まち遊び日記

2013年11月 9日 (土)

公営住宅は必要管理戸数ではなく年間募集戸数を重視すべき

 公営住宅に関わる仕事をしていると、「いったい公営住宅は何戸必要なんだ」と聞かれることがよくある。若い頃には、「収入基準が所得階層の下から1/3(当時)で設定されているから、総戸数の1/3ですよ」なんて答えていたが、現実には5%位しかないから一笑に付されて終わっていた。
 当時はまだ住宅建設計画法が生きていた時代で、住宅建設五箇年計画の策定にあたり、当時の建設省から、計画期間中の公営住宅建設戸数の推計手法が示され、それを利用して推計を行った。もっとも実際に計画に位置付けたい数値(概ね近年の建設戸数×5箇年)とは異なることが多く、さらに適当な理由をつけて増減をし、計画戸数を算出したものだ。
 その後、時代が変わり、現在は住生活基本法に基づき、都道府県住生活基本計画で「公営住宅供給目標量」を示すことになっている。「公営住宅供給目標量」とは従来のような計画期間中の建設戸数ではなく、募集戸数(新規入居戸数)である。このことがうまく理解されず、今でも「供給目標量とは募集戸数のことです」と言い添えたり、書き添えることが少なくない。
 公営住宅の必要管理戸数について、「収入基準をさらに引き下げれば、半分の戸数でもいいのではないか」という暴論を吐く人がいた。収入基準は現在、地方の条例に委ねられているが、これまで国が定めてきた基準をさらに下回る収入基準にした地方公共団体はほとんどなく、かなりの暴論だが、よしんばこれを受け入れたとして、どうすれば半分の戸数に削減することができるのかと考えてみた。
 現在管理している住宅には当然入居者がいるわけだから、即半減(半分を解体除却)することはできない。現在の入居者のうち収入基準を超過する者に退去を促していくのだろうが、たとえ空き家になったとしても共同住宅の各戸を一戸ずつ解体除却することはできず、棟単位で全戸が退去して初めて解体除却が可能となるのだから、老朽化した住宅や利便性の悪い住宅などを選定し、これらの住宅に入居する収入基準を満たす入居者には他の住宅への移転を促しつつ、地道に解体除却の準備を進めていく必要がある。
 また解体除却を決めた住宅には空家募集はできないから、募集戸数も大幅に減少することが予測される。収入基準を下げ、かつ募集戸数も減らすとなれば、当然大きな反対があるだろう。簡単に半減と言っても実際はそう簡単なことではない。
 現実的な政策として、収入基準は現行のまま、将来的な人口・世帯の減少に合わせて住宅管理戸数を減少させる場合を考えてみても状況は同じことだ。公営住宅の応募倍率は依然、全国的に数倍、都市部では数十倍となっており、入居者の綿密な移転計画と移転措置を伴わずに解体除却ができる団地はほとんどない。かなり早い時期からの入居者等への説明や広報、移転費用の支出等を行い、地道に老朽住宅の除却と建替住宅の建設に取り組んでいるのが実態だ。
 だが、老朽化住宅の建替えや長寿命化のための改善事業はしょせん現在入居している人々に対する対策である。公営住宅に入居できず、狭小・高家賃の民間賃貸住宅に入居する住宅困窮者が多くいる現状を考えると、真に重要なのは、これらの人々にどれだけ公営住宅を提供できるかということだ。
 住生活基本計画でいう「公営住宅供給目標量」とはまさにこのことである。もちろん、住宅管理戸数と空家発生戸数はある程度相関するから、一定程度の必要管理戸数を確保していくことももちろん重要だが、それが第一義ではなく、あくまで募集戸数が重要なのだ。必要な募集戸数を確保しつつ、老朽化等にいかに対応していくか。それが公営住宅を管理していく上で最大の目標であるべきだ。管理戸数よりも供給戸数。
 「収入基準を引き下げれば、必要戸数も減らせる」。そんな暴論を突きつけられて初めて、(長年、公営住宅に関わってきて恥ずかしながらようやく)、「公営住宅供給目標量」の意味を理解した。「必要募集戸数」と「老朽化対応」。この二つの目標から改めて今後の公営住宅施策に必要な方針を考えてみよう。新しい方向が見えてくるだろうか。

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2013年9月23日 (月)

愛知見守り大家さんの実態について

 公益社団法人愛知共同住宅協会は名古屋・豊田地域で賃貸住宅経営を行っている事業者が集まり、昭和52年に設立された団体だ。全国連合組織である公益社団法人全国賃貸住宅経営者協会連合会の下部組織でもあり、同種の地域組織としては、公益社団法人東京共同住宅協会と社団法人大阪賃貸住宅経営協会と並び、3団体しかない公益法人の一つでもある。会員数は約670名。規模は小さいが、熱心な弁護士さんも参加して、かなり良心的な活動を行っていると思っている。
 この協会が平成24年度から「見守り大家さん」という活動を始めた。平成24年度には、講演会や研修会を開催したほか、無料電話相談、ほのぼのエピソードの募集、ステッカー配布などを行うとともに、賃貸住宅経営者・管理者を対象にしたアンケート調査を実施した。先日、この調査に協力し、分析等を行った中京大の岡本先生から話を聞く機会があり参加した。
 アンケート調査は「あいち3000人の大家さんアンケート調査」と銘打ち、会員以外にも仲介業者や支援団体、建設会社、行政等の協力を得て、約3,300通を配布したが、なんと回答はわずかに173通。回答率5%。「正直、落ち込みました」と調査報告書にも書かれているが、ここまでの低回収率になった要因は何か、しっかり検証する必要があるかもしれない。岡本先生からもその理由はわからないということだった。
 報告は、居住をめぐる社会・経済的状況の変化などの総論から始まった。障害を抱える高齢者の増加、若年層の持家率の低迷から予測される将来的な高齢者借家層の増大、そして彼らを支える居住の場として、貧困ビジネスや脱法シェアハウスだけではない、人情あふれる見守り大家さんに期待する部分は大きいと語られた。
 暮らしを支える様々なインフラ、電気・ガス・水道、道路・鉄道、医療・教育・福祉、飲食・購買、就労、人とのつながりが日々の暮らしを支える中で、何より住まいがあることは最低限の生活資本の要となる。一方、社会の変化、生活の変化が進む中で、生活資本から落ちこぼれる人が現われ始めている。
 今回、回答をしていただいた方々はいわゆる「見守り大家さん」として、生活困窮者を下支えする重要な役割が期待される。アンケートから見える「見守り大家さん」の住まいの特徴を、愛知県全体の住宅・土地統計調査の民間賃貸住宅の集計と比較して分析をされた。
 2階・3階建ての低層集合住宅が中心で、戸数も15戸以下が65%を占める。構造は意外にRC造や鉄骨造が多く、家賃、築年数も県平均と大差ない。入居者は単身世帯が多く、「所有かつ管理」をしているものが半数を超える。「心配や困ったこと」として、「家賃滞納」「ゴミのマナー」「孤独死」「入居者間のトラブル」「ペットの飼育」等が挙げられている。生活保護者や単身女性などを入居制限している例もあるが、多くは家賃滞納などの不安を抱きつつ入居を受け入れている。家賃滞納に備え、民間債務保証会社を利用している者が3割近くあるが、その他は外部のサービスを利用した経験は少ない。普段から、「声掛け・挨拶」、「おすそ分け」等の「おせっかい」を焼いているという回答も多い。また大家さん自身が町内会の役員や民生委員、防災・防犯活動などに関わっている例も多い。
 以上の結果を大きく6つにまとめられた。(1)家賃滞納と近所迷惑が心配、(2)大家は居住支援の制度や団体を知らない、(3)おせっかいは見守りから生活支援まで幅広い、(4)店子の属性と不安にパターンがある、(5)大家は地域の先輩であり、地域資源から生活資本を引き出す力がある、(6)大家が期待する地域社会資源はソフトが中心。
 その後の意見交換としては、「見守り大家さん」の実態についてはある程度想定内という印象。だが、回答を寄せた5%以外の賃貸住宅がどうなっているかが大いに興味があるし、問題も多そうだという点に集中した。95%の賃貸住宅経営者の多くは、管理は管理会社に丸投げし、経済的損失だけが関心と不安ではないかと思われる。しかしその種の調査はほとんど行われていないし、実態がわからない。特に昨今は民間賃貸住宅の空き家が増加している。
 住宅や生活に困窮する人々の支援において、「見守り大家さん」がその一部を担っている実態はわかった。一方で、「見守り大家さん」の活動に関わらない民間賃貸住宅がほとんどを占めている状況がある。かつその多くは空き家の増加という経営的課題に面している。格差の拡大、困窮者の増大という社会的状況の中で、今後、健全でゆとりある民間賃貸住宅事業をいかに誘導していくかが住宅政策における大きな課題の一つとなっていくだろう。しかしどうやって? まずはその実態を十分明らかにする必要があるようだ。

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2013年7月26日 (金)

愛知県の高齢者居住安定確保政策の現状

 都市住宅学会中部支部公共住宅部会で愛知県の高齢者居住安定確保政策の現状について聴く機会があった。愛知県では平成24年3月に愛知県高齢者居住安定確保計画を策定しているが、その内容の説明とともに、計画策定とほぼ同時に開始されたサービス付き高齢者向け住宅の登録状況等について担当者から話を伺った。
 高齢者居住安定確保計画の根拠となる「高齢者の居住の安定確保に関する法律」いわゆる「高齢者住まい法」は平成13年に制定され、当初は高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)、高齢者円滑入居賃貸住宅(高円賃)、高齢者専用賃貸住宅(高専賃)を制度化するとともに、終身建物賃貸借制度などを定めていた。その後、平成21年に法が改正され、各都道府県は高齢者居住安定確保計画を定めることができるようになった。法改正直後は計画を策定する都道府県は少なかったが、平成23年にサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が制度化されるとともに、各県で計画が策定されている。なお、平成23年の法改正で、高優賃、高円賃、高専賃はサービス付き(サ高住)に統合された。
 説明の前半では、愛知県の高齢者世帯の動向等の話があり、特に高齢単身世帯の持家率が低いことが指摘された。ただし、その要因はわからない。高齢夫婦世帯は85%が持家に居住する中で、単身世帯になると60%を下回るのは、生涯未婚者の割合だけでは説明がつかない。
 住宅のバリアフリー化の状況、虚弱化した時の住宅選択、市町村別の高齢化率と借家率などのデータを提示した後、5つの課題を挙げられた。(1)既存住宅のバリアフリー化の必要、(2)高齢者向け賃貸住宅の供給、(3)高齢者の入居を拒否しない賃貸住宅の増加、(4)高齢者の暮らしを支える社会システム、(5)地域の特性・事情に応じた対応の5点だ。その上で、計画の基本目標を「高齢者の望む暮らしにあった住まいを実現する」とし、高齢者向け賃貸住宅等の供給目標を掲げている。平成24年度から32年度までの9年間で、高齢者向け賃貸住宅(生活支援サービス付き)を約1万1千戸、老人ホーム等は「愛知県高齢者健康福祉計画により、要介護・要支援者の増加に対応した施設の増加をめざす」という内容だ。ちなみに、高齢者向け賃貸住宅等の供給目標量の推計方法は、平成32年度の高齢者数のうち、要介護・要支援・二次予防事業対象者を推計し、そこから借家に居住する単身・夫婦のみ世帯数を推計し算出している。
 また、計画の基本方針は、(1)既存住宅のバリアフリー化、(2)バリアフリー対応住宅の新規供給(①高齢者向け賃貸住宅(生活支援サービス付き)の供給、②新設住宅のバリアフリー化(持家・借家))、(3)安心できる入居・居住に対する支援(愛知県あんしん賃貸支援事業など)、(4)公的賃貸住宅での高齢者対応、(5)人にやさしい街づくりの推進、となっている。なお、愛知県あんしん賃貸支援事業は、高齢者等の入居を拒否しない住宅の登録と協力店、支援団体を登録する愛知県独自の制度だが、登録戸数はあまり伸びていないということだった。
 愛知県における「サ高住」の基準は、床面積が原則25m2以上(共用部分があれば18m2以上)としている他、安否確認及び生活相談サービスの提供など、国の基準と何ら変えていない。平成24年1月に本格的に登録を開始してから、平成25年5月末までの1年半弱で約128件4,264戸の登録がある。このうち名古屋市で52件1,644戸。その他は西尾市(人口約17万人)で熱心な不動産業者があり、18件562戸の登録があるが、その他の市ではあまり伸びていない。豊橋市・豊田市といった人口が多い都市よりも名古屋市近郊の市で登録数が多い傾向がある。熱心な事業者の有無が登録数に影響しているようだ。また、全国資本の業者は名古屋市内での登録が多く、市外では地元事業者の登録が多い。医療法人や社会福祉法人等が事業者になる割合は少ないとのことでやや意外である。
 住宅の規模は20戸から44戸までが約7割、3階建てが全体の過半を占める。また居室面積も25m2未満のものが多く、最低居室面積が25m2未満のものが約75%となっている。また最低家賃は約7割が6万円未満、最高家賃では15万円を超えるものもあるが、6万円未満が約5割となっている。
 提供しているサービスは義務化されている「安否確認・生活相談」以外に、全ての登録住宅で「食事の提供」を行っている他、入浴介護や調理等の家事支援も7割近い住宅で提供されている。また、住宅に介護事務所等を併設するものが8割以上あり、複数以上の施設を併設しているものも多い。
 入居状況は必ずしも良いとは言えない。遊休地を活用し、従来の若年世帯向け賃貸住宅の代わりに建設するケースも多いようだが、事業的にどこまでペイしているかはわからない。「安否確認・生活相談」以外のサービス提供は老人ホームに該当するため、現時点ではすべてのサ高住が老人ホームということになる。いわゆる「みなし老人ホーム」。従来、老人ホームの建設には、県等の設置基準があり、厳しい指導が行われていたが、「サ高住」の登録を行うことで老人ホームの指導基準を逃れることができる。「質の低い老人施設が大量供給されている」という参加者の意見もあながち間違いではない。一方で、市場原理が働いていることも事実で、入居が必ずしも順調に増えていないという現状は、これまで愛知県内では一定規模の持家で生活してきた高齢者が相当数あることが影響していると思われる。
 厚労省にとっては、老人ホーム等の施設整備に対する補助を国交省でみなし老人ホームの整備支援をしてもらうことで軽減でき、本来の福祉サービスに重点化できるメリットがあっただろう。だが、国交省サイドの施策として「住宅と言う名の施設」を整備することはどうか。参加者から「行政で適正な規模・内容のモデルプランを作成・提示すべきではないか」という意見があったが、わからないでもない。ただし、既に動き始めてしまった後で、どれだけ効果があるだろうか。市場で低質な「サ高住」を駆逐できるよう、十分かつ的確な情報提供に努めるというのが必要な施策だろうか。もちろん、定期的な指導・監察も必要となろう。
 現在も全国で次々と建設が進められる「サ高住」だが、高齢者向け住宅施策はこれに尽きるわけではないし、今後は「サ高住」に係る問題も色々と発生しそうだ。高齢者居住安定確保計画も住生活基本計画と同様、5年後に改正するのだろうか。それまでに「サ高住」を始めとする高齢者向け住宅や施設の整備状況や高齢者の居住状況等を十分観察・分析し、施策の再検討を行う必要があるだろう。

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2013年7月 4日 (木)

伊勢の式年遷宮と伝統技術の継承

 今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年である。伊勢市にある皇學館大學文学部の岡田教授から伊勢神宮の式年遷宮に係る話題についてお話を伺った。
 そもそも伊勢神宮とは、という話題から入るが、創紀は内宮の皇大神宮が297年、外宮の豊受大神宮が478年。皇大神宮の祭神、天照大神は、10代崇神天皇の代までは宮中に祀られていたが、天候不順が続くなどしたため、崇神天皇6年に一旦は笠縫邑(奈良県桜井市付近)に祀り、その後、11代垂仁天皇の代になって、祀るべき場所を求めて近江や美濃などを巡った末、垂仁天皇26(西暦297)年、伊勢の宇治に至り、五十鈴川上流の現在地に祀られた。
 天照大神は日の神で、東の海から太陽が上がる伊勢の土地は天照大神にふさわしい。ちなみに「海」とは「うみ」「生み」「産み」であり、生産に通じるというトリビアは文学部の先生らしく面白い。
 一方、豊受大神宮は第21代雄略天皇の時代、天皇の夢に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできない」と言われ、丹波国から豊受大神を遷し祀ったものという。雄略天皇22(西暦478)年のことである。豊受大神は食の神で、今でも朝夕、神事が行われている。ちなみに、「稲」(いね)は「命」「根」で、まさに生命の源の意だと言う。
 皇大神宮、豊受大神宮はそれぞれ正宮の他、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社の計125社が存し、社殿のない神様も数えると、141座をお祀りしている。
 式年遷宮は20年ごとに殿社を建替えるもので、併せて神宝・装束も新調する。遷宮の制は壬申の乱の主役の一人、大海人皇子こと天武天皇が定め、死後、妻であった持統天皇の代4(西暦690)年から内宮で、さらに2年後の持統天皇6年から外宮の遷宮が始められた。ちなみに、持統天皇4年の干支は「庚寅」。「庚」は「更」で「更にする」の意、また「寅」は勢いをもって始めたということか。
 別宮14社のうち、荒祭・月読・伊雑・瀧原・高の5別宮は天平19(西暦747)年に遷宮が始められ、現在は14別宮と8摂社で20年遷宮が、摂末社以下の86社で20年ごとの修造、40年ごとの遷宮が行われている。
こうして始められた遷宮だったが、都合2回中断期間があった。一度目は応仁の乱の時で、外宮は永享6(西暦1434)年第39回の後、内宮は寛正3(西暦1462)年第40回の後、約130年弱中断され、再開されるのは外宮が永禄6(西暦1563)年、内宮が天正13(西暦1585)年。ちなみにこの年に外宮も2年遅れで遷宮が行われ、ここから内宮・外宮の同時遷宮が始まり、遷宮の回数も内宮・外宮で同じとなった。
 江戸時代に入って13回の遷宮費用はいずれも幕府が負担。明治以降も戦前までは国が全額負担してきたが、太平洋戦争後、本来であれば昭和24(1949)年が式年の年であったが、進駐軍から認められず、この年は宇治橋のみの架け替えにとどめ、正式に遷宮が認められ行われたのは昭和28(1953)年である。以降、宇治橋の架け替えは式年遷宮の4年前に行われている。その後は天皇家の御内帑金と神宮奉賛会からの浄財で遷宮が実施され、ちなみに今回の費用は約550億円と言われている。
 御用材は樹齢200年ほどのヒノキが長野県木曽谷国有林、岐阜県裏木曽国有林及び五十鈴川上流の神路・島路山に確保されており、今年の式年遷宮には約2割ほどが利用されるという。こうした山林は御杣山と呼ばれ、近傍各地の山が指定されてきたが、1809年以降は木曽山が御杣山とされている。また、萱も三重県度会町の五里山が御萱山として指定され、毎回32宮社25000束(1束:約25kg)が揃えられる。なお、建替えられた後の旧材は、1/3が全国の神社へ撤下、1/3が摂末社の修理材に利用されるリサイクルの仕組みができあがっている。
 式年遷宮と同時に作成される神宝・装束は714種1576点。これらも毎回同じものが作成され奉納されるが、技術の伝承が非常に難しくなっている。神宝・装束は20年ごとに焼き捨てられ、土中埋納されてきたため、それ自体は国宝になりえないが、それを作成する職人は人間国宝であり、文化勲章受章者であり、伝統工芸技能者である。また、明治以降は神宝・装束も神宮徴古館に収められ保存されている。
 20年に1度建替える意味は様々言われる。先生からは6説ほど、最大数説(手足の指の数)、尊厳保持説(白木造りの建物の耐用年数)、世代技術伝承説、原点回帰説(陰暦11月1日に冬至が来るのは19年7ヶ月毎)、糠保存説(遷宮は大神嘗祭であり、倉庫令で糠の保存を20年と定めたため)などが紹介されたが、どれが正解というわけでもない。だが、建築的には世代技術伝承説が重要だ。
 講演後、「出雲大社はなぜ遷宮をしないのか」という質問があったが、「出雲大社はかつては今の数倍の大きさだったため、とても十数年ごとに建替えることは材料の確保等の点で不可能だった」と答えられた。実に20年に1度というのは絶妙だ。今なら二つの殿社が並んでいる姿が見られるという。あいにく当面見に行く予定はないが、昨年オープンした「せんぐう館」は一度見学に行きたいと思っている。

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2013年5月22日 (水)

戸建住宅団地の居住環境評価

 国土交通省(土地・建設産業局)では平成21年度に「戸建て住宅団地の居住環境評価に関するガイドライン」を策定・公表している。この内容を詳しく聞き、意見交換をする機会があったので報告する。
 ガイドラインは、住宅単体の性能表示制度はあるが住宅団地の性能表示制度はない、しかし住宅単体では測れない性能がある、という問題意識の下、1団地の居住環境を評価する仕組みを提案したものである。住宅の性能表示制度はあるのだから、住宅単体については評価対象外、住宅地開発事業のツールとして使うという意図から一体開発される住宅団地を評価対象とし、宅地開発と一体で整備された共用施設は対象とするが、そうでない施設については近接(評価対象区域内の一番遠い位置から600m以内)のもの以外は評価の対象としない。また、駅や公共・公益施設への距離など立地条件に関わる部分については、土地価格に反映されているとして評価対象外としている。逆に言うと、地価に反映されない居住環境について評価することで、住宅団地の差別化や比較を行うことができるようにすることを目的としている。
 評価結果については、CASBEEのように一つの数値指標で表現するのではなく、「安全」「生活」「街なみ」「エリアマネジメント」の4つの区分の中にさらに「防犯」「交通」「防災」/「公園」「利便施設」「バリアフリー」/「ゆとり」「緑」「景観」/「街並みルール」「管理体制」「地球にやさしい」と3つずつの評価項目があり、それぞれ「居住環境配慮している/されていない」のいずれかの評価がされる仕組みになっている。ビジュアル的には、評価できる項目がカラー表示され、評価できない項目は白塗りになっている。
 各項目は基礎的には計91の小項目について「適合している/していない」の評価を積み上げ、12の中項目ごとに基準値を設定。適合している小項目の数を基準値と比較して、中項目の評価を行う仕組みになっている。ちなみに「交通」の項目は、団地内道路の幅員や歩車分離の状況等が評価項目となっている。また、基準値はインターネットでピックアップしたカタログから判断して採点し、平均点をベースに設定している(ただしエリアマネジメントについては政策誘導的に設定)。
 パブリックコメントを経て公開されたガイドラインは現在、国土交通省のHPに掲載されているが、実際どれくらい利用されているかはっきりしたことはわからない。プレハブメーカーでは営業マンのツールとして役に立つという意見もあるようだし、国内で良質な住宅団地開発を多く手掛けている住宅生産振興財団では、団地をガイドラインに基づき分類し「30年のあゆみ」として刊行したなどの事例があるようだ。
 国の住生活基本計画では、参考資料として最低居住面積水準などと並んで、居住環境水準を記述しているが、内容は指標項目を挙げるのみで、具体的な数値が記載されていない。本ガイドラインはこれに代わる具体的な指標として活用できるかもしれない。また、地区計画などを検討する際に、建築基準法に定める規制項目と数値に囚われがちだが、このガイドラインを利用することで、具体的な地区イメージを持って地区計画を検討することができるようになる可能性もある。
 参加者からは、事業者が自ら評価するのではなく、消費者や住民が住宅購入の際に利用するツールとして使えるのではないかという意見があった。ネットで評価したい項目を入力するとお勧め団地が紹介される仕組みなどのアイデアも面白い。リクルートなどの住宅情報企業での利用も考えられるだろう。また既存住宅地の評価に使用することはどうだろうか。市町村全域で評価をすることで、課題が数値的に見えてくるかもしれない。
 参加者からは、評価項目の重み付けの可能性や基準値の妥当性、経年的な変化への対応など様々な意見が出された。それは逆に言えば、非常に興味をそそる取り組みだったということでもある。国土交通省の中でも土地・建設産業局の取り組みということで、住宅局からの視線は冷たかったという話もあるが、うまく民間活用を促すことで居住環境を評価する機運を高めていくことが必要ではないだろうか。楽しい話を聞かせてもらった。

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2013年5月 2日 (木)

「良いまちなみ」から「住みよいまち」へ

 都市住宅学会中部支部総会講演会に参加した。講師は近畿大学を今春に退職した森本信明名誉教授。2008年に「まちなか戸建」を執筆発行されているが、何故かこの本は読んでいない。たぶん当時は私の関心が公営住宅や住まいのセーフティネットの問題に占められていたのだろう。だが、森本先生の著作は1998年に発行された「賃貸住宅政策と借地借家法」、1994年に発行された「都市居住と賃貸住宅」ともに読んで、非常に共感を持った。実に20年ぶりに憧れの人に会う思いである。ちなみに初めて拝見した森本氏はたいへん物腰の柔らかい上品な紳士だった。そして研究の視点もやさしさに溢れている。
 講演のタイトルは「『まちなか』と『郊外』-都市居住のいまとこれから」。前半で「まちなか戸建」で展開した小規模戸建住宅の可能性とまちなみへの影響と考察を説明し、後半で中部支部からの要請に応じて郊外居住の問題について所見を語られた。
 まず最初に、持ち家の可能性について語られた。森本氏を学会でつとに有名にした定期借家論争、西山卯三の持ち家主義批判、住宅研究者に根強く残る持ち家政策批判等を説明した後、和歌山大の山田良治先生の「土地持家コンプレックス」にあった一節「持家化の歴史的必然性と限界」を取り上げ、「資本主義社会においては持ち家化は自然な現象である」と反論する。もちろん持ち家化の進行によりアフォーダビリティ(セーフティネット)の問題が発生するかもしれないが、それはそれとして別の問題として対応すべきで、持ち家政策の結果であるとか、持ち家政策を止めれば解決するという問題ではないということだ。
 山田良治先生と言えば、2009年の都市住宅学会大会のWS「公共住宅の課題と再生」を担当した際に、パネラーの一人として参加いただいたことがある。その時は土地空間の公共性とアフォーダビリティ問題への介入にあたり、市場・経済政策によるアプローチと「建築不自由の原則」の確立の観点から話をされた。他のパネラーと噛み合わなかった感があったが、「建築不自由の原則」については、森本氏も講演の中で話題に取り上げており、両者が同席したらどんな議論が展開されるのか興味を持った。
 さて、森本先生の立場は持ち家は社会的な趨勢であるというものだが、共同建と戸建との比較では、耐震性や効率性では共同建が優れるものの、建替えや増改築の容易さ、敷地分割・処分の用意さでは戸建の方が優れることから、都心近傍から郊外にかけては戸建住宅が多く建設される状況にある。こうした状況で地価が一定程度高ければ小規模敷地上の戸建住宅の発生は必然的である。 
 こうして建設された都市型住宅としての「まちなか戸建」は、個別更新、住宅以外の用途の適度な混在など空間変化に対する柔軟性が高く、前面空地を活用した自家用車利用が可能で現代的生活にマッチしている。一方で、「まちなか戸建」は一旦建設されると建替えや増改築はそれぞれの所有者に任せられるため、まちなみに対する均質性と安定性に欠ける。従来、この課題に対して居住地共同体、今風に言えば「地域マネジメント」によるまちなみ管理を期待する研究が多かった。しかしここで森本氏がユニークなのは、「違法・地域許容建築物群」の研究を始められたことだ。
 開発後それなりに時間が経過した住宅地では普通に見られることだが、自転車の道路への突出、植栽の表出、クルマが道路に少し突き出ているケース。さらにガレージの屋根設置などは違法ではあるが、地域では許容されているケースが少なからずある。
 持続可能な都市住宅地を考えた際に、3つの視点を挙げられた。一つは世帯が次の世代に引き継がれていくこと。二つ目は空間・環境が良好な住宅を維持しつつ、必要に応じて更新されていくこと。3つ目は必要な生活サービスが提供され続けること。これらの柔軟性・混在性も含めて評価していくことが、持続可能な住宅地としては必要な視点ではないか。
 「持続性のあるまち」が「住みよいまち」だと定義すると、「建築不自由の原則」で守られる安定性・均質性の高い「良いまちなみ」に対して、「地域許容の原則」により形成される柔軟性と混在性のある「しなやかなまち」が考えられる。「良いまちなみ」から「住みよいまち」へ。これが森本氏の今回の講演のキーワードだ。
 後半はここから郊外問題に移っていく。最初に立てた論は「公共介入の必要性はどういう条件があれば組み立てられるのか」。端的に3点を挙げる。市場の失敗、共通利用、共同要求だ。この3点の念頭に置いた上で、空き地・空き家の増加、生活施設・サービスの衰退問題、地域ぐるみの高齢化問題、コミュニティの衰退問題について本当に公共の介入が必要なのかを考えてみる。
 森本氏の考えは、ある程度市場メカニズムに任せる中で多様な解決策が模索される可能性があるのではないかというものだ。そしてその場合、その市場メカニズムをいかに計画的にコントロールしていくのかが行政課題となる。
 概ね以上のことを話された後、会場との質疑応答が繰り広げられた。私からは「『公共介入の必要性』の3条件に加え、社会状況の変化の中で『公共(計画)の失敗』があったのではないか」「今後の行政政策に対するアドバイスはないか」と発言させてもらった。先生からは「住まいのセーフティネットと安全性の確保が最大の行政課題であり、福祉施策や防災施策など他分野と連携した取組が必要ではないか」という答えをいただいた。
 会場からは、地域活動にがんばっている方から「行政のリーダーシップに期待したい」といった意見もあったが、私としては「行政は『地域許容の原則』や『住みよいまち』の実現に向けて、市場メカニズムを計画的に活用・コントロールする仕組みづくりに努めるべき」ではないかと思う。もっとも「言うは易く、行うは難し」ではあるが。
 「地域許容の原則」による、「良いまちなみ」から「住みよいまち」へ。心にストンと落ちる話であった。まさにそういうまちができたらいいなあ。建築行政って何だろう。そのことを思わざるを得ない。

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2013年3月 5日 (火)

地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン

 中部地方整備局で「地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン」の策定が進められている。先月18日に第6回検討委員会が開催され、中間とりまとめ(案)が提示された。先日、中部地方整備局の職員の方から内容について聞かせていただく機会があり、ある意味、大胆な割り切りとまとめ方が興味を引いたのでここに紹介しておく。なお、委員会での資料等は「地震・津波災害に強いまちづくり検討委員会」のHPに掲載されている。
 まずこの「地震・津波災害に強いまちづくりガイドライン」は、地方公共団体が計画立案や整備を進めるためのガイドラインという位置づけである。そのために地方公共団体では、現状把握、課題分析、基本的な考え方の整理、短期及び長期の施策の検討等を行った上で、「地震・津波災害に強いまちづくり基本方針」を策定し、具体の施設整備や事業実施を行うと想定したうえで、そのために必要な検討内容や基本的な考え方等を示している。
 その中で興味深いのは、一つは、海岸平野部・内湾低平地部、半島・島しょ部の3地域においてモデル的方針のケーススタディを行っていることであり、2つ目に、いつ来るかもしれない災害に備えた短期的な取組と、地区の将来像(グランドデザイン)を共有して進める長期的な取組の両面を検討することとしている点である。
 また、避難計画や将来土地利用計画を立案するにあたって、浸水深さを重視している点も興味深い。これは岩手県が被災市町村における復興に向けた土地利用にあたり示した考え方を参考にしたもので、例えば、避難所や災害弱者関連施設は浸水しない区域を基本とするが、その他の公共施設については想定浸水深さが2m(学校・医療提供施設は1m)までは許容するという内容になっている。これは浸水深さが2mを超えるとほとんどの木造家屋が流出等により全面破壊となるが、鉄筋コンクリート造であれば浸水深さ5mまで持ちこたえるとされていること等を根拠としている。ちなみに浸水深さとは津波高さから地盤高さを差し引いた深さとして想定できる。
 この考え方を適用し、海岸平野部のモデル地区の短期施策として、浸水深さ2m以上の海岸部には津波避難ビルや避難施設(タワー)を配置するとともに、重要公共施設は浸水深さ0.3m未満の地区に移転又は土盛り等を検討することとしている。もちろん、建築物の耐震化や家具固定の促進、ハザードマップ等による啓発や防災教育、人材育成、自治会・企業との連携強化なども実施施策として取り上げられている。短期施策は命を確保することが第一目標である。
 また、長期施策(グランドデザイン)の検討では、概ね50年先の姿を描くことを提案している。50年というのは、現存する建物やインフラの更新が概ね行われるとともに、これから生まれてくる人たちが現役世代となる時代である。いろいろな意味で既得権益やしがらみから離れて、かつ実現可能な時期として設定している。
 ここでは大胆な土地利用計画を想定している。2mを越える津波浸水想定エリアには、耐浪性への配慮と十分な避難施設等を確保しつつ、産業・農業・緑地等を集積することとし、浸水深さ1~2mのエリアは土地の嵩上げやピロティ化等を行いつつ市街地を維持することとしている。なお、嵩上げ等は建替え時の自助とし、地震保険等への加入を促すという考えだ。そして重要公共施設や災害弱者施設等は津波浸水想定区域外へ配置することとしている。
 このモデル地区ではこうした原則に沿ったグランドデザインがきれいに実現できるかのように描かれているが、現実の地域では必ずしも原則どおりにはならないだろう。だが、50年先を設定することで、ある程度現状から離れた理想的な将来像を描くことができるし、それを事前に住民・自治体で共有しておくという考え方はわかりやすい。
 ちなみに避難行動がとれるのは浸水深さ0.3mまでである。また、避難には津波到達時間も大きく影響する。これらも考慮して各自治体で現実的な短期計画と理想的な将来計画を策定しておくことが望まれる。
 今年度は中間とりまとめで、来年度、さらに学識者等の意見を聞きつつ、バージョンアップし、自治体向けに説明会等により公表・啓発していく予定だ。「浸水深さ」と「50年先のグランドデザイン」という二つのツールは非常にわかりやすいし、ある程度説得力もある。多くの自治体で「地震・津波災害に強いまちづくり計画」が策定されることを期待する。

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2013年2月20日 (水)

外国人居住者の居場所-ある団地での誕生と終焉

 建築雑誌2012年5月号に掲載され、2012年日本建築学会優秀卒業論文賞を受賞したことから、指導教官の小松先生にお願いし、現在は名古屋大学大学院修士1年の筧さんに研究報告をしてもらった。発表論文だけでなく、その前段としての外国人登録者の状況や研究対象とした住宅団地を巡る状況、外国人居住への様々な対策の現状等の説明から始まり、論文執筆後の地元住民やNPOとの交流・意見交換等の状況まで、様々な話を聞かせていただき、その後の意見交換も興味深いものだった。
 対象団地はUR賃貸住宅(約1600戸)と県営住宅(約1350戸)をUR宅地分譲地(約600戸)が取り囲んだ形をした約3550戸余りの住宅団地である。居住人口7971人のうち外国人が3781人と約半数に近い。こうした状況に、地元自治会では交流イベントの実施や回覧板等の多言語化、防犯パトロールの実施などに取組み、市では国際課を設置して関係者による多文化共生推進会議を設置するなどの対策を進めてきた。また外国人居住をサポートするNPOも5団体ほど設立され、日本語教室やブラジル人学校の運営、放課後学習支援、未就学児対策などに取り組んでいる。
 本研究はこうした状況の中、団地の一角に生まれた「トラックヤード」と呼ばれる外国人居住者の居場所の設置から撤去までの経過を追い、その要因等を考察している。
 事の始まりは1995年頃、団地内の路上に外国人向けの移動販売車が出現するようになったことによる。外国人が多く住む県営住宅団地とスーパーマーケット等のある商業・業務地区との動線付近に停車された販売車には多くの客が集まり、中にはまるでドライブスルーのように販売車の外側に横付けて購入するクルマまで現れ、交通渋滞が問題となった。
 ちょうどその時期に団地内の不法駐車問題に対応するため、団地内の4自治会が合同で駐車場委員会を設置。団地内の市有地を借地し、駐車場を整備することとなり、その一環として2000年頃、駐車場の一角に移動販売車専用の駐車ゾーン「トラックヤード」が出現した。販売車からは駐車場料金を徴収していたが、そのうちにテントが設置され、プレハブ店舗が設置され、2005年にはついに軽量鉄骨造の店舗が建設された。この間、駐車場委員会は、契約上は駐車場内での営業は不可となっていたにも関わらず、口頭で商売を許可。さらにプレハブ店舗の設置に対しても、移動できることを条件に許可をしている。
 トラックヤードの場所は、当初、移動販売車が停車していた場所からやや移動し、県営住宅からの動線からは外れることとなった。これにより、県営住宅に入居する日本人の来店が減り、外国人の利用が増える。特にこの団地では滞在歴や出身都市等により複数のエスニック・グループができていたが、日本語能力が乏しい外国人にとっては、同郷等で構成されるエスニック・グループの存在は貴重な情報交換の場であり、グループの活動は主としてこのトラックヤードで展開されるようになる。
 軽量鉄骨造店舗が建設され、室内にはビリヤード台やトランプ室(賭博?)などもできると、団地外から訪問する外国人が増加し、外国人グループ同士の喧嘩なども発生するようになる。また外部からは見通せないことから周辺住民にとっては不安でもあり、撤去を求める声が次第に強くなっていった。
 自治会では2006年になってようやく駐車場委員会のメンバーを一新。市も駐車場委員会に対して契約違反であることを通告。建築相談課も違法建築の撤去を指示した。一方、設置側は撤去を拒否して抵抗。結局、裁判の末に2011年になって撤去が決定。現在は通常の駐車場として再整備され、利用されている。
 卒業論文ではこれらの経緯や顛末、その後の状況などを丁寧に取材。上に書いたようなことを明らかにしたうえで、外国人にとっての居場所をどう考えるか、またその空間的課題について考察をしている。
 その際に筧さんが特に注目しているのが、セグリゲーション(棲み分け)だ。居場所が外国人だけの場所として周縁部に設置され、立地的にも、施設形状としても日本人の関与が難しい状況にしてしまったことがセグリゲーションを引き起こした要因と考察している。一方で、外国人と日本人が自治会事務所でうまく融和し交流している団地もあり、こうした差が出る要因として、居場所のあり方が影響したという分析である。
 もちろんそれだけではない。意見交換では、外国人数が十分多くて日本人とは交流がなくてもコミュニティが成り立つ状況にあったことが要因の一つだという意見があり、そもそも特別な居場所は必要かという意見もあった。今年度になってから筧さんが参加したNPOとの意見交換会やシンポジウム等でも同様の意見があり、「日本人にも居場所が必要だ」「共生は無理。共存なら可能」「外国人の自治会加入率が低すぎる」といった声があったそうだ。
 ちなみにこの団地内でも、県営住宅に入居する外国人の自治会加入率はほぼ100%だそうで、これは自治会活動が二つの要素から成り立っていることを示している。一つは「共用施設の管理」で、外灯やエレベーター等の維持管理は日本人・外国人の別なく共同で実施しなくてはならない。もう一つは「交流・助け合い」で、こちらは必ずしも自治会でなくても別の組織や仕組みで代替することができる。公営住宅の自治会は必ず一つ目の活動が伴うため、外国人も加入せざるを得ないが、URが共益費まで徴収し管理するUR賃貸住宅では自治会に加入する直接的なメリットが感じられない。しかし考えてみると自治会加入率が低いのは都心の若年単身者も同様である。そして彼らは後者の「交流・助け合い」要素を会社やネット等で代替・補完し生活している。
 また居場所の必要性についても、「交流・助け合い」の形によって様々な場所が利用されている。高齢者のコミュニティ活動、若者のコミュニティ活動とも、それぞれの居場所で活動が行われている。それは集会所のこともあるし、学校や公園、広場、喫茶店など様々だ。
 小松先生から「居場所が必要。ということではなく、居場所となっている場所は大事にしたい。」という発言があった。このケースでは元の移動販売車のあった場所が、外国人コミュニティにとってはもちろん、日本人との交流の点でも最適な居場所となっていた。そうした場所性を大事にしていくことは重要である。また、日本人同士であっても、高齢者と若者など異なるコミュニティ相互の交流も重要であり、それが自然と促されるような場所:スポットを居場所として大事にしていくことも居場所の場所性として重要である。
 ところで、この報告会の後で、豊橋技術科学大名誉教授の三宅先生から先生が一住民として参加し作成した豊橋市栄校区自治会・まちづくりを考える会の「栄のしおり」をいただいた。住民向けに作成された自治会活動等に関する冊子だが、それを読むと自治会がいかに多様な活動をしているかがよくわかる。
 自治会連合会―校区自治会-町内会とヒエラルキー化した自治会組織の中に、社会教育委員、民生・児童委員、更生保護女性会、社会体育委員、子ども会、老人クラブ、消防団、防犯協会、女性防火クラブ、清掃指導員、青少年育成校区指導員、保護司、スポーツ推進委員、交通安全推進委員、小・中PTA、健全育成会、防災会、市民館運営委員会があり、さらに町内会独自組織として祭礼委員会、盆踊り委員会、敬老委員会、自主防災会、公民館運営委員会、神社氏子総代がある。民生委員や子ども会、PTA位はわかるが、それにしても数多くのコミュニティ組織があることよ。
 これを見ると、自治会役員が自治会加入しないことを非難する気持ちも理解できる。中には行政が行うべき業務もかなりありそうだし、逆に言えば、だからこそ日本は少ない公務員で成り立っているとも言える。こうした日本独自の社会構造や文化と外国人居住の現状をいかにすり合わせていくかは、今後、外国人の高齢化等が進んでいくとさらに問題になっていくのではないか。いや、外国人だけではなく、若中年の日本人にとっても知らない世界かもしれない。建築学的な「居場所のあり方」なんてレベルを超えて、社会的な大問題になっていく可能性があるのではないか。日本は大丈夫だろうか。

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2012年12月22日 (土)

大阪の保証金方式による借家建設

 12月14日に開催された公共住宅部会(都市住宅学会中部支部)は面白かった。テーマは「日本の住宅事情史 Topic-1 (大阪の保証金方式による賃貸供給)」。講師は豊橋技術科学大学名誉教授の三宅醇先生。
 先生は最近、「日本の住宅事情史」をまとめる構想を持って、過去の資料等を振り返り、メモを積み重ねていると言う。「住宅と社会の150年の変化」と副題のついたメモには、「1.日本という国、その人口と住宅」から始まり「14.英・日・亜の都市・住宅と社会」まで、江戸末期から現在に至る住宅事情史の断片が目次となって並べられている。もっともこの目次と構成は日々変わるとのこと。当日は、長い研究生活の中で集められた膨大な資料・書籍の中から、戦中戦後の10数年間の古い資料を見つけ出し、大阪の借家における保証金制度について考察を重ねた結果を報告いただいた。
 そもそもこの課題への関心は先生が卒論をまとめていた1962年に遡る。大阪及び近郊地域での木造アパートの実態調査をしていて、高額な保証金が課せられていることに気付いた。岐阜県中津川出身の先生にとっては全く初耳の家賃習慣だったが、その内容について経営者に聞こうとしたら、韓国人のその男性にひどい剣幕で怒鳴られたという。当時から大阪は韓国・朝鮮人比率が他の地域に比べ圧倒的に高かった。この経験がこの日の研究報告のベースになっている。つまり、韓国の借家制度「伝貰(チョンセ)」が大阪の保証金制度のルーツではないかという仮説だ。
 ちなみに「伝貰(チョンセ)」とは、現在も続く韓国の借家制度で、入居時に建設費の7割近い一時金を支払い、月々の家賃は払わず、退去時にはこの一時金が戻ってくる仕組みだ。家主は一時金を運用して利益を上げる。入居者は一時金をどうやって調達するのか、住宅価格が下落傾向になった場合に供給がどうなってしまうのかなど色々疑問もあるのだが、現在でも韓国では一般的な借家制度である。
 まず、戦前の家賃実態を調べてみる。1938(昭和13)・39(昭和14)年の2か年に亘り「本邦大都市に於ける土地家屋家賃状況調」が厚生省社会局で実施されている。以下に紹介する資料はすべて当日持参いただき、回覧された。ただし既にかなり風化しており、一部は破損し始めている。
 この調査によれば、東京・大阪・名古屋の三大都市のうち、東京と大阪は家賃がほぼ同額、敷金・権利金は大阪で権利金がやや高い傾向にあるが、一時金の総額はほぼ同じ。名古屋だけが家賃は約半額、一時金も抜群に低いという実態がみられる。つまり戦前の時点では、東京と大阪で家賃システムに基本的な差異はないと判断される。
 しかしその後の同種の調査では、家賃については「光熱費・賄料等を除いた家賃間代とし、権利金敷金等を含まない」として調査されている。先生はこれを「東大や建設省が、戦前の調査を元に、一時金に地域差はないと断定し、戦後の調査を始めてしまったのではないか」と疑問を呈する。
 先生が紹介するのは1953(昭和28)年の住宅統計調査だ。これによると、特に戦後建築の借家で大阪の家賃が東京に比べて相当に低いという結果が出ている。一方、1954(昭和29)年大阪府発行の「大阪府の昭和26~28年度着工民間借家及び建売住宅実態調査」によれば、着工された民間借家の8割はアパート形式で、入居時の一時金がアパートで家賃の10ヶ月分、戸建て住宅等ではそれ以上の一時金を取っているとされている。ちなみにこの一時金の内訳はアパートの場合、全額返還される敷金が2割、一部返済される協力金が8割で、協力金の返済率は8割という結果になっている。
 すなわち、入居時に敷金・協力金(保証金)合わせて10ヶ月分の一時金を納め、退去時には約8ヶ月分が戻ってくる計算だ。ちなみに戸建て住宅等では一時金のうち全額返ってこない権利金が3~4割を占めるが、これは家賃統制令で家賃が抑えられている状況下での「袖の下」のようなものではないかと推測されていた。
 先生も参加された京大西山研究室による「民間アパートの研究」(1963(昭和38)年)でも、保証金はアパート(1室型)で家賃の10倍、文化住宅(2室型)なら20倍が一般的とされており、この時点で「保証金」という言葉が定着していたと言う。さらに先生が代表となり1977(昭和52)年に借家経営者を対象に実施した「民間アパートの実情と分析」でも、東京は敷金・礼金合わせて3ヶ月だが家賃はかなり高く、大阪は一時金が11~12ヶ月分だが家賃はやや低く、名古屋は一時金が4~5ヶ月で家賃は低いが大阪よりは高めという結果になっている。
 ちなみに現在でも大阪ではこうした状況が一般的なのかと関西出身の参加者に聞いたところ、当然のように頷かれた。知らなかった。もっともネットで検索すると、今ではさすがに保証金10ヶ月という物件は少ないようだが、東京に比べれば倍近いということはあるようだ。また、東京では契約期間満了時に更新料を求められることが多いが、大阪ではこうした習慣はない。
 では、大阪の保証金制度がなぜ生まれたかという問いの答えだが、先生はまず東京と大阪の街の成り立ちから考察を進める。江戸は武士の町で一戸建てが住宅タイプのモデルとしてあった。また、町の郊外は自然林の生い茂る武蔵野林で、容易に一戸建てを建設することができた。一方、大阪は町人の町で長屋建てが中心であり、郊外は水田地帯だったため町の拡張も難しかった。
 東京では1923年の関東大震災を受けて、郊外に一戸建ての借家が一斉に建設された。その後、戦中・戦後の家賃統制令や借家への重課税等から一戸建て借家の持家化が進行し、さらに1960年代からの若年人口の急増期に、持家の周辺にアパートを建設することとなり、木賃アパートベルト地帯が形成された。
 これに対して大阪では、長屋の周辺に適当な土地はなく、新たな借家は郊外の田畑を潰して建設された。そこに韓国・朝鮮人等の資本家が進出し、伝貰(チョンセ)の経験をアレンジして、家賃10ヶ月分程度の一時金を徴収しつつ、家賃を低額に抑えて入居者にも支持を得て、大阪の保証金方式が一般化したのではないか。
 なるほど、大阪の地形や町人の町といった伝統、韓国・朝鮮人の流入、さらに家賃統制令の影響などを考えると十分納得できる結論である。また今春、大阪市立住まいのミュージアムに行った際に、大阪の町家には「裸貸し」の習慣があるという話を聞いた。これは家具だけではなく畳や建具まで借主が所有し、転居する際にはこれらの家財を抱えて移動するものだが、こうした伝統も保証金制度が受け入れられる下地となっていたかもしれない。
 当初テーマを聞いたときは特定のエリアの特別な話題かと思ったが、東京との比較で考えてみると意外に面白い。現在の賃貸住宅は、土地所有者の節税対策等の土地活用意欲とそれを喚起し商売につなげようとするハウスメーカーやディベロッパー、そしてフランチャイズ化して全国展開されるミニミニ等の賃貸仲介業者等により供給が進められている。こうした現在のシステムは大阪の借家制度にどう影響しているのか。どうして商業施設では権利金方式の方が全国的にもより一般的な賃貸借制度となっていったのか、など家賃制度に対する疑問と興味は尽きない。
 また、韓国の伝貰(チョンセ)だけでなく、イギリスでは週単位で家賃を支払うことが一般的であったりと、借家制度は各国の伝統や習慣に根差し、相当に異なっている現実がある。日本国内においてすら、というのが今回の最大の驚きだったが、こうした住習慣の上で住宅制度を考えていく必要がある。過去から学ぶことはまだまだ多いということを実感した。

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2012年12月11日 (火)

江戸・東京・名古屋 歴史に学ぶ安全安心なまちづくり

 「歴史に学ぶ安全安心なまちづくり」と題するセミナーに参加してきた。タイトルが安直だが、講師陣は三者三様。トップバッター、名古屋大学減災連携研究センターの武村雅之先生からは「関東大震災から見える江戸・東京の街の変化」。2番バッター、名古屋大学建築学科の西澤泰彦先生からは「災害の教訓と名古屋のまちづくり」。そしてトリを務めたのが名古屋大学建築学科の若手のエース、廣井悠先生。それぞれ、地震災害と街づくりというテーマで、専門分野から話をしていただいた。ちなみに全て名古屋大学の先生なのは、名古屋大学建築学教室が毎年開催している「まちとすまいの集い」という市民向けセミナーだから。
 武村先生からはまず、関東大震災(1923年)の全潰率の分布地図をベースにその特徴を話された。それが実に興味深い。江戸城築城前の古地図で川や湖沼になっていた地域で明らかに揺れが大きかったことがわかるのだ。後楽園付近はかつて大池という沼地だった。日比谷付近は日比谷入り江が入り込む海だった。そして隅田川以東の低湿地。また関東大震災の被害状況は、安政地震(1985年)の被害状況とほぼ重なる。つまり地形が大きく影響しているということ。そして関東地震と同規模と想定される元禄地震(1703年)では関東大震災に比べてはるかに死者数が少なかった。その理由は隅田川以東にまだ人が住んでいなかったから。
 これらを評して、「関東大震災は科学技術の進歩がもたらした災害」と言う。趣旨は灌漑・治水の土木技術が発達し、それ以前には住めなかった地区でも人が居住できるようになったから。なるほど、そういう言い方もあるか。
 その後は佐野利器の功績、後藤新平の功績など。関東大震災後の帝都復興事業で実現し、着手された道路や公園、橋梁、建物等が現在の東京にも多く残るとか。詳細は武村先生著「関東大震災を歩く」をご覧くださいとのことでした。自著PR。
 続く西澤先生は植民地建築で多くの著作があるが、最近は濃尾地震と都市の成り立ちに関心を持って研究をしているとか。うーん、福和先生の毒牙にかかったか(冗談)。それはさておき、清須越えから話は始まった。伊勢長島から清須へ、さらに那古野へ。それは洪水危険度と利水恩恵とのバランスを考慮した結果だと言う。名古屋城は熱田台地と呼ばれる堅固な地盤の上に建設されたが、排水は西の堀川、東の精進川へ流されている。現在も熱田台地の東西は6m以上も標高が下がっているので歩くとよくわかる。
 続いて広小路建設の話。現在の広小路は万治3(1660)年の大火を契機に拡幅されたが、日常的には広すぎるため、屋台や見世物小屋が並び、繁華街が作られた。無駄を生かして「非常を克服する日常の確立」と評価された。
 その後、濃尾地震の話。煉瓦造は1棟全潰しただけなのに、風評と思い込みのミスリードでその後建設された県庁と市役所が木造になったという。山崎川の改修は区画整理事業と一体で進められ、河道改修後の旧河川跡が今も宅地となって残っている。同様の地形は各地に残っているようで、東日本大震災でも茨城の液状化地が元は沼だったなんて話も聞いたが、古い地形を見ることは重要だ。
 廣井先生の講演タイトルは「まちとすまいとにんげん」。これだけでは何のことかわからないが、都市防災・経営工学の観点から安全安心なまちづくりを考えた。
 前半は江戸時代から現在に至る都市防災計画の歴史を振り返り、都市基盤の整備、都市防火区画の形成から近年は地区レベルの対策へと進んできているという概論を述べる。だは地区レベルの対策は自助・共助に期待するものが多い。住民がやる気にならないと何も始まらないと指摘する。
 その後、東日本大震災の概要、特に津波火災についての被害状況や特徴を説明。続いて帰宅困難者の問題を指摘。帰宅困難者対策が企業・事業所と連携して進められている点を評価した。そして自助の限界の話に移る。
 参加者に簡単な心理テストを行って、いかに人間がリスクを小さく見積もり、また価値観に左右されるかを体験させる。その上で自助に過大な期待をしないこと、人間の行動傾向を踏まえてそれをコントロールしていくことの必要性を述べられた。最後に火災の話をはせたが、これは時間切れでやや尻切れトンボ。
 自助は大事。公助には限界がある。その上で、自助・共助に頼り切らない公助の役割を言外に訴えていたかと思う。何をすればいいのか、難しい話ではあるが。
 質疑応答の時間では、自治会活動やバケツリレーに代表される共助に関する質問があった。廣井先生から、住民が地域へ主体的に関わるまちづくりのテーマとして、かつては景観や環境が注目をされたが、最近は防災に対する関心が高くなっているという回答があり、まさにそのとおりと思った。防災は重要。だが景観や環境も重要。価値観の揺れはあるものの根本はまちづくりに住民が主体的に関わるということかと思う。そのことを改めて思ったセミナーだった。もちろん武村先生や西澤先生の話もとっても面白かったけどね。

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