まち遊び日記

2009年12月14日 (月)

公営住宅自治会支援ビジネスを始めませんか

 公営住宅の入居者が高齢化、低所得化し、自治会の運営が困難になってきている。UR賃貸住宅などでは、家賃の中に共益費相当分も含まれているため、入居者は家賃さえ払っていれば、共用部分の清掃やエレベータの管理などは住宅事業者がやってくれる。URであれば住総合生活(株)が、民間であれば家主さんや管理会社が行っている。
 しかし公営住宅の場合は、入居者自らが行うことになっている。行政は住戸を貸与するだけで、その管理運営にかかる経費は住戸内であれば個々の入居者が、共用部分であれば入居者で組織された自治会が負担する仕組みだ。
 これは、自治会がきちんと機能していた時には、UR子会社が会社経費も含めて共益費を徴収するのにくらべて、安い分担金で済むし、共益費徴収と自治会活動を契機に団地のコミュニティの醸成にもつながり、住民にとっても意義のある仕組みだったはずだ。
 また従来は、駐車場が少ない中、増え続ける違法駐車対策として、敷地内や団地周辺の空き地を駐車場にして貸し出す業務も自治会が実施し、その収入を共用部分の管理費や自治会活動経費などに充当してきた自治会も多かった。しかし最近は共同住宅建設時に相応の駐車場確保を義務付ける自治体も多く、駐車場料金は自治体が家賃とは別途に徴収することが多い。
 一方、最近の経済の低迷により、家賃の滞納も増加し、同時に共益費も滞納する入居者が増えてきた。家賃の滞納は自治体が困るが、共益費の滞納は自治会が困る。十分に共益費を集めることができないと、廊下の照明はおろか、エレベータまで停止せざるを得ない事態となりうる。
 こうした状況の中で、自治体に共益費徴収を要望する自治会が出てきた。しかし、一方では駐車場収入などをうまく活用する自治会もあり、また徴収・維持管理業務に従事させる人員確保の問題や事務費を上乗せして共益費を徴収することへの理解など、共用部分管理と共益費徴収を一律に自治体へ移管するには、すんなりとはいかない問題がある。
 とは言っても、自治会としてはいつまでも待っていられない状況にある。なかなか決断をしてくれない自治体のお尻を叩くより、共有部分の管理業務や共益費徴収を肩代わりしてくれる業者があれば、そこに委託する方が早くないか。
 ということで、今、私は、不景気の中、本来事業の業務量が減って困っている業者の方に、新しいビジネスを始めませんか、と言っているのだが、なかなか手を挙げる業者がいない。おまえが始めろって? 今の仕事をクビになったら考えてみたいと思っています。いや、真剣に。

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2009年12月 4日 (金)

学会大会というものに参加して

 私は学部卒で、卒業論文も書かずに(卒業設計だけで)卒業したので、学会大会なぞトンと縁がなかった。就職後、必要があって(というか、恥ずかしいことに、割引価格で参考書籍が購入できるという特典につられて)建築学会に入会し、誘われて見学会や講演会に参加し、なぜか支部の委員もやらされたが、学問的な必要や関心があったわけではない。
 昨年からは都市住宅学会にも入会を誘われ、今年に至って、名古屋で大会があるというので実行委員にさせられ、見学会の実施と講義室の準備運営を担当することになった。
 見学会の様子は前に報告したとおり。個人的な関心も絡め、非常に有意義な見学会であった。
 私が担当した講義室では、2日目に博士論文コンテストと、引き続き、論文発表会が。3日目には午前中に論文発表会があり、午後からはワークショップが開催された。また2日目の論文発表会の後には、別の大講義室で表彰式やシンポジウムが開かれ、夜には懇親会にも出席した。
 初めての学会大会は、外部の者から見ると、驚くこと、興味深いことがいっぱい。学問世界の厳しさと閉鎖性を実感する3日間であった。
 2日目の午前中。博士論文コンテストには、計7名の博士号取得者が集まり、10分の発表時間、10分の質疑応答で進められた。10分ではさすがに短く、研究内容がよく理解できないものもあったが、そこは専門家の集まり。厳しくも的確な質問を浴びせ、発表者を問い詰めていった。「この研究のどこに学問性があるの?」「この施設を研究対象とした理由は何?」「課題に対する解決の方向はどう考えるのか?」などなど。
 私からしても、同様の疑問を感じたものもあれば、こう答えればいいのにと思ったり、第三者からすればなかなかスリルのあるイベントではあったが、学問の世界で生きていくのは大変だと実感した。
 2日目、3日目に開催された論文発表会は、コンテストに比べればまだやさしい。そもそも参加者が少ないし、会場から手が上がらないと司会者が適当に質問を投げかける。司会者のほうが大変だったかもしれない。しかし発表者の緊張具合も相当なもの。修士課程を終了し就職後、大会に合わせ修士論文の発表をしている者もいれば、社会人博士や修士、中には大先生による発表もあり、この場合は内容の如何に関わらず、報告者を立てた質問が飛ぶ。正直、あまりに当たり前の内容に、何の役に立つのかと思ってしまったけどネ。
 発表会終了後、会場の其処彼処で発表者に寄り添って感想やアドバイスを述べ、名刺交換をする姿が見られた。こうした場でのつながりが一番の成果なのかと思った。
 夜の懇親会で、見学会にも参加された発表者と会話する機会があり、家族への負担や日常業務との両立の大変さなどを聞かせてもらった。それでも博士号取得をめざすというのは、それだけのステイタスに魅入られるのか、はたまた退職後の就職先対策か。いったん大学等で教員採用されれば、社会的地位を得て他人からも尊敬され、研究生活も比較的安楽に見えるのかもしれないが、最近の大学の先生は休講もほとんど許されず、事務作業も過重で、加えて出来の悪い学生を相手にするのはなかなか大変なようだ。
 2日目午後はシンポジウムである。この大会では「環境と共生した住まいと暮らし」と題して、名古屋市内でグリーンフェローという環境共生ビルを建設し12年になるという牧村さん、足助で定住生活を始めた南山大学経済学部の荒井先生、「ドイツ社会の環境共生の姿」というタイトルで、ドイツにおける環境法制や政府施策、エコ住宅地の現状報告等をされた滋賀県立大の水原先生という順番でパネラー報告がされた。
 荒井先生には足助で一緒に苦労したし、現状を知っているだけになおさら楽しく興味深く話を聞いたが、他の方もそれぞれ興味深い報告だった。その後、元愛知工業大学の曽田先生のコーディネートの下、コメンテーターとして明海大学の大杉先生から家族法の観点で、笠島淑恵氏から建築家の観点でそれぞれコメントがあったが、既にお三方からの報告の後で、さらに2つの視点からのコメントであり、論点が拡散してわかりにくい印象。曽田先生が何となく強引にまとめてしまったけど、大変でした。
 3日目のワークショップは別途報告したとおり。
 大会を通じて、非常に多様な課題やテーマについて研究し切磋琢磨している姿を見られたことが一番の収穫。中には何の役に立つんだろうという研究もあるし、内容について理解できていないことを指摘されれば返す言葉もない。ただ、研究者にだけ通じる学問的な態度や雰囲気というものがあり、一般人からすれば理解のしがたいこだわりやマインドが流れていると感じたのも事実。総じて言えば「学問の世界も大変だ」ということに尽きるが、なかなかに興味深い3日間ではあった。

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2009年12月 3日 (木)

公共住宅の課題と再生

 11月27~29日で都市住宅学会大会(名古屋)が開かれ、最終日の最後のプログラムの一つで、ワークショップ3「公共住宅の課題と再生(理念・事業・制度)」が開催された。コーディネーターを東海学園大学の三宅先生が務め、パネリストは国土技術政策総合研究所の長谷川洋氏、神戸大学大学院の平山洋介氏、和歌山大学の山田良治氏という顔触れである。
 冒頭、三宅先生から企画趣旨の説明された。
 日本の住宅政策は住生活基本法の制定など、量から質へと大きく舵を切ったと言われるが、その方向はまだ十分見えていない。H20年住宅土地統計調査の速報によれば、公営住宅は全国計約201万戸であり、機構・公社住宅と合わせて約5.9%と前回H15年調査の6.8%に比べ、大きく減少している。
 こうした中、公共住宅、中でも公営住宅では、低所得者や高齢者、外国人などが集住し、コミュニティや団地運営などの管理面の問題が見られるようになってきている。これに対して、住宅行政では十分な手を差し伸べられず、「困った人ばかりが集まり、困ったことが起きている」自己矛盾の状態になっている。これは戦後60年の矛盾が集積した結果であり、このボタンの掛け違いを解くのはかなり大変なことである。こうした問題意識から、中部支部では昨年、公共住宅部会を設置し、有志で勉強を進めているが、その一貫として本日のワークショップを企画した。今後につながる議論ができればいいと考える、といった内容。
 トップバッターの長谷川先生からは、「公営住宅施策の課題と全国自治体における取組み」と題して、ワークショップのタイトルに即し、公営住宅「理念・制度」に係る課題、公営住宅「事業」に係る課題と整理して報告が行われた。
 (1)国及び地方公共団体における財政制約の増大、(2)住宅困窮世帯の増加・多様化、(3)高経年ストックの増大、(4)既存入居者の高齢化の進行等を背景に、住宅政策全体の中での公営住宅の位置づけ、所得再分配のあり方が問われている。公営住宅の「福祉住宅」化は必然であるとする立場から、「低所得者対策」と「住宅弱者対策」は切り分けて検討すべきではないかと問題提起をされた。公営住宅は「低所得者対策」を主とすべきという趣旨と聞いた。
 続いて、公営住宅「理念・制度」に係る課題として、「真に公営住宅を必要とする者への的確な供給」という観点から、住宅困窮度をポイント採点し入居者選考をする東京都の事例や、各地で取り組まれている定期借家制度の活用事例などを紹介された。
 また、公営住宅「事業」に係る課題として、長寿命化方策によるストックの長期活用と計画的な更新、コミュニティの高齢化・衰退に対するコミュニティ・ミックスの取組みなどが提案され、具体事例として北海道釧路町型コーポラティブハウジングの報告があった。
 また最後に、地域の政策課題への対応として、全国の各自治体で様々な取組が行われていることの紹介があり、ナショナル・ミニマムとリージョナル・ミニマムとの整理が必要だと問題提起された。
 2番手の平山先生は、近著「住宅政策のどこが問題か」でも注目を集めており、先生を目当てに参加された一般参加者も多かった様子。平山先生からは「住宅セーフティネットの政策論」と題して報告があった。
 1990年代半ば以降のネオリベラルな政策転換により、市場重視の政策が展開された結果、セーフティネット機能が圧縮され、かえってセーフティネットが必要とされる状況になってしまったと、最近の状況を総括した後、日本型住宅保障の枠組として、政府セクターに加え、家族や企業が担ってきた役割が大きかったと指摘する。親の持家というシェルター、生前贈与、持家相続。また企業による家賃補助や寮・社宅など。
 公営住宅のシェアが5%程度でやってこれたのは、家族や企業が補完してきたからだが、家族の不安定化や企業の福利厚生の縮減により、今後政府セクターへの期待がより高まると予測される。従来、セーフティネット機能を市場と政府との二項対立で考えることが一般的だったが、今後は市場の外も見ていくことが必要という指摘をされた。
 一方で、公的住宅保障も次第に圧縮されてきている。入居収入基準の低下に加え、資産把握の必要性がたびたび議論に上ったり、定期借家の導入や入居継承の限定など。また、高齢者や障害者、母子世帯、DV被害者、子育て世帯等を優先入居対象にすることに対して、公営住宅対象の「カテゴリー化」という言葉を用い、対象世帯の救済効果以上に、公営住宅制度を守る手段として機能していると批判する(まさにそのとおり!)。公平性の論点から制度対象を限定していく論調(例えば大阪府橋下知事の公営階層10%論など)に対して、対象を絞ることで需給関係の調整を図っていると批判的だ。
 地方分権議論の中で公営住宅が取り上げられることがあるが、そもそもナショナル・ミニマム政策である公営住宅は分権には向かないのではないか。自治体にとってインセンティブのある制度になっていないとも指摘していた。
 さらに最近の民間賃貸居住の不安定化についての指摘。所得低下、低家賃住宅の減少(全国消費実態調査の再分析による年収低下に反して家賃の上昇を示すデータは興味深い)の中で、民営借家経営がプロフェッショナル化し、家賃保証会社が台頭して「追い出し」問題の発生や滞納履歴のデータベース化の動きが出ており、今後ますます公営住宅需要は高まりこそすれ、弱まることはない。
 従来、政府は持家取得を促進する政策を中心として、住宅ローン減税や贈与税操作、フラット35の拡充(フラット50)、長期優良住宅優遇、リフォーム減税などを進めてきたが、今回、こうした政策に対して反応が鈍い状況が見られる。日本の持家率は全体としては上昇しているが、40歳以下の持家率は着実に低下しており、高齢者の増加により見かけ上、持家率が上昇しているように見えるが、実質は低下しているのではないかと言う。
 こうした中、10月から厚労省が失職・住宅喪失者に対する住宅手当(ただし6ヶ月の期間限定)を始めたが、今後の動向が注目される。ただし民主党政権は必ずしもこうした状況に対して興味がないようで不安だと言った後、全体を総括し、公営住宅施策を住宅市場との関係だけでなく、もっと広い文脈で考える必要があるのではないか、という指摘でまとめられた。
 最終報告者は山田先生である。山田さんは経済学者という立場から「土地・住宅の公共性と公的管理」と題して報告をされた。公的管理・介入の根拠としての「公共性」はどこにあるか、という観点である。その際の重要な視点として、「市場の外・内全体から見る」ことと「建物は土地と一体で存する」という2点を挙げた後、「土地・住宅の公共性」とは「所有または利用(管理)に関わる社会的共通利益性」と定義した上で、公共性の問題として、アフォーダビリティ問題と土地空間の公共性の2つを挙げられた。
 前者については、イギリスのスラム対策、20世紀初頭の家賃高騰等によるアフォーダビリティ危機などの歴史を振り返り、公営住宅の供給と内需喚起の経済対策などの政策が取られてきた。また土地空間の公共性に対しても、1947年の都市農村計画法に始まる都市計画・空間政策が行われてきたと言う。
 これに対して、日本の場合は、イギリスが200年で経験したことを戦後のわずか50年で経験することとなり、その結果、公営住宅政策は戸数主義が前面に出て、現実後押し型の成長主義的介入が行われ、アフォーダビリティ対策が後景に配する状況になっている。また土地市場の突出が格差拡大を呼び、アフォーダビリティ問題を先鋭化させていると指摘。さらに建築自由の法制度が土地空間の公共性に対しても十分介入できずにいると批判された。
 こうした状況を踏まえ、アフォーダビリティ問題に対して、住宅政策は「与件対応政策」として公営住宅が供給されてきたが、「与件変革政策」すなわち経済構造の変革を考える必要があるという提言があった。理想は「アフォーダビリティ問題が発生しないこと」という言葉は斬新だったが、要はアフォーダビリティ問題は、住宅費支払能力と住宅供給との相克で生まれており、市場・経済政策により支払能力能力の向上を図る視点も重要であるということだ。
 最後に、土地空間の公共性に関して、景観に対する価値変化により社会的共通利益性が生じてきたと指摘した上で、日本型「建築不自由の原則」の確立が要請・提起される時代になってきたと、自身が最近最も関心を持っている事項についての話で締めくくった。
 多様な視点からの報告で、若干論点がばらけかかったが、この後、会場からの質疑応答により、さらに議論は興味深く展開した。
 まず会場から、「公的住宅だけでは限界がある。CDC's等の社会住宅で対応する方向が必要ではないか」という意見があり、「最も望ましい住宅政策はどうあるべきと考えるか」という直截な質問があり、「低所得施策と福祉施策の境界領域をどう考えるか」という指摘があり、「公的住宅のターゲットは結局どこなのか」、「高優賃・高専賃との棲み分け」等について質問が出された。
 長谷川さんからは、「公営住宅の1種・2種を廃止したことが間違いだった。ナショナル・ミニマムとリージョナル・ミニマムの2段構成は必要だと考える」という言葉があり、「公営住宅・NPOやコ・ハウジングなど多様な住宅供給が必要ではないか」と応じられた。「生活保護制度の住宅扶助費との整理が必要になるが、現状、公営住宅は家主に対する補助であるが、入居者を直接支援する家賃補助制度の導入は必然と考える」という趣旨の発言があり、もっと多様かつ効果的に住宅政策を展開していくためには「政治家に住宅政策ファンを増やすことが必要。住宅問題はありませんという首長がまだまだ多い」と興味深い提言がされた。
 平山さんからは、ノン・マーケットの住宅をどう確保していくか、どう再編していくかが問題だという指摘に続いて、「住宅困窮とは何か。最低居住水準が実質意味がなくなった現在、新たな基準が必要ではないか」という重要な指摘がされた。「望ましい住宅政策は?」という質問に対しては、短期的には20%にも上る民間空家の活用が適当だが、借上公営は地方自治体にとって建設事業に比べれば有利な事業ではないと指摘。中長期的には社会住宅と家賃補助を併用する外国の事例を理想に掲げた。
 「高齢者など福祉階層を1ヶ所に集めることが問題である。団地型施策の解体が必要ではないか」という会場からの意見に対して、「神戸の復興住宅では後期高齢者が5割を超える住宅もあり、入居基準をこれ以上下げることは非常に問題である。しかし上げるなら、民間市場はノン・マーケットも含めて考える必要がある」と答えられた。
 山田先生から、「アフォーダビリティ問題の観点からは公営住宅は必要なくなることが最も望ましい状態である。公営住宅だけを見るのではなく、住まい・まちづくり政策として全体的に考えることが必要ではないか」。また、望ましい住宅政策について、ドイツ型社会住宅を挙げ、直接供給はバッファとして考えるべきだと指摘された。また「インフレの時代には持家化が必然だが、昨今のデフレ状況下では、持・借とも不安定になる。常に市場全体を見ていく必要がある」と重要な指摘があった。
 会場から「UR機構住宅はどう見るか」という質問があったが、長谷川さんが「URは公営と民間の昼間とは限らない。低家賃の機構住宅がセーフティネットに果たしている役割も大きい」と応じて、全体の討議が終わった。
 最後に三宅先生から「公共住宅は、社会住宅の方向をめざしミックス居住によるコミュニティの健全化。プラス家賃補助制度によるセーフティネット機能の充実」という方向が示されるとともに、「政治家を味方につける、というのは重要な方針ですなあ」というお笑いの中でワークショップが終わった。
 厳しい経済・社会情勢の中で、公共住宅の問題もいよいよ看過できない状況になっている。そのことを一層感じざるを得ない2時間であり、非常に有意義であった。

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2009年11月30日 (月)

民間非営利組織による住宅供給と貧困ビジネス

 「民間非営利組織による住宅事情」に関する研究報告を聞いた。都市再生機構都市住宅技術研究所の海老塚氏による講演で、海老塚氏の執筆で3月に発行された同名の書籍をベースにした話。もっとも、本書を私はまだ読んでいないし、海老塚氏の講演も、民間非営利組織による住宅供給事例の報告が中心だった。
 紹介された住宅は、敷地共同化・コーポラティブ住宅として、「みくら5:まち・コミュニケーション」(神戸市長田区)、「COMS HOUSE:都市住宅とまちづくり研究会」(千代田区)、「つなね:つなねコーポラティブ住宅建設組合」(奈良市)、「浄瑠璃:NPO法人FUSION 長池」(多摩市)の4事例、高齢者住宅として、「グループリビングCOCO湘南台:NPO法人COCO湘南」(藤沢市)、「サービスハウス ポポロ:NPO法人MOMO」(厚木市)、「グループホーム メゾネットたんぽぽ:ぬくもり福祉会たんぽぽ」(埼玉県飯能市)、「グループホームなも:名古屋南医療生協」(名古屋市)、「ぼちぼち長屋:社会福祉法人たいようの杜?」(愛知県長久手町)の5事例、ホームレス住宅として、「千束館:NPO法人ふるさとの会」(台東区)、「やまぶき舎:スープの会」(新宿区)、「ハーバー宮前:NPO法人神奈川県消費者信用生活サポート」(厚木市)、「行徳荘:NPO法人エス・エス・エス」(千葉県市川市)の4事例。
 さらに、民間非営利組織に着目した欧米各国の住宅政策の歴史の概略の説明と、欧米との比較を通じた日本の民間非営利組織による住宅供給の提案がされた。
 最も興味を惹き、また注目をしたのは、ホームレス住宅の事例である。紹介された各住宅とも、入居者が生活保護費等から支払う利用料金により運営されており、住居費は関東エリアの住宅扶助費である53,700円。これに生活費を3~7万円加算して徴収している(「やまぶき舎」は自炊のため無料)。
 平面図を見ると、各部屋狭小で、1室に2ベッドという施設も多く、東京の住宅家賃としては格安なのだろうが、公営住宅と比較するとかなりの高額という気がする。公営住宅等の場合は住宅供給主体に対する補助がベースに低額な家賃設定がされており、これらのホームレス施設の場合は入居者に対する直接の住宅費扶助が行われている。公的支援の対象者が違うわけだが、生活保護世帯に対してはこうした住宅供給が事業として成り立つというのは興味深い。
 事例最後のNPO法人エス・エス・エスは首都圏でかなり手広く事業を展開しており、施設数127施設、入居者は約4000人。職員も正規職員200名、アルバイト職員250名を数え、事業収入は40億円に近いと言う。こうした状況に貧困ビジネスという批判もあるそうだが、貧困ビジネスと非営利活動の線引きは難しい。
 今月から離職退去者向けの住宅手当もいよいよ始まるそうだが、住宅手当や住宅扶助費などの家賃補助制度と公営住宅制度との関係がどうなっていくか。今後の状況変化に興味が持たれる。
 もう一つ話題になったのが、シェア居住の事例である。民間空き家を借り上げグループホームとして施設提供している「ほっとポット」(埼玉県)や文京区などのシェアードハウスの事例などが紹介されたが、考えてみれば昔の賄い付き下宿であり、当然そういう居住形態は考えられる。大東文化大とURが連携して実施している高島平団地や千葉大とURが連携して実施した西小仲台団地のシェア居住の事例も、高齢者と若い世帯とのミックス居住として注目を集めているが、ぼちぼち長屋のOLや子育て世帯居住と同じコンセプトであり、当然考えられる居住形態だ。
 海老塚氏からは、民間非営利組織による住宅供給を活発にしたいがどうしたらよいだろうか、という問題提起がされた。家賃補助制度の普及など、公的支援の拡充がなければ難しいと思うが、公共住宅との関係で言えば、公共住宅主体が住宅供給から撤退するとともに、民間非営利組織による住宅供給事業に対して家賃補助を行い、余剰技術者による民間非営利住宅事業の起業を支援・誘導するというスキームが考えられる。
 現実、民間非営利組織による住宅供給を担うことができる専門的人材は公的住宅主体や民間住宅事業者が抱えているのが実態であり、現在のぬくぬくした就業状況の中から非営利活動にチャレンジすることを期待するのはほとんど非現実的である。チャレンジに足るリスクヘッジとチャレンジせざるを得ない環境への放出がなければチャレンジが起こるはずもない。
 そういう意味では、例えば、退職金代わりにURの住棟を一棟ずつ、退職者に譲渡することにすれば、イヤでも非営利の住宅供給事業を始めるのではないか。講演会後、そんな暴論を友人と交わしつつ帰途についた。

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2009年7月15日 (水)

住宅施策の鬼っ子 公営住宅の行く末

 最近つくづく感じるのは、公営住宅は戦後住宅施策が生んだ最大の鬼っ子だということである。戦後住宅施策の三本柱と言えば、住宅公団、住宅金融公庫と公営住宅である。そしてそれらを計画論的に支えたのが住宅建設計画であったというのが、一般に言われる戦後住宅政策の構図である。
 しかし平成に入り、住宅公団、住宅金融公庫が解体され、平成18年度には住宅建設計画法も廃止された。代わりに制定されたのが住生活基本法であり、国交省住宅局は生活省庁としての一歩を踏み出した。住宅不足という戦後最大の住宅問題が解決された以上は、方向転換とその方向に大きな誤りはないように見える。しかし如何せんツールがない。そこで模索しているのが、厚労省との連携であり、環境問題など他の行政課題へのアプローチである。省際局となり果てている。
 省際課題は他省庁がある程度取り組んでいる分野でもあり、住宅施策としてどう取り組むのか、非常に難しい。最近の厚労省と連携した高齢者対策は、経費削減をしたい厚労省の思惑に乗せられ、地方自治体を生贄に、実より名を取った愚策に見えてならない。まあ、こうした愚にもつかない施策を重ねた末に、厚労省の再編にうまく乗っかって、国民生活省の一郭に居を移すことができれば最大のヒットだろうが、うまく行くだろうか。
 こうして住宅施策が行き詰まっている中、むくむくと育ち、社会にとっての最大の鬼っ子になりつつあるのが公営住宅である。
 先日、指定管理者として公営住宅の管理を受託している組織の方に、最近の公営住宅の状況について伺う機会があった。公営住宅における外国人問題や自治会運営の崩壊、母子家庭等の増加による子どもの貧困問題の発生など、これまでも機会がある毎にこうした現況はこのブログでも報告してきたが、先日の話の中でもっとも興味を惹いたのは、低所得世帯が集積し、家賃未納者が増加しているという報告である。
 家賃未納については、今後、督促事務や悪質者に対する法的措置等により年度内では帳尻を合わせる方向で努力をするのだろうが、その原因である低所得者の増加はますます深刻になっている。
 そもそも低所得者向け住宅であるから低所得者が多いのは当たり前だが、最近の(そして今後も長く続くと思われる)経済不況の中で、所得が上昇し、公営住宅から移転していく世帯は非常に少なくなっている。それに加え、新規入居者の低所得化が拍車をかける。
 先日の話によれば、現入居者の所得分布は、所得区分1(所得月額104,000円以下:所得分位で下から10%以下)の世帯が6割。所得月額がこの半分(52,000円)以下の世帯が約4割。これに対して新規入居者の収入分布は10%以下の世帯が8割だそうである。所得月額とは、年間総所得から各種所得控除をし、月額に換算したもので、所得区分1では二人家族で年収2,584,000円未満。その半分の所得月額を年収換算すると、二人世帯で年収1,672,000円となる。(4人家族だと所得区分1で年収3,664,000未満、その半分では年収2,940,000円未満。)
 公営住宅の募集が高倍率な要因として、高額所得者がいつまでも居座っていることを指摘する論調も多いが、高額所得者として指導対象とされる所得月額397,000円以上の世帯(二人世帯で年収7,048,889円以上)は全体の2%未満に過ぎず、これらの世帯が全て退去したとしても倍率が大幅に改善されるわけではない。
 ある研究者が「公営住宅はスラムの再生産をしている。新たな部落問題を作っている」と指摘されていたが、まさにその方向へひたすら進んでいるというのが公営住宅の現状だ。この問題を住宅施策として解決するとすれば、収入基準を撤廃し高額所得者も入居できるようにするか、公営住宅を払い下げて撤廃するかのいずれかしかないのではないか。
 もしくは、いずれの方策も取れないのであれば、現実的な対応として、福祉施策と強力なタッグを組んで、低所得者集住地区として生活支援を行うしかない。もちろん、都市住宅施策としても、福祉施策としても正しく方向ではないし、福祉サイドにこうした認識はほとんどないのが現状だろう。そして、いよいよスラム化が進んでいく。公営住宅が住宅施策の最大の鬼っ子と考える理由である。

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2009年6月18日 (木)

環境の時代と住まいの可能性

 木造住宅を中心に活躍する建築家・三澤文子氏の講演会があったので参加した。三澤氏は奈良女の物理学科を卒業後、専門学校で建築を学びんだという異色の建築家。その後、藤本昌也氏が主宰する現代建築研究所で民家型構法を学び、夫の三澤康彦氏とともにMs建築設計事務所を設立し活躍するとともに、2001年から岐阜県が設立した岐阜県立森林アカデミーの教授として、木造建築のイロハから若者たちに教えてきた。この3月に同アカデミーの専任教授から退き、客員教授として週1回程度学生たちを指導するとともに、MOK-msdを立ち上げ、木構造に関する技術的な調査や改修設計等を行っている。
 こうした自身の経歴から始まり、民家型構法の彼女なりの定義や徳島・岐阜の林業家等と連携して開発した杉材の伐採・乾燥・製材・出荷プロセスの紹介まで、内容は多岐に渡った。
 中でも、特に力を入れて話していたのが「ウッドマイルズ」。木材のm3当たりの製造時CO2は鉄筋・鉄骨に比べて格段に小さい54kg・CO2/m3。しかし、輸送時CO2は地域材であれば20 kg・CO2/m3だが、輸入材であればその値は数百倍・数千倍に上る。両者を足し合わせたCO2排出量をウッドマイルズと定義し、地域材の活用を促そうというもの。
 その他、田中文男棟梁の話、製材ラーメン、Jプレートと呼ぶ建築金物のこと。さらに、自宅を含め、木を使った床、棚、風呂、台所の実例など、豊富なスライドで紹介。見るからに聞くからに気持ちのいい時間を過ごさせていただいた。
 最後に会場からの質問に対して、「大工の人材の不足についてはあまり心配していない。大工になりたいという若者も多いし、腕はあるのに仕事がないのが実情ではないでしょうか。」と答えていたのが印象的だった。
 同様の活動をしている建築家は三澤氏以外にも大勢おり、愛知県内でも現代計画研究所の民家型構法の流れをくむ足助の「ほるくす」やそこから分かれた大江忍さん、また愛知の木で家を造る会など、それぞれがさまざまな活動を展開している。これらをうまく統合することも考えないではないが、これらの多様な活動が切磋琢磨しつつ木造住宅の良さをアピールすることで、本当の意味での木造文化が改めて日本に定着していくのだろうと思う。三澤先生が冒頭に話された、日本人の8割は木造志向、戸建て住宅の8割は木造というデータを思い起こし、(200年住宅のように)変に誘導するのではなく、真摯に木造の良さを伝える努力を重ねることが必要なのだと思う。
 ところで、この講演会に参加した最大の目的は、私のかつての部下が三澤先生の事務所に就職しており、「彼女をよろしく」と伝えること。講演会後、岐阜県内の担当現場に行っていた彼女が講演会終了に合わせて迎えに来ており、久しぶりの再会を果たすことができた。たくましくなって、と言いたいがあまり変わってないような・・・。それでも5年で独立が先生の方針だそうで、あと3年。それまでにはさらに腕を磨き、この地域で、Ms設計ならぬNs設計として、又はMOK-msdならぬMOK-nndとして、独立開業する日が来ることを楽しみにしている。その時はわが家の改修でもお願いしようかな。住宅ローンが完済できないうちはまだ無理か。

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2009年6月 6日 (土)

まちづくりのツボ教えます

 5日開催されたまちづくりシンポジウムに参加した。講師は近畿大の久隆浩教授。「まちづくりのツボ教えます」とは何ともベタな演題。若干のいかがわしさを感じつつ、あまり期待せずに参加。最近の疲れもあり、冒頭はうつらうつらしていたが、途中から面白さに目が覚めた。
 久先生は土木出身で、都市計画専攻とはいえ、ここまでどっぷり現場に浸かっているのはめずらしい。その極端なまでの現場主義が土木らしいと言えばらしいが。
 「人任せの人が増えている」とか「これは資本主義と法治主義という近代という時代の特徴」といった冒頭の話は当たり前で、しばらく意識が飛んでいたが、「『合意形成や意思決定を前提としない情報交換の場』をいくつかの地区で100回以上も続けている」という辺りから目が覚めてきた。その会合では、「今日は何の話をしましょうか?」から始まり、「じゃ、近況報告でもお願いします。」で順に話し始め、興味が募る話題や相談事などがあればその話題で盛り上がる。「面白くない」という人には「じゃ、あなたが面白い話をしてください。」と言い、「人が増えない」という人には「じゃ、あなたが誰かを誘ってきてください。」と言い、みんなで盛り上げ、誰もお客さんにしない。
 これはあくまで情報交換や意見交換の「場」であって、活動を行う「組織」ではない。交流の場から活動のための組織が必要だと思う人が集まれば、その有志が組織を作り活動を始める。活動のためには組織も必要だが、しっかりした組織は参加者の固定や活動の硬直化も生む。交流の場はあくまで気軽で出入り自由なゆるやかなつながりの場にとどまり、だからこそいつまでも続く強さを持っている。
 「考えてみてください。夕食の献立を家族会議で決定する家庭はないでしょ。多くの物事はこうして特別な合意形成・意思決定の手続きを経ずとも決まっていくものなのです。」と、地域を家族の仕組みでやっていこうと提案する。なるほど。でも、地域の大きさにもよるだろうが、自由参加で最初から20人も集まる集団というのは少ないのではないか。せいぜい5・6人。そして次第に日程が合わず下火になる、というのが通常の経緯。やはり先生の盛り上げが必須なのでは。そんなことも聞きたかったが、衆目の中では遠慮してしまいました。
 後半はやや硬い制度論。近代が制度による秩序維持の時代であったのに対して、ポストモダンの現代はコミュニケーションで新たな社会秩序を生み出すことが必要になっている。わからないではないが、ようするに昔に帰って新たな秩序を模索する、ということ? 制度に慣れた人間をもう一度こうした場に引き込むことが大変。そのための「交流の場」という主張。
 最後は行政職員向けに実践的提案。説明をするのではなく、相手の意見を聞くことが大事。反対意見が出たら、「じゃ、やめます。」と言ったらどうですか。「それじゃ困る。進めてくれ。」という声も出てくるはず。そうすれば、反対派と推進派の住民同士の話し合いになる。それが「住民同士が主体的に対話をしてもらう機会づくり」
 「事業が頓挫してもクビにはならないから」と言われても、なかなかそうした対応はできないもの。それというのも事業の方針があって初めて組織ができ、担当者が配置されるから。何をするか決まらないところに住民の意見を聞くための担当者を置く。行政組織を、そうした住民対応・地区対応のあり方に変えていくところから始める必要がある。
 先生の言われることはよくわかる。しかしそのためには、自治体だけではなく、市民も企業も国も、すべてがポストモダンの時代に合わせた行動を起こしていく必要がある。できるところから、できることをやる。「それで世の中は変わっていきますよ」と言えるメンタリティを万人が持つのは難しいが、時代がそうした風潮に動き出しているという気はする。
 何が効くのかは本当のところはわからないが、「そのツボ、気持ちいい」のは確か。信じるものは救われるカモ・ネ。

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2009年5月27日 (水)

郊外住宅団地再生研究会

 (社)地域問題研究所が呼びかけて、「郊外住宅団地再生研究会」が開催された。人口減少社会における郊外住宅団地(ニュータウン)が抱える問題や課題を共有し、「魅力の維持や再生に向けた取り組みについて、地域住民の活動と行政施策の両面から検討」しようというものだ。会員等への呼びかけに行政職員・住民・議員等、総勢30名ほどが集まり、狭い会場が一杯となった。
 冒頭、当研究所主任研究員の加藤氏の問題提起「郊外住宅団地を取り巻く現状と課題」があり、続いて行政と市民から二つの報告が行われた。
 報告1は「郊外住宅団地に対する行政からみた問題意識」と題して日進市企画政策課の近藤氏から、続いて報告2は「住民による住宅団地でのコミュニティ活動の成果と課題」と題して高蔵寺ニュータウン石尾台コミュニティの吉田氏から、それぞれの取組が報告された。
 日進市は、名古屋市東部に隣接する住宅都市で、昭和40年以降人口が急増し、昭和40年当時1.4万人であったものが、今では8万人に達しようとしている。市の中央を東西に天白川が流れ、その流域は農振農用地に指定されて、今も多くの水田が残る。住宅地は南北の丘陵地に開発され、それぞれ名古屋市営地下鉄駅につながる鉄道・バス路線が走っている。中央部の自然環境に対する市民の評価は高いという話は興味深い。
 開発された住宅地のほとんどは市街化区域に指定されているが、一部、調整区域地区計画を決定した団地もあり、また最遠部の団地には、下水道等の都市インフラが十分整備されていない。団地住民の多くは自家用車を利用するが、高齢者の増加等もあり、市は市内をくまなく巡回する「くるりんばす」を運行。また、週1回の農産物市なども開かれているという。市としては「クオリティの高い住宅都市をめざしている」という言葉が印象的だった。
 一方、高蔵寺ニュータウンの吉田氏の報告はこれまでもこのブログで何度も紹介している内容でもあり、省略。ただ、6月には市役所が住民委員会を設置するようだという話があり、遅々とではあるが、行政も動きつつあるようだ。
 後半は、先日も紹介した元愛知工業大学教授の曽田忠宏氏も加わっての意見・情報交換。曽田先生からは、先日と同様、NPO法人高蔵寺ニュータウン再生市民会議設立の話から始まった。郊外住宅団地の問題は、団塊の世代等、一定の年齢階層が集団的に存在することにあるという指摘は正しい。少子高齢化にしろ、空き家の発生にしろ、基本的には全ての地域・住宅地で共通に起こっている中で、この点のみが他の地域との相違点だ。
 かつて足助町の人口構造を調べた時に、意外に団塊の世代が少ないことに驚いたことがあった。過疎地を出た団塊の世代の多くが大都市に出て行き、郊外住宅団地等に居住している。団塊の世代の高齢化の問題は地域に偏在して発生しているのだ。
 こうした現状を踏まえ、曽田先生からは、今後の郊外住宅対策として、空き家対策と交通対策の重要性を強調された。
 また、愛知県住宅計画課の成田氏から、昨年度に実施した住み替え調査の報告があり、2~3割の世帯が「住み替え意向あり」と回答したこと、また、住み替え対策には住み替え意向を持つ世帯と不動産仲介業者とをつなぐ窓口機能の強化拡充が必要ではないかという意見が披露された。
 その後、会場からの自由意見交換が行われ、郊外住宅団地に外国人が集中居住している問題や、主に丘陵地が開発されたため、バリアフリー化が課題であること、また、区画面積が小さく二世帯住居の建設が困難なため、容積率の緩和等の対策が必要だという意見も出された。また、地域問題研究所の河北氏からは、アメリカ・カリフォルニアの事例として、住民を中心とした魅力ある住宅地づくり活動が紹介された。
 まとめに加藤氏から、郊外住宅団地問題の切り口として、①相隣レベル・地区レベル・都市地域レベルのエリア的視点、②住民・行政・民間の各セクターの役割を考える視点(コスト負担やそれらをつなぐ中間セクターも含めて)、③ハード/ソフトの具体施策の視点の3つが提示され、次回研究会までに論点整理と研究会の運営等も含めて検討した上で、再度、開催の案内をすることが伝えられた。
 加藤氏からはさらに、成功モデルとともに撤退モデルも検討する必要があるのではないか、また若年世帯のつなぎ止めや転入促進の観点からは、過疎地域でのIターン施策が参考になるのではといった提案がなされた。

 このところ郊外住宅団地の問題がたびたび取り上げられ検討されることが多い。そのたびに感じるのは、この問題をどこまで深刻な問題として取り上げる必要があるだろうかという点だ。少子高齢化や地域衰退を取り出せば郊外住宅地よりも衰退し問題の大きい地区はいくらでもある。日進市のように市域全体が郊外住宅地で新住民の方が圧倒的多数を占める自治体であればまだしも、春日井市のように、しょせん人口で2割以下の地区の問題をどう取り扱うかはかなり悩ましいはずだ。
 得てして郊外住宅団地は、学生運動を経験した団塊世代の高学歴のサラリーマン世帯が多いため、自治体に対しても要求型の運動になりがちだ。都市基盤は老朽化が始まりつつあるとはいうものの既成市街地に比べれば高い水準で整備されており、子供世帯の分離・独立は全国的な現象でもある。必要なのは既成市街地や既存集落から集めた税を郊外住宅団地に集中投下することではなく、さらにいっそう魅力ある住宅地となるよう、さまざまな活動を活性化させることではないだろうか。そういう意味で、加藤氏の言われたIターンという視点は大いに賛同する。
 また、団塊世代が、若者や団塊下の我々の世代を見て、「介護はどうしてくれるのか」と訴えるのは正直気に入らない。先ほどの容積率が厳しいから二世帯住宅が建たないなどという意見は言語道断。雇用・社会情勢や生活・価値観の変化等により別居や遠方居住が選択されているのであり、断じて土地利用規制のせいではない。こうした世代間の利益供与を問題とするのではなく、同世代間でいかに楽しく生活するか、それを見せることが若年世代の転入にもつながるのではないか。
 孤独死についてもそれを行政の問題として訴えるのではなく、自分自身が孤独死したくないのであれば緊急通報装置の設置など日頃から講じるべき方策はあるし、隣人の孤独死を懸念するのであれば日頃から声がけをすればよい。自分が声をかけずに行政に動けというのはワガママだし、離れた地区の孤独死を取り上げ問題視するのは大きなお世話だと思う。
 少し前の高齢者は隠居後、仏事・神事に熱心に取り組んだ。これからの高齢者も、いかに社会から離れて隠居するかをもっと真剣に考えてもいいのではないか。郊外住宅団地の再生も、団地住民がいかに死と向き合って生き続けるかが、実は再生のカギではないかという気がする。「再生は死と向き合うところから」というのは、話題を変えすぎているかもしれないが・・・。
 いずれにせよ、郊外住宅団地問題で思うところは千々雑多。地域問題研究所の方にうまくまとめていただき、噛み合った議論が続けられることを期待する。

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2009年5月22日 (金)

減災のまちづくりと建築の危機管理

 防災まちづくりの第一人者、室崎益輝先生の講演会があったので参加した。ちなみに室崎先生の今の肩書きは関西学院大学総合政策学部教授。高名な先生でもなかなか再就職には苦労されているようだ。それはさておき・・・。
 いつも都市計画に関する話題が尻切れとんぼになってしまう、ということで、今日の講演会では最初にまちづくりの話題から始まった。最近の防災対策は、コミュニティ、ボランティア、帰宅難民対策のソフト対策に建物の耐震改修で終わってしまう。それでいいのか、という指摘だ。「ソフト+建築+まち」の3つが揃って初めて、バランスのとれた防災対策になりうる。
 現在の政府目標である建築物耐震化率90%は、一定程度、老朽家屋が建て替わることを想定して試算している。しかし密集住宅地では、狭隘道路や未接道敷地があり、建替えることができない老朽家屋が多くある。結果的に耐震化率は地区によってかなり差ができることになる。加えて、中途半端な壊れ方(改修)は、火災時に却ってよく燃えるという。耐震改修だけでは不十分だということだ。
 減災の視点からの危機管理として、手だての足し算、空間の足し算、人間の足し算、時間の足し算の4つの要素が重要と整理された。手だての足し算とは、ハード・ソフト・ヒューマンの各対策の融合を図ること。特にハード対策が基本というのは、都市整備が重要ということと通底する。また、ヒューマンウェアとして、昨年、大阪で発生したビデオ店の火事の話が面白かった。あのビデオ店は1階にあり、建築基準法的には二方向避難は不要でその点では違反建築物ではなかった。しかし、それは1階ならいざという時には屋外に逃げられるという仮定の法律。しかしあの建物では1階は完全に壁で、出入り口は1カ所しかなかった。これは設計者の倫理の問題だという指摘だ。
 また、空間の足し算では、まんじゅうのアンコとカワを例に、アンコがうまければカワも薄く済む。アンコ=小さな公共(コミュニティ空間)を整備することが重要という指摘。また時間の足し算では、最近大掃除をしなくなったことが住まいの維持管理・メンテナンス文化の喪失を招いているという指摘があり、家検制度の創設を提案された。
 もう一つ興味深い指摘は、都市の危機管理に関して。安全都市デザインガイドラインが必要じゃないか、というもの。これは建築基準法の集団規定のような仕様規定ではなく、都市計画の性能規定化を求める趣旨で、例として大阪の法善寺横町の安全性を確認した上での柔軟な集団規定の緩和等を上げられた。
 減災の視点からの危機管理(手だて、空間、人間、時間)、建築の危機管理(フロー、ストック、応急対応、復旧・復興)、都市の危機管理(フロー、ストック、応急対応、復興事業)ときれいに整理された構成の資料を配布しつつ、奔放に横道に逸れていくお話は、親しみやすく楽しい。しかも大きな構成のなかに埋め込まれた一つひとつの主張はどれも頷くに足る説得力があった。「ソフト対策に流れていませんか」という問い掛けは耳が痛い。これは国を挙げて姿勢を正し取り組んでいかなければならない課題であろう。

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2009年4月29日 (水)

ニュータウンの再生-行政とまちづくりの論理

 4月25日(土)に(社)都市住宅学会中部支部の講演会が開催された。テーマは「ニュータウンの再生」。内容は、「高蔵寺ニュータウンの現状と再生に向けた取り組み」についてNPO法人高蔵寺再生市民会議代表の曽田忠宏氏から、「桜ヶ丘ハイツにおける住民主導の団地再生の取り組み」について桜ヶ丘ハイツまちづくり協議会の河崎典夫氏から、それぞれ講演があり、会場も含めた意見交換が行われた。
 高蔵寺ニュータウンの現状と取り組みについては、当日は女子学生が大勢参加していたことから、曽田先生が急遽、大学の講義のように平明な内容に切り替えられたこともあり、従来、私が認識している内容と大きく変わることはなかった。
●参考
「ニュータウン人・縁卓会議in高蔵寺」
「ニュータウンの再生・活性化」
「名古屋とその近郊の
高齢者施設と住宅地(高蔵寺ニュータウン)」

 近況としては、一昨年より準備を進めてきたNPO法人高蔵寺再生市民会議がいよいよNPO法人として認可される運びとなり、5月にも創設記念講演会を開催するとのこと。詳しくは「高蔵寺ニュータウン再生市民会議--高蔵寺どんぐりs--」へ。
 高蔵寺ニュータウンの今後に向けて、例えば千里ニュータウンでは、府・市・UR等関係者が集結して千里ニュータウン再生指針を作成したように、高蔵寺ニュータウン再生マスタープランの策定が必要であり、今回設立したNPO法人高蔵寺再生市民会議が、住民サービス機能に加え、政策提言機能を果たしていきたいという趣旨の話があった。
 一方、桜ヶ丘ハイツのまちづくりについても、「可児市桜ヶ丘ハイツの住民主導のまちづくり」で報告したとおり、昨年の秋に河崎さんから話を伺っており、基本的にはその繰り返しだった。しかし大学教授であった曽田先生とは違い、急な方向転回はされなかったので、用意されたレジュメに沿い、住民活動を通じた感想や考察を披露され、触発される点も多かった。
 地域は、(1)暮らしの場、(2)地方政府、(3)自然に支えられる流域の3つの性格を有する。まちづくりには、地域のこだわりや愛着が不可欠である。「移」動支援、「食」料・「職」場、「住」居の「い・しょく・じゅう」に対して、「助け合い・支え合い・分かち合い」による地域のセーフティネットづくりが重要。また、住民参加には、順番に回ってくる自治会役員などの「義務的参加」、迷惑施設建設反対運動などの「目的的参加」、こんなまちにしたいと取り組む「共感的参加」の3つがあり、いずれも必要であること。特に義務的な自治会活動を経て地域を知ることは重要である。
 また現代は、"生きる""働く""暮らす"がバラバラに引き裂かれ、「かけがえのなさ」を失った社会になっていると指摘し、人間が受け身の消費者として生活する「観客社会」から能動的に生活者として活動する「参加型社会」への転換が必要だと訴える。
 桜ヶ丘ハイツのある可児市は2004年に「市民参画と協働のまちづくり条例」を制定しており、これに基づきまちづくり協議会を設立したが、それが逆に市役所に「市民まかせ」の風潮を生んでいるのではないかと指摘。3~4年で担当者が異動し、退職間近の幹部職員は逃げの一手になりがちな行政のあり方に対して強い思いを吐露された。
 会場からも、分け与えられた「住民参加」、住民まかせの「住民主体」を超え、「住民主導」が必要だ、という意見があり、行政=研究者=事業者=住民の4者が連携した体制の提案があった。
 これらの意見ももっともだと思うが、その根底には多分に「他者」である「行政」の特性に対する理解の不足があるように思う。
 行政というのは、徴税機能を持つ収奪機関であり、法に基づき権力を行使する支配機構である。そうした組織目的に向けて業務を効率的に執行するため、ヒエラルキーのはっきりしたツリー構造の組織となっており、意志決定や事務執行においてネットワーク型の住民組織とは異なる習性がある。
 この権力組織に所属する公務員自身、社会状況が大きく変化する中で、自らの権力と責任をどう扱うべきか困惑しているというのが現状ではないか。ルールに則って機械的に権力を行使し業務を遂行できる分野は得意だが、多くの分野でルール自体が揺らいでいる。
 こうした状況の中、政策の方向を定めるのは、首長であり議会であり住民であるが、同時に職員自身もこれまでの職務遂行上の課題をよく認識しており、提案主体の一つになりうる。事実、政策立案能力は公務員の重要な資質・能力の一つとして期待されている。
 会場からは「議員との関係はどうか」と問う質問もあったが、首長・議会・行政・住民という4者間における政策決定や政策手段と実務の執行体制等の関係とあり方がまだ十分明らかになっていないのが現状ではないか。社会の変化の中で、まだしばらくは全国の自治体で試行錯誤が行われ、次第に定着していくのだろう。まだその過渡期だと思う。
 いずれにせよ、両ニュータウンとも、住民の手による活動が進められており、今後の展開に興味が尽きない。ますますの活発化を期待したい。

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