました。2度目ですが、伸びやかさが気持ちいいですね。帰りには「なばなの里」のイルミネーションを楽しみました。
 以下、撮影した写真を掲載しておきます。

●工事中の新「奥の細道むすびの地記念館」
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●水門川と船町港跡
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●水門川沿いの商家
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●水門川・四季の広場
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●御菓子・つちや
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●大垣城
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●大垣城東門
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●六華苑
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●なばなの里のイルミネーション「日本の四季」
Dsc01642

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2011年9月10日 (土)

小布施と松代のまちなみ

 志賀高原から南下して、奥山田温泉に宿泊した。秘湯の宿「満山荘」は温泉もさることながら、料理が絶品。日に何度も温泉に入り、のんびりとした1日を過ごした。その帰り道、小布施と松代に寄ってきた。
Dsc01546 小布施は8年前、夏の志賀高原の帰りに家族で歩いたことがある。その時の覚えを元に、今回は北斎観横の駐車場にクルマを留め、のんびりと景観を楽しむ。広場は中高年の人々でにぎわっている。傘風楼テラスで栗ソフトを食べながら笹庭を楽しみ、栗の小径を歩き、幟の広場を見、小布施堂本店で栗菓子を買う。陣屋小径を歩き、あかり博物館の中庭を通って、枡一市村酒造場横の小路を抜け、傘風楼テラスに戻る。妻は地元農産物市で桃とリンゴを買う。のんびりとした時間を過ごすことができた。
Dsc01559 その後、小布施PAから高速に入って松代まで走る。前に来た時は夕方の4時近くで、多くの施設が閉館間近。真田邸は復元工事中で、外観だけを見て回った。この日は余裕があったのでまずは復元なった真田邸から。真田と言えば真田幸村が有名だが、松代は父・昌幸や弟・信繁(幸村)と別れて徳川方についた信之の流れをくむ。この真田邸は松代藩9代藩主・真田幸教により、義母・貞松院の住居として建てられ、真田幸教が隠居後の住居としたもの。明治以降は真田家の私邸として使われていたが、戦後、市に寄贈された。真田十万石まつりの際には、東京に住む真田家の現当主が真田信之に扮して武者行列に参加するとのこと。
 その南にある旧樋口家住宅は修復され無料公開されている。茅葺の屋根が美しい。入口に武者鎧が飾られている。NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会が管理され、絵手紙展やお月見のつどいなど、様々なイベントに利用されている。
Dsc01564 真田邸の南の通りを西に歩くと、道がカギ状に折れて、右に文武学校、南に旧白井家表門がある。まず文武学校へ。文武学校は嘉永61(1853)年に建設された藩校で、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などの武道場と文学所などの教室が並んでいる。剣術所、槍術所などは中央の広い板敷きの道場を囲んで畳敷きの間が並ぶ間取りで、現わしの高い小屋組みが豪壮だ。また文学所は大広間の脇に6畳程度の小部屋も並び、当時の教室の情景がしのばれる。弓術所では実際に的に向かって練習をしている人がいた。
 ただ広い。疲れて向かいの旧白井家表門へ。ここでボランティアの方たちがお茶の接待をしていた。お菓子も出していただき、しばし歓談。この門はもう少し東にあったものを移築したとおっしゃっていた。この向かいにある黒塗りの立派な門と腰板壁のしっくい塀は旧真田勘解由邸。住宅主家等が登録有形文化財に指定されている。
Dsc01566 次に向かったのは、旧横田家住宅。約1,000坪の中級武士の屋敷だが、建物から庭園、菜園に至るまでほぼ完全に残っている。江戸時代末期の建築で、茅葺の屋根の曲線がなまめかしい。庭園に向かって雁行して座敷が連なり、微妙に景観が変わるのも面白い。離れの隠居屋も風情がある。
 入館4時半までということで先を急ぐ。山寺常山邸は旧横田家住宅からさらに南、象山山のふもとにある。山のふもとを流れる川の水を巧みに取り入れ、山を借景にした庭園が特徴的。松代では佐久間象山と並んで松代三山の一人と言われる山寺常山の邸宅。ただし表門(江戸末期)と書院(大正末期)以外は建物は残されていない。
Dsc01571 最後に向かったのは、旧前島家住宅。こちらは町の東部。寺院が連なる御安町のさらに東のはずれにある。前の道はカラー舗装で整備され、敷地との間に水路が流れている。主屋は宝暦9(1759)年建築で、この日見た中では最も古い部類になる。元は茅葺だったそうだが、今はトタンで囲われ、下部に瓦葺きの庇が回る端正な外観。庭には心字池があり、また敷地内に三社(神祠)も祀られている。ここもボランティアの方が管理され、気持ちよく見せていただいた。
 以上、駆け足で松代の保存建築物を見て回った。エコール・ド・まつしろという生涯学習の活動が盛んで、真田家以来の伝統の町並みが市民の手でよく保存されている。これらの建物が市内に散在し、まとまって町並みという形になっていないのが残念だが、地域の人々とのふれあいが松代の最大の魅力である。

●フォトアルバム「小布施・松代の町並み」

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2011年8月 6日 (土)

富山ライトレールと岩瀬大町

 一昨年のGWに富山・岩瀬に行った。この時は家族旅行で前日、砺波のチュッリップ公園に行って、高岡でお堀巡りの船で遊び、山町筋・金屋町の町並みを歩いた。さらに立山黒部アルペンルートに登る前の午前早い時間に岩瀬の町並みを慌ただしく歩いた。
Dsc01495 今回は富山で会議があり、少し早めに富山に着いて、ライトレールに乗って岩瀬まで往復。今回も慌ただしかったが、富山駅を降りたらちょうど出発のポートラムに間に合って、予定よりも15分早く東岩瀬駅に到着。おかげで岩瀬で昼食を取ることができた。
 ポートラムの停車場は富山駅北口の目の前、駅前広場に奥深く入り込んでいる。車両は噂どおりの低床構造。2両編成。7色7種類の外観。車両内も左右に2席と1.5席のアンバランスな配置、横座りシートもあって変化に富み楽しい。
Dsc01500 粟島(大坂屋ショップ前)という電停で買い物かごを下げた主婦らが大勢乗り込んでくる。たまたま隣に座ったおじいさんに話しかけてみる。「岩瀬の町を歩くには、どこで降りたらいいんですか?」 すると「東岩瀬がいい」と教えてくれる。「ポートラムができて便利になりましたか?」「ポートラムは15分に1本出ているから便利だ。昔は2時間に1本位だった。」「電停の近くの家はいいが、ポートラムができる前はバスが運行され、もっと近い距離にバス停があった。だから不便になったところもある。」などと気さくに話してもらった。
Dsc01509 東岩瀬駅はレトロな駅舎だ。旧富山港線時代の駅舎を残している。信号を渡り、曲がりくねった道を行くと、旧北国街道、岩瀬大町・新川町通りに出る。平日の昼前は人通りもまばら。佐藤釣具店は元廻船問屋を営んでいた家屋だ。竹で作られたスムシコがきれい。そば処丹生庵は手打ちそばの店。かつては木材店だったそうだが、瓦の端を埋め込んだ入口の土間。ガラス扉の向こうにオートバイが飾られているのが面白い。その隣には富山信用金庫。こちらはRC造の建物だが、1階部分を景観に配慮して商家風に作っている。
Dsc01518 その向かいに、路地を挟んできれいに修景された建物が並んでいる。舛田酒造店だ。スムシコで覆われた壁面がきれい。路地の奥には高い煙突がそびえる酒蔵がある。通りに戻ってさらに進むと、国指定重要文化財に指定された森家。ここは前に来た時に見学した。軒下に掲げられたガス灯が印象的。
 向かい側にはギャラリー岳。そして岩瀬大町公園。森家の隣は馬場家。こちらも見事。そして馬場家土蔵群。満了寺は馬場家当主の寺だそうだが、どこか洋館ぽい作りだ。
 その後も廻船問屋の町並みが続く。庭の大木の緑との比較が美しい。通りを突き当たりまで歩き、戻ってきた。もう一度町並みを堪能しながら。お昼は「そば処丹生庵」でそばを食べる。おいしい。落ち着いた雰囲気もいい。
Dsc01532 その後、ポートラムに乗って富山駅まで戻り、地下道を通って南口に出て、今度はセントラムに乗った。こちらは富山地方鉄道が運行する路面電車。このうち環状線を走るのはセントラム。富山市の路面電車はこの環状線の他に南富山駅前と大学前を結ぶ路線があり、このうち南富山駅前と富山駅前間にはサントラムという新型車両が運行されている。その他はレトロな市電タイプ。さまざまな路面電車が楽しめるのも面白い。

●参考
 まちなみ・あれこれ●「岩瀬大町の町並みと夕暮れの五箇山」
 マイフォト●「富山ライトレールと岩瀬大町」

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2011年8月 5日 (金)

東京・谷中ふたたび

 東京谷中へは10数年前から何度も訪れている。きっかけはニフティのFCITY。そのコアメンバーの一人であった西河さんの案内で、谷中学校とその活動などを案内してもらった。その後も東京へ行く機会があるとふらっと訪れていたが、最近は上京の機会も少なく、しばらく訪問していなかった。
 先日ふと、谷根千の古い建物の保存再生の活動を紹介するTV放送を見た。BS朝日の「百年名家」の「芸大生が守る伝統建築の美 ~芸術が香る街東京・谷中~」だ。
 そこでは、昔、谷中学校で活躍していた椎原晶子さん(たいとう歴史都市研究会、東京藝術大学非常勤講師)が出演され、市田邸の保存活用の活動などを紹介されていた。かつて2度ほどお会いしたことがあるが、懐かしい。少し太ったかな、西河さんはどうしているのだろうと思った。
 と、しばらくして東京出張の機会が訪れた。時間的にはかなり変則で、11時に一仕事終えて、午後は1時に再開。3時過ぎには終わる予定。そこで午前の仕事が終わったら、築地で食事。その後しばらく築地本願寺で涼を取った。
 実は築地市場を訪れるのは初めて。場外市場は狭い路地に店舗がひしめき、客もそこそこ行き交っている。場内の鮨屋を覗くが既に長蛇の列。場内はフォークリフトが行き交い、暑い中、仕事に精を出していた。
 築地本願寺は言うまでもなく伊東忠太設計。ここ彼処の動物のレリーフが有名。「築地本願寺:築地本願寺にすむ動物たち」。軒下や階段手すりなど飾る動物たちを見上げつつ、本堂に入ると、涼しい! 整然と並べられた長椅子に座り、天井下の大きな梁型を見上げ、首を回すとパイプオルガン。しばし息抜きの時間を過ごす。
 さて、午後の仕事を終えて、地下鉄で千駄木へ。地図も持たずに来たので、駅を出てもどちらに行っていいかわからない。それでも昔の記憶を掘り起こし、へび道を歩こうと団子坂下を東に向かう。すぐのビルの下に、千代紙のいせ辰の千駄木店があったのですね。素敵な店だなと思いつつ通り過ぎてしまった。これまで本店にも行ったことがない。どうも縁がないようです。
 さてへび道をたどり南へ。どのみち当てもないので、途中左折して台東谷中郵便局の前を通る。「澤の屋」の看板。あれ、有名な外国人がよく利用するという旅館はこんなところにあったのか。さらに歩くと行き止まり。三浦坂と書かれた案内板を見つつ、坂を左手に登る。右はお寺と墓地。突き当たりに大きなヒマラヤ杉。その陰に隠れるようにレトロな看板のお店「みかどパン屋」。昔来たときにもあったけど、何かスゴイ。「Nostalgic TOKYO:谷中のヒマラヤ杉とみかどパン」
Nec_0004 立派な寺院の間をさらに進むとまた突き当たり。右に折れて言問通りに出た。狭い歩道を上野桜木まで。レトロな感じの台東区「谷中・上野・浅草」循環バスが通り過ぎていく。
 上野桜木の交差点にカヤバ珈琲がある。ここは「百年名家:芸大生が守る伝統建築の美 ~芸術が香る街東京・谷中~」でも紹介されていた。戦前創業の歴史ある喫茶店が廃業されたのを惜しんで、NPOたいとう歴史都市研究会が借り上げ、現役芸大生がサークル活動の一環として営業している。大正ロマンあふれる内装が楽しい。
Nec_0003 交差点向かいに「下町風俗資料館」がある。旧吉田屋酒店で台東区が寄贈を受け、資料館として公開している。があいにく月曜日で休館だった。残念。外観だけを楽しむ。上野桜木の交差点を芸大方面に向かえば市田邸もあったんだ。今わかっても遅過ぎる。次回こそ行きたいと思う。
Nec_0005 で、この日は道を左に谷中霊園方面へ。しばらく行くと、銭湯を再利用したギャラリー、SCAI THE BATHHOUSE。そのまま進むと広い都市計画道路が一部だけ完成する三差路に着き、道を右手へ。谷中霊園。その入口に「生花 老舗花重」。TVでは東日本大震災の際に瓦が落ちて修繕工事中だったが、既に修理も完了し、どっしりした姿を見せていた。谷中霊園の入り口には茶店も。いつもながらいい雰囲気。
Nec_0006 広い道まで戻って尾根筋の信号を渡り、行き止まりの路地を入って突き当たりを右に入ると、路地が集まった小さな広場。そこに面する4軒ばかりの木造長屋の端に西河さんの住む谷中西庵がある。2階に上げてもらい、向かいの墓地を眺めながら話をした記憶がある。もう引っ越したかと思ったが、まだ住んでいた。鍵もかけずに開けっ放し。懐かしく声をかけたが誰も出てこない。残念ながら留守らしい。西河さん、元気だろうか。
Nec_0008 信号交差点まで戻り、尾根道を北に向かう。TVで紹介されていた日本画家のアランさんのアトリエもこの通りに面していたような(記憶が曖昧)。しばし行くとすぺーす小倉屋。蔵を利用したギャラリーだ。この辺りはもう何度も歩いた。しばらく行くと谷中学校が利用していた民家がある。今は小さなギャラリーになっている。その手前の路地を入ると、観音寺の瓦を積み上げた築地塀。谷中のシンボルの一つだ。
Nec_0009 尾根道をさらに進むと、右手に朝倉彫塑館だが工事中で幕に覆われていた。その向かいに和菓子屋「岡埜栄泉 谷中」がある。広い通りまで出て、左に進むと谷中銀座に向かう階段「夕やけだんだん」。これも谷中ならではの景観の一つ。
 以上で久しぶりの谷中散策も終了。昔ながらの景観も残り、また新たな発見もあった。市田邸という宿題も残しておいた。また機会があったら訪れよう。その時まで宿題のことを忘れなければいいが・・・。

●参考
 「中心市街地住まい研究会:谷中学校」

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2011年2月 8日 (火)

有松の町並みを歩く

 有松の高優賃を見た後で、有松の町並みを歩いた。

Arimatu1274  まずは、街道沿いを西に向かった。竹田中升荘の右向かいには山車蔵が、左向かいには玄関引き戸袖の腰壁をナマコ壁にした住宅がある。美しくはないが配慮はしている。しばらく歩くと竹田嘉兵衛邸がある。1階屋根上に掲げられたガス灯が特徴的だ。1階の細かい板格子、2階虫籠窓の丸金棒のような細い格子が繊細で美しい。「加」の文字が入った丸瓦が使われ、側面には特徴的な文様が描かれている。

 有松の街道は自然に蛇行しているのが心地よい。張り出した庇を格子で囲って車庫?にする民家があり、赤い昔ながらのポストがあって、古い建物が続いている。左右にナマコ壁、2階は白壁塗込窓の商家が岡邸。2階庇下の塗込めが波状になっているのが特徴だ。

Arimatu1284  繊細な造りの町家が多い中で、小塚邸は豪壮な造りだ。両側にうだつが上がり、2階の壁も虫籠窓の格子が太くて荒々しい。天明の大火(1784)後に建造されたというのは有松の中でも古い部類に入る。1階に外柱が並んでいるが、土間に木柵が並び、あまり目立たなかった。その隣には黒い下見板壁に上部の漆喰壁がまぶしい蔵が建っている。上部中央の庇と窓が印象的。町家を1軒挟んで西町山車蔵。端正な外観だ。ここには有松祭りの3台の山車の一つ、神宮皇后車が収められている。

 このあたりが西の端。高速道路の遮音壁が立ちはだかる。きびすを返し東へと戻る。都市景観重要建築物に指定されている町家以外の建物もよく景観に気を使っている。ガス灯が残る商家、細い格子やナマコ壁はこの地区の特徴だ。伝建地区指定を目指す活動も続いているようだ。

Arimatu1289  突然、鉄筋コンクリート造の薬屋が現れる。2階・3階の窓を縦につないだ白い枠は、けっして有松の景観にマッチしているわけではないが、どこか優しげで懐かしい感じがする。同行した友人が「これ、昭和30年代のアパートですよ」とささやく。どれどれと覗くと、裏手に3階建ての住戸が連なっている。うら寂しい雰囲気が意外に古びた時代に合っている。

 「こうした町が観光化で生きていくことは無理なんですかねえ」と同行者の一人が言う。「無理でしょう」。住民一人一人が町並みを愛し、守っていくしかない。「たばこ」の箱看板が乗る店舗。唐子車(からこしゃ)山車庫は3体の唐子からくり人形を乗せた山車を収めている。背が高く茶色に下見板がよく目立つ。

Arimatu1291  駅前に区画整理で整備された広い道路を渡り、東側の通りを歩く。渡ってすぐ左手には、神半邸を再生利用し、カフェやレストラン、パン屋などが入っている。とりあえず通り過ぎて隣は中濱邸。入口に掛けられた紺色幕がいい感じ。道路沿いに大きな石が置かれている。左側には2階建ての土蔵。白壁が煤で汚れ、雰囲気がある。

 服部邸、屋号井桁屋は街道随一の大屋敷。1階の庇下に家紋の入った幕が吊され、有松絞りの小売も行っている。2階は黒壁の虫籠窓が並び、うだつも立派。本屋敷の左には板塀が続き、屋根越しに松が生い茂る。右隣には服部良也邸。土蔵が立派。腰のナマコ壁は黒壁。道路から見て平入りの蔵と妻入りの蔵。間に片流れの下屋と黒板壁の木戸が付く。右隣には1階が茶色に格子壁、2階は白壁塗込めに木格子の商家が続く。

Arimatu1300  その先には、RC造の有松鳴海絞会館や有松山車会館があるが、伝統的な町家は少なくなり、錆の浮いたトタン壁の車庫の先にマンションが見える。隣には見事な松と町家。平入りの民家に妻入りの町家風の看板を建てた看板建築。テント張りのガレージ。白塗込虫籠窓に細かい格子の町家。持出し看板に格子と下見板壁、銅板飾りの戸袋のある商家。1階外柱に格子壁からショーウィンドーが張り出す工芸店。寿限無茶屋は築100年の民家を利用したうどん屋さん。雑多な建物が並ぶ。統一的な景観整備ができればいいが、やや雑駁な感じになっている。

 昼食は街道を戻って神半邸のレストランへ。おもての間はカフェになり、土間の突き当たりはパン屋。土間から見上げると豪壮な小屋組が見える。レストランは2階の座敷にイス・テーブルを並べてゆったりと食事。町家のこんな使い方はいいが、人通りを考えるとこれ以上増えることは営業的に厳しいだろう。

 繊細な町家、ゆったりとした雰囲気。やっぱり有松はいい町だ。しかしこの町を残していくのは難しい。住民の思い如何にかかっているのだと思う。

●参考

フォトアルバム「有松の町並みを歩く」

「有松・鳴海絞会館:町屋建築」

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2010年2月27日 (土)

鵜沼宿にふたたび

 高校時代の友人が神戸からやってきた。実家が各務原にあり、どこかまちあるきをしたいというので、鵜沼宿を歩いてきた。
 一昨年の秋に行ったときは、学びの森(冬ソナ公園)や瞑想の森(斎場)などを見学し、可児の桜ヶ丘ハイツへ向かう途中に寄ったため、時間がなく町屋館しか見学できなかった。今回は旧中山道の通り沿いに数100m余りを往復した。
6617 町屋館前には1年半前には工事中だった長屋門が復原され、奥が駐車場に整備されている。町屋館は元旅籠の古い商家を修復整備したもの。無料公開しているのがうれしい。ガイド・ボランティアさんから展示品を一つずつ懇切丁寧に説明をしていただいた。急勾配の箱階段や2階のむくりのついた天井、武藤酒造と手書きされた徳利瓶などが興味深い。
 展示品の中に中山道鵜沼宿の絵地図の写しがあり、往時は街道の中央に水路があった様子が描かれている。前に訪れたときには、これを復原したいという話があった。今は交通量の多い道路だが、ぜひ実現してもらえるとうれしい。
6609 町屋館を出て西へ歩く。菊川酒造は昨年秋に亡くなった元国会議員、武藤嘉文が社長を務めた醸造会社で、通りに面して黒壁の蔵が美しい。その西には格子窓の商家が数軒並ぶ。いずれも登録文化財に指定され、よく保存されている。
 西の端には小さなポケットパークが設けられ、宿場の入口を示している。東に戻りつつ、現在工事中の脇本陣の西隣にある二ノ神社への石段を上っていった。脇本陣の中が良く見える。木曽川まではまだ距離がある。宿場と川の間には田園地帯が広がっていたはず。今は住宅と田畑が混在し、遠く霞んでいた。
6613 町屋館の東側の町屋は現在、修景工事中。「店舗にされると聞いている」とガイドボランティアさんが言っておられた。大安寺川の橋詰には柳が植えられ、いい雰囲気を醸している。脇本陣が整備された頃、もう一度来ようと思った。

●参考
フォトアルバム「鵜沼宿にふたたび」
「各務原の景観まちづくり」
「中山道鵜沼宿町屋館」

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