松山の建物を巡る-道後温泉本館・坂の上の雲ミュージアム・萬翠荘ほか
愛媛県には大学時代に友人と尾道から因島や大三島などの島をフェリーで渡り、新居浜から松山を経て宇和島まで旅行したことがある。しまなみ海道が開通するはるか以前のことで、宇和島の小さな町並と城跡、また外泊の石垣の景観だけを妙に覚えているが、道後温泉や内子についてはほとんど記憶にない。行ったはずだが、温泉に入ったのだったか、町並を歩いたのだったか。その後、内子は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、街なみ環境整備事業地区としても名前を聞くことが多くあった。今一度訪れたい町として、常に私の心の中にリストアップされてきたうちの一つだ。
さて、早朝の飛行機に乗り、松山空港には9時前に到着した。ちょうど道後温泉行きのバスが止まっており、それに飛び乗って、まずは最初に道後温泉に行くことになった。
JR松山駅から市内を巡ってバスは市電道後温泉駅に着いた。景観に配慮した木造の懐かしい建物である。その向かい側には道後放生園(足湯)があり、屋根に白鷺の飾りが付く時計塔の下で、数人の市民が足をつけて語り合っていた。右側に緑の丘を感じつつ広い道を歩くと、眼前に道後温泉本館が見えてくる。神の湯(400円)と霊の湯(1200円)のどちらにしようかと迷いつつ、まずは本館の周りをぐるっと巡る。裏手に皇族用の入口があり、銅葺きの屋根が複雑に幾重にも重ねられ建物全体を蔽っている。道路向かいの斜路の上から全体を眺めた後、又新殿も見学できる霊の湯に決定する。霊の湯自体は小さなお風呂で朝からの疲れを取り、明日までの旅程を思い起こす。いつまでも汗がわき出る身体を十分涼めて、又新殿の案内をしてもらう。数年前、皇太子ご夫妻が来られたというので、入浴したのかと問うたら、見学しただけという。なんだ、僕らと一緒じゃないか。湯玉や白鷺の意匠が美しい。
道後温泉本館を出て道後商店街を通り、市電駅に戻る。松山での最大の目当ては、数年前にオープンした「坂の上の雲ミュージアム」に行くことである。設計は安藤忠雄。大街道の電停を降りて松山地裁の手前の道を入ると、RC造打放しと大きなガラス面が組み合わされ、斜めに鋭い造形を描く建物が右手に見えてくる。道路が狭くて全貌を見るにはやや苦しい。突き当たりの門番所らしき石造りの建物に目がいく。明治陸軍用の軍服を着たおじさんが「坂の上の雲ミュージアムは右手へ、萬翠荘は左手へ」と案内をする。心を落ち着かせるため、まずは萬翠荘へ向かう。萬翠荘は伊予藩主の子孫・久松定謨が別邸として建築した洋館で、大正11年建築。ネオルネサンス様式とされるが、アールヌーヴォーの意匠が優雅な印象を与え、窓上のステンドグラスが美しい。階段上の大きなステンドグラスや扉上に描かれた壁画などが漆喰壁や金色のシャンデリアとなじんでなごんだ雰囲気を与えている。
萬翠荘の奥上には正岡子規・夏目漱石が句会を楽しんだという愚陀佛庵がある。こちらは市内にあり戦災で焼失した建物を復元したもので、質素だが2階の丸窓や障子の多い造りが開放的で明るい雰囲気を醸している。
さていよいよ「坂の上の雲ミュージアム」である。導入の細い坂道を上りエントランスへ導かれると、左右に分かれた小さなホールの間を通って正面に入口ブースがある。通った奥は情報ライブラリーである。展示は手前の斜路を上がっていく。基本構成は三角形に配置された斜路と途中途中に設けられた展示室・展示コーナーである。ほとんどの説明は「坂の上の雲」の記述から取られ、司馬遼太郎ファンには十分な満足を与えつつ、明治という時代、松山の歴史、正岡子規や秋山好古らの人生を紹介する。気持ちのいい展示である。建物もよくマッチして一気に見終わってしまう。そして疲れを感じさせない。いつまでもいたい気分にさせる。安藤らしい良い建物である。
ミュージアムを出たら11時少し過ぎの微妙な時間。松山城ロープウェイ乗り場の近く「秋山兄弟生誕地」へ向かってみる。それらしい建物や庭が復元されているが、有料なので入館はパス。それよりも松山城の東側東雲口にある松山東雲学園の立派な門が目を惹いた。
松山城へは翌日の早朝、県庁口から城山を登った。ちなみに、愛媛県庁は昭和4年建築の重厚なもの。設計は萬翠荘と同じ木子七郎である。市電からもよく目立ち、目を惹く。
さて松山城へ至る道は急坂で鳥の声を聞きながらじっくりと登っていく。朝の涼しい空気の中でもじっくり汗ばんでくる。本丸正面から眺める天守閣は妻面の白と左右に広がる屋根のラインが伸びやかで気持ちがいい。慶長年間築城で天守閣自体は安政元年建築の3代目。城内の門や櫓も古くからのものが多く残っている。帰りは大手口を下る。二之丸史跡公園は復元整備中で、登山道の途中、塀の外から全貌を眺める。ま、立派なお屋敷という感じ。さて、このあと内子へ向かった。続きは後日報告します。
【参考】
マイフォト「松山の建物を巡る」もごらんください。
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2005年に愛知県で開催された愛・地球博。「自然の叡智」をテーマに、環境に配慮した技術や活動が展示され、多くの入場者を集めた。企業パビリオンや各国パビリオンが並び盛況を極めた長久手会場とともに、ゴンドラに乗って渡った瀬戸会場では、県・政府パビリオンが環境学習をテーマにした展示と自然観察会などが実施された。小さな会場だったし、自然観察プログラムの参加者も事前予約等で人数を制限していたので、行かなかったという人も少なくない。
愛・地球博は当初、瀬戸会場を含むエリア(通称「海上(かいしょ)の森」)で新住宅市街地整備を行い、万博会場として一時利用する計画であった。ところが、自然保護を理由に万博開催に反対する人々の強力な運動の結果、新住宅市街地整備は中止され、メイン会場を当時の愛知青少年公園に移し開催されることとなった。
敷地上段の脇に、普段はカギ掛けされた遊歩道が延びており、そこから山へ登っていく。歩道は石積みである。熊野古道の石畳を参考にしたと言う。路面に敷かれた石もあれば、蹴上げ部や法面に積んだケースもある。石材は基本的に長久手会場となった愛知青少年公園で使われていた花崗岩を再利用している。法面には版築で土を固めた上に石を積み、急坂では雨水で道が崩れないよう山側に積んで水勾配も山側に、緩勾配では崖側に石を積むなど試行錯誤を重ねて、物見の丘まで歩道を整備した。
調整池を設けたのは、放流する河川に絶滅危惧種であるホトケドジョウが発見され、その生態系を守るためである。現在も河川には水量計が設置され、定期的に水質調査が行われ、厳格な管理が行われている。また石積みや伝統木造構法など徹底的に拘ったのも、安易にコンクリートを使用してアルカリ汚染を防ぐという理由からであった。
汗も噴き出す頃、ようやく物見の丘に到着する。間伐材の小片ブロックを格子状に組み合わせ積み上げた物見塔は高さ20m近くにもなり、展望台からは名古屋方面まで一望できる。設計は北河原温で、構造設計者の名前も聞いたが忘れた。四隅に鉄材が仕込まれ、足元の鉄土台と緊結されている。シロアリ防止に木製床は地上から持ち上がり、その下には蟻道に利用できないサイズの砂が撒かれているそうである。